花街の宵は、粉白粉(こおしろい)の香と膏(こう)の艶で、昼の骨をやわらかく隠す。格子戸の奥、細い路地を一つ折れて、さらにひとつ折れると、そこに「鏡の間」がある。座敷一面の壁は多面鏡で、天井の欄間(らんま)にも斜めの鏡が仕込まれ、燭台の炎が幾千にもちぎれて漂う。春駒(はるこま)の節が遠くから届き、三味線の撥(ばち)が、薄い板のように空気を切り分けては重ね直す。今宵は御前試合。名のある流派が舞い、撃ち、礼を尽くすはずのところに、誰かが刃を紛れ込ませているという。
御前のための座椅子は二つ。主(あるじ)と取次ぎの役が座る。その背後の屏風は、表具の絹の裏に鏡面が貼られた変わり物で、横からは客の顔を返し、真正面からは何も映さない。細工の肝は、死角だ。光を取り込み、捨てる角度の見立てひとつで、同じ場が別の世界になる。静は昼のうちに、座敷の鏡の「無口なところ」を手で撫でておいた。鏡にも、声を出さぬ縁(ふち)がある。そこへ立てば、映らない。映らぬところで、歩幅と肩の落ちだけを相手に見せる。
総司は鏡の間の入り、敷居を踏む寸前で、団扇(うちわ)の骨を一度だけ膝に当てた。音は出ない。骨の先の冷えだけが、膝の皿に短い拍を残す。静はその拍を背で受け取り、足袋の指で畳の目を一筋、噛んだ。噛んだ拍を、自分の歩幅に移す。これから二人は「同一人物」を演じる。鏡の海に、総司が幾人もいるように見え、実はその中の一人は静で、もう一人は鏡の死角にいる総司で、二人は、歩幅と肩の落ち、首筋の弛(ゆる)み、腰の揺れの位相を合わせて、どこまで行っても「ひとり」を演(や)り続ける。
座敷の上手(かみて)で、春駒の二人連れが出た。片や若い舞手、片や年長の唄い手。木で作った馬の頭に赤い布を巻き、鈴を腰に下げて、軽く拍子木を打つ。拍は一定ではない。舞の見せ場に入る前に一度、短く詰め、終わり際に二つ、息を伸ばす。静はここに「信号」を忍ばせた。鏡の縁を、拍に合わせて人差し指で軽く叩くのだ。鏡は鳴かない。だが、叩かれた縁は、手の骨に乾いた反響を返す。その反響は、近くの鏡に薄く渡り、隣の鏡が灯の輪郭をわずかに波立たせる。目に見えぬほどの、しかし、歩幅に写せるくらいの揺れ。総司はそれを「次の半歩を短くする」合図として受け、静は「肩を半分落とす」ことに使う。
蓮は、そのころ、見世格子の廊下に十字槍を伏せていた。穂は布で包み、柄を二分して、鴬張りの廊板(ろういた)の下に渡した小梁に、帯で軽く固定する。高さは膝と踝(くるぶし)のあいだ、横木はわずかに斜め。駆け込む足がその斜めに乗れば、膝が自然と横へ滑り、身体が狙いから一寸外へ偏(かたよ)る。偏った者は自分で体勢を立て直す。立て直す間に、入口の見張りが「待っている顔」でこちらを見る。それが、見世の廊の礼儀だ。礼儀は、刃よりよく効く。
試合の最初の相手は、京八条の槍組。長柄の手が美しく、打ち込みの拍に無駄がない。鏡の間の中央で総司が相対すると、鏡は四方に「総司らしき人影」を置く。槍組の打太刀は、その「いくつもの総司」の中から「最も人らしい総司」を選んで狙う。その基準は、肩の落ちと、踵の返り具合、そして呼吸の深さだ。静は、選ばれたその人らしい影の裏側で、総司と肩の落ちを合わせ、踵の返りを「一拍書き換える」。書き換えはほんの半指分。選ばれた影は、次の瞬間に別の鏡の中へ移り、槍組の間合いは、ちょうど半つぶ分だけ空振りになる。
槍の刃先が畳の上で「笑う」音が、鏡の肌で薄く増幅されて天井に散る。そのささやきのような増幅が、次の拍の「遅れ」を生む。総司は遅れの手前で刀を半分抜き、光を「白」だけ見せ、すぐ納める。観る者の目は白に引かれ、槍組の刃は白に吸われてわずかに下がる。下がった刃の隙間に、静が影を滑らせる。滑らせた影は、鏡の死角で総司の影と重なり、二つでひとつの輪郭になる。これが今宵の骨法(こっぽう)だ。ふたりで「ひとり」の輪郭を作る。骨で骨を合わせ、拍で拍を重ね、肩の落ち目で名札を消す。
御前は扇の影で目元を隠し、取次ぎは目を凝らしている。花魁筋の座敷持ちが脇に控え、茶と酒の火を見張る。外の廊では、客の笑いがひとしきり起きて、また沈む。沈んだ笑いの余韻に紛れて、刺客は入る。正面からは来ない。御前試合の「型」に従って、控えの選手の一人の顔で出て、鏡の隅に「映らない自分」を置く。「映らない」は、鏡の死角の印だ。そこを選べる者は、下見をしている。下見をする者は、腕ではなく段取りで殺す。
静は、鏡の縁に指を置いた。春駒の拍子木が二つ、早い。鏡の縁を二つ、小さく撫でる。総司は肩を半分落とし、その落ちをほんの一瞬「違(たが)える」。いつもなら右が先に落ちるところを、左を先に落とす。その一瞬の違えが、鏡の連鎖に大きく開く。鏡は規則を増幅する。増幅するから、破れ目も大きくなる。破れ目に、刺客の視線が走る。「今だ」と勘が言う。勘を誘うために、違えてやる。違えられた勘は、手を早める。
蓮の伏せた横木に、駆け込む足が触れた。触れるだけでいい。膝が半分横へ流れ、刺客は自分で姿勢を崩す。崩れを取り戻そうとして、肩を落とす。落とした肩が、鏡に「映りすぎる」。映りすぎる肩は、別の誰かの肩と重なって、鏡の中に「二人の刺客」を作る。ここからは、鏡が味方だ。味方にするために、こちらは足を止める。止めて、拍だけを動かす。動いた拍が、鏡の縁をまた撫でる。撫でられた縁の光が、刺客の刃の「切っ先だけ」を白く膨らませる。
総司は、白を見ない。見るのは、刃の付け根の黒だ。黒は、刃の呼吸だ。黒が吸い、白が吐く。吸うとき、肩は落ちない。吐くとき、肩が落ちる。肩の落ちと歩幅の釣り合いを「総司らしき影」が持ち続け、静が「総司の呼吸」を借りて影の奥を満たす。二人が「ひとり」の呼吸で歩くと、鏡はその呼吸を「面」として返す。面が揃うと、人は目を信じる。目を信じさせたところで、再び一瞬だけ違える。違えの合図は、春駒の鈴。鈴がひとつ遅れる。遅れのひとつで、総司は踵を「一拍遅らせ」、静は肩を「一拍先に落とす」。並んだ二つの違えが、刺客の勘を深い穴に落とす。
御前は扇の陰でわずかに笑っているように見えた。笑いは、鏡では増幅しない。笑いは、空気に溶けて小さくなる。小さくなるものは、よく効く。刺客は、御前の笑いの「温度」を嫌い、急ぐ。急ぎは、蓮の走らせた横木に弱い。足が「先に」行きたいのに、膝が「横に」行ってしまう。身体は重みの欲しがる方へ落ちるから、斜めに落ちる。落ちるとき、人は手を「前」に出す。前に出た手のひらの「白」を、鏡が拾う。拾われた白は、刃よりも眩しい。眩しさに、刺客自身の目が短く殴られる。
試合は型通りに進むふりを続ける。槍組の次は、鎖鎌、棒、短刀、体術。どの相手も、鏡の間で自分の「型」が少しずつずらされることに気づき、足が重くなる。重くなっても、礼は崩さない。礼が崩れぬように、総司と静は「同一人物」を続ける。座敷の畳に落ちる影の長さ、鏡の隅に残る灯の輪、天井の欄間の反射の薄さ。三つの指標で、二人は合う。合って、わざと「合わぬ」を一瞬だけ入れる。合わぬ一瞬の角度で、刺客が「顔」を出す。
顔は、怒りや、焦りではない。計算の顔だ。鏡のつらなりの中で、計算だけが人の顔を無表情にする。無表情に見えるものほど、よく滲(にじ)む。その滲みの縁に、静の目が細く入る。目で刺すのではない。息で押す。押す息が、鏡の縁の拍に変わり、拍が団扇の骨の撓(たわ)みになって総司に渡る。渡された撓みで、総司は足幅を半寸だけ広げる。広げた足に、鏡が二人目の総司を与える。与えられた総司は、静だ。静が総司の肩の落ちを借り、総司が静の足の「澱(よど)み」を借りる。借り物で「本物」を演じる。本物がふたりいると、刺客は「ひとり」に向けていた刃の先を、どちらにも向けられなくなる。
ここまでが、前段だ。仕留めない。見抜かせない。困らせるだけに留めて、鏡に「疲れ」を移す。鏡の疲れは、姿ではなく光で出る。光が少し重くなり、白が灰色に寄る。灰が出れば、刃の白は目立つ。刃の白が目立てば、こちらの「白」も利く。利かせる時は、いちどきだ。散らせば意味が薄くなる。集めて一度に。合図は、鏡の縁の拍。
蓮は見世の廊で、横木の角度を一度、わずかに変えた。変えた角度は、足を「止める」ためではない。「回す」ためだ。回された身体は、正面ではなく斜めを向き、鏡の中で輪郭が細くなる。細くなった輪郭は、刺客の自信を削る。削られた自信は、別の刃に頼ろうとし、仲間の袖を引く。袖が引かれた拍で、静は鏡を二度、軽く叩いた。この座敷に置かれた鏡は、みな江戸の若狭屋の品で、縁木(ふちぎ)がよく乾いている。乾いた縁は、叩くと「手にだけ響く」。響きは空気を揺らし、空気は白を寄せる。白は刃の皮膚だ。
総司は、抜く角度を決めた。刃を出すのではない。白を出す。白は、斬る前に、目に届く。目に届けば、脳は一瞬「白のために停止」する。その停止が、同時抜きの骨だ。静は肩を落とし、同じ白を出す。二つの白が、鏡の中で幾十にも増える。増えた白は、ひとつの白に収束する。収束する瞬間、御前の前の屏風の裏で、取次ぎが扇を一度だけ畳んだ。畳む音は出さない。だが、扇の骨が空気を削る刹那の「擦(す)れ」が、鏡に伝わる。伝わった擦れに合わせ、総司と静は「白」を同時に抜いた。
白は光だ。刃の背に走る一筋の線。畳の織りが、その線を受けて細く震え、鏡が一瞬だけ「曇(くも)り」を生む。曇りは、刺客の目にだけ起きる。立ち会う一流の目は、曇らない。曇る目と曇らぬ目の差が、すなわち勝敗だ。白が走った刹那、総司は刺客の帯の結び目に刃の背を置き、静は刺客の籠手(こて)の紐を白だけで裂いた。裂く音は出さない。裂けた紐の「張り」が、刺客の手から刃の「重み」を奪う。重みが抜けた刃は、鏡の中で「ただの白」に戻る。戻った白は、御前の扇の白と同じだ。白は、勝ちの色だ。
同時抜きの拍を、鏡が増幅した。増幅は、音ではない。光の戒めだ。鏡の縁を叩いた拍は、座敷の空気の「張り」を一瞬だけ高くし、白がその張りの上を走った。走り切った白は、切らない。切らず、結ぶ。結ばれたのは、刺客の動きだ。蓮の横木が最後のひと押しをして、刺客の膝を横へ流し、畳へ座らせる。座らせられた者は、立てない。立てなくていい。立てない者は、誰かの言葉をやっと聞く。取次ぎの声は、よく通る。通る声で、「御前の前で刃は無用」とだけ告げる。
鏡の間の光が、ここで一段、落ちた。落としたのは、座敷持ちの女将(おかみ)だ。春駒の撥を、ほんの一拍遅らせ、燭台の芯に息を薄く当てる。灯は素直だ。息の癖を覚え、白の熱を収める。収まった白は、鏡の中で均される。均された鏡には、さっきまでの「多数の総司」がもういない。残っているのは、「ひとり」の総司の輪郭と、その死角に立つ静の気配だけ。気配は映らない。映らないものだけが、今宵を締める。
蓮は廊の横木を外し、布で穂を包み直した。包む指の皮に残った振動は、もうない。ないことが、仕事の終わりを告げる。彼は槍袋を肩に、廊下の節目を避けて足を置き、板を鳴かせずに去る。板は、鳴けるのに鳴かないことを誇りにする。誇りは、誰も知らないところでいちばん強い。
総司と静は、座敷の中央で礼をした。礼の角度は同じ、呼吸も同じ。歩幅も肩の落ちも、最後の最後まで「同一人物」のまま。御前は扇を軽く上げ、ほんのわずか頷いた。その頷きは、鏡では増幅されない。見た者の胸の内でだけ、大きくなる。大きくなるほど、刃の白は薄れる。薄れた白は、紙の白に似る。紙の白は、書かなければただの白だ。書かれた白は、道になる。今夜の白は、何も書かない白だった。
刺客は、刀を持ったまま「動けない」ことを知り、膝で畳の目を数え始めた。数えることが、敗けの始まりではない。敗けの終わりだ。終わりの印を、鏡が内側からそっと撫でている。撫でられた印は、誰の目にも見えない。見えないところで、今夜は勝った。勝ちは、顔を持たない。顔のない勝ちは、長く残る。
座敷の外で、春駒の鈴が最後に一度だけ鳴った。鳴りは短く、余韻は長い。余韻の中で、静は簪の銀を指の腹で押し、鏡の縁を一度だけ叩いた。叩いた拍は、総司にだけ届く高さ。総司は団扇を袖に戻し、膝の皿を内側から軽く撫でた。撫でる癖は、静のもの。癖を返すのは、今宵の礼だ。礼は、刃の代わりに残す。刃は、眠らせておく。
廊の奥で、女将が燭台の油皿に新しい芯を立てた。新しい芯は、白をまだ知らない。知らぬ白は、よく燃える。よく燃える白に、鏡は素直だ。素直な光は、座敷の木目を浮かべ、畳の目を織り、酒の色を少しだけ温める。温まったところで、総司は喉の奥の咳をひとつ、白の中に溶かした。咳は、もう裏切り者ではない。鏡の「曇り」をちょうど良いところで引き受ける、静かな合図だ。
御前試合は、何事もなく終わった顔で閉じられた。刺客は、御前の前で刃を持ったまま礼を強いられ、帯の結び目の緩みを手の中で確かめている。緩んだ帯は、逃げを許さない。許されぬ逃げが、鏡の中で薄い影を置く。薄い影は、誰も拾わない。拾わないまま、夜は滑っていく。滑っていく夜の背を、三人の足が軽く踏む。踏み跡は、鏡には残らない。残したくもない。
見世の表では、春駒の唄が途切れて、代わりに端唄が流れ始めた。端唄の言葉は軽いが、軽さの裡(うち)に刃がない。刃のない言葉は、座敷の襖(ふすま)をよく閉じる。閉じられた襖の向こうで、総司と静は、互いの歩幅と肩の落ちを「ほどく」ために、廊の影を一度、背中合わせに歩いた。ほどきの拍は、ふたりでしか聞こえない。二人でしか聞こえぬ拍がある限り、鏡は味方だ。
外へ出ると、花街の夜はすでに終わりかけ、灯(あか)りは減って、顔の影が増えていた。影が増えれば、名は薄れる。名が薄れれば、仕事は軽くなる。軽い仕事を重ねる者だけが、重い夜に勝てる。蓮は十字槍の柄を肩に、石突の位置を半指ほど前へ送って、廊の角で足を止めた。止めた足の前で、猫が一度、鳴く。鳴きは短く、尻尾の先の白が長い。白は、勝ちの色だ。今宵の白は、誰の肩にも乗らない。鏡の中で一度だけ大きくなり、すぐに座敷の木目に吸われて消えた。
振り返る者はいない。鏡は、もうこちらを映さない。映らないところに、仕事の跡は残る。残った跡は、誰にも見えない。見えないから、長く持つ。拍は嘘をつかない。拍が教えるのは、名ではない。道だ。道は、鏡の中にも、鏡の外にも、畳の目にも、廊の節にもある。春駒の鈴が最後の最後に、遠くでひとつだけ鳴り、三人はそれぞれの歩幅で夜を割った。二度、三度、鏡の縁を叩いた指の記憶だけを手に、白を納めたまま。
御前のための座椅子は二つ。主(あるじ)と取次ぎの役が座る。その背後の屏風は、表具の絹の裏に鏡面が貼られた変わり物で、横からは客の顔を返し、真正面からは何も映さない。細工の肝は、死角だ。光を取り込み、捨てる角度の見立てひとつで、同じ場が別の世界になる。静は昼のうちに、座敷の鏡の「無口なところ」を手で撫でておいた。鏡にも、声を出さぬ縁(ふち)がある。そこへ立てば、映らない。映らぬところで、歩幅と肩の落ちだけを相手に見せる。
総司は鏡の間の入り、敷居を踏む寸前で、団扇(うちわ)の骨を一度だけ膝に当てた。音は出ない。骨の先の冷えだけが、膝の皿に短い拍を残す。静はその拍を背で受け取り、足袋の指で畳の目を一筋、噛んだ。噛んだ拍を、自分の歩幅に移す。これから二人は「同一人物」を演じる。鏡の海に、総司が幾人もいるように見え、実はその中の一人は静で、もう一人は鏡の死角にいる総司で、二人は、歩幅と肩の落ち、首筋の弛(ゆる)み、腰の揺れの位相を合わせて、どこまで行っても「ひとり」を演(や)り続ける。
座敷の上手(かみて)で、春駒の二人連れが出た。片や若い舞手、片や年長の唄い手。木で作った馬の頭に赤い布を巻き、鈴を腰に下げて、軽く拍子木を打つ。拍は一定ではない。舞の見せ場に入る前に一度、短く詰め、終わり際に二つ、息を伸ばす。静はここに「信号」を忍ばせた。鏡の縁を、拍に合わせて人差し指で軽く叩くのだ。鏡は鳴かない。だが、叩かれた縁は、手の骨に乾いた反響を返す。その反響は、近くの鏡に薄く渡り、隣の鏡が灯の輪郭をわずかに波立たせる。目に見えぬほどの、しかし、歩幅に写せるくらいの揺れ。総司はそれを「次の半歩を短くする」合図として受け、静は「肩を半分落とす」ことに使う。
蓮は、そのころ、見世格子の廊下に十字槍を伏せていた。穂は布で包み、柄を二分して、鴬張りの廊板(ろういた)の下に渡した小梁に、帯で軽く固定する。高さは膝と踝(くるぶし)のあいだ、横木はわずかに斜め。駆け込む足がその斜めに乗れば、膝が自然と横へ滑り、身体が狙いから一寸外へ偏(かたよ)る。偏った者は自分で体勢を立て直す。立て直す間に、入口の見張りが「待っている顔」でこちらを見る。それが、見世の廊の礼儀だ。礼儀は、刃よりよく効く。
試合の最初の相手は、京八条の槍組。長柄の手が美しく、打ち込みの拍に無駄がない。鏡の間の中央で総司が相対すると、鏡は四方に「総司らしき人影」を置く。槍組の打太刀は、その「いくつもの総司」の中から「最も人らしい総司」を選んで狙う。その基準は、肩の落ちと、踵の返り具合、そして呼吸の深さだ。静は、選ばれたその人らしい影の裏側で、総司と肩の落ちを合わせ、踵の返りを「一拍書き換える」。書き換えはほんの半指分。選ばれた影は、次の瞬間に別の鏡の中へ移り、槍組の間合いは、ちょうど半つぶ分だけ空振りになる。
槍の刃先が畳の上で「笑う」音が、鏡の肌で薄く増幅されて天井に散る。そのささやきのような増幅が、次の拍の「遅れ」を生む。総司は遅れの手前で刀を半分抜き、光を「白」だけ見せ、すぐ納める。観る者の目は白に引かれ、槍組の刃は白に吸われてわずかに下がる。下がった刃の隙間に、静が影を滑らせる。滑らせた影は、鏡の死角で総司の影と重なり、二つでひとつの輪郭になる。これが今宵の骨法(こっぽう)だ。ふたりで「ひとり」の輪郭を作る。骨で骨を合わせ、拍で拍を重ね、肩の落ち目で名札を消す。
御前は扇の影で目元を隠し、取次ぎは目を凝らしている。花魁筋の座敷持ちが脇に控え、茶と酒の火を見張る。外の廊では、客の笑いがひとしきり起きて、また沈む。沈んだ笑いの余韻に紛れて、刺客は入る。正面からは来ない。御前試合の「型」に従って、控えの選手の一人の顔で出て、鏡の隅に「映らない自分」を置く。「映らない」は、鏡の死角の印だ。そこを選べる者は、下見をしている。下見をする者は、腕ではなく段取りで殺す。
静は、鏡の縁に指を置いた。春駒の拍子木が二つ、早い。鏡の縁を二つ、小さく撫でる。総司は肩を半分落とし、その落ちをほんの一瞬「違(たが)える」。いつもなら右が先に落ちるところを、左を先に落とす。その一瞬の違えが、鏡の連鎖に大きく開く。鏡は規則を増幅する。増幅するから、破れ目も大きくなる。破れ目に、刺客の視線が走る。「今だ」と勘が言う。勘を誘うために、違えてやる。違えられた勘は、手を早める。
蓮の伏せた横木に、駆け込む足が触れた。触れるだけでいい。膝が半分横へ流れ、刺客は自分で姿勢を崩す。崩れを取り戻そうとして、肩を落とす。落とした肩が、鏡に「映りすぎる」。映りすぎる肩は、別の誰かの肩と重なって、鏡の中に「二人の刺客」を作る。ここからは、鏡が味方だ。味方にするために、こちらは足を止める。止めて、拍だけを動かす。動いた拍が、鏡の縁をまた撫でる。撫でられた縁の光が、刺客の刃の「切っ先だけ」を白く膨らませる。
総司は、白を見ない。見るのは、刃の付け根の黒だ。黒は、刃の呼吸だ。黒が吸い、白が吐く。吸うとき、肩は落ちない。吐くとき、肩が落ちる。肩の落ちと歩幅の釣り合いを「総司らしき影」が持ち続け、静が「総司の呼吸」を借りて影の奥を満たす。二人が「ひとり」の呼吸で歩くと、鏡はその呼吸を「面」として返す。面が揃うと、人は目を信じる。目を信じさせたところで、再び一瞬だけ違える。違えの合図は、春駒の鈴。鈴がひとつ遅れる。遅れのひとつで、総司は踵を「一拍遅らせ」、静は肩を「一拍先に落とす」。並んだ二つの違えが、刺客の勘を深い穴に落とす。
御前は扇の陰でわずかに笑っているように見えた。笑いは、鏡では増幅しない。笑いは、空気に溶けて小さくなる。小さくなるものは、よく効く。刺客は、御前の笑いの「温度」を嫌い、急ぐ。急ぎは、蓮の走らせた横木に弱い。足が「先に」行きたいのに、膝が「横に」行ってしまう。身体は重みの欲しがる方へ落ちるから、斜めに落ちる。落ちるとき、人は手を「前」に出す。前に出た手のひらの「白」を、鏡が拾う。拾われた白は、刃よりも眩しい。眩しさに、刺客自身の目が短く殴られる。
試合は型通りに進むふりを続ける。槍組の次は、鎖鎌、棒、短刀、体術。どの相手も、鏡の間で自分の「型」が少しずつずらされることに気づき、足が重くなる。重くなっても、礼は崩さない。礼が崩れぬように、総司と静は「同一人物」を続ける。座敷の畳に落ちる影の長さ、鏡の隅に残る灯の輪、天井の欄間の反射の薄さ。三つの指標で、二人は合う。合って、わざと「合わぬ」を一瞬だけ入れる。合わぬ一瞬の角度で、刺客が「顔」を出す。
顔は、怒りや、焦りではない。計算の顔だ。鏡のつらなりの中で、計算だけが人の顔を無表情にする。無表情に見えるものほど、よく滲(にじ)む。その滲みの縁に、静の目が細く入る。目で刺すのではない。息で押す。押す息が、鏡の縁の拍に変わり、拍が団扇の骨の撓(たわ)みになって総司に渡る。渡された撓みで、総司は足幅を半寸だけ広げる。広げた足に、鏡が二人目の総司を与える。与えられた総司は、静だ。静が総司の肩の落ちを借り、総司が静の足の「澱(よど)み」を借りる。借り物で「本物」を演じる。本物がふたりいると、刺客は「ひとり」に向けていた刃の先を、どちらにも向けられなくなる。
ここまでが、前段だ。仕留めない。見抜かせない。困らせるだけに留めて、鏡に「疲れ」を移す。鏡の疲れは、姿ではなく光で出る。光が少し重くなり、白が灰色に寄る。灰が出れば、刃の白は目立つ。刃の白が目立てば、こちらの「白」も利く。利かせる時は、いちどきだ。散らせば意味が薄くなる。集めて一度に。合図は、鏡の縁の拍。
蓮は見世の廊で、横木の角度を一度、わずかに変えた。変えた角度は、足を「止める」ためではない。「回す」ためだ。回された身体は、正面ではなく斜めを向き、鏡の中で輪郭が細くなる。細くなった輪郭は、刺客の自信を削る。削られた自信は、別の刃に頼ろうとし、仲間の袖を引く。袖が引かれた拍で、静は鏡を二度、軽く叩いた。この座敷に置かれた鏡は、みな江戸の若狭屋の品で、縁木(ふちぎ)がよく乾いている。乾いた縁は、叩くと「手にだけ響く」。響きは空気を揺らし、空気は白を寄せる。白は刃の皮膚だ。
総司は、抜く角度を決めた。刃を出すのではない。白を出す。白は、斬る前に、目に届く。目に届けば、脳は一瞬「白のために停止」する。その停止が、同時抜きの骨だ。静は肩を落とし、同じ白を出す。二つの白が、鏡の中で幾十にも増える。増えた白は、ひとつの白に収束する。収束する瞬間、御前の前の屏風の裏で、取次ぎが扇を一度だけ畳んだ。畳む音は出さない。だが、扇の骨が空気を削る刹那の「擦(す)れ」が、鏡に伝わる。伝わった擦れに合わせ、総司と静は「白」を同時に抜いた。
白は光だ。刃の背に走る一筋の線。畳の織りが、その線を受けて細く震え、鏡が一瞬だけ「曇(くも)り」を生む。曇りは、刺客の目にだけ起きる。立ち会う一流の目は、曇らない。曇る目と曇らぬ目の差が、すなわち勝敗だ。白が走った刹那、総司は刺客の帯の結び目に刃の背を置き、静は刺客の籠手(こて)の紐を白だけで裂いた。裂く音は出さない。裂けた紐の「張り」が、刺客の手から刃の「重み」を奪う。重みが抜けた刃は、鏡の中で「ただの白」に戻る。戻った白は、御前の扇の白と同じだ。白は、勝ちの色だ。
同時抜きの拍を、鏡が増幅した。増幅は、音ではない。光の戒めだ。鏡の縁を叩いた拍は、座敷の空気の「張り」を一瞬だけ高くし、白がその張りの上を走った。走り切った白は、切らない。切らず、結ぶ。結ばれたのは、刺客の動きだ。蓮の横木が最後のひと押しをして、刺客の膝を横へ流し、畳へ座らせる。座らせられた者は、立てない。立てなくていい。立てない者は、誰かの言葉をやっと聞く。取次ぎの声は、よく通る。通る声で、「御前の前で刃は無用」とだけ告げる。
鏡の間の光が、ここで一段、落ちた。落としたのは、座敷持ちの女将(おかみ)だ。春駒の撥を、ほんの一拍遅らせ、燭台の芯に息を薄く当てる。灯は素直だ。息の癖を覚え、白の熱を収める。収まった白は、鏡の中で均される。均された鏡には、さっきまでの「多数の総司」がもういない。残っているのは、「ひとり」の総司の輪郭と、その死角に立つ静の気配だけ。気配は映らない。映らないものだけが、今宵を締める。
蓮は廊の横木を外し、布で穂を包み直した。包む指の皮に残った振動は、もうない。ないことが、仕事の終わりを告げる。彼は槍袋を肩に、廊下の節目を避けて足を置き、板を鳴かせずに去る。板は、鳴けるのに鳴かないことを誇りにする。誇りは、誰も知らないところでいちばん強い。
総司と静は、座敷の中央で礼をした。礼の角度は同じ、呼吸も同じ。歩幅も肩の落ちも、最後の最後まで「同一人物」のまま。御前は扇を軽く上げ、ほんのわずか頷いた。その頷きは、鏡では増幅されない。見た者の胸の内でだけ、大きくなる。大きくなるほど、刃の白は薄れる。薄れた白は、紙の白に似る。紙の白は、書かなければただの白だ。書かれた白は、道になる。今夜の白は、何も書かない白だった。
刺客は、刀を持ったまま「動けない」ことを知り、膝で畳の目を数え始めた。数えることが、敗けの始まりではない。敗けの終わりだ。終わりの印を、鏡が内側からそっと撫でている。撫でられた印は、誰の目にも見えない。見えないところで、今夜は勝った。勝ちは、顔を持たない。顔のない勝ちは、長く残る。
座敷の外で、春駒の鈴が最後に一度だけ鳴った。鳴りは短く、余韻は長い。余韻の中で、静は簪の銀を指の腹で押し、鏡の縁を一度だけ叩いた。叩いた拍は、総司にだけ届く高さ。総司は団扇を袖に戻し、膝の皿を内側から軽く撫でた。撫でる癖は、静のもの。癖を返すのは、今宵の礼だ。礼は、刃の代わりに残す。刃は、眠らせておく。
廊の奥で、女将が燭台の油皿に新しい芯を立てた。新しい芯は、白をまだ知らない。知らぬ白は、よく燃える。よく燃える白に、鏡は素直だ。素直な光は、座敷の木目を浮かべ、畳の目を織り、酒の色を少しだけ温める。温まったところで、総司は喉の奥の咳をひとつ、白の中に溶かした。咳は、もう裏切り者ではない。鏡の「曇り」をちょうど良いところで引き受ける、静かな合図だ。
御前試合は、何事もなく終わった顔で閉じられた。刺客は、御前の前で刃を持ったまま礼を強いられ、帯の結び目の緩みを手の中で確かめている。緩んだ帯は、逃げを許さない。許されぬ逃げが、鏡の中で薄い影を置く。薄い影は、誰も拾わない。拾わないまま、夜は滑っていく。滑っていく夜の背を、三人の足が軽く踏む。踏み跡は、鏡には残らない。残したくもない。
見世の表では、春駒の唄が途切れて、代わりに端唄が流れ始めた。端唄の言葉は軽いが、軽さの裡(うち)に刃がない。刃のない言葉は、座敷の襖(ふすま)をよく閉じる。閉じられた襖の向こうで、総司と静は、互いの歩幅と肩の落ちを「ほどく」ために、廊の影を一度、背中合わせに歩いた。ほどきの拍は、ふたりでしか聞こえない。二人でしか聞こえぬ拍がある限り、鏡は味方だ。
外へ出ると、花街の夜はすでに終わりかけ、灯(あか)りは減って、顔の影が増えていた。影が増えれば、名は薄れる。名が薄れれば、仕事は軽くなる。軽い仕事を重ねる者だけが、重い夜に勝てる。蓮は十字槍の柄を肩に、石突の位置を半指ほど前へ送って、廊の角で足を止めた。止めた足の前で、猫が一度、鳴く。鳴きは短く、尻尾の先の白が長い。白は、勝ちの色だ。今宵の白は、誰の肩にも乗らない。鏡の中で一度だけ大きくなり、すぐに座敷の木目に吸われて消えた。
振り返る者はいない。鏡は、もうこちらを映さない。映らないところに、仕事の跡は残る。残った跡は、誰にも見えない。見えないから、長く持つ。拍は嘘をつかない。拍が教えるのは、名ではない。道だ。道は、鏡の中にも、鏡の外にも、畳の目にも、廊の節にもある。春駒の鈴が最後の最後に、遠くでひとつだけ鳴り、三人はそれぞれの歩幅で夜を割った。二度、三度、鏡の縁を叩いた指の記憶だけを手に、白を納めたまま。



