クロスロード -警視庁捜査一課・千木良藍-

「ダメだっつってんだろ」

 食い気味にそう吐き捨てられると、藍は片頬を風船のように膨らませた。

 隣でお行儀よく立っている篠田は、困ったと言わんばかりの苦笑を浮かべている。

「どうしてですか。見るからに人手足りてないですよね?」

「あぁもう~、しつこいんだよお前はぁ」

 新聞の社会面に顔を向けたまま、柳内は掌をひらひらさせた。

 藍は堪らず、柳内との間を隔てる長机に両手を叩くように置いた。ダンッ、という音とともに、紙コップの中のブラックコーヒーが波紋を作った。肝を冷やしたのか、先ほどまで立ち上っていた湯気は心なしか薄まっている。

 ようやく顔を上げた柳内は「まぁまぁ落ち着けって」と、おろおろと立ち上がった。そして、他幹部の顔色を窺うと「少しは考えてくれよ俺の面子を」と、小さな声でぼやきながら、新聞をくしゃりと折りたたんだ。

「ここ三日間は大人しくしてたつもりです。でももう、耐え切れません」

 帳場が立ってから一週間が過ぎ、布施が徳島へ発ってからは三日が経っていた。

 布施の穴埋めをするように友思の聴取に回された藍と篠田だったが、何の成果も挙げられていない。

 主治医の許可が下りず面会謝絶状態の友思に加え、幸枝からも継続聴取を拒まれているのだ。その理由として、一にも二にも藍の強引な聴取が尾を引いていることは明らかだった。さらに、司法解剖を終えた実和子と岳郎の遺体も三日前に遺族に返され、一昨日と昨日で通夜と告別式が執り行われていた。藍と篠田も通夜には顔を出したが、とても聴取をできる状況ではなかった。

「身から出た錆だ。んな生意気な態度取ってたら、そりゃあ門前払いも食らうわな」

 柳内の皮肉をまともに食らいながらも、藍は負けじと唇を噛み締める。

「とにかく、わたしたちを実和子さんの鑑取りに戻してください。川原の線、詰まってるんですよね?」

「そんなのどこの班も同じだろ。現に、お前らだって第一発見者の聴取すら取れてない」

「力が及ばず、申し訳ありません」

 痛いところを突かれたのか、篠田が不甲斐なさそうに頭を下げた。

 同期からの謝罪に、柳内はばつが悪そうに顔を歪めると、こほん、と咳払いをした。

「とにかく、お前らには与えられたやるべき仕事がある。どうにかして、今日中に話を聞き出してくれ」

 納得がいかないまま、篠田の「行きましょう」という声に背中を押され、藍は篠田と泉月とともに新宿署を出た。

 二〇二六年が明けてから一週間以上が経ち、新年ムードはとうに過ぎ去っていた。

 仕事や学校、各々が戻るべき場所へと戻り、日常を過ごしている。しめ飾りも役目を終え、正月を象徴するものは街中から消えつつあった。病院の前に飾られていた門松も、いつの間にか撤去されていた。

 いつものように、友思が入院している病室に向かう。

 しかし、突き当りの廊下に入ったところで、すぐ異変に気付いた。

 病室前にいるはずの見張り警察官がいない。

 藍は思わず駆け出した。

 病室に近づくにつれ、何やら騒がしい声が聞こえてくる。

「離せっ、離せぇっ――‼」

「友ちゃん、お願いやけん落ち着いてっ‼」

「急にどうしたんだい、話を聞かせてくれっ」

 中に入ると、悲惨な光景が目の前に広がっていた。

 割れた花瓶の中で横たわるオレンジ色のカーネーション、潰れて餡がはみ出たどら焼き――散らかった床の上で暴れようとする友思を、幸枝と年嵩の制服警察官が前後から押さえつけている。

「何があったの」

 その場に呆然と立ち尽くしている、童顔の警察官に声を掛ける。

「いや……なんか、急に、暴れ出したみたいで」

「そんなの見ればわかる。なんで暴れてるか聞いてるの」

「なんで、って……」

 目の前で起きた出来事に軽くショックを受けているのか、状況説明すらまともに出来ていない。

「ったく、しっかりしなさいよ新人」

 その言葉に目を丸くした新米警察官の横を通り過ぎ、藍も加勢する。

 そこ遅れてやってきた篠田と泉月も加わり、どうにかその場は収拾することができた。

 ナースコールで主治医と看護師を呼び出し、何とか落ち着きを取り戻した友思は、赤ん坊のようにぐっすりと眠りについてしまった。

「幸枝さんが病室に入って数分経ったころに、突然友思くんの叫び声が聞こえたんです。そのあとに花瓶が割れる音が聞こえたので、すぐ入室しました」

 年嵩の警察官から報告を受けた藍と篠田は、待合室で幸枝から話を聞くことにした。泉月はその間、いつ目覚めてもいいように友思のそばについている。

 花瓶の破片で負傷した幸枝は、応急処置を受け包帯の巻かれた左手を撫でながら、疲労とも安堵ともとれるため息をついた。

 こうなってしまえば、聴取を拒むこともできないのだろう。やがて幸枝は、ぽつりぽつりと小雨のような細い声で話し始めた。

「あの子、実和子と岳郎さんが亡くなってから、いっぺんも取り乱したりせんかったのに……やけん、ほんまは少しほっとしたんです」

 微笑を浮かべつつも「お騒がせしといて、こんなこと言うんは不躾やと思うんですけど」と眉を垂らした。

「二人の遺体が返ってきて、やっと荼毘(だび)に付すことができて、それでもあの子は喚くどころか悲しい顔すら見せんかった。心を失うてしもうたかと思いました」

「親を失って、何も感じない子どもはいません」

 藍の言葉に、幸枝はそっと顔を上げた。初めて顔を合わせたときよりも、何歳か老け込んでいるように見えたが、それでも実年齢よりかは若く見える。

「……それに、子を失って何も感じない親もいません」

「えっ」

「先日は、無礼な態度をとってしまいました……反省してます」

 この展開は想像していなかったのか、幸枝は目を丸くした。

 篠田からしても予想外だったようで、驚きつつもその顔は嬉しそうに緩んでいた。

「話したくないことは話さなくていい。それは誰しもが持ってる権利です。その権利を自然と行使させずに話を引き出すのが、わたしたち警察官の仕事です。だから、幸枝さんに聴取を拒まれてしまってるのは、たんにわたしの力量不足なんです」

 藍の丸くて大きな目が、幸枝に訴えかける。

「ただ、友思くんには知る権利があります。ある日突然、両親を同時に亡くしたんです。何が起きたのか、なぜ自分が独りになってしまったのか――その答えを知らないまま大人になってしまえば、友思くんはずっと過去に縛られたままになってしまう」

 現在進行形で、過去に縛られ悶えながらも前へと進もうとしている人間の言葉は、篠田にとってはかなり説得力のあるものだった。

 もちろん幸枝は藍の過去など知る由もなかったが、藍の一言一句に、微かではあるが反応を示している。

「幸枝さん、友思くんのためにも、知ってることを話してくれませんか?」

 幸枝は、包帯が巻かれた左手をぼうっと見つめたまま黙り込んだ。

 待合室の時計がチッチッ、と音を立てながら沈黙を刻んでゆく。

「……わたしのせいなんです。友ちゃんが暴れとったんは」

 やがて、息を多く含んだ声がその場に落ちた。