*
三連休の中日。
谷美空の自宅は、勤務地の小学校から徒歩十分ほどのところにあった。
アポイントメントもなしに突然押しかけてきた刑事二人に怪訝そうな顔を向けながらも、美空は「少し散らかってますけど」と部屋に上げた。
ローテーブルを挟んで向かい合った美空の前に、藍は早速二人の男の写真を並べた。
先ほど、日向から転送されてきた写真データを現像したものだ。
「川原健二という名前、それからこの写真の男二人に心当たりはありませんか?」
その問い、美空は体を前に傾けて二枚の写真を凝視する。
「この二人のどちらかが、その、川原健二ということでしょうか」
「ええ。名前に聞き覚えがあったり、顔に見覚えがあったりはしませんか?」
「いや……どちらも――、」
首を横に倒し、いまいちピンときていない様子の美空に、徒労に終わったかと肩を落としかける。
しかし、美空の手が藍から見て右側の写真に伸びた。
中野のカフェの防犯カメラに、実和子とともに映っていた男だ。
美空はその男の顔をじっと見つめると、やがて打たれたように顔を上げた。
「この人、知ってるかもしれません」
「本当ですか?」
「少し待っててもらえますか」
美空が、部屋の奥へと消えていく。
しばらくして、パノラマサイズのフォトアルバムを手に戻ってきた。そして、藍にそれを差し出した。
「これは?」
「白峯にいたときの写真です。母がホームシックにならないようにと、上京したときに持たせてくれました。刑事さんたちと初めてお会いしたときは学校だったので、お見せすることはできなかったんですけど……」
「拝見してもいいですか」
「どうぞ」
促されるまま、藍はアルバムを開いた。
白い布に包まれた赤ん坊の写真から始まる。
ページを捲るごとに、その赤ん坊は少女へと姿を変えていく。中には、慈愛に満ちた夫婦が一緒に写っているものもある。
目の前にいる彼女が、かつてその少女であったことは面影から窺えた。
純粋無垢な笑顔からは、村の闇などは垣間見えない。
途中、入学式や卒業式などの行事の写真も挟まれていた。同年代と思われる友人たちとのショットの中に、祐衣や小百合だけでなく、実和子と思しき少女の姿もある。
歯茎が見えるほど口を開き笑っている背の低い少女は、きっと祐衣だ。
顎を引いて首を倒しているおませな少女は、小百合だろう。
そして、中でもひときわ身長の高い大人しそうな少女が、実和子だ。
一見、おかしな点はひとつも見受けられない。どの写真も緑に囲まれているが、それは孤立した村で育ったから当たり前だ。
少女たちの無邪気な顔を見ていると、人身売買だの因習村だの、すべてが根拠のない噂のように思えてくる。
しかし、十ページほど捲ったところで不穏な写真が目に飛び込んできた。
白装束を纏ったまだ幼さが残る美空と、顔を火照らせた男が、鳥居をバックに写真に写っている。その男の手は、美空の肩を抱き寄せている。
これが、父親や親戚なら何も思わない。
藍はページを遡り、親族で映っているであろう写真にもう一度目を通す。
――いない。
先ほどのページに戻り、その写真を指しながら「この方は誰ですか?」と問い掛ける。
「指南役の人です」
「指南役?」
「この間、お話ししましたよね。半成式の指南役のことです」
毎年、十歳になった子は誕生日に白装束を着せられ、白峯神社の参集殿で酒を飲む指南役と一日を過ごす。親でも教師でもない大人と一対一で話をすることによって、成人を意識するきっかけを与えるとされている――そんな内容だった。
改めて思い返してみても、理解に苦しむ儀式だ。
「わたしの指南役は、コバタミノルさんという人でした」
コバタミノル――。
どこかで聞いたことのある名前だった。
直後、その名前を幸枝から聞いたことを思い出す。
「小幡稔さん……後藤田家の近所に住む男性ですか」
「ええ、そうですけど」
そんなことまで知っているのか、と美空は驚いたように目を見開いた。
しかし藍は、そんなことより妙に感じた部分を指摘する。
「指南役が異性の大人って、少し怖くないですか? しかも、相手は酒を呑んでる」
「いま思い返してみればそうですね。ただ、指南役は青年団の中から抽選で決められることになっていたので、そんなに珍しいことではありませんでしたよ」
「青年団といえば、後藤田晋也さんがリーダーをしてた?」
「そうです」
「では、後藤田晋也さんも、誰かの指南役だった?」
その問いに美空は静かに頷くと、言葉を続けた。
アルバムを何ページか捲り藍のほうへと戻す。
美空が指したものは、学校の行事で撮るクラス写真の構図のような集合写真だった。そこには十人ほどの少年少女と、同じ数の大人たちが立っている。背景には、美空と小幡稔の写真にもあった鳥居が写っている。
「その年で最後に十歳になる子の半成式が終わったあと、撮られるものです。わたしたちの代は、小百合が最後でした」
たしかに、集合写真の真ん中には白装束を着た小百合が立っていた。
周囲の人々の屈託のない笑みに紛れ、小百合がこちらを睨むようにして立っている。
藍は、背筋が凍りついた。
小百合の言葉が、呪いのように頭を駆け巡る。
――うちはただ、あの村のこと知りよる人間が一人でも減ってくれたことに、ほっとしとるだけ。
あのときの、奥ゆかしくも冷たく燃えた瞳と同じだ。
「千木良巡査、」隣から、篠田の手が伸びてくる。「これ……」
篠田の人差し指が、小百合の隣に立つ男に向けられた。
「川原健二……!」
中野のカフェの防犯カメラに写り込んでいた男が、なぜかそこに立っていた。
馴れ馴れしく、小百合の肩に手を回している。
「谷さん、この男性は……」
「川原健二では、ありません」
この男性は、――――。
美空の口から出てきた名前に、藍は項垂れた。
三連休の中日。
谷美空の自宅は、勤務地の小学校から徒歩十分ほどのところにあった。
アポイントメントもなしに突然押しかけてきた刑事二人に怪訝そうな顔を向けながらも、美空は「少し散らかってますけど」と部屋に上げた。
ローテーブルを挟んで向かい合った美空の前に、藍は早速二人の男の写真を並べた。
先ほど、日向から転送されてきた写真データを現像したものだ。
「川原健二という名前、それからこの写真の男二人に心当たりはありませんか?」
その問い、美空は体を前に傾けて二枚の写真を凝視する。
「この二人のどちらかが、その、川原健二ということでしょうか」
「ええ。名前に聞き覚えがあったり、顔に見覚えがあったりはしませんか?」
「いや……どちらも――、」
首を横に倒し、いまいちピンときていない様子の美空に、徒労に終わったかと肩を落としかける。
しかし、美空の手が藍から見て右側の写真に伸びた。
中野のカフェの防犯カメラに、実和子とともに映っていた男だ。
美空はその男の顔をじっと見つめると、やがて打たれたように顔を上げた。
「この人、知ってるかもしれません」
「本当ですか?」
「少し待っててもらえますか」
美空が、部屋の奥へと消えていく。
しばらくして、パノラマサイズのフォトアルバムを手に戻ってきた。そして、藍にそれを差し出した。
「これは?」
「白峯にいたときの写真です。母がホームシックにならないようにと、上京したときに持たせてくれました。刑事さんたちと初めてお会いしたときは学校だったので、お見せすることはできなかったんですけど……」
「拝見してもいいですか」
「どうぞ」
促されるまま、藍はアルバムを開いた。
白い布に包まれた赤ん坊の写真から始まる。
ページを捲るごとに、その赤ん坊は少女へと姿を変えていく。中には、慈愛に満ちた夫婦が一緒に写っているものもある。
目の前にいる彼女が、かつてその少女であったことは面影から窺えた。
純粋無垢な笑顔からは、村の闇などは垣間見えない。
途中、入学式や卒業式などの行事の写真も挟まれていた。同年代と思われる友人たちとのショットの中に、祐衣や小百合だけでなく、実和子と思しき少女の姿もある。
歯茎が見えるほど口を開き笑っている背の低い少女は、きっと祐衣だ。
顎を引いて首を倒しているおませな少女は、小百合だろう。
そして、中でもひときわ身長の高い大人しそうな少女が、実和子だ。
一見、おかしな点はひとつも見受けられない。どの写真も緑に囲まれているが、それは孤立した村で育ったから当たり前だ。
少女たちの無邪気な顔を見ていると、人身売買だの因習村だの、すべてが根拠のない噂のように思えてくる。
しかし、十ページほど捲ったところで不穏な写真が目に飛び込んできた。
白装束を纏ったまだ幼さが残る美空と、顔を火照らせた男が、鳥居をバックに写真に写っている。その男の手は、美空の肩を抱き寄せている。
これが、父親や親戚なら何も思わない。
藍はページを遡り、親族で映っているであろう写真にもう一度目を通す。
――いない。
先ほどのページに戻り、その写真を指しながら「この方は誰ですか?」と問い掛ける。
「指南役の人です」
「指南役?」
「この間、お話ししましたよね。半成式の指南役のことです」
毎年、十歳になった子は誕生日に白装束を着せられ、白峯神社の参集殿で酒を飲む指南役と一日を過ごす。親でも教師でもない大人と一対一で話をすることによって、成人を意識するきっかけを与えるとされている――そんな内容だった。
改めて思い返してみても、理解に苦しむ儀式だ。
「わたしの指南役は、コバタミノルさんという人でした」
コバタミノル――。
どこかで聞いたことのある名前だった。
直後、その名前を幸枝から聞いたことを思い出す。
「小幡稔さん……後藤田家の近所に住む男性ですか」
「ええ、そうですけど」
そんなことまで知っているのか、と美空は驚いたように目を見開いた。
しかし藍は、そんなことより妙に感じた部分を指摘する。
「指南役が異性の大人って、少し怖くないですか? しかも、相手は酒を呑んでる」
「いま思い返してみればそうですね。ただ、指南役は青年団の中から抽選で決められることになっていたので、そんなに珍しいことではありませんでしたよ」
「青年団といえば、後藤田晋也さんがリーダーをしてた?」
「そうです」
「では、後藤田晋也さんも、誰かの指南役だった?」
その問いに美空は静かに頷くと、言葉を続けた。
アルバムを何ページか捲り藍のほうへと戻す。
美空が指したものは、学校の行事で撮るクラス写真の構図のような集合写真だった。そこには十人ほどの少年少女と、同じ数の大人たちが立っている。背景には、美空と小幡稔の写真にもあった鳥居が写っている。
「その年で最後に十歳になる子の半成式が終わったあと、撮られるものです。わたしたちの代は、小百合が最後でした」
たしかに、集合写真の真ん中には白装束を着た小百合が立っていた。
周囲の人々の屈託のない笑みに紛れ、小百合がこちらを睨むようにして立っている。
藍は、背筋が凍りついた。
小百合の言葉が、呪いのように頭を駆け巡る。
――うちはただ、あの村のこと知りよる人間が一人でも減ってくれたことに、ほっとしとるだけ。
あのときの、奥ゆかしくも冷たく燃えた瞳と同じだ。
「千木良巡査、」隣から、篠田の手が伸びてくる。「これ……」
篠田の人差し指が、小百合の隣に立つ男に向けられた。
「川原健二……!」
中野のカフェの防犯カメラに写り込んでいた男が、なぜかそこに立っていた。
馴れ馴れしく、小百合の肩に手を回している。
「谷さん、この男性は……」
「川原健二では、ありません」
この男性は、――――。
美空の口から出てきた名前に、藍は項垂れた。


