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今日は愁とスケボーの約束をしていた。
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様ー」
社員と店長に声を掛けるなり愁が待っている公園へと走り出す。
そこはボーダーが遊びやすいように専用の遊具もある所だ。閑静な住宅街からは少し距離があるので夜でも音が響かないような作りになっている。
顔がニヤけてくるのを止められなくて自分自身に困った。ベンチに腰掛けている愁を見つけて、走りながら手を振る。
「愁!」
「意外と早かったね」
「うん、早く愁のスケボーが見たくて全速力で走ってきたから」
「光流って本当に変わってるよね」
「それ言うのって愁くらいだよ?」
スマホを取り出して場所の確認を始めた。どうせなら良い場所で良い角度で撮りたい。
ワクワクしているのを隠せずにいると愁が前屈みになって笑った。
「その顔、チュール与える前の猫みたい」
「せめて人間で例えてくれないかな?」
「ムリ。まあ、いいや。始めるね」
軽く小ワザから始まって、ショービットと呼ばれる横方向にデッキを180°回転させるという初歩的なテクニックへと変わった。
愁と出会ってからはスケボーの動画しか見ていない。ワザの名前なら大体は覚えている。
オーリー……スケートボードごとジャンプするワザになり、続いてステイルフィッシュグラブというジャンプした時にスケートボードに乗せている足の踵部分を片手で掴むという連続ワザを披露される。運動神経が良過ぎて本当に羨ましい。
——僕の推しが死ぬほどカッコいい!
興奮度数がMAXを振り切ってしまい、シャッターを切る指の動きが止まらない。
動画じゃなくて写真にしたのは、レンズ越しだけじゃなくて、ワザを繰り出す前後の愁をちゃんと見たかったからだ。
——良過ぎる! 神様ありがとうございます。無事、尊死です。
終わった直後に目頭を揉んだ。
学校でも一緒、夜は二人っきりの秘密を共有する。
会話をし出すと止まらなくて、見る間に時間が溶けていく。心臓が壊れてしまいそうな程に高鳴っていて、自分でもどうして良いのか分からないくらいだった。
——このまま時が止まってしまえばいいのに。
願ってしまうのを止められない。愁とずっと一緒に、二人だけで公園に居たい。学校へ行くと自分の立ち位置に何人も生徒が立ってしまう。それが寂しい。
——どうしちゃったのかな、僕は。
またスケボーをし始めた愁へと視線を釘付けにしたまま、自分自身に問いかけた。
***
体育祭当日、どのクラスもやる気に満ちていて、コチラが気後れするくらいの賑わいをみせていた。
応援歌やダンスから始まり、普段やる気の無い生徒もこの時ばかりは張り切り出す。
——ちゃんと愁をタスキで推し出せますように!
体育の授業の時みたいな失敗はしたくなかった。
体育祭でこんなに緊張するのは初めてだ。しかも今年は〝愁に繋ぐ〟という大役がある。死ぬ気で走り抜けたい。
リレーは午前中の種目だ。他のプログラムがあっという間に競技が終わっていき、とうとう自分と愁が出るリレーの番が回ってきた。
「頑張ろうね」
愁からかけられた言葉に力強く頷き、各自己のレーンに並んでいく。背後を見つめて前走者へと視線を走らせた。
ピストルの音の後で第一走者が駆け出す。順位的には三位でそのまま第二走者にタスキが渡る。すぐに自分の番が回ってくるので、いつ走り出してもいいように構えた。
「村上!」
「うん」
手渡されたタスキを持って全力疾走する。視線の先には愁がいて、早く渡さなきゃと気持ちがはやった。
——あ、やばい!
気持ちに体が追いつかなくて、足がもつれて転びそうになってしまう。何とか立て直したけどその間に抜かれてしまった。
「光流‼︎」
愁の声を聞いて弾かれたようにまた駆け出す。相手の背中を直前にとらえ、抜き返した所で愁にタスキを繋いだ。
——しんどっ。
荒い息を整えながら愁を見つめる。愁が長い足を動かす度に一人二人と追い抜いていく。
——何でこんなに眩しいんかな。
ゴール間際でまた追い抜き、自分たちのクラスは一位でゴールを決めた。
全員抜いてしまった。凄い。推しがカッコ良過ぎて困る。心臓が痛くなって胸に拳を押し当てた。
あの存在を独り占めしたい気持ちが出て来ていた自分を叱咤する。眩しくて目を細めてしまいそうになりながら、ひたすら愁だけを見つめ続けた。
テンションが上がったリレーメンバーや他のクラスの生徒まで集まってきて揉みくちゃにされている。
——布教出来て良かったじゃないか……。
次のチームのリレーがあるのでその場を後にして、次の競技の為に待機場所へと戻る。
愁の周りには女子をメインにした人だかりが出来ていて、さっき自分を叱咤した事すら忘れ、また心臓が痛くなってきた。
布教したいとあんなに思っていたのに、愁がいざ有名になってしまうとまたどこか面白くない気持ちになる。自分の気持ちを持て余している時に「光流」という愁の声が聞こえた。
「ボーっとしてるけど大丈夫? ちゃんと水分取ってる?」
「平気だよ。何だろうね……体調不良とかじゃないんだよね。自分自身と戦ってるというか。ごめん、何て言っていいのか分かんないや……」
真っ直ぐに顔を見れなくて視線を落とす。
「あのさ、前から思ってたんだけど……」
愁が話しかけてきた時だった。
「村上と海堂! 借り物競走にもでるだろ? 準備だけヨロ」
「ありがとう、分かった! 行こう愁」
愁の話途中だったのを思い出し「さっき何を言いかけたの?」と問いかけた。
「ううん……ごめん、やっぱりいい」
「それ一番気になるやつだよ」
「いいでしょ別に。光流はそうやってオレの事だけ考えてれば良いよ」
サラッと小っ恥ずかしいセリフを吐かれ、どうしていいのか分からず返答に窮する。
——考えてるよ。
頭の中も、そして体も異変をきたすくらいには考えてる。これ以上となるとそれはもう推しじゃなくて……。
——あれ? 僕……もしかして。いや、違う。違うから。
あらぬ事を考えてしまいそうで無理やり思考回路を止めて、何事もなく準備に取り掛かった愁の背中を追いかけた。
***
体育祭が終わると愁はまた輪をかけて有名人になってしまった。
リレーのアンカーでのごぼう抜きを大勢の人が見ていたっていうのが主な理由だ。あれは相当目立つ。
その後の借り物競走では、自分のやるべき事を終えて休んでいると、お題を引いた愁に俵担ぎにされてそのまま一緒にゴールした。
何のお題だったのか聞いても愁は教えてくれなかったけれど、調理実習でいつも一緒にやる事になった酒井と橘がコッソリと教えてくれた。
〝大切にしたいもの〟
推しから大切にしたいものと認識されたのが素直に嬉しくて顔がニヤける。
「ふふ、嬉しい」
「そんなニヤけてばかりいると変人扱いされちゃうよ?」
「愁に大切なもの扱いされるんなら、僕は一生変人でいいよ」
「何で知ってるの……」
「秘密」
表情が緩んでいる時に、別のクラスの女子生徒たちがすれ違い様に舌打ちをしていく。あからさまな敵意を向けられてしまい苦笑する。
体育祭明けから愁といると邪険に扱われる事も多くなっている。それだけ推しにファンが増えたという事なのだろう。
「海堂くん、お昼一緒に食べない?」
「私も一緒したい」
——うーん、どうしよう?
身を引くべきなのか考える。引くと仮定するとなると、弁当を渡すタイミングで悩んでしまった。
大きさは違うけど中身は同じだ。そこには気付かれたくない。もし自分が作ってるとバレたら今度は「私が弁当作ってきていい?」という流れになりそうで、それだけは嫌だった。
愁と繋がるきっかけになったスケボーや弁当は自分の担当だから絶対に知られたくないし譲りたくもない。まるで墨汁を垂らしたように黒く濁った感情が気持ち悪くて眉根を寄せた。
「ごめんね、オレ光流と食べてるから遠慮してくれる? 大人数苦手なんだ。それにうちの親同士が仲良くてさ、光流んとこの今の母親がオレの弁当も作ってくれてんの。さすがに悪いから光流以外は嫌」
——もしかして気付かれてた?
自分でも変な表情をしている自覚があっただけに戸惑う。布教したかったのに、自分で自分の足を引っ張っている。しかも愁にまで気を使わせてしまった。
「あのさ、愁……僕……うにゅっ」
皆と食べて来た方がいいよと言葉にしかけると思いっきり両頬を左右から押し込まれて妙な声が出る。
「お腹空いたの光流? んじゃ行こうか!」
——僕は何も言ってないんだけど……。
「そうなんだ。なら仕方ないね……」
残念そうに去っていく彼女らを見送ってから、二人でいつもの場所へと移動した。
「愁……気を使ってくれなくて大丈夫だよ? 僕は元々推し活をしていたんだから人気者になっちゃった推しを応援しなきゃだし」
真意を探るように正面からジッと見つめられる。
「何で? オレは光流が良いって言ってるよね。それに光流がオレの弁当作ってるって言ったらまた光流を目の敵にしそうでしょ? 親同士が仲良くて美咲さんが作ってるって言ったら引いてくれるかなーて思っただけ。光流の弁当食べられなくなるのはオレが嫌だし、何より昼休みまで大勢に囲まれるのも嫌。光流との時間を削られるとストレス過多で死んじゃいそう。オレに光流を補給させてくれないの?」
フッと笑みこぼしてしまう。
「補給……っ、何それ」
「オレには死活問題なんだよ。光流と居たい」
思わずドキリとしてしまう。
——それってどういう意味で捉えたらいいのかな?
「愁て意外と天然タラシだよね」
「それ光流にだけは言われたくないよ」
「いや、僕は陰キャでモテないし」
再度笑いをこぼしてしまった。
「それより早く食べよう?」
「うん、そうだね」
バッグの中から二人分の弁当を取り出す。大人と子供の弁当みたいな差があるのが面白い。
「今日の弁当はコレね」
「やった! 光流の作る弁当は格別!」
会話をしながら弁当をつつく。推しは何をしていても様になっていてカッコいい。
「僕の推しが今日も尊い」
「いい加減慣れたら?」
「この国宝級の輝きに慣れるとかムリだよ。愁の顔面偏差値は異常だからね」
「出た、またソレ? 光流は本当にオレの顔好きだよね。オレは光流に……ああ、もういいや」
首を傾げる。最近このパターンが多い。喋るなら最後まで言ってほしいのに、愁はもう気にしてない様子で弁当をたいらげた。相変わらずの食欲と早さだ。
「そういえば菓子パン食べなくなったね」
「ん、だって光流の弁当の方が美味しいし。満足してる」
ありがとう、と小さな声で紡がれた後で視線を向けると、膝の間に頭を突っ込むような体勢で首の後ろに手を回していた。耳が赤いので照れているのは間違いない。
「ふふ、そうそう。愁のその意外と照れ屋なとこも僕は好きだよ」
「だから、言い方!」
「だって好きなものは好きだよ。僕の推しだし」
「もー……ホント勘弁して……」
「やっぱり推しとか言われるのは嫌?」
「嫌じゃないけど、まあ、光流なら良いけど。でもオレ以外に推しは作らないでね」
「僕の推しは愁だけだよ」
何故か愁がそっぽ向いて俯いてしまった。また照れているのかもしれない。それに愁からも自分だけでいいと言ってくれたのが何よりも嬉しくて顔が緩んだ。
心臓がトクトクと温かく心音を鳴らしている。胸の中がモヤッとしていたものはもうどこかにいってしまったようだ。
——好きだな……。
愁と過ごすこの昼休みが一番好きで大切なのだと、人ごとのように考えていた。
***
帰る時も同じで愁は女子生徒に囲まれていて、不機嫌そうに眉根を寄せている。無理矢理女子生徒たちの間を縫って入るなり、愁の腕を引いて立ち上がらせた。
「愁、行くよ。今日付き合ってくれる約束でしょ?」
「あー、うん……そうだった」
約束なんてないけど、それを察した愁が合わせる。二人で教室を出ると何故か背後から女子生徒たちがついてきた。自分と同じように推し活をしているのなら、ダメだとも嫌とも言えずに俯く。
——また、だ。何なんだろこの気持ち。
布教したかった。その気持ちに嘘偽りない。頭脳明晰な所や運動能力の高さや凄さ、本当の愁の見目を知ってもらい共有したかった。
自分以外の人にも理解して欲しくて推し活を始めた。
恋愛と言われてもいまいちピンと来ない。だとすればこの気持ちは一番仲の良い友人を取られたくないだけなのかも知れない。
——うーん、それもピンと来ない。
「ごめん。オレ皆の事嫌いじゃないよ。でも今は恋愛より友達と青春していたいから遠慮してくれない? オレは光流と一緒に居たい。それにずっと陰キャで過ごしてきたのに今更陽キャになるのはツラい」
マスクを外したまま声を張った愁の言葉を聞いて一様に足を止めていた。
「はあ⁉︎ もう何なのよ一体!」
「村上くん推し活頑張って!」
「あはは……ありがとう」
中には怒って帰る人もいたけど、キャッキャと声を弾ませている人たちもいたので困ったように笑んだ。
「行こう、光流」
「へ? うん」
行こうと言われても愁の家は自分の家とは真逆に位置していた。コッソリと「家の方角違うよね?」と伝える。
「借りてる部屋を探し当てられるのは嫌だから巻いてから帰りたいしいいよ」
振り返るとさっきの三分の一くらいの生徒はついてきていた。
「そうだよね。僕みたいに変な子だったら困っちゃうもんね」
「変だって自覚あったんだ」
ケラケラと笑いながら愁の体が揺れる。
——失礼なっ!
「だって僕の推しはアイドルでもアニメキャラでもない同級生の男だからね。変ていう自覚くらいはあるよ」
それでもやめられない。いや、やめようとも思わない。ずっと隣に居たいと望んでしまう。
家が近付くにつれて口数が減ってしまう。元々二人して会話も得意な方じゃないから、無言でも苦ではないが。
「家、ついていっちゃダメ? 美咲さんに迷惑かけちゃうかな……」
「来てくれるの? 推しからのお願いなら僕は何でも聞きたいよ! 電話するからちょっと待ってね!」
即座にスマホを取り出して美咲に電話をかけてOKの返事をもらう。
「愁がうちに来てくれるの嬉しい!」
目を瞬かせた愁にジッと見つめられた。
「どうかしたの?」
「ねえ、ここんとこ光流の様子がおかしいのって何で? 光流の推しってのはさ、恋愛感情も含む推しなの? それとも別?」
「え……」
すぐに答えられなくて視線を彷徨わせて、アスファルトの地面を見つめる。
正直自分でもよく分からないから答えようがないってのが本音だ。愁からの質問には全て答えたくて重い口を開く。
「ぶっちゃけると、最近は自分でも分からなくて困ってる……て言ったらさすがに気持ち悪い……よね。恋愛より青春が良いって言ってたもんね。ごめん、忘れてくれていいから。でも愁は僕にとって憧れの推しであって大切な友達には変わりないし、これからも出来れば仲良くしたいと思ってる。だからさ……本当に気にしないでくれないかな?」
一度合わせた視線をすぐに逸らす。何かを探るような視線に耐えきれない。
——どうしよう。やっぱり変に思われてるよね?
気まずい空気感が重っ苦しく感じて、無理やり話題を変えた。
「そうだ。そんな事よりもさ、早く僕の家行こう? 美咲さんも楽しみにしてるって言ってたから」
「そか。うん、早く行こう。て、その前にそこのコンビニ行ってくるから先に帰ってて? すぐ追いかけるから」
「分かった。待ってるね!」
手を振って一度愁と別れた後、尻目に黒髪の一人の女子生徒が立っているのが映り込んできて、きちんと視線を向ける。
——あれ? なんかこっち見てる?
声をかけられるかもしれないと思っていたけれど、意に反して無関心だと言わんばかりに素通りされた。
視線さえ合わなかったので、見られている気がしたのは単なるこちらの勘違いだったのかもしれない。そのまま帰路を辿った。

