※年代は原則として新暦(グレゴリオ暦)で併記しています。旧暦で伝わる事件名は一般に知られる呼称を用いました。物語上の人物(沖田静・矢野蓮)は創作ですが、配置や命令系統・戦闘経過は史実に準じています。
1. 幕末〜戊辰戦争 主要年表
1863(文久3)
3–4月 壬生浪士組が京都で活動開始。のちに新選組を称す。
8月 八月十八日の政変。会津藩預かりの治安部隊として新選組の地位が固まる。
1864(元治元)
6月5日 池田屋事件(京都・三条小橋)。尊攘派の密議を急襲。
8月20日 禁門の変(蛤御門の変)。長州勢敗退、京都市中に大火。
1865–1866(慶応元〜2)
市中取締の強化、局中法度徹底。内部粛清・離脱が相次ぐ。
1867(慶応3)
6–9月 政情激動。
11月9日 大政奉還(徳川慶喜)。
12月9日 王政復古の大号令。
1868(慶応4/明治元)
1月3–6日 鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍敗退、新政府が錦旗を掲げ主導権確立。
3月6–13日 甲州勝沼の戦い。近藤勇が甲陽鎮撫隊を率いるも敗退。
4月25日(旧4/25→新暦5/17) 近藤勇処刑(板橋)。
5月15日 上野戦争。彰義隊潰滅。旧幕臣は奥羽へ北走。
7月19日 沖田総司死去(労咳、江戸・今戸説が通説)。
9–11月 会津戦争。会津若松城(鶴ヶ城)落城、奥羽越列藩同盟瓦解。
10–11月 榎本武揚が艦隊を率い蝦夷へ脱出。箱館(函館)上陸。
1869(明治2)―箱館(函館)戦争
1月 蝦夷共和国樹立(総裁:榎本武揚、陸軍奉行並:土方歳三、陸軍参謀:大鳥圭介ほか)。
5月6日 宮古湾海戦(旧暦3/25)。新政府の鉄甲艦甲鉄奪取作戦失敗。
4–5月 新政府軍が箱館湾から総攻勢。松前・江差を制圧し、箱館半島へ進撃。
5月11日 一本木関門の戦いで土方歳三戦死。
5月16–17日 弁天台場など相次ぎ陥落。
5月18日 五稜郭降伏。箱館戦争終結。
2. 新選組/旧幕軍(蝦夷地)側 編制と装備(抜粋)
京都期(1863–1867)
指揮:局長近藤勇、副長土方歳三。一番隊長沖田総司、二番永倉新八、三番斎藤一、四番松原忠司、五番武田観柳斎、十番原田左之助ほか。
任務:市中見廻・不逞浪士取締、会津藩与力として御所周辺警備。
装備:主に和式打刀・脇差、のち**銃(ゲベール、ミニエー銃)**の併用が進む。羽織は浅葱色に山形袖章(だんだら)。
戊辰〜蝦夷期(1868–1869)
最高指揮(蝦夷):榎本武揚(総裁)、大鳥圭介(陸軍参謀)、土方歳三(陸軍奉行並)。
陸軍:箱館市中・五稜郭・千代ヶ岱・弁天台場などに砲座。旧幕府歩兵・伝習隊・脱走兵・新選組残存隊が編成混成。
海軍(艦隊):海陽丸(※座礁後喪失)、開陽丸(1868年11月江差沖で沈没)、蟠龍丸、回天、千代田形、咸臨丸(※老朽)など。
主兵装:スナイドル銃・ミニエー銃、山砲・臼砲。工兵が胸壁補修と稜堡(要角)間の連絡壕を整備。
作戦思想(本作での影の補遺):
「誘い道」=敵を“楽”に進ませつつ疲弊・遅滞させる微地形(段差・湿地・遮蔽物)の設計。
「退路遮断」=逃走線を先に潰して戦闘を短期化する戦術。
「噂の利用」=白装束の怪異の流布により敵偵察の心理を攪乱。
3. 新政府軍(官軍)側 主要指揮官と兵力(蝦夷)
総督府(東北鎮撫)からの延長線上で箱館討伐を統括。
陸軍:黒田清隆(開拓使前史での実務指揮・兵站)、永山弥一郎、片岡健吉、伊地知幸介らが実戦面に関与。薩摩・長州・土佐・佐賀など諸藩兵が混成。
海軍:甲鉄(のち東艦)・春日・蟠龍(官軍側編入艦を含む)等の近代艦で制海権を確保。
兵装:エンフィールド銃・スナイドル銃、アームストロング砲など。艦砲射撃で沿岸砲台を制圧、上陸後は迂回機動で五稜郭を包囲。
4. 主な戦闘/作戦の経過(箱館戦争・要点)
宮古湾海戦(1869/5/6)
榎本・土方方は奇襲で甲鉄鹵獲を狙うも、乗り移り未遂・旗流し等の不運重なり失敗。以後、官軍は制海権を掌握。
松前・江差方面の陸戦(4月下旬〜)
官軍が南下上陸→沿岸砲台を個別撃破。開陽丸喪失の痛手で防御火力・機動力が低下。
箱館半島への圧迫(5月初旬)
陸上は挟撃、海上は艦砲で弁天台場・千代ヶ岱を圧殺。一本木関門が陸上防衛の鍵。
一本木関門の戦い(5/11)
前線指揮に立った土方歳三が被弾・戦死。旧幕軍の統率力に決定的打撃。
弁天台場・千代ヶ岱の陥落(5/16–17)
兵力・弾薬枯渇、背後からの迂回で持久困難。
五稜郭開城(5/18)
榎本武揚降伏、箱館戦争終結。戊辰戦争全局の終幕。
5. 主要人物の最終記録(抄)
近藤 勇 1868/5/17(旧4/25)板橋にて斬首。
土方 歳三 1869/5/11 箱館・一本木関門で戦死。
沖田 総司 1868/7/19 江戸にて死去(労咳、今戸・千駄木諸説)。
永倉 新八 戊辰後に蝦夷を離脱・のち帰農、晩年に回想記。
斎藤 一 会津に残留・斗南移住を経て警視庁等に出仕、明治以降も存命。
榎本 武揚 降伏後赦免、のち明治政府で外務卿・逓信卿・開拓使等を歴任。
大鳥 圭介 降伏後赦免、工部省・陸軍省で洋学振興。
原田 左之助 上野戦争で戦死(異説あり)。
※本作の沖田 静/矢野 蓮は創作。行動は「影の任務(退路遮断・偵察・攪乱・夜襲対処)」として史実の戦況に矛盾しないよう配置しています。
6. 五稜郭・防衛線の配置(概略)
五稜郭(星形稜堡):各稜堡先端に砲座/内側に兵営・弾薬庫・病舎。
千代ヶ岱台場:陸上正面の中間拠点。
弁天台場:箱館湾側の海上接近に対する沿岸砲台。
連絡線:五稜郭—千代ヶ岱—弁天を結ぶ夜間信号・走伝。物資細流を確保するも、宮古湾以後の制海権喪失で次第に窒息。
7. 兵站・戦術メモ(蝦夷地)
補給:弾薬(火薬・雷管)と糧秣の欠乏が慢性化。海路遮断により現地調達中心。
気象:海霧・凍土・残雪が視界・足運び・雷管の湿気に影響。
戦術:官軍は艦砲で沿岸砲を黙らせ、上陸後は迂回・背面圧迫で塁線を瓦解。旧幕側は小拠点の持久と夜間反撃で「時間を延ばす」ことに腐心。
8. 物語上の「影の記録」対「公式記録」

影は勝敗の勲功に換算されにくい効果(遅滞・抑止・破壊阻止)を積み重ねた、というのが本作の主眼です。
9. 関連地名・用語メモ
五稜郭:星形稜堡式城郭。箱館奉行所郭内に移築。
一本木関門:箱館市街北西の要地。旧幕軍の防衛線要。
弁天台場:箱館湾口の海上防御拠点。
甲鉄:仏国製装甲艦。宮古湾海戦後も官軍主力として鹵獲されず。
碧血碑:旧幕軍戦没者を弔う碑。箱館市。
局中法度:新選組の内規。離隊・私闘・金銭問題などに厳罰。
10. 最後に(編集後記)
この付録は、創作の「影」を史実の線上にそっと置き直すための小さな索引です。名を遺すのは公文書であり、名を遺さぬのは人の記憶です。記録と記憶のあいだに、背を預け合った時間だけが静かに横たわり、読むひとの胸で呼吸を続けます。
――名は紙へ、背は骨へ、骨は土へ。歴史の余白が、あなたの中の物語をまた一行、延ばしてくれますように。
1. 幕末〜戊辰戦争 主要年表
1863(文久3)
3–4月 壬生浪士組が京都で活動開始。のちに新選組を称す。
8月 八月十八日の政変。会津藩預かりの治安部隊として新選組の地位が固まる。
1864(元治元)
6月5日 池田屋事件(京都・三条小橋)。尊攘派の密議を急襲。
8月20日 禁門の変(蛤御門の変)。長州勢敗退、京都市中に大火。
1865–1866(慶応元〜2)
市中取締の強化、局中法度徹底。内部粛清・離脱が相次ぐ。
1867(慶応3)
6–9月 政情激動。
11月9日 大政奉還(徳川慶喜)。
12月9日 王政復古の大号令。
1868(慶応4/明治元)
1月3–6日 鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍敗退、新政府が錦旗を掲げ主導権確立。
3月6–13日 甲州勝沼の戦い。近藤勇が甲陽鎮撫隊を率いるも敗退。
4月25日(旧4/25→新暦5/17) 近藤勇処刑(板橋)。
5月15日 上野戦争。彰義隊潰滅。旧幕臣は奥羽へ北走。
7月19日 沖田総司死去(労咳、江戸・今戸説が通説)。
9–11月 会津戦争。会津若松城(鶴ヶ城)落城、奥羽越列藩同盟瓦解。
10–11月 榎本武揚が艦隊を率い蝦夷へ脱出。箱館(函館)上陸。
1869(明治2)―箱館(函館)戦争
1月 蝦夷共和国樹立(総裁:榎本武揚、陸軍奉行並:土方歳三、陸軍参謀:大鳥圭介ほか)。
5月6日 宮古湾海戦(旧暦3/25)。新政府の鉄甲艦甲鉄奪取作戦失敗。
4–5月 新政府軍が箱館湾から総攻勢。松前・江差を制圧し、箱館半島へ進撃。
5月11日 一本木関門の戦いで土方歳三戦死。
5月16–17日 弁天台場など相次ぎ陥落。
5月18日 五稜郭降伏。箱館戦争終結。
2. 新選組/旧幕軍(蝦夷地)側 編制と装備(抜粋)
京都期(1863–1867)
指揮:局長近藤勇、副長土方歳三。一番隊長沖田総司、二番永倉新八、三番斎藤一、四番松原忠司、五番武田観柳斎、十番原田左之助ほか。
任務:市中見廻・不逞浪士取締、会津藩与力として御所周辺警備。
装備:主に和式打刀・脇差、のち**銃(ゲベール、ミニエー銃)**の併用が進む。羽織は浅葱色に山形袖章(だんだら)。
戊辰〜蝦夷期(1868–1869)
最高指揮(蝦夷):榎本武揚(総裁)、大鳥圭介(陸軍参謀)、土方歳三(陸軍奉行並)。
陸軍:箱館市中・五稜郭・千代ヶ岱・弁天台場などに砲座。旧幕府歩兵・伝習隊・脱走兵・新選組残存隊が編成混成。
海軍(艦隊):海陽丸(※座礁後喪失)、開陽丸(1868年11月江差沖で沈没)、蟠龍丸、回天、千代田形、咸臨丸(※老朽)など。
主兵装:スナイドル銃・ミニエー銃、山砲・臼砲。工兵が胸壁補修と稜堡(要角)間の連絡壕を整備。
作戦思想(本作での影の補遺):
「誘い道」=敵を“楽”に進ませつつ疲弊・遅滞させる微地形(段差・湿地・遮蔽物)の設計。
「退路遮断」=逃走線を先に潰して戦闘を短期化する戦術。
「噂の利用」=白装束の怪異の流布により敵偵察の心理を攪乱。
3. 新政府軍(官軍)側 主要指揮官と兵力(蝦夷)
総督府(東北鎮撫)からの延長線上で箱館討伐を統括。
陸軍:黒田清隆(開拓使前史での実務指揮・兵站)、永山弥一郎、片岡健吉、伊地知幸介らが実戦面に関与。薩摩・長州・土佐・佐賀など諸藩兵が混成。
海軍:甲鉄(のち東艦)・春日・蟠龍(官軍側編入艦を含む)等の近代艦で制海権を確保。
兵装:エンフィールド銃・スナイドル銃、アームストロング砲など。艦砲射撃で沿岸砲台を制圧、上陸後は迂回機動で五稜郭を包囲。
4. 主な戦闘/作戦の経過(箱館戦争・要点)
宮古湾海戦(1869/5/6)
榎本・土方方は奇襲で甲鉄鹵獲を狙うも、乗り移り未遂・旗流し等の不運重なり失敗。以後、官軍は制海権を掌握。
松前・江差方面の陸戦(4月下旬〜)
官軍が南下上陸→沿岸砲台を個別撃破。開陽丸喪失の痛手で防御火力・機動力が低下。
箱館半島への圧迫(5月初旬)
陸上は挟撃、海上は艦砲で弁天台場・千代ヶ岱を圧殺。一本木関門が陸上防衛の鍵。
一本木関門の戦い(5/11)
前線指揮に立った土方歳三が被弾・戦死。旧幕軍の統率力に決定的打撃。
弁天台場・千代ヶ岱の陥落(5/16–17)
兵力・弾薬枯渇、背後からの迂回で持久困難。
五稜郭開城(5/18)
榎本武揚降伏、箱館戦争終結。戊辰戦争全局の終幕。
5. 主要人物の最終記録(抄)
近藤 勇 1868/5/17(旧4/25)板橋にて斬首。
土方 歳三 1869/5/11 箱館・一本木関門で戦死。
沖田 総司 1868/7/19 江戸にて死去(労咳、今戸・千駄木諸説)。
永倉 新八 戊辰後に蝦夷を離脱・のち帰農、晩年に回想記。
斎藤 一 会津に残留・斗南移住を経て警視庁等に出仕、明治以降も存命。
榎本 武揚 降伏後赦免、のち明治政府で外務卿・逓信卿・開拓使等を歴任。
大鳥 圭介 降伏後赦免、工部省・陸軍省で洋学振興。
原田 左之助 上野戦争で戦死(異説あり)。
※本作の沖田 静/矢野 蓮は創作。行動は「影の任務(退路遮断・偵察・攪乱・夜襲対処)」として史実の戦況に矛盾しないよう配置しています。
6. 五稜郭・防衛線の配置(概略)
五稜郭(星形稜堡):各稜堡先端に砲座/内側に兵営・弾薬庫・病舎。
千代ヶ岱台場:陸上正面の中間拠点。
弁天台場:箱館湾側の海上接近に対する沿岸砲台。
連絡線:五稜郭—千代ヶ岱—弁天を結ぶ夜間信号・走伝。物資細流を確保するも、宮古湾以後の制海権喪失で次第に窒息。
7. 兵站・戦術メモ(蝦夷地)
補給:弾薬(火薬・雷管)と糧秣の欠乏が慢性化。海路遮断により現地調達中心。
気象:海霧・凍土・残雪が視界・足運び・雷管の湿気に影響。
戦術:官軍は艦砲で沿岸砲を黙らせ、上陸後は迂回・背面圧迫で塁線を瓦解。旧幕側は小拠点の持久と夜間反撃で「時間を延ばす」ことに腐心。
8. 物語上の「影の記録」対「公式記録」

影は勝敗の勲功に換算されにくい効果(遅滞・抑止・破壊阻止)を積み重ねた、というのが本作の主眼です。
9. 関連地名・用語メモ
五稜郭:星形稜堡式城郭。箱館奉行所郭内に移築。
一本木関門:箱館市街北西の要地。旧幕軍の防衛線要。
弁天台場:箱館湾口の海上防御拠点。
甲鉄:仏国製装甲艦。宮古湾海戦後も官軍主力として鹵獲されず。
碧血碑:旧幕軍戦没者を弔う碑。箱館市。
局中法度:新選組の内規。離隊・私闘・金銭問題などに厳罰。
10. 最後に(編集後記)
この付録は、創作の「影」を史実の線上にそっと置き直すための小さな索引です。名を遺すのは公文書であり、名を遺さぬのは人の記憶です。記録と記憶のあいだに、背を預け合った時間だけが静かに横たわり、読むひとの胸で呼吸を続けます。
――名は紙へ、背は骨へ、骨は土へ。歴史の余白が、あなたの中の物語をまた一行、延ばしてくれますように。



