クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 翌日、藍と篠田は朝から高田馬場メディカルセンターに赴いていた。

 昨日の夕方、急遽退院が決まったそうで、その前に友思と話しておきたかったからだ。

 病室に着くと、友思はすでに私服に着替え終わっており、帰り支度を済ませていた。
 こうして真正面から向き合ったのは初めてだったが、友思は藍を見るなり深々と頭を下げた。

「父さんと母さんを殺した犯人、小さな刑事さんが捕まえてくれたって」

 友思は背筋を伸ばすと「本当にありがとうございました」と、ふたたび頭を下げた。

 厳密には、夫妻を殺した犯人を殺した犯人なのだが、幸枝はだいぶ端折って説明したのだろう。

 藍は、篠田を振り返る。

「シノさん、」

 言い掛ける藍に、篠田は柔らかく頷いた。

 皆まで言わずともこちらの意図を理解してくれる彼には、頭が上がらない。

 篠田は、藍と友思を病室に残してその場をあとにした。

 突然二人きりにされた友思は、呆然としている。

「えっと……」

 やがて、気まずそうに声を上げた友思に「まぁとりあえず座って」と丸椅子を勧める。藍も、近くにあった丸椅子を引き寄せて友思と向き合うかたちで座った。改まった様子に、友思の顔には緊張が走った。

「体調はどう?」

「えっ」

 肩透かしを食らったのか、友思から気の抜けた声が上がった。

「あ、えっと……はい」

「そっかそっか。それならよかった」

「……あの、」

「友思くんさ、」

「……はい」

 藍の鋭い眼差しが、まだ幼く無垢な瞳に注がれる。

「お母さんがしようとしてたこと、本当はわかってたんじゃない?」

 途端、友思の顔に警戒の色が浮かぶ。まだ幼い彼には、動揺を大人のように巧妙に隠す術などない。その反応が、肯定同然であることは警察学校の学生ですら見抜ける。

 しかし、友思自身は上手に隠せていると思っているのだろう。「何のことですか?」と視線を逸らす。嘘をついたときや、追い詰められた人間がする動きだ。

 必死に守ろうとしているのだろう。

 ただ、こちらには事件の全容が見えている。

 藍は、小さく息を吸い込んだ。

「警察はもう、全部わかっちゃってるんだ。君が必死に隠そうとしたところで、もう、全部」

「だから、何のことですか」

「言っていいの?」

「わからないから、言ってくださいよ」

 本人がわかっていてもなお、改めて口にするとなると抵抗はあった。

 しかし、これは真実だ。伝えなければいけない。

「君のお母さんが、君を売ろうとしたこと。そして君は、そのことを知っていたということ」

「……ははっ」わざとらしい乾いた声が友思から発せられる。「何それ。刑事さん、言っていいこととだめなことっていうのがあるんだよ。サトウ先生が言ってた」

「そうだね。でもね、言わなくちゃいけないこともある。どんなに苦しくても、辛くても、逃げずに向き合わなくちゃいけないことがあるの」

「俺、何も苦しくない。辛くない」

「そんなわけないでしょ」

 藍の声が、少々力んだ。

 同じように親を殺され失った者として、聞き捨てならない言葉だった。

「君はまだ子どもなの。傷ついて、苦しくなったり辛くなったりして、これから大人になっていくの。まわりの人たちに守ってもらいながら」

 藍の頭に、布施の顔が思い浮かぶ。

 彼のおかげで、だいぶマシな人生を送れてきている気がする。それは、人生における重大な岐路において、彼が見守っていてくれてこそだ。

 だから――。

「いまは、わたしが友思くんを守らなきゃいけない。君が一番大事なものを守ろうとしてることは、よーくわかった。でも、この先の長い人生、それを一人でずっと背負い込むつもり?」

 きっと友思は、夫妻の遺体を発見したときに悟ったのだろう。

 口に詰め込まれた金を見て、自分を売ろうとしていることが誰かにバレてその見せしめとして殺されたのだと。

「……お母さんは、俺を売ったりなんか、」

 しかし、信じたくない。本当に母が自分を売ろうとしていたなんて思いたくない。そして何より、このことは他の人間に知られてはいけない。

 そんな強い思いとパニックが重なり過呼吸を起こして倒れた。そして、犯人が捕まるまでを病院で過ごすことにした。何かと体調が優れない理由をつけて、退院を引き延ばした。犯人が逮捕されれば、自分が何かを証言する必要もないと思ったのだろう。

 友思の両手が、ズボンをぎゅっと握りしめた。

 藍の小さな手が、その手を必死に包み込む。

 ぽたぽたと大きな粒が、二人の手を濡らしていく。

「友思くん。君が守らなくちゃいけないのは、お母さんじゃない。お母さんと、お父さんと、三人で過ごした温かい日々の記憶。それだけでいい」

 友思の嗚咽が、口の隙間から漏れ始めた。

 ひっく、ひっく。

 押し殺そうにも押し殺せないその声を、なおも必死に閉じ込めようとする友思からは、苦しそうな呼吸だけが繰り返されていた。

 藍は、友思の肩にそっと手を乗せる。

「ここからだよ。君の人生、ここからだから」