クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

「……もしもし」

「あーもう、やっと出たぁ」

 電話越しに聞こえてきた声に、胸はさらに騒がしくなる。

 数日前、日向はその相手の胸ぐらを掴んでいる。内海が仲裁に入り、なんとか形だけの和解にこじつけはしたが、わだかまりが消えたわけではない。

「いま川原の件で会議中だ。手短に頼む」

 異常なまでに大きく、そして速くなった鼓動が相手に伝わらぬように、日向は早口で返す。

「その川原の件についてだけど、早急に顔写真のデータを送ってほしいの」

「はぁ?」日向は口元を覆いながら、声のトーンを落とす。「なんで急に」

「手短に、って言ったのはそっちじゃない」

「大事なとこを端折(はしょ)るな。参考人から面会謝絶、聴取拒否されてる人間が、いったい川原の顔写真を何に使うっていうんだよ」

「いちいち説明してたら長くなる。いいから、何も聞かずにデータを送って」

「そんなこと、俺の権限でできるわけないだろ。第一、柳内係長が黙って見てると思うか」

「思わない。だから、末端のあんたにお願いしてんの」

「ふざけるな。ってか、ずっと思ってたけどなんでタメ口なんだ。生意気だぞ年下のくせに」

 電話越しに、深いため息が聞こえてきた。

 いつものいたちごっこをしていられるほど、藍にも余裕がないことがわかる。

 電話口の遠くから「替わってください」との声が、微かに聞こえた。向こう側で、通話相手が替わったのを気配で察する。

 おそらく、藍と組んでいる所轄の篠田だろう。

「お疲れ様です、日向巡査長。新宿署の篠田です」

 案の定、相手は篠田だ。

 落ち着いた低音からは知性が感じられる。

 頭に血が上っていたはずだが、いっきに冷めた。

「……お疲れ様です」

「突然で申し訳ないですが、私からもお願いします。川原健二のデータ、至急いただけませんか」

 丁寧な言葉の裏側に、張り詰めた糸のような緊迫を感じ取る。

 日向は、寄りかかっていた壁から無意識に背を離した。

「理由、聞いてもいいっスか」

「お願いするからには、私もそれを話すのが筋だと思っているのですが……」

「悔しいっスけど、千木良の言うとおり俺は末端の刑事なんで、勝手にデータを送るとかそんなこと出来ないんスよ」

「写真を撮って送っていただけたら、それで十分です」

「いやでも……」

「何かあったときは、すべて私が責任を負います」

 そこまでの覚悟があるのであれば、理由は話してほしいところだ。

 しかし、年上の警部補からの頼みとなれば、無碍に断ることもできない。

「何してる」

 判断しかねる日向のもとに、内海がやってきた。

 咄嗟にスマホを背中に隠す。

 しかし、内海の目はそう簡単に誤魔化せない。

「千木良か」

「いや――」

「替われ」

 有無も言わさず日向の手からひったくるようにスマホを取ると、内海はそれを押し当てた。

「内海だ」

「篠田です」

「……あなたですか」

 内海が、意味深長に息を吐く。

 明らかに不機嫌そうな上司を見て、日向は肝を冷やした。

 中野のカフェで、藍と篠田と防犯カメラを確認しに行ったときも、内海と篠田の間には埋めようにも埋められない距離のようなものを感じた。

 刑事畑で生きていれば、手柄の横取りや昇進などで確執が生じることもある。

 しかし、あそこまで顕著な不仲は初めて見た。それも、妬み嫉みを感じない、ただそこにあるのは、ふつふつとした怒り。

 二人の間に何があったのかは、皆目見当もつかないのだが。

「まあいいです。どうせ、川原の件でしょう」

「さすが内海巡査部長、話が早い」

「やめてください。あなたに評価される以上に、屈辱的なことはない」

「そうでしたか。それは失礼しました」

「……とにかく、川原のデータについてはすぐにお送りします」

「助かります」

 そこまで読んでいたのか、と呆然とする日向をよそに、内海は通話を切ってスマホを返した。

「すぐに千木良にデータを送ってくれ」

「……いいんスか」

「問題ない。お前が席を立っている間に、捜査方針はガクッと方向を変えた」

「それって――」

「偽物の川原健二が誰なのか、総動員で調べ抜く」

 捜査本部の部屋から、コートを身に纏った捜査員たちが続々と出て行くのが見えた。

「お前も早く準備しろ」

「……はいっ」

 日向は川原の写真を収めると、それを藍のスマホに転送してから新宿署を出た。