クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 *

 二十四時間前――。

 内海と日向は、藍に言われた通り、高田馬場メディカルセンターに訪れていた。

「あれっ」

 病棟に入ったところで、内海と日向はスーツ姿の高身長の女に出くわした。その手には、ペットボトルが抱えられている。

 やがて、内海が思い出したように口を開いた。

「ああ……たしか、千木良の同期の――」

 言い淀む内海に被せるように、その女は名乗る。

「若生です。どうして二人がここに?」

「実は、千木良に頼まれたことがあってな。友思くんと幸枝さんから話は聞きたいんだが、平気か?」

 内海の問いに、泉月は先ほどの騒動を包み隠さずに話した。

 病室で突然友思が暴れ始めたこと、その際に幸枝が手に怪我を負ったこと。

「でも、いまはかなり落ち着いてます。もしかしたら、話も聞けるかもしれません」

「そうか……病室まで案内してくれ」

「喜んで」

 泉月は内海と日向を連れて、友思の病室へと案内した。

 病室には、ベッドの上で上体を起こしている友思と、その傍に幸枝の姿もあった。

 突如現れた二人の男を目にし呆然とする幸枝に、内海と日向は警察手帳を提示しながら身分を示した。

 聴取したい旨を伝えると、意外にも幸枝は二つ返事で引き受けた。

「友ちゃんのためにも、本当のことを話してほしい――そう言われたんです。あの小さな刑事さんに」

 小さな刑事さん。
 きっと、藍のことだろう。

「その小さな刑事から頼まれて、我々は後藤田さんに話を伺いに来ました。本当のことを、話してくれますか?」

「……はい」

 覚悟を決めたように、幸枝は頷いた。

 子どもの前で話せる内容なのか見当もつかなかったため、一度病室から出ようとする。

 しかし、友思がそれを止めた。

「待ってください」

 すでに声変りが始まっているのか、少々掠れた低めの声だった。

 生気のない真っ白い顔が、内海と日向のほうを向いた。

「俺にも、聞かせてください」

 思わぬ申し出に、内海と日向は顔を見合わせる。
 幸枝も戸惑っているように見えた。

 しかし困惑する大人の様子など気にも留めず、友思は言葉を続ける。

「もう子どもじゃないんです。俺だって、本当のことが知りたい。どうして、母さんと父さんが殺されなきゃいけなかったのか……知りたい」

 わずか十一歳で何が大人か、と言いたいところではあったが、一概に子どもとも言えない年でもある。あと七年経てば成人、十年もしないうちに二十歳にもなる。

 友思からの意志の強い眼差しを受けてもなお、内海と日向は考え込んでいた。意外にも、静まり返った空気に声を落としたのは泉月だった。

「いいんじゃないですか、同席させてあげても」

「いや、でも……」と、日向が渋る。

「友思くん、」

 泉月は友思の傍らに寄り、目線を合わせるように腰を屈める。

「覚悟は、できてるんだよね」

 子どもに対し、いささか重い問いのようにも思えたが、友思は力強く頷いた。

 それは、まだ社会を目にしたことがないがゆえの、世間知らずの無鉄砲さなのかもしれない。

 だが、まだ未熟ながらにも真実と向き合おうとするその勇気を、蔑ろにすることはできなかった。

 友思のベッドを囲うように、丸椅子を並べる。
 幸枝の隣には泉月が腰を下ろし、二人に向かい合うように内海と日向も座った。

「まず、幸枝さんにお伝えしなければならないことがあります」

 内海が話の主導権を握り、話し始める。

「七年前、あなたが失踪宣告をなさったご主人の後藤田晋也さんですが、路上生活者から戸籍を買い取り、川原健二として生きていたことがわかりました」

「……ええ」

 その反応に、内海は眉を顰めた。

「ご存知、だったんですか」

 内海の問いに、幸枝は躊躇いながらも「すみません」と頭を下げた。

 思わず、ため息が漏れる。

「いつから、わかっていたんですか」

「最初からです」

 一番聞きたくない答えだった。

 咎めたくなる気持ちをいったん抑え、内海は続ける。

「何か、理由があるんですよね」

「……はい」

 幸枝は目を閉じてそっと頷くと、すべてを話す決意をしたかのように、そっと目を開いた。

 すっと息を吸う音でさえも、震えているのがわかる。

「あの日、実和子が晋也さんに怪我をさせてしもうたんです。はじめは言い合いやったんですけど、実和子が突然晋也さんに掴みかかって、揉みあいになりました。わたしも急いで間に入ったんですけど、実和子が晋也さんのことを突き飛ばして……それで、近くに置いてあった備中鍬(びっちゅうぐわ)の刃先が晋也さんの足に……」

 備中鍬とは、刃先がフォークのようになっている鍬のことだ。

 それが足に刺さったと想像すると、苦虫を嚙み潰したような顔になる。

「それから、どうしたんですか。かなりの出血もあったと思いますが」

「閉塞的な村ですし、診療所も一軒しかありません。それに二十四時間対応しとるわけでもないけん、基本的な応急処置は村民全員が心得とります。傷口から近い位置で紐をきつう縛ってから、鍬を引っこ抜きました。そのおかげで、出血もそんなに酷うなかったと思います」

 でも、と幸枝の顔は曇る。

「怪我の原因が実和子にあるとわかれば、村中は大騒ぎになってしまいます。村八分になりかねない大失態です」

「その喧嘩の原因は何だったんでしょうか。特別な事情があれば、村民も納得したのでは?」

「それが、わからんくて……」

「わからない?」

 幸枝は咎められていると感じたのか、肩をすくめながら小さく頷いた。

「ちょうど夕飯の支度をしていたときやったんです。二人が何をきっかけに言い合いを始めたのか、わたしの耳には届きませんでした。異変に気付いたのは、晋也さんの怒鳴り声が聞こえてからです」

「晋也さんは、何と?」

「ええっと……『お前のためにしたことや』とか『親に向かってその口の利き方はなんや』とか、そんなところやったと思います。……まあ喧嘩の原因が何であれ、村の女にそもそも立場はありません。村を出ずに子どもを産んで初めて、一人前の女として認められる」

「何それ……」

 わかりやすく顔を歪めた泉月を横目に、内海は質問を続ける。

「それで、娘の立場を守るためにも、あなたから村を出るように晋也さんを説得した、と」

 その問いには、幸枝は首を横に振った。

「村を出ると言ったんは、晋也さんでした。実和子がひどく取り乱しているのを見て、父性が働いたんやと思います」

 晋也は呆然とする妻と娘に「自分は突然姿を消したことにしてくれ」と言い残し、負傷した右足を引きずりながら夜の闇へと消えていったという。

「晋也さんとはそれきりでしたが、七年前に突然電話が掛かってきました。いままでどこで何をしていたのか、そんなことを聞く間もなく『失踪宣告をしろ』と、それだけ告げられて一方的に電話を切られました」

 内海はそこまで聞いて、ふう、と息を吐いた。

「……生存を認知した上での失踪宣告は、公正証書原本不実記載罪や、詐欺罪にもあたります。あなたにも、それ相応の刑事責任が及びますよ」

「晋也さんは、わたしたちのために自分の人生を(なげう)つ覚悟を決めたんです。わたしも、妻として、母親として、覚悟はできとります」

 罪を犯す覚悟ではなく、踏みとどまる勇気を持ってほしかったところだが、内海はその言葉を押し殺した。

 幸枝の充血した瞳を見て、これは何を言っても聞く耳を持たないだろうと察したからだ。

 しかし――。

「二か月半前、中野の喫茶店で晋也さんと実和子さんが会っているのが、防犯カメラに映っていました」

「えっ」

「後藤田晋也としての人生を捨て、十年以上もあなたたちの前に姿を現さなかったのに、なぜ彼は実和子さんと会っていたのでしょうか」

 幸枝の反応からして、晋也と実和子が会っていたことは知らなかったように思える。喧嘩別れをしたともいえる晋也と実和子が、幸枝に何も言わずに会っていた理由とは何だったのか。

「私にはどうも、晋也さんに覚悟があったとは思えないんです」