夏休みに入る直前のことだった。琴葉はいつも通り、千広とともに平穏な学園生活を送っていたのだが、突如として事件は起こる。きっかけは、単位制コースの令息が琴葉を褒めたことだった。
「この間の学徒動員でさ、琴葉嬢がめちゃくちゃすごかったらしいんだ」
「実地演習の話か?噂によると、『革命の会』に襲われたんだろ?」
「そうらしい。で、その時千広嬢に攻撃しようとした男に、間に入って琴葉嬢が庇ったらしいんだよ!」
「へえ、控えめなお嬢様って感じだけど、編入してきて、しかも学徒動員に選ばれるくらいだしな。意外とすげえんだ」
「でも、結局倒したのは悠火様って聞いたぞ」
実地演習での噂が知らぬ間に勢いよく広まり、教室で貴族令息たちはその話をしていたのだった。話は非常に盛り上がり、教室の端にいる琴葉と千広の耳にも届いていた。もちろん、その貴族令息たちの婚約者たちにも。
「何よ、あの編入生。編入してすぐに学徒動員に選ばれたからって調子に乗っちゃって。どうせ不正でもしているのよ、実力なんてありやしないわ。噂に尾ひれがついて回っているだけよ」
「そうよそうよ。しかも琴葉嬢のせいで、あなた最近婚約者様に冷たく当たられているのでしょう?貴族教育を受けていなかったらしいですもの、きっと考え方が卑しいのよ。自身も婚約されているのに、婚約者持ちの令息に媚びを売るだなんて、恥ずかしくないのかしら?」
「実はそうなのよ……本当に信じられないわ」
クラス内に婚約者がいるのに、他の令嬢を褒める令息が間違いなく悪いのだ。だが、こういう場合は大抵、嫉妬が女子に向くもの。令嬢たちは寄ってたかって琴葉を悪く言った。
静観するが吉と思って、琴葉も千広も何も言い返さず、いつも通り学食に向かう。千広は醤油ラーメンを頼み、琴葉が日替わり定食を頼んだ。トレイを運び、最初に取っておいた席に戻ると、クラスの令嬢が3人、ズカズカとこちらに近づいてくるではないか。先ほどの悪口を言っていた令嬢たちだ。
「ちょっと、琴葉さん。あまねさんの婚約者に媚びを売るのをやめてくださらない?あまねさんが婚約者に冷たくされて困っているの。婚約者持ちの男性に声をかけるだなんて、下品にも程がありませんこと?——あら、そういえば貴族教育を受けていないのでしたかしら。なら分からなくても仕方ないですわね」
クスクスと笑いながらこちらを見下してくる。ガヤガヤとしている学食とはいえ、トラブルが始まりそうな予感に周囲は野次馬を始めた。
「お言葉ですが、麻美さん。私はあまねさんの婚約者様とはお話ししたことがございません。婚約者持ちの男性に自ら声をかけるだなんて、そんなこといたしません……」
心臓がバクバクと鳴っているのがわかる。血の気が引いているのか、指先が冷たい。この視線を何度も浴びてきた。これは琴葉を陥れようとしている時の鈴葉たちの目。琴葉は震える声でなんとか否定する。
「しらばっくれるだなんて、どこまで卑しいのかしら?こんなにもあまねさんは悲しい思いをしているというのに……きっと、人を思いやる心が欠如しているのね。」
「信じられませんわ!やはり貴族教育を受けていない方など、単位制コースにはふさわしくないのよ。クラスの和が乱されてしまいますわ」
その時、千広がぎゅっと拳を握り締め、ガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
「ちょっと!琴葉さんが否定しているというのに、その言い方はないんじゃないの!?しかも貴族教育を受けたとか受けてないとか今は関係ないでしょ!証拠もないくせに、寄ってたかって琴葉を悪者にしようとして!ふざけんのもいい加減にしなさいよ!」
千広は一気にまくし立てると、息が切れたのかしばらく黙った。なんだなんだと人だかりができている。琴葉は取り返しがつかなくなったと内心頭を抱えた。でも、千広がはっきり言ってくれて、すっきりした気もする。
「はあ?ちょっと、それを言ったらあなたは関係ないでしょう。琴葉さんを庇って、偽善者のつもりかしら?それに、あなたのような成金の娘にそんなことを言われる筋合いはないわ。はしたないわよ、身分をわきまえなさい」
「身分身分って!高貴な家に生まれても、人を貶めるような発言しかできないみたいだし、心は全然高貴じゃないのね。恥ずかしいのはどっちよ」
吐き捨てるように千広が言う。そこに、野次馬たちから一人がスッと現れた。
「なんの騒ぎかしら?」
浅桜美麗だ。学園では、3年生であり、さらに浅桜家の最強能力者である美麗に逆らえる者はいない。いつものように、華やかなドレスを身に纏い、切れ長の瞳は冷たく辺りを突き刺す。
美麗との関係があまり良くないことは千広も知っているためか、千広の顔がこわばった。
「美麗様!この琴葉さんがあまねさんの婚約者に媚びを売ったことがきっかけで、あまねさんは最近婚約者に冷たくされるのだそうです。だから、媚びを売るのをやめてとお願いしたのですが、媚びなど売っていないと言われてしまい……」
「あなたの言い分は?」
美麗は琴葉に問う。琴葉は顔を真っ青にしながら、やっとの思いで答える。
「私は、あまねさんの婚約者様とお話ししたことはございません。——私、クラス内でお話しするのはここにいる千広さんと悠火様くらいでございます。他の方とは事務的なことしか……」
「そう。それで口論になっていたの」
すると、すぐに野次馬がガヤガヤし出し、3人の令息が中央に進み出た。
「美麗様のお呼び出しと聞いて——あ、あまね?なぜここに?」
「あなたたちの婚約者が、琴葉さんと口論になったそうよ——」
美麗が簡単に事情を話す。すると、令息は慌てて訂正し出した。
「あまね!俺は本当に琴葉嬢と話したことなどない!先ほどの実地演習の噂は素直に琴葉嬢の勇気を褒め称えただけだ。悲しい思いをさせてすまない。最近あまりあまねと話すことができていないのは……実は、その……」
あまねの婚約者が躊躇ののち、驚きの言葉を述べる。
「ぷ、プロポーズしようと考えていて、そのサプライズを隠し通すのが難しかっただけだ!すまない!」
ああ、言ってしまった、と頭を抱えて慌てる令息は、なんとも愚かに見えた。あまねはそれを聞いて、困ったような恥ずかしいような、呆れたような顔をしている。
「実際、俺もこいつと琴葉嬢が話しているところを見たことがありません。さっき、学徒動員の話が盛り上がっていて、その時にこいつが琴葉嬢を褒めたから、嫉妬じゃないですかね?」
「僕の婚約者がこのように公の場で口論など……僕の管理不行届だ……聞かなかったことにしてくれないか……」
他の二人の令嬢の婚約者はなんとも冷たい対応を取る。一人は美麗に事情を説明し、もう一人は野次馬に謝っている。令嬢たちは話が大きくなってしまったこと、婚約者に咎められそうなことを察して顔色を悪くしていた。
「これで解決でよろしいかしら?あなたたちは、名家の令嬢の自覚があるのなら、それに恥じない行動と言動を心がけなさい。身分を振りかざすような発言は貴族としてふさわしくないわ。……あなたたちは婚約者に尽くしなさい。女性には不安を抱かせてはいけないのよ。そして——千広さん、あなたは敬語を使えるようになりなさい。仮にもここは貴族のコース。それにあなたは学徒動員のメンバーでしょう。学園の代表としての自覚を持ちなさい。ただ……友人を庇おうとするのは良い心がけだわ。……琴葉さんは、今回は悪くないのでしょうけれど、あなたの立場は何かと面倒ごとを起こしやすいのだから、学園での身の振り方に気をつけなさい」
美麗はそれぞれに注意をし、見事にことを収めた。琴葉は美麗の手腕に圧倒されつつ、丁寧に礼を言う。
「別に琴葉さんのことを認めたわけじゃ、ありませんから。勘違いしないでくださいね。私は3年生として、浅桜家の令嬢としてふさわしいことをしたまで。それに——これからのことを考えて、関係が悪いままだとやりづらいのよ」
美麗の表情は変わらなかったが、最後は目を逸らしてこんなことを言う。琴葉は美麗なりに歩み寄ってくれたのだろうと考え、美麗に対する恐怖心をなくしていこうと心に誓った。
「あなたたちも野次馬していないで食べ終わったのなら早く教室に戻りなさい」
美麗の言葉に、周りの生徒も徐々に散っていく。令嬢たちは婚約者に叱られながら教室に戻って行った。
「千広さん、さっきはありがとうございました」
「ううん、私こそ、カッとなっちゃって、大ごとにしちゃってごめんね」
「いえ、私では言い返せなかったので……」
「ほんと、意地汚い人がいるもんだよねぇ。まあいいや、冷めちゃうから早く食べよ?」
これ以降、学園内で面と向かってひどいことを言われることはなくなった。陰では何か言われているのだろうが、平穏な学園生活を送ることができれば、それでいい。琴葉も千広も安心した。
家に帰ってこの話をしたところ、珀がその令嬢たちに対して烈火の如く怒り出し、その家の当主たちに会合の申し込みをしようとし始めたので、琴葉と隼人で必死で宥めたのだった。
「この間の学徒動員でさ、琴葉嬢がめちゃくちゃすごかったらしいんだ」
「実地演習の話か?噂によると、『革命の会』に襲われたんだろ?」
「そうらしい。で、その時千広嬢に攻撃しようとした男に、間に入って琴葉嬢が庇ったらしいんだよ!」
「へえ、控えめなお嬢様って感じだけど、編入してきて、しかも学徒動員に選ばれるくらいだしな。意外とすげえんだ」
「でも、結局倒したのは悠火様って聞いたぞ」
実地演習での噂が知らぬ間に勢いよく広まり、教室で貴族令息たちはその話をしていたのだった。話は非常に盛り上がり、教室の端にいる琴葉と千広の耳にも届いていた。もちろん、その貴族令息たちの婚約者たちにも。
「何よ、あの編入生。編入してすぐに学徒動員に選ばれたからって調子に乗っちゃって。どうせ不正でもしているのよ、実力なんてありやしないわ。噂に尾ひれがついて回っているだけよ」
「そうよそうよ。しかも琴葉嬢のせいで、あなた最近婚約者様に冷たく当たられているのでしょう?貴族教育を受けていなかったらしいですもの、きっと考え方が卑しいのよ。自身も婚約されているのに、婚約者持ちの令息に媚びを売るだなんて、恥ずかしくないのかしら?」
「実はそうなのよ……本当に信じられないわ」
クラス内に婚約者がいるのに、他の令嬢を褒める令息が間違いなく悪いのだ。だが、こういう場合は大抵、嫉妬が女子に向くもの。令嬢たちは寄ってたかって琴葉を悪く言った。
静観するが吉と思って、琴葉も千広も何も言い返さず、いつも通り学食に向かう。千広は醤油ラーメンを頼み、琴葉が日替わり定食を頼んだ。トレイを運び、最初に取っておいた席に戻ると、クラスの令嬢が3人、ズカズカとこちらに近づいてくるではないか。先ほどの悪口を言っていた令嬢たちだ。
「ちょっと、琴葉さん。あまねさんの婚約者に媚びを売るのをやめてくださらない?あまねさんが婚約者に冷たくされて困っているの。婚約者持ちの男性に声をかけるだなんて、下品にも程がありませんこと?——あら、そういえば貴族教育を受けていないのでしたかしら。なら分からなくても仕方ないですわね」
クスクスと笑いながらこちらを見下してくる。ガヤガヤとしている学食とはいえ、トラブルが始まりそうな予感に周囲は野次馬を始めた。
「お言葉ですが、麻美さん。私はあまねさんの婚約者様とはお話ししたことがございません。婚約者持ちの男性に自ら声をかけるだなんて、そんなこといたしません……」
心臓がバクバクと鳴っているのがわかる。血の気が引いているのか、指先が冷たい。この視線を何度も浴びてきた。これは琴葉を陥れようとしている時の鈴葉たちの目。琴葉は震える声でなんとか否定する。
「しらばっくれるだなんて、どこまで卑しいのかしら?こんなにもあまねさんは悲しい思いをしているというのに……きっと、人を思いやる心が欠如しているのね。」
「信じられませんわ!やはり貴族教育を受けていない方など、単位制コースにはふさわしくないのよ。クラスの和が乱されてしまいますわ」
その時、千広がぎゅっと拳を握り締め、ガタンと大きな音を立てて立ち上がった。
「ちょっと!琴葉さんが否定しているというのに、その言い方はないんじゃないの!?しかも貴族教育を受けたとか受けてないとか今は関係ないでしょ!証拠もないくせに、寄ってたかって琴葉を悪者にしようとして!ふざけんのもいい加減にしなさいよ!」
千広は一気にまくし立てると、息が切れたのかしばらく黙った。なんだなんだと人だかりができている。琴葉は取り返しがつかなくなったと内心頭を抱えた。でも、千広がはっきり言ってくれて、すっきりした気もする。
「はあ?ちょっと、それを言ったらあなたは関係ないでしょう。琴葉さんを庇って、偽善者のつもりかしら?それに、あなたのような成金の娘にそんなことを言われる筋合いはないわ。はしたないわよ、身分をわきまえなさい」
「身分身分って!高貴な家に生まれても、人を貶めるような発言しかできないみたいだし、心は全然高貴じゃないのね。恥ずかしいのはどっちよ」
吐き捨てるように千広が言う。そこに、野次馬たちから一人がスッと現れた。
「なんの騒ぎかしら?」
浅桜美麗だ。学園では、3年生であり、さらに浅桜家の最強能力者である美麗に逆らえる者はいない。いつものように、華やかなドレスを身に纏い、切れ長の瞳は冷たく辺りを突き刺す。
美麗との関係があまり良くないことは千広も知っているためか、千広の顔がこわばった。
「美麗様!この琴葉さんがあまねさんの婚約者に媚びを売ったことがきっかけで、あまねさんは最近婚約者に冷たくされるのだそうです。だから、媚びを売るのをやめてとお願いしたのですが、媚びなど売っていないと言われてしまい……」
「あなたの言い分は?」
美麗は琴葉に問う。琴葉は顔を真っ青にしながら、やっとの思いで答える。
「私は、あまねさんの婚約者様とお話ししたことはございません。——私、クラス内でお話しするのはここにいる千広さんと悠火様くらいでございます。他の方とは事務的なことしか……」
「そう。それで口論になっていたの」
すると、すぐに野次馬がガヤガヤし出し、3人の令息が中央に進み出た。
「美麗様のお呼び出しと聞いて——あ、あまね?なぜここに?」
「あなたたちの婚約者が、琴葉さんと口論になったそうよ——」
美麗が簡単に事情を話す。すると、令息は慌てて訂正し出した。
「あまね!俺は本当に琴葉嬢と話したことなどない!先ほどの実地演習の噂は素直に琴葉嬢の勇気を褒め称えただけだ。悲しい思いをさせてすまない。最近あまりあまねと話すことができていないのは……実は、その……」
あまねの婚約者が躊躇ののち、驚きの言葉を述べる。
「ぷ、プロポーズしようと考えていて、そのサプライズを隠し通すのが難しかっただけだ!すまない!」
ああ、言ってしまった、と頭を抱えて慌てる令息は、なんとも愚かに見えた。あまねはそれを聞いて、困ったような恥ずかしいような、呆れたような顔をしている。
「実際、俺もこいつと琴葉嬢が話しているところを見たことがありません。さっき、学徒動員の話が盛り上がっていて、その時にこいつが琴葉嬢を褒めたから、嫉妬じゃないですかね?」
「僕の婚約者がこのように公の場で口論など……僕の管理不行届だ……聞かなかったことにしてくれないか……」
他の二人の令嬢の婚約者はなんとも冷たい対応を取る。一人は美麗に事情を説明し、もう一人は野次馬に謝っている。令嬢たちは話が大きくなってしまったこと、婚約者に咎められそうなことを察して顔色を悪くしていた。
「これで解決でよろしいかしら?あなたたちは、名家の令嬢の自覚があるのなら、それに恥じない行動と言動を心がけなさい。身分を振りかざすような発言は貴族としてふさわしくないわ。……あなたたちは婚約者に尽くしなさい。女性には不安を抱かせてはいけないのよ。そして——千広さん、あなたは敬語を使えるようになりなさい。仮にもここは貴族のコース。それにあなたは学徒動員のメンバーでしょう。学園の代表としての自覚を持ちなさい。ただ……友人を庇おうとするのは良い心がけだわ。……琴葉さんは、今回は悪くないのでしょうけれど、あなたの立場は何かと面倒ごとを起こしやすいのだから、学園での身の振り方に気をつけなさい」
美麗はそれぞれに注意をし、見事にことを収めた。琴葉は美麗の手腕に圧倒されつつ、丁寧に礼を言う。
「別に琴葉さんのことを認めたわけじゃ、ありませんから。勘違いしないでくださいね。私は3年生として、浅桜家の令嬢としてふさわしいことをしたまで。それに——これからのことを考えて、関係が悪いままだとやりづらいのよ」
美麗の表情は変わらなかったが、最後は目を逸らしてこんなことを言う。琴葉は美麗なりに歩み寄ってくれたのだろうと考え、美麗に対する恐怖心をなくしていこうと心に誓った。
「あなたたちも野次馬していないで食べ終わったのなら早く教室に戻りなさい」
美麗の言葉に、周りの生徒も徐々に散っていく。令嬢たちは婚約者に叱られながら教室に戻って行った。
「千広さん、さっきはありがとうございました」
「ううん、私こそ、カッとなっちゃって、大ごとにしちゃってごめんね」
「いえ、私では言い返せなかったので……」
「ほんと、意地汚い人がいるもんだよねぇ。まあいいや、冷めちゃうから早く食べよ?」
これ以降、学園内で面と向かってひどいことを言われることはなくなった。陰では何か言われているのだろうが、平穏な学園生活を送ることができれば、それでいい。琴葉も千広も安心した。
家に帰ってこの話をしたところ、珀がその令嬢たちに対して烈火の如く怒り出し、その家の当主たちに会合の申し込みをしようとし始めたので、琴葉と隼人で必死で宥めたのだった。



