クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

 その言葉の意味に理解が及ばず、藍は「どういうことでしょう」と問う。

「一緒に白峯に帰ろうと言うたんです。岳郎さんのご両親は、あと五年も経てば還暦です。孫と毎日過ごせたらそれ以上の幸せはないなんて言いよりましたけど、いつまで壮健でいれるかもわからん。母親も父親もひどい亡くなり方をしたし、都会を離れてゆっくりと暮らせる場所に移したったほうがええんやないか、と」

「それで、友思くんはなんと?」

 篠田が訊くと、幸枝は力なくかぶりを振った。

「そこで突然、暴れ出したんです。ばあばも俺を捨てるのか(・・・・・・・・・・・)、って。友ちゃんは岳郎さんのご両親と暮らしたかったんです。母親と父親を殺された挙句、近場の身寄りにまで見放されたんやないかと、不安になったんやと思います。わたしの言葉足らずが原因なんです。友ちゃんは、悪うないんです……」

 藍はしばらく、考え込むように口をつぐんだ。

 頭の中で、ぐるぐると情報の欠片たちが流れてゆく。

 そのうちのいくつかが、かちりと音を立ててはまる。
 するとまた、別の欠片が引き寄せられるように繋がる。

 ばらばらだったものが、歪な形をした大きな塊になり始めた。

 ……いや、まさか。それは絶対にありえない。

 しかし、少なくともいままでの仮説よりかは現実味がある。
 その仮説を立証するためのピースは、まだ足りていないのだが。

 ――こうしちゃいられない。

 早急に確認しなければならないことがある。

 不意に、藍はソファから立ち上がった。

「すみません、今日はこのへんで失礼します」

「えっ」

 呆気に取られたのは幸枝だけでなく、篠田もだった。

 すたすたと廊下を歩いていく藍の後ろ姿を目を瞬かせながら見つめたあと、おもむろに腰を上げる。

 幸枝に頭を下げたのち、その小さな背中を追いかけた。

 藍がまず向かったのは、友思の病室だった。

 白いベッドの上ですやすやと眠る少年の傍らに、泉月はやや退屈そうに座っていた。

「ご苦労様」

「幸枝さん、何だって? 何か話してくれそうな気配あった?」

「ごめん、話は後で」言いながら、藍が右手を差し出す。「とりあえず、車のキーちょうだい」

 その言葉に、篠田は豆鉄砲を食らったような顔をした。

 そして、すかさず泉月と藍の間に入った。

「待ってください。どうするおつもりですか」

「決まってるじゃないですか。実和子さんの鑑取りに戻ります」

「なっ……そんな勝手なこと、許されませんよ」

「誰にですか」

「柳内係長に決まってるでしょう。今朝、お咎めを受けたばかりじゃないですか」

「ダメと言われて大人しくしていられるほど、わたしは躾がなっていません。忠犬シノさんとはちがうんです」

 ふん、と鼻を鳴らすと、藍は篠田の大きな図体を横にずらし、泉月からキーを受け取った。

「五分後までに駐車場に来てください。来なければ、わたし一人で行きます」

 返事も待たず、先に病室を出て行ってしまったじゃじゃ馬を見送ると、篠田の口からはすでに今年イチとなるであろう大きなため息が漏れた。

「ここ、わたし一人で大丈夫ですよ」

 尻込みしている様子の篠田に、泉月が声を掛ける。

「ですが、単独行動は……」

「それは藍も同じです。それに、あの子のほうがよっぽど危なっかしいと思いますけど」

「不本意ながら、その認識はあります」

「だったら行ってあげてください」

 それでもなお、篠田の顔には困惑の色が浮かんでいる。

 長年、刑事社会を生きてきたはずなのに、この融通の利かなさにはどんな背景があるのだろうか。

 不思議に思いながらも、泉月はそんな篠田の紳士的なところに尊さを感じている。

 しかし、いまは藍だ。あのじゃじゃ馬の手綱は、誰かしらが握っておかなければならない。

 静まり返った空気の中「あっ、そうだ」と、泉月がわざとらしく声を上げた。友思のそばからそっと立つと、篠田にゆっくりと歩み寄り潜めた声で続ける。

「あの子、基本的になんでも器用にこなしちゃうんですけど、唯一苦戦したものがあるんです」

「……それは、何なんですか」

「運転」泉月がにやりと笑った。「あの子、合格ラインぎりぎりでP検A級受かってるんです。」

 篠田の胸はざわついた。

 P検とは、警察車両運転技能検定のことだ。いわゆるパトカーは、普通免許を持っているだけでは運転・緊急走行は基本的に認められていない。各都道府県警本部でのP検に合格して初めて、警察車両のハンドルを握ることができる。

 警視庁においての普通技能検定にはA級とB級があり、A級にのみ緊急走行の資格が与えられているのだが、藍はどの種目も合格基準にやっと届いたといったところで、実務においてはあまり信頼されていない。

「どうですか。後を追うには、格好の理由になります?」

 泉月は後ろ手を組むと、いたずらっぽく片眉を上げた。

 篠田は息を吐き、左手の腕時計に視線を落とす。

 ――まだ時間はある。

「若生巡査、」

「はい」

「助かります。何かあったら、すぐ連絡を」

「わかってます」

 篠田は行儀よく一礼すると、病室をあとにした。

 ぽつんと残された泉月は、思わず身を捩らせた。

「やっば、萌える~」