クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 藍と篠田が任された後藤田幸枝の聴取は、中井友思が入院中の高田馬場メディカルセンターで行われることになっていた。新宿区高田馬場二丁目にあるその病院は、新宿署から車で十分ほどの場所に位置している。

 二〇二六年が明けて四日目。町はまだ正月の余韻を纏っており、いつもより歩行者が多い。しめ飾りのかかった家屋、公園で凧揚(たこあ)げをしている子ども、福袋を片手に提げた家族連れ。年明け特有の浮ついた空気は、どの時代にも共通している。

 車窓を突き破って聞こえてきそうな賑わいに、藍はそっと目を逸らした。

 先ほどから、車内は静まり返っている。

「そういえば――」赤信号に捕まったところで、篠田がふいに口を開いた。「西巡査と千木良巡査は、同期だと伺いました」

 一瞬、誰のことかわからなかったが、すぐに那由多のことだと気づく。泉月情報では、篠田と那由多は新宿署の刑事課でバディを組んでいるとのことだった。そのことを思い出し、あらかじめ那由多から篠田の情報を聞いておけばよかったと少々後悔する。

「はい」

 短く答える。あまり話を広げるつもりはなかったが、ふと純粋に同期の仕事ぶりが気になった。

「那由多、どうですか。ちゃんとやってます?」

 藍が少しだけ身を乗り出すと、篠田はハンドルを軽く回しながら、ふっと笑った。

「ええ、よくやっていますよ。何事にも全力で取り組みますし、ああ見えて真面目ですからね。空回りしてしまうこともありますが、それすらも西巡査の個性であり、魅力の一つです」

 篠田の言葉に、藍は頬が緩んだ。仲の良い同期が、こうして褒められているのを耳にすると、自分のことのように嬉しく思う。

「それはよかった。同期として、誇りに思います」

 本人の前では、なかなか言えない言葉だ。
 何気なく口にした言葉だったが、篠田は目を見開くと、すぐに目尻に皺を寄せて微笑んだ。

「西巡査も、そうおっしゃっていました」

「えっ?」

「千木良巡査が捜査一課に配属されると聞いたとき、本当に喜んでおられました。課内中に自慢して回っていたんですよ」

「……嘘でしょ」

 那由多の浮かれた顔が、頭に浮かぶ。

 何をとっても日本一と言われる大型所轄署の刑事課で、そんなことを言い回っていたと考えると背筋が凍る。あと一歩で捜査一課も夢ではない、という立場にいる人たちの前で、若い女の捜査一課入りを自慢するなど無神経にもほどがある。那由多は警察学校のときから、いささか空気が読めていないようなところがあった。

 藍は額に手を当てて、思わずため息を漏らした。

「ほんっとバカ」

 篠田は藍の心情を察したのか、苦い笑みを浮かべるだけだった。

 信号が青になる。
 車がゆっくりと動き出した。

 つつじ通りを北上し、早稲田通りにぶつかったところで、他愛もない雑談は事件の話へと移り変わる。

「後藤田幸枝は、徳島県東部にある白峯(しろみね)村在住でしたよね」

「ええ。先ほどの資料にもそのように書いてありました」

 交差点を右折しながら、篠田は頷いた。

 藍はポケットからスマホを取り出すと、経路検索アプリを開いた。
 出発地を【徳島県白峯村】、到着地を【高田馬場メディカルセンター】に設定し、検索する。

 検索結果に遷移すると、藍は思わず眉根を寄せた。

 総距離およそ六五〇キロ。車で休憩なしで走っても八時間、公共機関を利用してバスや飛行機を乗り継いだとしても、最低六時間はかかる。

 藍のスマホ画面を一瞥すると、篠田はすかさず口を開いた。

「ご安心を。昨夜の時点で、彼女は村を出発しています。徳島空港近くのビジネスホテルに一泊したのち、早朝の便で東京に来るそうです」

「まだ病院に着いてないんじゃ……」腕時計に視線を落とす。「九時半にもなってませんけど」

「羽田には八時半前に到着しています。そこからタクシーでこちらに向かっているそうなので、そろそろ着くころかと」

 こちらの懸念をすらすらと先回りする篠田に、藍はもはや気味の悪ささえ感じていた。何より、その情報が自分に共有されていなかったことに、少々苛立ちを覚えた。

「よくそんなとこまで把握してますね」

「会議が始まる前に、現在病院で友思さんに付いている少年係の者と連絡を取っておきました。あらかじめ、私が後藤田さんの聴取を担当することは聞いていたので」

 班の振り分けやペアは、捜査会議内で初めて知らされる。あらかじめ、自分がどこの班で誰と何について調べるのか知る由はない。デスク幹部のうちの誰かと、篠田が個人的にやり取りをしていたということになる。

 ――ますますわからないな、このおじさん。明らかに、特別待遇を受けている。

 五十目前で、所轄の刑事止まり。ただの刑事である彼が、なぜ。

「着きました」

 気がつけば、車は目的地の駐車場へと入っていた。
 自分の手で車のドアを開け、先に地面へと下り立つ。

 正面入り口から建物内へと入り、受付へと向かう。警察手帳を提示すると、中井友思が入院している部屋の番号が伝えられた。二階の二二〇号室、角部屋だという。

 エレベーターを使って二階まで上がると、降りてすぐの位置にナースステーションがあった。壁には、フロアマップが掲示されている。どうやら、エレベーターを降りて左が二〇一号室から二一〇号室、右が二一一号室から二二〇号室と、ワンフロアには二十室の病室が設けられてるようだ。

 藍と篠田は、ナースステーションの看護師たちに会釈をしながら、廊下を右に折れた。すると、またすぐ壁に突き当たり、左右に廊下が伸びている。フロアマップにあったとおり、その廊下を右に曲がる。左右の壁に、互い違いに設置された扉の前を通り過ぎ、一番角の病室へと歩を進めた。

 二二〇号室の扉の前には、見張りの制服警察官が二人立っていた。
 一枚扉を隔てていたとしても、四六時中誰かがいるとなると、そのうち少年のストレスも増えてくるだろう。しかし犯人が逮捕され安全が確保されるまでは、厳重な警備をせざるを得ないのだ。

「ご苦労様です」

 篠田がそう声を掛けると、二人は背筋を伸ばし、敬礼した。一人は年嵩(としかさ)の白髪混じりの男で、もう一人は、警察学校を出たばかりだろうか、まだ幼さの残る顔立ちをしている。

「友思さんは、いま中に?」

 篠田の問いに、年嵩のほうが「いえ」と首を横に振った。

「二十分ほど前に、検査で出ていかれました」

「そうでしたか」

 突然、ガラッ、と音を立てて、警察官の背後の扉が開いた。

 藍は、そこから出てきた女とばっちり目が合った。

 オフホワイトの長袖ニットに、ロング丈の黒いスカートを履いた女だった。女はこちらに気づくと、一瞬体を固まらせたが、少しして深く頭を下げてきた。
 のちに、ゆっくりと上げられた顔は、記憶の中のどの引き出しにも見当たらなかった。

「えっと……」

 思わず声を漏らした藍に対し、女は姿勢を正すと、震える声で言葉を紡いだ。

「後藤田幸枝です。実和子の、母です」

 ――驚いた。

 藍の頭の中で想像していた祖母像とは遥かにかけ離れた、華を持つ美しい女性だった。その美貌は、舞台女優だと言われも納得してしまうほどだった。