*
二十四時間前――。
内海と日向は、藍に言われた通り、高田馬場メディカルセンターに訪れていた。
「あれっ」
病棟に入ったところで、内海と日向はスーツ姿の高身長の女に出くわした。その手には、ペットボトルが抱えられている。
やがて、内海が思い出したように口を開いた。
「ああ……たしか、千木良の同期の――」
言い淀む内海に被せるように、その女は名乗る。
「若生です。どうして二人がここに?」
「実は、千木良に頼まれたことがあってな。友思くんと幸枝さんから話は聞きたいんだが、平気か?」
内海の問いに、泉月は先ほどの騒動を包み隠さずに話した。
病室で突然友思が暴れ始めたこと、その際に幸枝が手に怪我を負ったこと。
「でも、いまはかなり落ち着いてます。もしかしたら、話も聞けるかもしれません」
「そうか……病室まで案内してくれ」
「喜んで」
泉月は内海と日向を連れて、友思の病室へと案内した。
病室には、ベッドの上で上体を起こしている友思と、その傍に幸枝の姿もあった。
突如現れた二人の男を目にし呆然とする幸枝に、内海と日向は警察手帳を提示しながら身分を示した。
聴取したい旨を伝えると、意外にも幸枝は二つ返事で引き受けた。
「友ちゃんのためにも、本当のことを話してほしい――そう言われたんです。あの小さな刑事さんに」
小さな刑事さん。
きっと、藍のことだろう。
「その小さな刑事から頼まれて、我々は後藤田さんに話を伺いに来ました。本当のことを、話してくれますか?」
「……はい」
覚悟を決めたように、幸枝は頷いた。
子どもの前で話せる内容なのか見当もつかなかったため、一度病室から出ようとする。
しかし、友思がそれを止めた。
「待ってください」
すでに声変りが始まっているのか、少々掠れた低めの声だった。
生気のない真っ白い顔が、内海と日向のほうを向いた。
「俺にも、聞かせてください」
思わぬ申し出に、内海と日向は顔を見合わせる。
幸枝も戸惑っているように見えた。
しかし困惑する大人の様子など気にも留めず、友思は言葉を続ける。
「もう子どもじゃないんです。俺だって、本当のことが知りたい。どうして、母さんと父さんが殺されなきゃいけなかったのか……知りたい」
わずか十一歳で何が大人か、と言いたいところではあったが、一概に子どもとも言えない年でもある。あと七年経てば成人、十年もしないうちに二十歳にもなる。
友思からの意志の強い眼差しを受けてもなお、内海と日向は考え込んでいた。意外にも、静まり返った空気に声を落としたのは泉月だった。
「いいんじゃないですか、同席させてあげても」
「いや、でも……」と、日向が渋る。
「友思くん、」
泉月は友思の傍らに寄り、目線を合わせるように腰を屈める。
「覚悟は、できてるんだよね」
子どもに対し、いささか重い問いのようにも思えたが、友思は力強く頷いた。
それは、まだ社会を目にしたことがないがゆえの、世間知らずの無鉄砲さなのかもしれない。
だが、まだ未熟ながらにも真実と向き合おうとするその勇気を、蔑ろにすることはできなかった。
友思のベッドを囲うように、丸椅子を並べる。
幸枝の隣には泉月が腰を下ろし、二人に向かい合うように内海と日向も座った。
「まず、幸枝さんにお伝えしなければならないことがあります」
内海が話の主導権を握り、話し始める。
「七年前、あなたが失踪宣告をなさったご主人の後藤田晋也さんですが、路上生活者から戸籍を買い取り、川原健二として生きていたことがわかりました」
「……ええ」
その反応に、内海は眉を顰めた。
「ご存知、だったんですか」
内海の問いに、幸枝は躊躇いながらも「すみません」と頭を下げた。
思わず、ため息が漏れる。
「いつから、わかっていたんですか」
「最初からです」
一番聞きたくない答えだった。
咎めたくなる気持ちをいったん抑え、内海は続ける。
「何か、理由があるんですよね」
「……はい」
幸枝は目を閉じてそっと頷くと、すべてを話す決意をしたかのように、そっと目を開いた。
すっと息を吸う音でさえも、震えているのがわかる。
「あの日、実和子が晋也さんに怪我をさせてしもうたんです。はじめは言い合いやったんですけど、実和子が突然晋也さんに掴みかかって、揉みあいになりました。わたしも急いで間に入ったんですけど、実和子が晋也さんのことを突き飛ばして……それで、近くに置いてあった備中鍬の刃先が晋也さんの足に……」
備中鍬とは、刃先がフォークのようになっている鍬のことだ。
それが足に刺さったと想像すると、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「それから、どうしたんですか。かなりの出血もあったと思いますが」
「閉塞的な村ですし、診療所も一軒しかありません。それに二十四時間対応しとるわけでもないけん、基本的な応急処置は村民全員が心得とります。傷口から近い位置で紐をきつう縛ってから、鍬を引っこ抜きました。そのおかげで、出血もそんなに酷うなかったと思います」
でも、と幸枝の顔は曇る。
「怪我の原因が実和子にあるとわかれば、村中は大騒ぎになってしまいます。村八分になりかねない大失態です」
「その喧嘩の原因は何だったんでしょうか。特別な事情があれば、村民も納得したのでは?」
「それが、わからんくて……」
「わからない?」
幸枝は咎められていると感じたのか、肩をすくめながら小さく頷いた。
「ちょうど夕飯の支度をしていたときやったんです。二人が何をきっかけに言い合いを始めたのか、わたしの耳には届きませんでした。異変に気付いたのは、晋也さんの怒鳴り声が聞こえてからです」
「晋也さんは、何と?」
「ええっと……『お前のためにしたことや』とか『親に向かってその口の利き方はなんや』とか、そんなところやったと思います。……まあ喧嘩の原因が何であれ、村の女にそもそも立場はありません。村を出ずに子どもを産んで初めて、一人前の女として認められる」
「何それ……」
わかりやすく顔を歪めた泉月を横目に、内海は質問を続ける。
「それで、娘の立場を守るためにも、あなたから村を出るように晋也さんを説得した、と」
その問いには、幸枝は首を横に振った。
「村を出ると言ったんは、晋也さんでした。実和子がひどく取り乱しているのを見て、父性が働いたんやと思います」
晋也は呆然とする妻と娘に「自分は突然姿を消したことにしてくれ」と言い残し、負傷した右足を引きずりながら夜の闇へと消えていったという。
「晋也さんとはそれきりでしたが、七年前に突然電話が掛かってきました。いままでどこで何をしていたのか、そんなことを聞く間もなく『失踪宣告をしろ』と、それだけ告げられて一方的に電話を切られました」
内海はそこまで聞いて、ふう、と息を吐いた。
「……生存を認知した上での失踪宣告は、公正証書原本不実記載罪や、詐欺罪にもあたります。あなたにも、それ相応の刑事責任が及びますよ」
「晋也さんは、わたしたちのために自分の人生を擲つ覚悟を決めたんです。わたしも、妻として、母親として、覚悟はできとります」
罪を犯す覚悟ではなく、踏みとどまる勇気を持ってほしかったところだが、内海はその言葉を押し殺した。
幸枝の充血した瞳を見て、これは何を言っても聞く耳を持たないだろうと察したからだ。
しかし――。
「二か月半前、中野の喫茶店で晋也さんと実和子さんが会っているのが、防犯カメラに映っていました」
「えっ」
「後藤田晋也としての人生を捨て、十年以上もあなたたちの前に姿を現さなかったのに、なぜ彼は実和子さんと会っていたのでしょうか」
幸枝の反応からして、晋也と実和子が会っていたことは知らなかったように思える。喧嘩別れをしたともいえる晋也と実和子が、幸枝に何も言わずに会っていた理由とは何だったのか。
「私にはどうも、晋也さんに覚悟があったとは思えないんです」
二十四時間前――。
内海と日向は、藍に言われた通り、高田馬場メディカルセンターに訪れていた。
「あれっ」
病棟に入ったところで、内海と日向はスーツ姿の高身長の女に出くわした。その手には、ペットボトルが抱えられている。
やがて、内海が思い出したように口を開いた。
「ああ……たしか、千木良の同期の――」
言い淀む内海に被せるように、その女は名乗る。
「若生です。どうして二人がここに?」
「実は、千木良に頼まれたことがあってな。友思くんと幸枝さんから話は聞きたいんだが、平気か?」
内海の問いに、泉月は先ほどの騒動を包み隠さずに話した。
病室で突然友思が暴れ始めたこと、その際に幸枝が手に怪我を負ったこと。
「でも、いまはかなり落ち着いてます。もしかしたら、話も聞けるかもしれません」
「そうか……病室まで案内してくれ」
「喜んで」
泉月は内海と日向を連れて、友思の病室へと案内した。
病室には、ベッドの上で上体を起こしている友思と、その傍に幸枝の姿もあった。
突如現れた二人の男を目にし呆然とする幸枝に、内海と日向は警察手帳を提示しながら身分を示した。
聴取したい旨を伝えると、意外にも幸枝は二つ返事で引き受けた。
「友ちゃんのためにも、本当のことを話してほしい――そう言われたんです。あの小さな刑事さんに」
小さな刑事さん。
きっと、藍のことだろう。
「その小さな刑事から頼まれて、我々は後藤田さんに話を伺いに来ました。本当のことを、話してくれますか?」
「……はい」
覚悟を決めたように、幸枝は頷いた。
子どもの前で話せる内容なのか見当もつかなかったため、一度病室から出ようとする。
しかし、友思がそれを止めた。
「待ってください」
すでに声変りが始まっているのか、少々掠れた低めの声だった。
生気のない真っ白い顔が、内海と日向のほうを向いた。
「俺にも、聞かせてください」
思わぬ申し出に、内海と日向は顔を見合わせる。
幸枝も戸惑っているように見えた。
しかし困惑する大人の様子など気にも留めず、友思は言葉を続ける。
「もう子どもじゃないんです。俺だって、本当のことが知りたい。どうして、母さんと父さんが殺されなきゃいけなかったのか……知りたい」
わずか十一歳で何が大人か、と言いたいところではあったが、一概に子どもとも言えない年でもある。あと七年経てば成人、十年もしないうちに二十歳にもなる。
友思からの意志の強い眼差しを受けてもなお、内海と日向は考え込んでいた。意外にも、静まり返った空気に声を落としたのは泉月だった。
「いいんじゃないですか、同席させてあげても」
「いや、でも……」と、日向が渋る。
「友思くん、」
泉月は友思の傍らに寄り、目線を合わせるように腰を屈める。
「覚悟は、できてるんだよね」
子どもに対し、いささか重い問いのようにも思えたが、友思は力強く頷いた。
それは、まだ社会を目にしたことがないがゆえの、世間知らずの無鉄砲さなのかもしれない。
だが、まだ未熟ながらにも真実と向き合おうとするその勇気を、蔑ろにすることはできなかった。
友思のベッドを囲うように、丸椅子を並べる。
幸枝の隣には泉月が腰を下ろし、二人に向かい合うように内海と日向も座った。
「まず、幸枝さんにお伝えしなければならないことがあります」
内海が話の主導権を握り、話し始める。
「七年前、あなたが失踪宣告をなさったご主人の後藤田晋也さんですが、路上生活者から戸籍を買い取り、川原健二として生きていたことがわかりました」
「……ええ」
その反応に、内海は眉を顰めた。
「ご存知、だったんですか」
内海の問いに、幸枝は躊躇いながらも「すみません」と頭を下げた。
思わず、ため息が漏れる。
「いつから、わかっていたんですか」
「最初からです」
一番聞きたくない答えだった。
咎めたくなる気持ちをいったん抑え、内海は続ける。
「何か、理由があるんですよね」
「……はい」
幸枝は目を閉じてそっと頷くと、すべてを話す決意をしたかのように、そっと目を開いた。
すっと息を吸う音でさえも、震えているのがわかる。
「あの日、実和子が晋也さんに怪我をさせてしもうたんです。はじめは言い合いやったんですけど、実和子が突然晋也さんに掴みかかって、揉みあいになりました。わたしも急いで間に入ったんですけど、実和子が晋也さんのことを突き飛ばして……それで、近くに置いてあった備中鍬の刃先が晋也さんの足に……」
備中鍬とは、刃先がフォークのようになっている鍬のことだ。
それが足に刺さったと想像すると、苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「それから、どうしたんですか。かなりの出血もあったと思いますが」
「閉塞的な村ですし、診療所も一軒しかありません。それに二十四時間対応しとるわけでもないけん、基本的な応急処置は村民全員が心得とります。傷口から近い位置で紐をきつう縛ってから、鍬を引っこ抜きました。そのおかげで、出血もそんなに酷うなかったと思います」
でも、と幸枝の顔は曇る。
「怪我の原因が実和子にあるとわかれば、村中は大騒ぎになってしまいます。村八分になりかねない大失態です」
「その喧嘩の原因は何だったんでしょうか。特別な事情があれば、村民も納得したのでは?」
「それが、わからんくて……」
「わからない?」
幸枝は咎められていると感じたのか、肩をすくめながら小さく頷いた。
「ちょうど夕飯の支度をしていたときやったんです。二人が何をきっかけに言い合いを始めたのか、わたしの耳には届きませんでした。異変に気付いたのは、晋也さんの怒鳴り声が聞こえてからです」
「晋也さんは、何と?」
「ええっと……『お前のためにしたことや』とか『親に向かってその口の利き方はなんや』とか、そんなところやったと思います。……まあ喧嘩の原因が何であれ、村の女にそもそも立場はありません。村を出ずに子どもを産んで初めて、一人前の女として認められる」
「何それ……」
わかりやすく顔を歪めた泉月を横目に、内海は質問を続ける。
「それで、娘の立場を守るためにも、あなたから村を出るように晋也さんを説得した、と」
その問いには、幸枝は首を横に振った。
「村を出ると言ったんは、晋也さんでした。実和子がひどく取り乱しているのを見て、父性が働いたんやと思います」
晋也は呆然とする妻と娘に「自分は突然姿を消したことにしてくれ」と言い残し、負傷した右足を引きずりながら夜の闇へと消えていったという。
「晋也さんとはそれきりでしたが、七年前に突然電話が掛かってきました。いままでどこで何をしていたのか、そんなことを聞く間もなく『失踪宣告をしろ』と、それだけ告げられて一方的に電話を切られました」
内海はそこまで聞いて、ふう、と息を吐いた。
「……生存を認知した上での失踪宣告は、公正証書原本不実記載罪や、詐欺罪にもあたります。あなたにも、それ相応の刑事責任が及びますよ」
「晋也さんは、わたしたちのために自分の人生を擲つ覚悟を決めたんです。わたしも、妻として、母親として、覚悟はできとります」
罪を犯す覚悟ではなく、踏みとどまる勇気を持ってほしかったところだが、内海はその言葉を押し殺した。
幸枝の充血した瞳を見て、これは何を言っても聞く耳を持たないだろうと察したからだ。
しかし――。
「二か月半前、中野の喫茶店で晋也さんと実和子さんが会っているのが、防犯カメラに映っていました」
「えっ」
「後藤田晋也としての人生を捨て、十年以上もあなたたちの前に姿を現さなかったのに、なぜ彼は実和子さんと会っていたのでしょうか」
幸枝の反応からして、晋也と実和子が会っていたことは知らなかったように思える。喧嘩別れをしたともいえる晋也と実和子が、幸枝に何も言わずに会っていた理由とは何だったのか。
「私にはどうも、晋也さんに覚悟があったとは思えないんです」


