クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 *

 スーツ、袴、振袖。

 もう何人とすれ違ったかわからない。

 ただ、晴れやかで希望に満ちたその顔を見るごとに、腹の底から怒りが沸き立った。

 布施が徳島に滞在してから、すでに四日が経っていた。

 白峯村を管轄する北鳴門署にあししげく通い続けているが、連日厄介払いを受けている。

 後藤田晋也の失踪について捜査協力をした際、人身売買疑惑の第一報を寄越した生活安全課の刑事とも会わせてもらえていない。組織ぐるみで事実を隠蔽しようとしているのが明白だった。おそらく、上長への報告前に自己判断で情報を提供してくれたのだろうが、それが北鳴門署にしては痛手だった。上層部はいまになって焦り始め、失態をおかした部下の尻を拭うことに躍起になっている。布施を丁重にもてなす姿勢を見せつつも「あとはこちらで調べますので」の一点張り。

 仕方なく一人で村へ足を運んでも、村民からは警戒され、駐在員からも越権捜査(捜査範囲を超えた捜査)ではないかと遠回しに釘を刺された。とにかく数を打ち、話を漏らしてくれそうな村民を見つけようにも、一筋縄ではいかない。小さな村で、見慣れない顔がうろついていればすぐに情報は回る。三日目には、駐在員に先回りをされてまともな聞き込みができなかった。

 何も情報を得られないまま一丁前に腹が空き、村に一軒だけある食堂に足を踏み入れることにした。

 そんなときだった。
 内海から布施に連絡があったのは。

「主任、調子はどうだ」

「冷やかしならお断りですよ……と言いたいところですけど、内海さんから電話がかかってきたってことは、何か進展があったんですね」

「ああ。まずは、防カメで確認された川原健二という男だが、こいつが偽物だった」

「……偽物?」

 いったい、どういうことだ。

 そこへ、腰が湾曲した老婆が、和定食を盆に載せてやってきた。訝しげな視線を布施に向けながらも、配膳を終えるなり厨房へと消えてゆく。

 意識的に、布施は声を潜めた。

「詳細を」

「二年前、新宿を拠点にした路上生活者がいた。その男こそが、真の川原健二。俺たちが追っていた川原健二は、本物から戸籍を買い取った人物だった」

「身元はわかってますか」

「後藤田晋也。七年前に失踪宣告を受けていた、実和子の実の父親だ」

 えっ、と漏れそうになった声を呑み込む。

 老婆がこちらに注意を向けていないことを確認してから、布施はさらに声を潜めた。

「生きていた、ということですか」

「何のために行方をくらましていたかは知らんが、ここからは千木良からの伝言だ」

 藍の名前を耳にし、布施の胸は一度跳ねた。

 それが悟られないように平常心を保ちつつ「なんですか」と先を促す。

「コバタミノルという村民に、村の実態を聞き出してくれ、と」

 布施は手帳を取り出し、どう書くかを内海に訊く。

 小幡稔、と書くようだ。元白峯村の駐在員で、現在は後藤田家の近所に住む独り身の男性とのことだった。

 しかし、話を聞かせてくれるだろうか。よそ者が村にやってきたことにより、駐在員に限らず、村全体が警戒態勢に入っているように思える。小幡稔も、噂を聞きつけて聴取に応じてくれない可能性は高い。

「なんだ。行き詰ってんのか」

 布施の反応の悪さから察したのか、内海がそう問いかける。

「お察しの通りですよ」

「安心しろ。千木良が、そいつはきっとすべてを話すと言ってた」

 何を安心すればいいんだ、と呆れそうになったところで、布施はとあることを思い出した。

 いまや捜一のお荷物なのではないか揶揄(やゆ)されているじゃじゃ馬娘だが、その印象がかつての彼女の栄光を隠していた。

警察学校主席卒業(・・・・・・・・)の腕前、いよいよ見させてもらうときがきたみたいだな」

 内海の期待するような声に、布施も「ですね」と返す。

 実際に、藍の言うとおり、小幡稔はすべてを話してくれた。

 後藤田晋也失踪の真相、白峯村の実態――。

 それらは目を覆い、耳を塞ぎ、誰にも口に出来ないような悪逆非道なものだった。

「どういうことか、きっちり説明してもらうぞ」

 北鳴門署に着くなり、布施は手に持っていた茶封筒を署員に差し出した。連日、布施を厄介払いしている生活安全課の中堅警察官だった。いかにも事なかれ主義な男だが、今日ばかりは逃がさない。

 こうして証拠が出てきた以上、誤魔化しは通用しない。

 その警察官は怪訝そうに顔を歪めながらも、封筒の中身を検めた。そして、その中身がファイルであることに気づくと、眼球が飛び出るほどに目を見開いた。

「ど、どこでこれを――」

「答えるのはそっちだ」

 布施はファイルを奪い取ると、一ページ目をめくる。
 この書物が何なのかを示す見出しには、信じがたい文字が羅列してある。

「これはいったい、どういうことなんだ」

 ――【外注児童・血統分類別名簿】

 眼前に、そのページを差し出す。

 騒ぎに気付いたのか、同じフロアの署員たちが何事かとこちらの様子を窺っている。

「さ、さあ……?」

 目を逸らし白を切る警察官に、それでも布施は容赦などしなかった。

「村民から証言も得ている。この中の名簿にも名前がある女性の旦那だ」

 その女性こそ、小幡稔のいまは亡き妻だ。

 布施の威圧感に、目の前の男は生唾を呑んだ。

「……なんと?」

「ここで話していいことなら話すが……この事実を、どれほどの署員たちが認知しているか、俺にはわからないからな」

 その言葉に、警察官は諦めたように肩を落とした。

 署長室に通された布施は、白髪の好々爺(こうこうや)と対面した。

 北鳴門署現署長の池光(いけみつ)邦弘(くにひろ)だ。

 自身の置かれている状況がまったく理解できていないのか、暢気にコーヒーを淹れている。布施は、その姿を扉の前で凝視していた。

 視線を感じ取ったのか、池光は途端に顔を上げた。

「そんなとこ突っ立っとらんで、座ったらどうです?」

 まるで反抗期の息子を宥めるかのような笑顔だ。「コーヒーはブラックでよろしいですか」との問いに、布施は「結構です」と首を振った。

「話は手短に済ませます。自分が聞きたいことは、ただ一つです」

 言いながら、布施は池光の前にファイルを差し出した。

「これは、元駐在員の小幡稔さんが、退職する際に駐在所のキャビネットから盗み出したもののようです」

「ほお、盗みですか。それはいただけないですねぇ」

「小幡さんは、このファイルが隠滅されることのほうが、いただけないことだと判断したそうですよ」

 池光の顔が、わずかに歪む。

「小幡さんのひとつ前の白峯村駐在員は、あなただったそうですね。あなたは、このファイルの存在を認知していたのでしょうか」

「さあ、さっぱり――」

「では白峯村で起きていた、半成式を謳った児童への暴行、人身売買によって村へ連れ込んだ児童の披露目として迎風祭を行っていたことについても、ご存知なかったと」

「ええ」

「そうですか」

 布施は、ふう、と息を吐いた。

「わかりました。そこまで隠し通そうとするおつもりでしたら、こちらにも手はあります」

 失礼します、とだけ残すと、布施はファイルを片手に署長室を出た。
 そして、北鳴門署を出るとすぐさま菱沼あてに連絡を入れる。

「直々に連絡を入れてきたということは、何か進展でも?」

「はい。すぐに動いていただきたいのですが」

「何でしょう」

「北鳴門署において、重大な職務違反が疑われる行為を確認しました。事案は、白峯村村民の安全が脅かされ、当署によって証拠隠滅の恐れもあります」

「……なるほど」

「至急、警察庁伝手で県警本部監察室への対応を要望します」