同郷の人間が他殺で亡くなっているというのに、取り乱した様子は見受けられない。むしろ、どこか楽しんでいそうなその瞳に背筋が凍りそうになったが、藍は実和子のことではなく、一度小百合自身のことについて訊いてみることにした。
「うちのことなんて、何もおもんないでよ」
小百合はそう卑下しながらも、村から出た後のことを端的に話した。
大学進学とともに上京したあと、親の仕送りとバイト代でしばらくは生活していたという。しかし、いつからか自分だけの力で生きていきたいと思うようになり、大学在学中に夜の世界に飛び込んだ。
そして、ガールズバーやラウンジを渡り歩き、最終的には六本木のキャバクラに落ち着いた。そして、そこでは相当な売上を立てた。
太客の中には大企業の社長がいた。その社長に、小百合の営業センスやトーク力を買ってもらい、大学卒業後にはその子会社にコネ入社を果たす。入社後も社長とは円満な関係が続き、いつからか生活面での援助などもしてもらうようになった。そして手に入れたのが、このタワーマンションの一室だという。
「波瀾万丈ですね。社長さんとは、男女の関係にあったんですか?」
「社長には、ただただ良うしてもらってただけ。うちがそーゆー関係望んどらんことも、ちゃんと理解してくれとったんよ」
篠田が、手帳に聴取のメモを取っている。
それを見た小百合は、力なく笑った。
「うち、殺しとらんよ」
突拍子もない発言に、ペンを走らせる篠田の手が止まった。
藍も、思わず目を細めた。
「どうせ、このあとアリバイやらなんやら聞かれるやろうと思うたけん、先に言っとくわ。いつ殺されたのか知らんけんど、うちは殺しとらん」
「お二人の死亡推定時刻は、一月二日の午後七時から九時とされています。そのとき、あなたはどちらに?」
「ずっとここにおったよ。それを証明してくれる人は、おらんけどね」
小百合は、こともなげに言った。
先ほどから、小百合から感じる余裕はいったい何なのだろう。焦りや悲しみといった感情は読み取れない。いつかこうなることがわかっていたかのような、そんな悟りのようなものが見えた。
「では、実和子さんが誰かに恨まれていたとか、そういった話は聞いたことありませんか?」
「さあ?」
小百合は首を捻った。その反応からして望み薄だと思ったが、意外にもさらに言葉を続けた。
「ただ、お金を貸してほしいって言われたことはあった」
有益そうな情報に、藍は思わず前のめりになった。
「それ、いつの話ですか?」
「二、三年前やったかな。もちろん断ったんやけどね――あ、そうそう、それくらいから、実和子とは会わんようになったんよ」
二、三年前。中井夫妻が、白峯村へ帰郷しなくなり始めた頃だ。
小百合の話と照らし合わせれば、夫妻は帰省費用さえも捻出できないほど困窮しており、せめて息子だけでも祖母に会わせてやりたいという気持ちから、自分たちの帰省を断念していたとも考えられる。この仮説が正しければ、幸枝と実和子の親子関係が悪かったとは言えなくなるだろう。
柳内は大きく見ろと言っていたが、できる限り最短距離で事件の真相に迫りたい。
「会わなくなったのは、お金を貸さなかったことによって関係が拗れたからですか?」
「簡単に言ってしまえば、そーゆーこと。うちはそもそも、いくら村を出たと言えど、あそこにおった人間とは関わりとうなかったんやけんどね」
マグカップをキッチン台にそっと置くと、小百合は腕を組んだ。
「……村で何かあったからですか?」
藍の問いに、空気が冷えたような気がした。
「刑事さん、どこまで知っとるん?」
キッチンから出てきた小百合が、ダイニングテーブルの上に両手を置き、藍の顔をまっすぐに見つめた。その瞳には、警戒の色が浮かんでいる。
「実和子さんのご家族のことで、徳島県警に捜査協力を依頼している段階です」篠田が横から口を挟んだ。「どこまで、というのは?」
「いや……」
小百合の顔に、初めて焦りの色が見えた。落ち着かない様子でキッチンへと戻ると、ふたたびマグカップを手にし、そっと唇につけた。その手はぷるぷると震えている。
――いまだ。いましかない。
詰問を仕掛ければ、何かしらボロが出るはずだ。
しかし、藍の思惑に反して、篠田は「話が逸れてしまいましたね」と勝手に話を引き取り、聴取の主導権を握り始めた。
「我々が聞きたいのは村のことではなく、実和子さんのことです」
「あの子のことはそんな知らんわ。みんな仲良しこよしってわけやなかったけん」
「……そうですか」
そうですか、って。何。
藍であればもう一歩踏み込んだ質問を投げかけるところを、篠田はすぐに引いてしまう。そういう性格なのか、はたまた何か考えがあってのことなのか。前者であれば、間違いなく刑事に向いていない。
「では、最後に実和子さんに会ったとき、お金のこと以外で何か印象に残ることはありませんでしたか?」
「そういえば、なんか言っとったわ」
小百合は何か思い出したかのように顔を上げると、その顔に薄気味悪い笑みを浮かべた。
「『幸せになりたい。小百合もそうでしょう?』って」
幸せになりたい。
その言葉を、つい最近聞いたような気がした。
たしか、菅原祐衣も同じようなことを言っていた。「幸せになりたい」が、中井実和子の口癖だったと。
「皮肉よなぁ。でも、あの子見て思うたわ。村出て、結婚して出産したところで、女が全員幸せになれるわけやない。うちはうちで、この生き方選んどって正解やったわ」
「ふうん。あなたは、幸せってことですね」
藍の口調には少々棘があったが、小百合は何食わぬ顔で頷いた。
「うちはな、あの村のこと全部忘れたいんよ。あそこで見たもの、聞いたもの、村に関わっとった人間のことも、ぜーんぶ」
小百合が、なぜそんなにも故郷を恨むのか。
それは、朝会で共有された人身売買のことに関わっているのか。
もしそれが事実だったとして、そのことを小百合は知っていたのだろうか。
ふと、小百合は玄関へと続く扉を開いた。そして、藍たちのほうへと視線を向ける。
「もうええやろ。帰ってくれん?」
「いや、まだお聞きしたいことが――」
「話すことないから」
頑として耳を貸そうとしない小百合に、藍は心底腹が立った。考えるよりも先に、体が動いていた。
小百合の前に立ち、その憮然たる顔を見上げる。
「あなたが殺したの?」
「はぁ?」
小百合が大きく目を見開く。
篠田はその言葉を聞き、ガタッと音を立てながら腰を上げた。ちらりとそちらを見れば、額に手を当て苦い表情を浮かべている。
「同じ村で育った同年代の人間が殺されてるんですよ。普通なら、捜査に協力するのが筋でしょう。それとも何です、疑われたいんですか」
「強制やないやろ」
「任意です。もちろん断ることもできますけど、やましいことがあるんだろうと思われても――」藍は鼻を鳴らす。「仕方ないですよね」
「何それ、脅し? 警察がそんなんしてええの?」
「どう受け取っていただいても構いません。もう一度聞きます。あなたが殺したんですか?」
奥ゆかしい瞳が、わかりやすく泳いだ。
「うちはただ、あの村のこと知りよる人間が一人でも減ってくれたことに、ほっとしとるだけ。殺しとらん」
震えを抑えるように、ぴんと張り詰めた声がその場に落ちた。
嘘をついているようには見えない。
むしろ、何かに怯えているのが一目見てわかる。
このまま聴取を続けて小百合の懐に入り込んでしまえば、村の悪事も今回の殺人事件の真相も、すべて明らかになる。藍の勘がそう言っていた。
しかし、そんな藍の思考を先読みしたのか、気づくと隣には篠田が立っていた。
「行きましょう」
「でも――」
「失礼いたしました。今日のところは帰りますが、また捜査協力をお願いすることがあるかもしれません。そのときはどうか、よろしくお願いいたします」
「……もう二度と来んで」
小百合の悲痛な声に篠田は困ったようにこめかみを掻くも、それ以上何を言うでもなく、藍を連れて麻植宅を出た。
見送りはなく、冷えた空気だけが二人の背を睨んでいた。
「うちのことなんて、何もおもんないでよ」
小百合はそう卑下しながらも、村から出た後のことを端的に話した。
大学進学とともに上京したあと、親の仕送りとバイト代でしばらくは生活していたという。しかし、いつからか自分だけの力で生きていきたいと思うようになり、大学在学中に夜の世界に飛び込んだ。
そして、ガールズバーやラウンジを渡り歩き、最終的には六本木のキャバクラに落ち着いた。そして、そこでは相当な売上を立てた。
太客の中には大企業の社長がいた。その社長に、小百合の営業センスやトーク力を買ってもらい、大学卒業後にはその子会社にコネ入社を果たす。入社後も社長とは円満な関係が続き、いつからか生活面での援助などもしてもらうようになった。そして手に入れたのが、このタワーマンションの一室だという。
「波瀾万丈ですね。社長さんとは、男女の関係にあったんですか?」
「社長には、ただただ良うしてもらってただけ。うちがそーゆー関係望んどらんことも、ちゃんと理解してくれとったんよ」
篠田が、手帳に聴取のメモを取っている。
それを見た小百合は、力なく笑った。
「うち、殺しとらんよ」
突拍子もない発言に、ペンを走らせる篠田の手が止まった。
藍も、思わず目を細めた。
「どうせ、このあとアリバイやらなんやら聞かれるやろうと思うたけん、先に言っとくわ。いつ殺されたのか知らんけんど、うちは殺しとらん」
「お二人の死亡推定時刻は、一月二日の午後七時から九時とされています。そのとき、あなたはどちらに?」
「ずっとここにおったよ。それを証明してくれる人は、おらんけどね」
小百合は、こともなげに言った。
先ほどから、小百合から感じる余裕はいったい何なのだろう。焦りや悲しみといった感情は読み取れない。いつかこうなることがわかっていたかのような、そんな悟りのようなものが見えた。
「では、実和子さんが誰かに恨まれていたとか、そういった話は聞いたことありませんか?」
「さあ?」
小百合は首を捻った。その反応からして望み薄だと思ったが、意外にもさらに言葉を続けた。
「ただ、お金を貸してほしいって言われたことはあった」
有益そうな情報に、藍は思わず前のめりになった。
「それ、いつの話ですか?」
「二、三年前やったかな。もちろん断ったんやけどね――あ、そうそう、それくらいから、実和子とは会わんようになったんよ」
二、三年前。中井夫妻が、白峯村へ帰郷しなくなり始めた頃だ。
小百合の話と照らし合わせれば、夫妻は帰省費用さえも捻出できないほど困窮しており、せめて息子だけでも祖母に会わせてやりたいという気持ちから、自分たちの帰省を断念していたとも考えられる。この仮説が正しければ、幸枝と実和子の親子関係が悪かったとは言えなくなるだろう。
柳内は大きく見ろと言っていたが、できる限り最短距離で事件の真相に迫りたい。
「会わなくなったのは、お金を貸さなかったことによって関係が拗れたからですか?」
「簡単に言ってしまえば、そーゆーこと。うちはそもそも、いくら村を出たと言えど、あそこにおった人間とは関わりとうなかったんやけんどね」
マグカップをキッチン台にそっと置くと、小百合は腕を組んだ。
「……村で何かあったからですか?」
藍の問いに、空気が冷えたような気がした。
「刑事さん、どこまで知っとるん?」
キッチンから出てきた小百合が、ダイニングテーブルの上に両手を置き、藍の顔をまっすぐに見つめた。その瞳には、警戒の色が浮かんでいる。
「実和子さんのご家族のことで、徳島県警に捜査協力を依頼している段階です」篠田が横から口を挟んだ。「どこまで、というのは?」
「いや……」
小百合の顔に、初めて焦りの色が見えた。落ち着かない様子でキッチンへと戻ると、ふたたびマグカップを手にし、そっと唇につけた。その手はぷるぷると震えている。
――いまだ。いましかない。
詰問を仕掛ければ、何かしらボロが出るはずだ。
しかし、藍の思惑に反して、篠田は「話が逸れてしまいましたね」と勝手に話を引き取り、聴取の主導権を握り始めた。
「我々が聞きたいのは村のことではなく、実和子さんのことです」
「あの子のことはそんな知らんわ。みんな仲良しこよしってわけやなかったけん」
「……そうですか」
そうですか、って。何。
藍であればもう一歩踏み込んだ質問を投げかけるところを、篠田はすぐに引いてしまう。そういう性格なのか、はたまた何か考えがあってのことなのか。前者であれば、間違いなく刑事に向いていない。
「では、最後に実和子さんに会ったとき、お金のこと以外で何か印象に残ることはありませんでしたか?」
「そういえば、なんか言っとったわ」
小百合は何か思い出したかのように顔を上げると、その顔に薄気味悪い笑みを浮かべた。
「『幸せになりたい。小百合もそうでしょう?』って」
幸せになりたい。
その言葉を、つい最近聞いたような気がした。
たしか、菅原祐衣も同じようなことを言っていた。「幸せになりたい」が、中井実和子の口癖だったと。
「皮肉よなぁ。でも、あの子見て思うたわ。村出て、結婚して出産したところで、女が全員幸せになれるわけやない。うちはうちで、この生き方選んどって正解やったわ」
「ふうん。あなたは、幸せってことですね」
藍の口調には少々棘があったが、小百合は何食わぬ顔で頷いた。
「うちはな、あの村のこと全部忘れたいんよ。あそこで見たもの、聞いたもの、村に関わっとった人間のことも、ぜーんぶ」
小百合が、なぜそんなにも故郷を恨むのか。
それは、朝会で共有された人身売買のことに関わっているのか。
もしそれが事実だったとして、そのことを小百合は知っていたのだろうか。
ふと、小百合は玄関へと続く扉を開いた。そして、藍たちのほうへと視線を向ける。
「もうええやろ。帰ってくれん?」
「いや、まだお聞きしたいことが――」
「話すことないから」
頑として耳を貸そうとしない小百合に、藍は心底腹が立った。考えるよりも先に、体が動いていた。
小百合の前に立ち、その憮然たる顔を見上げる。
「あなたが殺したの?」
「はぁ?」
小百合が大きく目を見開く。
篠田はその言葉を聞き、ガタッと音を立てながら腰を上げた。ちらりとそちらを見れば、額に手を当て苦い表情を浮かべている。
「同じ村で育った同年代の人間が殺されてるんですよ。普通なら、捜査に協力するのが筋でしょう。それとも何です、疑われたいんですか」
「強制やないやろ」
「任意です。もちろん断ることもできますけど、やましいことがあるんだろうと思われても――」藍は鼻を鳴らす。「仕方ないですよね」
「何それ、脅し? 警察がそんなんしてええの?」
「どう受け取っていただいても構いません。もう一度聞きます。あなたが殺したんですか?」
奥ゆかしい瞳が、わかりやすく泳いだ。
「うちはただ、あの村のこと知りよる人間が一人でも減ってくれたことに、ほっとしとるだけ。殺しとらん」
震えを抑えるように、ぴんと張り詰めた声がその場に落ちた。
嘘をついているようには見えない。
むしろ、何かに怯えているのが一目見てわかる。
このまま聴取を続けて小百合の懐に入り込んでしまえば、村の悪事も今回の殺人事件の真相も、すべて明らかになる。藍の勘がそう言っていた。
しかし、そんな藍の思考を先読みしたのか、気づくと隣には篠田が立っていた。
「行きましょう」
「でも――」
「失礼いたしました。今日のところは帰りますが、また捜査協力をお願いすることがあるかもしれません。そのときはどうか、よろしくお願いいたします」
「……もう二度と来んで」
小百合の悲痛な声に篠田は困ったようにこめかみを掻くも、それ以上何を言うでもなく、藍を連れて麻植宅を出た。
見送りはなく、冷えた空気だけが二人の背を睨んでいた。


