クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 回想を終えてもなお、小百合は一ミリも口を開こうとはしなかった。

 これでは、何のために任意同行に応じたのかわからない。

 不本意ではあったが、藍は口火を切ることにした。

「警察は、今回の中井夫妻殺人事件の容疑者は、実和子さんの実父である後藤田晋也と見ています」

 パソコンで記録を入力していた篠田の手が一瞬止まった。

 マジックミラーの向こうからも、心なしか嘆息が聞こえてきた気がした。

「……えっ」

 それまで黙っていた小百合が、小さく口を開いた。

 効果は絶大だったようだ。

「親族間の殺人は、決して珍しい話ではありません。十四年前の後藤田晋也の失踪の原因が実和子にあるとなったら、なおさらです。事実確認は後ほど行いますが、この線で間違いないでしょう」

 小百合の鋭い視線が、藍に向けられる。

「……それ、わざとやろ」

「何のことですか」

「もう全部わかっとるんやろ。わざわざ、うちの口から話さんでもええやん」

「わたしたちに話すことは、ないと?」

「そういうことやな」

「でしたら、お帰りいただいて結構です」

 藍は席から立ち上がると、取調室と廊下をつなぐ扉を開いた。

「はっ? 呼び出したん、そっちやろ」

「すみません。捜査は、一分一秒で方針が変わりますから。昨日までは重要だと思っていた人間の証言が、今日では不要になることもある。あなたが話したいことがないのであれば、わたしたちが引き留める理由はありません」

 さあ、とさらに扉を押し開ける。

 大きな賭けに出てしまった。

 しかし、藍の中では確信があった。

 ――小百合は、この取調室からは出て行かない。

 あくまで、小百合から話を引き出すためのパフォーマンスに過ぎないのだ。小百合自身も、藍の思惑に気づいているのだろう。小動物が外敵を威嚇するような目を向けている。

「どーゆーつもり」

「何のことでしょう」

「とぼけんなっ!」

 ガタッと音を立てて立ち上がった小百合が、地団駄を踏むように藍の方へと近づく。

 盾になるように、篠田が二人の間に立った。

「落ち着いてください」

「そっちが挑発してくるけん――!」

「それは失礼いたしました。あとで私の方から指導いたしますので、まずはお掛けになってください」

 篠田がとりなしたことで、小百合は渋々席に戻った。「あなたも戻ってください」と促された藍も、扉を閉めて小百合と向き合うように座る。それを確認してから最後、篠田も記録席へと腰を下ろした。

 誰からともなく、ため息をつく。

 ――焦るな。待て。

 藍は、心の中でそう言い聞かせる。

 じっと小百合の目だけを見つめて、そのときが来るのを延々と待った。

 マジックミラ―の向こうで、柳内あたりが大欠伸をしていそうな気配がしたところで、すっと小さく息を吸う音が響いた。

 小百合だ。

「……本当に、助けてくれるん?」

 絞り出されたような掠れた声。
 こちらを睨めつけながらも、怯えたような表情。

 安心感を与えるように、藍はゆっくりと力強く頷いた。

「もちろん」

 小百合が瞼を閉じる。

 深く吸い込んで、大きく吐く。

 たった一度の深呼吸が、ひどく長く感じられた。

 やがて開かれた瞼からは、虚ろな双眸が覗いた。

「……あの村は狂っとるんよ。思い出すと、いまでも吐き気がする」

「詳しく、聞かせてください。村では何が行われてたんですか?」

 小百合の右手が、左腕をさする。

「あの村では、大人が子どもを搾取しとった。うちも、搾取された側のうちのひとりやった」

 ぽつり、ぽつり。

 雨の降り始めのように、小百合の口から言葉が零れ落ちた。