最近、琴葉は同じ夢を繰り返し見る。何もない真っ白な壁に囲まれた部屋に2つの木の椅子が置かれていて、その片方に琴葉は座っているのだが、もう片方は空席だ。そのまま時間が流れていき、結局何も起きないまま朝を迎える。とてつもなく長い夢のような気もするし、一瞬で終わってしまったような気もする。とにかく、よくわからない夢なのだ。
専属メイドの結依が、おやすみなさい、と言って部屋を出ていく。天蓋つきのベッドは、この家に来たばかりの頃は落ち着かない豪華なものだったのに、今ではとっくに慣れてしまった。
貴族のために何ができるだろう。そう考え始めて、未熟な自分にはまだ何もできないと思い直す。まずは勉強しなければ、でもそんなことを言っている間に、貴族の地位は音を立てて崩れていくのではないか?
何度も思考が同じところをぐるぐる回って、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
また、同じ夢だ。周りを見渡すと、いつもと同じように、真っ白な壁に囲まれた広くも狭くもない部屋に、椅子が2つ。少し気になって自分の姿を見てみると、白と赤の袴のようなものを着ていた。ただ、夢だからか、袴特有の締め付けられている感覚はなく、むしろゆるゆるだ。
しばらくすると、体に電流が流れるような感覚に陥る。びっくりして思わず目を瞑って、また開くと、もう片方の椅子に会ったことのない女性が座っていた。またびっくりして飛び上がってしまう。
「神楽……琴葉さん、よね?」
女性は心地よい柔らかな声で話し出した。
「……はい。あなたは?」
「私はあなたの前の、神楽の力の継承者です。私は、この神楽の力を使って、世の平和のためにさまざま動いています。これはすべて、神の大いなる意志によるもの。私たち神楽家の神楽の力継承者は、世の平和を守るために働く使命があるのです」
目の前の人物は、琴葉の一世代前の「神楽の力」の継承者だと名乗る。神楽家には神楽の力の伝承が残っていなかったため、宝城家の手記でしか知り得なかった「先代」が突然目の前に現れ、琴葉は不思議な気持ちになった。
「もしかして、この力を使えば……先代、先先代と神楽の力の継承者様とつながれるのですか?」
「いいえ。おそらく、私だけです。私に託された力の使い道なのでしょう。——お会いできるのは今回きりです。私は、あなたに確認したいことがあって参りました」
静かに紡がれる言葉は不思議な響きを持っていて、その場を優しく支配しているかのようだった。
「確認したいこと、ですか?」
「ええ。いくつか、事務的なことを」
「事務的」という言葉の割には、先代は少し苦しそうにそれを告げる。先代の感情の揺れが見えた途端、部屋がぐにゃりと歪み、またすぐ元に戻った。
「……あなたは今、宝城家にいますか?」
「っ!はい、そうです。宝城家次期当主様と婚約し、その彼の家で暮らしております」
先代なら、今は生きていないはずだ。それなのに、どうして琴葉と珀の婚約を知っているのだろう。疑問に思いつつ、答える。先代は軽く頷くと、次の質問に移った。
「……思い出したくないことを思い出させるかもしれません。お許しください。あなたのお父様は、オーケストラを想定した力を持っていますか?」
父のことを聞かれて少し動揺してしまうが、すぐに平静を装って考える。「オーケストラを想定した力」だっただろうか。父の能力はタクトを振ることで敵を服従させ、意のままに操る「コンダクター」というもの。ああ、確かに、それはまるでオーケストラの指揮者だ。
「はい。コンダクターという、タクトを使って敵を従わせ、操る能力を持っています」
「そうですか……。そのお父様とは、あまり関係がよろしくないのですね?」
「その通りです。能力の発現が遅かったため、私は父からほとんどメイドのような扱いを受けて育ちました。そこを宝城家次期当主様に救われたのでございます」
先代は申し訳なさそうに、悲しそうに頷いた。
「ありがとうございます。……お父様には、弟がいらっしゃいますか?つまり、あなたにとっての叔父様ということになりますが」
幼い頃、よく遊んでもらっていた叔父の姿を思い出し、懐かしく思う。
「はい。魔形討伐でもう何年も前に命を落としていますが」
「その叔父様の能力は、わかりますか?」
「ええと……指定した範囲内の音を仮想の質量に変換し、決めた方向にまとめて打ち出す能力だったと存じます。私は神楽家のことにはあまり詳しくなく、記憶違いがあるかもしれません……」
「いいえ、大丈夫です。やはり、兄弟ともにオーケストラを想定した力なのですね」
先代にそう言われ、琴葉は少し固まる。そんな考え方はしたことがなかった。確かに、神楽玄の能力が指揮者で、神楽佑は演奏の音と置き換えることができる。
「最後に……あなたは過去のことも合わせて、今、幸せですか?」
先ほどまでの事務的な質問とは打って変わって、突然そんなことを聞かれる。少し呆けてしまうが、すぐに自信を持って答えた。
「ええ。私は今、とても幸せです」
「そうですか。それなら、よかった。ありがとうございました」
先代は困ったように笑うと、右手を少し掲げて、指をパチンと鳴らした。途端、白い壁の部屋は消え去ってしまう。
翌朝、琴葉は結依が起こしに来る前に目が覚めてしまった。あの夢はなんだったのだろう。夢の内容なんていつもは忘れてしまうのに、なぜかさっきまでの夢ははっきり覚えている。先代にされた質問も、それに対する自分の答えも、苦しそうで悲しそうな先代の表情も、そして、琴葉が幸せだと答えた瞬間の先代の安堵の表情も。すべてありありと思い出せる。
朝食が出来上がったと使用人に呼ばれ、珀とともに食べ始める。いつもの朝だ。エッグベネディクトがお皿の上で美味しそうに艶めいている。ベーコンがこんがり焼けた匂いが食欲を誘う。
「琴葉、浮かない顔をしているが、大丈夫か?」
「大丈夫です、申し訳……いえ、大丈夫です」
神楽家で身についてしまった、息をつくように謝る癖。社交界では、下手に謝るのはマナー違反とされている。もちろん、自分が何か悪いことをしたら、謝らなくてはならないが。貴族としての矜持を大切にせよ、ということなのだろう。三枝先生にそう教わってからというもの、自分が謝りそうになるたびに、こうしてすんでのところで止めるようにしているのだ。
珀が笑いを堪えているのがわかる。
「もう!珀様、笑うなら笑ってくださいませ!」
恥ずかしくなってこう言うと、珀は声を上げて笑った。
「琴葉が大丈夫ならよかった」
こうして、いつも通りの1日が始まったのだった。
専属メイドの結依が、おやすみなさい、と言って部屋を出ていく。天蓋つきのベッドは、この家に来たばかりの頃は落ち着かない豪華なものだったのに、今ではとっくに慣れてしまった。
貴族のために何ができるだろう。そう考え始めて、未熟な自分にはまだ何もできないと思い直す。まずは勉強しなければ、でもそんなことを言っている間に、貴族の地位は音を立てて崩れていくのではないか?
何度も思考が同じところをぐるぐる回って、ゆっくりと眠りに落ちて行った。
また、同じ夢だ。周りを見渡すと、いつもと同じように、真っ白な壁に囲まれた広くも狭くもない部屋に、椅子が2つ。少し気になって自分の姿を見てみると、白と赤の袴のようなものを着ていた。ただ、夢だからか、袴特有の締め付けられている感覚はなく、むしろゆるゆるだ。
しばらくすると、体に電流が流れるような感覚に陥る。びっくりして思わず目を瞑って、また開くと、もう片方の椅子に会ったことのない女性が座っていた。またびっくりして飛び上がってしまう。
「神楽……琴葉さん、よね?」
女性は心地よい柔らかな声で話し出した。
「……はい。あなたは?」
「私はあなたの前の、神楽の力の継承者です。私は、この神楽の力を使って、世の平和のためにさまざま動いています。これはすべて、神の大いなる意志によるもの。私たち神楽家の神楽の力継承者は、世の平和を守るために働く使命があるのです」
目の前の人物は、琴葉の一世代前の「神楽の力」の継承者だと名乗る。神楽家には神楽の力の伝承が残っていなかったため、宝城家の手記でしか知り得なかった「先代」が突然目の前に現れ、琴葉は不思議な気持ちになった。
「もしかして、この力を使えば……先代、先先代と神楽の力の継承者様とつながれるのですか?」
「いいえ。おそらく、私だけです。私に託された力の使い道なのでしょう。——お会いできるのは今回きりです。私は、あなたに確認したいことがあって参りました」
静かに紡がれる言葉は不思議な響きを持っていて、その場を優しく支配しているかのようだった。
「確認したいこと、ですか?」
「ええ。いくつか、事務的なことを」
「事務的」という言葉の割には、先代は少し苦しそうにそれを告げる。先代の感情の揺れが見えた途端、部屋がぐにゃりと歪み、またすぐ元に戻った。
「……あなたは今、宝城家にいますか?」
「っ!はい、そうです。宝城家次期当主様と婚約し、その彼の家で暮らしております」
先代なら、今は生きていないはずだ。それなのに、どうして琴葉と珀の婚約を知っているのだろう。疑問に思いつつ、答える。先代は軽く頷くと、次の質問に移った。
「……思い出したくないことを思い出させるかもしれません。お許しください。あなたのお父様は、オーケストラを想定した力を持っていますか?」
父のことを聞かれて少し動揺してしまうが、すぐに平静を装って考える。「オーケストラを想定した力」だっただろうか。父の能力はタクトを振ることで敵を服従させ、意のままに操る「コンダクター」というもの。ああ、確かに、それはまるでオーケストラの指揮者だ。
「はい。コンダクターという、タクトを使って敵を従わせ、操る能力を持っています」
「そうですか……。そのお父様とは、あまり関係がよろしくないのですね?」
「その通りです。能力の発現が遅かったため、私は父からほとんどメイドのような扱いを受けて育ちました。そこを宝城家次期当主様に救われたのでございます」
先代は申し訳なさそうに、悲しそうに頷いた。
「ありがとうございます。……お父様には、弟がいらっしゃいますか?つまり、あなたにとっての叔父様ということになりますが」
幼い頃、よく遊んでもらっていた叔父の姿を思い出し、懐かしく思う。
「はい。魔形討伐でもう何年も前に命を落としていますが」
「その叔父様の能力は、わかりますか?」
「ええと……指定した範囲内の音を仮想の質量に変換し、決めた方向にまとめて打ち出す能力だったと存じます。私は神楽家のことにはあまり詳しくなく、記憶違いがあるかもしれません……」
「いいえ、大丈夫です。やはり、兄弟ともにオーケストラを想定した力なのですね」
先代にそう言われ、琴葉は少し固まる。そんな考え方はしたことがなかった。確かに、神楽玄の能力が指揮者で、神楽佑は演奏の音と置き換えることができる。
「最後に……あなたは過去のことも合わせて、今、幸せですか?」
先ほどまでの事務的な質問とは打って変わって、突然そんなことを聞かれる。少し呆けてしまうが、すぐに自信を持って答えた。
「ええ。私は今、とても幸せです」
「そうですか。それなら、よかった。ありがとうございました」
先代は困ったように笑うと、右手を少し掲げて、指をパチンと鳴らした。途端、白い壁の部屋は消え去ってしまう。
翌朝、琴葉は結依が起こしに来る前に目が覚めてしまった。あの夢はなんだったのだろう。夢の内容なんていつもは忘れてしまうのに、なぜかさっきまでの夢ははっきり覚えている。先代にされた質問も、それに対する自分の答えも、苦しそうで悲しそうな先代の表情も、そして、琴葉が幸せだと答えた瞬間の先代の安堵の表情も。すべてありありと思い出せる。
朝食が出来上がったと使用人に呼ばれ、珀とともに食べ始める。いつもの朝だ。エッグベネディクトがお皿の上で美味しそうに艶めいている。ベーコンがこんがり焼けた匂いが食欲を誘う。
「琴葉、浮かない顔をしているが、大丈夫か?」
「大丈夫です、申し訳……いえ、大丈夫です」
神楽家で身についてしまった、息をつくように謝る癖。社交界では、下手に謝るのはマナー違反とされている。もちろん、自分が何か悪いことをしたら、謝らなくてはならないが。貴族としての矜持を大切にせよ、ということなのだろう。三枝先生にそう教わってからというもの、自分が謝りそうになるたびに、こうしてすんでのところで止めるようにしているのだ。
珀が笑いを堪えているのがわかる。
「もう!珀様、笑うなら笑ってくださいませ!」
恥ずかしくなってこう言うと、珀は声を上げて笑った。
「琴葉が大丈夫ならよかった」
こうして、いつも通りの1日が始まったのだった。



