*
黙りこくる小百合を前に、藍はそっと口を開いた。
「あなたは、助けたかったんですよね」
藍にしては、柔らかい声色だった。
相手の心に寄り添うような口調に、小百合は何かを抑えるように目を閉じた。
「あなた自身、誰にも助けを求めることができず、心に傷を負ったままここまできてしまった。友思くんを助けることで、過去の自分も救いたかったんですよね」
堰を切ったように、小百合は嗚咽を漏らしながら涙を流し始めた。
藍はゆっくりと立ち上がると、その小さな体で、小百合のことを包み込んだ。
「辛かったですよね。苦しかったですよね」
藍の問いに、小百合は震えるように頷いた。
「でも――」
途端に、藍の声に鋭さが帯びた。
「それは、あなただけだったのでしょうか」
小百合を腕から解放すると、藍は冷たい視線で見下ろす。
驚きのあまり、小百合は顔を上げた。
「この写真を見てください」
言いながら藍が取り出したのは、小百合の半成式が終わった後に撮られた例の集合写真だ。捜査のために必要だといって、美空から拝借したものだ。
「……この写真が、何?」
掠れた声で問いかける小百合に、藍は端の方に映った少女を指差した。
実和子だ。
そしてその横に映っているのは――。
「お父さん……」
「実和子さんの指南役は、あなたのお父さんだったんですよね?」
「そうやけど」
「実和子さんも、あなたと同じような目に遭っていた――そう考えたことはありませんか?」
小百合は何も答えなかったが、その考えには及ばなかったのだろう。
「おそらく、実和子さんはあなたが同じ目に遭っていたことに気づいたんだと思います。それこそが、実和子さんが晋也さんと口論になり、足に怪我を負わせてしまった原因ではないかと」
「いや、待ってよ。実和子が同じ目に遭うとった証拠は?」
「それは、あなたが実和子さんの口から聞いてるんじゃないですか?」
――幸せになりたい。小百合もそうでしょう?
「あなたが同じ目に遭い、苦しんでいることを知っていたから、そんな言い方をしたんだと思います」
「……そんなの、何の証拠にも――」
「あとひとつ、決定的な証言も得られています。当時駐在員だった、小幡稔さんの証言です」
先ほど、途中で入室してきた捜査員に耳家打ちで伝えられたことを告げる。
「当時、半成式の実態は、駐在員と、指南役に選ばれ、かつその愚行に及んだ者たちの間でしか共有されていなかった。しかし、酒の席で誰かが口を滑らせたそうです。あなたの父が、半成式で実和子さんに手を出したそうだ、と」
「……そんなっ」
小百合は、崩れるようにテーブルに突っ伏した。
その証言から、おのずと全体像は見えてくる。
自分の娘を汚された見せしめに、偶然小百合の指南役であった晋也が同じことに手を染めたのだ。真意は、本人にしかわからないのだが。
その肩に、藍がそっと触れる。
「麻植さん、あなたはきちんと話すべきだった。過去のことも、思っていたことも、全部――生きてる間に、取り返しがつかなくなる前に、伝えるべき相手に伝えなければいけなかった」
話すことによって、万事解決になるとは思わない。
ただ、防げるものはあったはずだ。
「あなたは、被害者だった。何の罪もない、ただ傷つけられただけの人間だった。でもそれが、他人を傷つけてもいい特権にはなりません。麻植さん……、あなたに足りなかったのは想像力です。自分だけが傷ついたと思い込み、他人の痛みや立場を想像することを放棄してしまった。その結果が、今回の悲劇を招いたんです」
藍は、悔しそうに唇を噛み締めた。
「……わたしは、あなたが人を傷つけてないことを願ってたんですけどね」
小百合の心を救い、人として成るための道を歩ませたい。
藍の胸の中にあるのは、ただその想いだけだ。
「いま、北鳴門署に監察官が入っています。白峯村から、人身売買の取引に使用されたと思われるファイルが出てきたからです。おそらく、半成式での行為も明るみになるでしょうね。そうなれば、隠蔽をしていた北鳴門署はもちろん、白峯村の存続も危ぶまれます」
涙でぐしゃぐしゃになった小百合の顔が、ゆっくりと上げられた。
その顔に、藍は容赦なく問う。
「これが、あなたの望んでいた結末ですか?」
小百合はふるふると、首を横に振った。
「ちがうっ……。ちがう、うちはただっ……、幸せになりたかっただけや。それなのに、それなのにっ……‼︎」
その叫びは、怒りでも憎しみでもなく、悲愴に満ちたものだった。
こうするしかなかった、と言いたいのだろう。
しかしそれも、自分でジレンマの道に閉じこもったからだ。すべてを決めつけ、逃げてきたからだ。
でももう、それに苦しむ必要はない。
「もう、逃げなくていい。これからは、自分を大切にしてあげてください」
篠田はその言葉に、思わず背筋が伸びた。
自分が、藍に伝えた言葉でもあったからだ。
「麻植さん、全部話してくれますよね」
「……はいっ」
小百合を見つめるその瞳は、いつの間にか温かいものに変わっていた。
黙りこくる小百合を前に、藍はそっと口を開いた。
「あなたは、助けたかったんですよね」
藍にしては、柔らかい声色だった。
相手の心に寄り添うような口調に、小百合は何かを抑えるように目を閉じた。
「あなた自身、誰にも助けを求めることができず、心に傷を負ったままここまできてしまった。友思くんを助けることで、過去の自分も救いたかったんですよね」
堰を切ったように、小百合は嗚咽を漏らしながら涙を流し始めた。
藍はゆっくりと立ち上がると、その小さな体で、小百合のことを包み込んだ。
「辛かったですよね。苦しかったですよね」
藍の問いに、小百合は震えるように頷いた。
「でも――」
途端に、藍の声に鋭さが帯びた。
「それは、あなただけだったのでしょうか」
小百合を腕から解放すると、藍は冷たい視線で見下ろす。
驚きのあまり、小百合は顔を上げた。
「この写真を見てください」
言いながら藍が取り出したのは、小百合の半成式が終わった後に撮られた例の集合写真だ。捜査のために必要だといって、美空から拝借したものだ。
「……この写真が、何?」
掠れた声で問いかける小百合に、藍は端の方に映った少女を指差した。
実和子だ。
そしてその横に映っているのは――。
「お父さん……」
「実和子さんの指南役は、あなたのお父さんだったんですよね?」
「そうやけど」
「実和子さんも、あなたと同じような目に遭っていた――そう考えたことはありませんか?」
小百合は何も答えなかったが、その考えには及ばなかったのだろう。
「おそらく、実和子さんはあなたが同じ目に遭っていたことに気づいたんだと思います。それこそが、実和子さんが晋也さんと口論になり、足に怪我を負わせてしまった原因ではないかと」
「いや、待ってよ。実和子が同じ目に遭うとった証拠は?」
「それは、あなたが実和子さんの口から聞いてるんじゃないですか?」
――幸せになりたい。小百合もそうでしょう?
「あなたが同じ目に遭い、苦しんでいることを知っていたから、そんな言い方をしたんだと思います」
「……そんなの、何の証拠にも――」
「あとひとつ、決定的な証言も得られています。当時駐在員だった、小幡稔さんの証言です」
先ほど、途中で入室してきた捜査員に耳家打ちで伝えられたことを告げる。
「当時、半成式の実態は、駐在員と、指南役に選ばれ、かつその愚行に及んだ者たちの間でしか共有されていなかった。しかし、酒の席で誰かが口を滑らせたそうです。あなたの父が、半成式で実和子さんに手を出したそうだ、と」
「……そんなっ」
小百合は、崩れるようにテーブルに突っ伏した。
その証言から、おのずと全体像は見えてくる。
自分の娘を汚された見せしめに、偶然小百合の指南役であった晋也が同じことに手を染めたのだ。真意は、本人にしかわからないのだが。
その肩に、藍がそっと触れる。
「麻植さん、あなたはきちんと話すべきだった。過去のことも、思っていたことも、全部――生きてる間に、取り返しがつかなくなる前に、伝えるべき相手に伝えなければいけなかった」
話すことによって、万事解決になるとは思わない。
ただ、防げるものはあったはずだ。
「あなたは、被害者だった。何の罪もない、ただ傷つけられただけの人間だった。でもそれが、他人を傷つけてもいい特権にはなりません。麻植さん……、あなたに足りなかったのは想像力です。自分だけが傷ついたと思い込み、他人の痛みや立場を想像することを放棄してしまった。その結果が、今回の悲劇を招いたんです」
藍は、悔しそうに唇を噛み締めた。
「……わたしは、あなたが人を傷つけてないことを願ってたんですけどね」
小百合の心を救い、人として成るための道を歩ませたい。
藍の胸の中にあるのは、ただその想いだけだ。
「いま、北鳴門署に監察官が入っています。白峯村から、人身売買の取引に使用されたと思われるファイルが出てきたからです。おそらく、半成式での行為も明るみになるでしょうね。そうなれば、隠蔽をしていた北鳴門署はもちろん、白峯村の存続も危ぶまれます」
涙でぐしゃぐしゃになった小百合の顔が、ゆっくりと上げられた。
その顔に、藍は容赦なく問う。
「これが、あなたの望んでいた結末ですか?」
小百合はふるふると、首を横に振った。
「ちがうっ……。ちがう、うちはただっ……、幸せになりたかっただけや。それなのに、それなのにっ……‼︎」
その叫びは、怒りでも憎しみでもなく、悲愴に満ちたものだった。
こうするしかなかった、と言いたいのだろう。
しかしそれも、自分でジレンマの道に閉じこもったからだ。すべてを決めつけ、逃げてきたからだ。
でももう、それに苦しむ必要はない。
「もう、逃げなくていい。これからは、自分を大切にしてあげてください」
篠田はその言葉に、思わず背筋が伸びた。
自分が、藍に伝えた言葉でもあったからだ。
「麻植さん、全部話してくれますよね」
「……はいっ」
小百合を見つめるその瞳は、いつの間にか温かいものに変わっていた。


