クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

「先ほどの聴取は、いったい何なんですか」

 車に戻るなり、篠田は間髪入れずに問いただす。

 藍の聴取のやり方に対して、いくつか思うところがあったのだろう。
 高圧的な態度、煽るような口調――それらは相手に不信感や恐怖を与えるだけで、何の得にもならない。

 しかし、藍は反省する素振りすら見せず、むしろ、聴取を強制終了させた篠田に対して反感を抱いていた。

「何なんですか、はこっちのセリフですよ。捜査主導権を握っているのは、あくまで捜査一課です。勝手なことしないで」

「しかし、あれでは知っていることも話してくれません。捜査に協力していただいているわけですから、参考人には敬意を払ってください」

 シートベルトを装着しようとしていた藍の手がぴたりと止まり、運転席の篠田へと視線が向けられた。その視線は、挑戦的な小型猛獣のそれと変わらない。そして、そのぎらぎらと光る眼が、周囲に限らず、ときには自身をも破滅の道に引きずり込む危険な輝きであることを篠田はよく知っていた。

「お言葉を返すようですが」

「はい」

「篠田さん、ちょっと甘くないですか?」

「……甘い?」

「参考人に敬意とか、そんなこと……。もし相手が犯人だったらどうするんです? ナメられるだけでしょ」

「大切なのは、こちらがどう接するかです。聴取相手は、鏡だと思ってください。咬みつけば、あちらも咬み返してきます」

 諭すように言っても、藍はいっこうに引き下がる素振りを見せない。むしろ、篠田が穏やかに説こうとするほど、藍の敵対心は増幅する一方だ。

 そこに、冷え切った空気を裂くような軽快な鍵盤打楽器の音が鳴り響いた。

 藍のスマホからだった。
 取り出すと、画面には【柳内係長】と表示されている。

「どうぞ」

 篠田が電話に出るよう促すと、藍は獰猛な眼光を引っ込め、それを耳に押し当てた。
 毛羽立った心を逆撫でするような、あまりにも空気の読めていない弾んだ声が、スマホを通して聞こえてくる。

「よお、うまくやってるか?」

 藍はその声を聞いて、やはりこんな声だったよな、と思う。朝会のときは、少々声を渋めに作っていたように感じられた。

「いえ、これといった情報は特に。誰かさんに邪魔をされてしまったので、深く追及は出来ませんでした」

「あれ、藍ちゃんが組んでるのって――」

「その呼び方やめてもらえます?」

「んだもう、可愛くないな」

「あれっ、そーゆーの何ハラって言うんでしたっけ」

「……冗談じゃんか」

「で、用件は何ですか」

 受話口が一瞬静まる。柳内のおふざけモードが霧散(むさん)した気配を感じた。

「ああ……後藤田幸枝への聴取は終わったんだよな?」

「はい、つい先ほど」

「じゃあ、ちょっとこれから向かってもらいたいところがある」

「あ、待ってください。メモ取ります」

 通話をスピーカーに切り替えたところで、いつの間にか、篠田が自前の手帳を取り出していたことに気づいた。抜け目のない動作に、本来であれば感謝と感動を表すところだったが、藍は篠田に一瞥をくれるだけで、柳内に「お願いします」と声を掛けた。

 柳内が口にした住所は、神奈川県川崎市新丸子東にあるマンション。マップ検索をかけてみると、住所周辺は京都市のような碁盤の目になっていた。ここから車で、およそ四十分といったところだ。やや遠い。

「そこに住んでいるのは、菅原(すがわら)祐衣(ゆい)。被害者の実和子と同じ、白峯村の出身だ」

 どうやら遺留品の実和子のスマホから、頻繁に連絡を取っていたと思われる人間が何名か浮上したようで、菅原祐衣もそのうちの一人だという。すぐに聴取をとってくるよう各捜査員に当たっているらしいが、どこも先ほど本部を出たばかりだ。

「わかりました。すぐ向かいます」

「助かる。頼んだぞ」

「はい」

「――あっ、ちょっと待て」

 通話を切ろうとしたところで、柳内に止められる。

「なんですか?」

「千木良が組んでるの、シノだよな?」

 シノ。

 一瞬、誰のことかと思ったが、すぐに篠田であることに気づいた。

「もしもーし。シノ、聞こえてるかぁ?」

 すかさず、篠田にスマホを渡す。

「あぁ……。はい、篠田です」

 久しぶりだな。お久しぶりです。

 布施のときと同じく、慣れ親しんだ様子の二人の会話を、藍は隣で聞いていた。
 篠田の敬語を訝しがる柳内と、それを指摘されて困ったように笑う篠田の図は、まさにデジャヴだった。

「とんだじゃじゃ馬を任せて悪いな」

 ――じゃじゃ馬って……聞こえてるんだけど。

「とんでもない。すごく熱心で、頼りになる方です」

 先ほどまで、聴取のやり方にケチをつけていたくせに。
 渾身の睨みを篠田に向けるが、当の本人はまるで気づいていない。やり場のない苛立ちを押し隠すように、車窓に視線を投げる。

「似てるだろ――あいつに」

 心なしか、柳内のトーンが少し下がった気がした。

 あいつ。誰のことだろうか。

「それは……どうでしょう」

 ちらりと横を見てみれば、肯定とも否定ともつかないような、曖昧な表情を浮かべる篠田がいた。

「まぁ、扱いづらいやつだけど、そんな悪いやつじゃない」

「心得ています」

「暴走しそうなときは、お前が手綱を引いてやれ。んじゃ、よろしく」

 きっと、スピーカーフォンになっていることに気づいていなかったのだろう。柳内は、じゃじゃ馬だの、扱いづらいだの言いたい放題だった。

 ありがとうございました、と差し出されたスマホを取り返し、ふたたび車内に静寂が訪れた。しかしそれも束の間、車のエンジンが掛かり、二人の間に低い振動音が流れた。次第に、冷え切っていた車内が温まっていく。

「出発する前に、お手洗いやお食事は平気ですか?」

 抜かりない気遣いに、逆に苛立たしさを覚えながらも藍は頷いた。

 駐車場を出て、早稲田通りをさらに東に進む。馬場口交差点を右折し、明治通りに入ったところで、藍は気になっていたことを聞いてみることにした。

「布施主任と柳内係長とは、どういった関係で?」

「十年前まで、同じ部署にいました」

「十年前って――」

 記憶を巡らせる。
 たしか、布施がちょうど捜査一課に配属されたばかりのころだろうか。

 ということは――。

「……えっ。篠田さん、元々捜一だったんですか?」

「過去の話です」

 なぜ、所轄署の刑事課に――とは、聞けなかった。一度、捜一という出世軌道に乗った者が、管理職どころか中間管理職すら請け負わず、所轄署の刑事課に身を置いている。問題を起こし、左遷された以外に考えられない。

 だとしたら、いま目の前にいる篠田は、本来の篠田ではないのだろうか。

 物腰柔らかな雰囲気に、丁寧な言葉遣い。後藤田幸枝の聴取のときに感じた思慮深さからも、問題を起こすとは考えづらい。ということは、篠田の胸の奥底に、牙を尖らせたもう一人の獣が潜んでいるのかもしれない。その獣は今、深い眠りについているだけで、いつ姿を現すかわからない。
 
 ――あまり刺激をするのも、よくないかもしれない。

 穏やかな表情でハンドルを握る篠田から視線を逸らし、藍は車窓を眺めた。

 丸子橋を越えると、東京を出て神奈川に入った。五分ほど走り、空いているパーキングに車を停めると、その目の前が目的地だった。
 古びた低層型アパートや一軒家が建ち並ぶ中で、そのマンションは築年数が浅いように見えた。ブラウンの外壁がモダンな雰囲気を醸し出しており、一際目立っている。

 菅原宅は、最上階の六階、角部屋の六〇一号室だった。エントランスのオートロックで呼び出すと、インターホン越しに聞こえてきた声は緊張を帯びていた。訪問は電話で伝えられていたはずだが、いざ実際に来られるとなると身構えてしまうのだろう。菅原祐衣には、捜査協力をお願いしたい旨だけを伝えており事件については触れていない。捜査本部による記者会見は、十一時からを予定しており、百人町のアパートで夫婦の他殺体が発見されたことについては、警察関係者と事件関係者以外は知り得ない。安易にべらべらと喋るものではない。

 エレベーターに乗り、六階まで上がる。

 壁は打ちっぱなしで、紺色のカーペットは真新しかった。防音性が高いのか、単に入居者が少ないのかは不明だったが、廊下は静まり返っている。無意識のうちに息を止め、足音を殺して歩いてしまうほど、音を立てたら何かが起きそうな薄暗さがあった。

 六〇一号室の前に着くと、インターホンを鳴らす。応答はなく、少ししてから伺うようにドアが開かれた。

 中から現れたのは、藍とさほど身長の変わらない女性だった。

「新年早々、押しかけてしまい申し訳ありません。こういう者です」

 先頭に立つ藍が警察手帳を見せると、篠田もそれに続く。
 すると、女性はほっとしたよう強張っていた表情を弛緩させた。

「よかった〜。本物の刑事さんだ」

「菅原祐衣さんですね」

 篠田が柔らかく確認を入れると、女性はこくりと頷いた。

「どうぞ、あんま片付いてないんですけど」

 と言ったわりに、部屋は綺麗に片付けられていた。

 夫と二歳になる息子は、近くの広場に羽つきをしに行っているという。先ほどまで家族団らんの時間を過ごしていたそうだ。気を遣った夫が、息子を連れて外出した、というところだろう。

 ダイニングに通され、藍と篠田は並んで座った。すかさずキッチンの方へ向かう祐衣を「どうぞお気になさらず」と、篠田が引き留めた。すると、祐衣はいたずらっぽい笑みを浮かべながら振り返った。

「へへっ、助かります。実は昨日まで、旦那の実家に帰省していたものですから、冷蔵庫の中空っぽで」

 言いながら、冷蔵庫を開けて中身を見せてくる。
 かなり警戒心の低い人なんだな、と藍は思った。玄関ドアを開けたときだって、チェーンもかけずに不用心だった。だから、どうということではないのだけれど。

 ダイニングテーブルを挟み、祐衣と向き合う。学生時代、クラスに一人はいたであろう、盛り上げ役の女子。ゴシップ好きで、教室の隅に固まり、こそこそと人の噂話に花を咲かせるタイプ。テーブルに前のめりになり「で、何があったんですか」と聞いてくる姿を見て、そんな人物像を思い浮かべた。

 彼女はまだ、友人である実和子が死んだことを知らない。いますぐにでも訃報を伝えれば、その好奇心に満ち溢れた瞳はどう沈んでいくのだろう。