クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 翌日、一月十二日。

 今朝、内海と日向から、昨日依頼していた幸枝と友思への聴取の結果を聞くことができた。

 おおむね、藍の推測通りだった。

 すぐさま張り込み班の刑事たちに任意同行を掛けるように命じ、麻植小百合が新宿署に姿を現したのは午後一時のことだった。

 取調室で待機をしていた藍と篠田は、その姿を見て一旦胸を撫でおろした。
 任意同行のため、当然拒否される可能性も視野にあったからだ。

「来てくれたんですね」

 藍のその言葉に、小百合は肩をすくめてみせた。

 テーブルを挟み、向かい合う。
 藍はすっと息を吸うと、背筋を伸ばした。

 ここから先、ボタンの掛け違いは許されない。

 手には汗がにじんでいた。柄にもなく、緊張している。

 ふと、記録席に座る篠田を振り返る。

 行け――と、鼓舞するような力強い頷きに応えるように、藍はそっと視線を小百合に戻した。

「昨日はよく眠れましたか?」

「ええ。おかげさまで」

「……ここに来てくれたということは、村で起きたことを話してくれるってことですか」

 肯定も否定もせずに、小百合の視線が空を彷徨う。

 本当はすぐにでも話を聞き出したいところだったが、昨日のこともある。

 慎重に、相手の顔色を窺いながら、そのときが来るまでじっくり待つ。

 空気が流れる音だけが、取調室を支配する。

 マジックミラーの向こう側から、目に見えない圧がひしひしと伝わってきた。

 柳内を含むデスク幹部が、こちらを監視しているのはわかっている。

 白峯村で十四年前に行われた儀式についての取り調べを、ここ新宿署で行いたいと直談判をしたときには、柳内からは極端に大きなため息を吐かれた。

「あのな、向こうのことは俺らの管轄じゃないの。布施を徳島に送ったのも、お前らにこっちの事件に集中してもらうためだ。ただでさえ人員が少ないのに、いちいち関係のないところに首を突っ込むな」

「取り調べはわたしが担当します。記録係も、シノさんにやってもらう。そっちの仕事は増えません」

「バカか。こっちの仕事が増えなくてもな、お前らがほっぽり出した仕事分は他の捜査員に回されるんだ。そんな余裕、うちにはない。おいシノ、このじゃじゃ馬の手綱はしっかり握っとけと言ったろ」

 柳内の怒りの矛先は、篠田に向けられた。

 しかし篠田は頭を下げることなく、柳内を説き伏せたのだ。

「手綱をしっかりと握った上で、私はこの話に乗っています」

「……どういうことだ」

「今回の事件の犯人は、麻植小百合です」

 言い切った篠田に、藍も思わず目を丸くした。

「おいおい、シノ。何の根拠もなしにそんなことを言ってるんだったら、同期としても、現場指揮官としてもお前を全力で止めるぞ。第一、動機は何だ」

「麻植小百合さんは白峯村にいたころ、半成式で後藤田晋也から指南を受けています。そのときに、到底口外できないような、ひどい仕打ちを受けた可能性が非常に高い。その見せしめとして、晋也の実の娘である実和子さんを殺害する計画を立て、岳郎さんはそれに巻き込まれた――というのが持論です」

「なるほど。かなり筋の通った持論ではありますね」

 柳内の横で、観察するような視線を送っていた男が、突如口を開いた。

 管理官の菱沼(ひしぬま)則之(のりゆき)だ。

「しかし、実和子さんと岳郎さんの口に詰め込まれた紙幣には、容疑者のどんな思惑があるのでしょうか。もちろん、そこまで見当はつけていらっしゃるんですよね」

「ええ。麻植小百合は上京後に一度、実和子さんからお金の無心をされています。そのことに対しての制裁だと考えれば、辻褄は合うかと」

 篠田のその言葉に、菱沼は意味深長な笑みを浮かべた。

 篠田と柳内より二個ほど年は下だが、階級は警視。ノンキャリアの中の出世頭だ。

 しかし、いまのいままでまったくと言っていいほど存在感がなかった。

 管理官は基本的に、捜本が設置されてから三週間は常駐しているものだが、菱沼の場合は事情が違う。なんと、菱沼の管理下にある第五強行犯捜査の七係から九係まで、全係が他の署で捜本を立ち上げているのだ。捜査一課管理官が複数の帳場を巡回するのは珍しいことではないが、こうも立ち上げ時期が丸被りとなると、国民的アイドル並みのハードスケジュールであることは察しがつく。

 昨日までは、竹ノ塚署管内で発生した連続通り魔傷害事件の帳場にいたという。被疑者検挙で昨晩は慰労会もあったというが、菱沼は涼しげな顔をしている。

「帳場が立ってから、すでに一週間が経過しています。もちろん、検挙の日が来るまで捜査は続きますが、一か月、二か月も経てばその規模はどんどん縮小されていく。できれば、検挙までは最短距離が望ましい」

「おっしゃる通り」柳内が、菱沼の言葉を引き取る。

「ってことだから、余計なことすんなよ。とっとと自分らの持ち場に――」

「いいでしょう。許可します」

「そうだ、許可――って、え?」

 慌てふためく柳内には目もくれず、菱沼は片側の口角を上げると顔の前で手を組んだ。その目から、期待の色が見える。

「いやぁ、シノさんがここまで熱くなっているのは久々に見ましたよ。いったいどういう風の吹き回しです?」

 篠田は、返事を窮した。

 菱沼の大きな目が、藍へと向けられる。何か言いたそうな顔をしていたが、菱沼はふたたび篠田に視線を戻すと「期待していますよ」と微笑みかけたのだった。