水瀬くんは諦めない!

「ひょろひょろで女みたい!」
「名前も女子みたいで気持ち悪い!」
「男女! 女子に守ってもらって情けないやつ!」


 小さい頃に言われた言葉。弱い自分も、女みたいな名前も大嫌いだった。

 だけど、そんな自分に手を差し伸べてくれた人がいた。そばにいて、自分に人の優しさを教えてくれた人がいた。

 その人に憧れて、その人みたいになりたくて。その人に少しでも似合う自分になりたくて、なりふり構わずここまできた。


 予定とは少し変わってしまった。だが、物語の結末が変わらないならそれでいい。




 *




 炎天下の中、額に滲む汗を制服で拭いながら僕たちはプール掃除を行なっていた。

「先生も運なさすぎだろ」

 デッキブラシに顎を乗せて顔を顰めている聡。周りを見渡せば他のクラスメイトも嫌そうに手を動かしていた。

 校外学習から時間が過ぎ、梅雨も終わり、本格的に夏が始まろうとしていた。

 僕らのクラスは毎年恒例であるプール掃除に抜擢され、暑い中プールの底に溜まったゴミを集め、せっせこ磨いている。抜擢なんてかっこいい言葉を使ってみたが、要は担任が掃除をかけたくじ引きで負けたのだ。おかげで僕らはやりたくもない仕事をしているが、この作業で手を抜くと自分達が授業の時に汚いプールを使うことになる。そして、他クラスからの罵倒も飛んでくるのだから、本当に割に合わないと思う。

「こらー、そこ、手を動かしなさーい!」

 プールサイドを掃除していた女子たちに手が止まっているのが見つかり怒られた。僕は愛想笑いを浮かべて謝ろうとしたが、周囲の男子でまともに掃除している人はいなかったから、彼女は全体に向けて言ったのだろう。

「本当なら涼しい部屋でのんびりできたはずなのにな」

 女子に怒られたからか聡は手を動かし始める。床を擦る音が虚しく響く。

 その時、近くで野太い声が上がった。なんだろうと顔をあげると、掃除に飽きてきた男子が水を使ってふざけ合っていた。体操服に着替えてやっているとはいえ、ずぶ濡れになってしまったら午後の授業が受けれなくなるというのに。

 僕は楽しそうに遊ぶクラスメイトの向こうに早瀬くんがいるのを見つけて体を震わせる。早瀬くんは水遊びの輪には入らず、黙々と床に落ちている枯葉を集めている。一瞬話しかけるか悩んだが、僕は勇気を出して近づくことにした。

「は、早瀬くん!」と裏返った声で呼ぶと、彼はゆっくりと僕の方を向いた。その瞳は不思議そうに僕のこと見つめている。

「僕も、一緒に掃除してもいい?」

 今の自分が出せる勇気を振り絞って尋ねると、早瀬くんは小さく頷いた。許してもらえたことが嬉しくて、僕はパアッと顔を明るくした。

 ほうきで床を掃除する早瀬くんの横で、僕はデッキブラシを動かす。

「早瀬くんは、水泳得意?」
「嫌いじゃないよ。泳ぎは人並み。凛月は?」
「僕は二十五メートルを泳ぐので精一杯かな。でも、プールは好きなんだ! 冷たい水に浸るのって楽しいよね」
「浸るっていうの? 面白い言い方するね」

 口元を緩める早瀬くんに僕は顔が熱くなるのを感じた。その熱から目を逸らすように僕は話し続ける。

「ねぇ、よかったら、みんなでプール行かない?」
「プール?」
「うん! 聡とも話してたんだけど、隣町に大きなプールがあるんだって。ウォータースライダーとか流れるプールとかあって楽しいって書いてあったよ」
「ふーん。みんなって誰? 立花だけ?」
「あ、うん。今の所聡だけだけど、早瀬くんの方で誘いたい人いる?」
「そっか……じゃぁ、俺からは遠藤と角田を召喚しようかな」

 後ろの方で水遊びをしている遠藤くんと角田達也くんを早瀬くんは指名する。遠藤くんとはこの間の校外学習で少し仲良くなれたが、角田くんとはあんまり話したことがなかった。角田くんは野球部で頭を丸刈りにしている。小柄だけど、パワーはあり、いつもおどけてクラスの雰囲気を盛り上げてくれる。

 早瀬くんや遠藤くんたちと一緒に行動することが多く、いつでも元気が有り余っているイメージだ。

「遠藤! 角田!」

 すでにびしょ濡れになりつつある二人を早瀬くんは呼びつける。二人は持っていたホースを早瀬くんに向けようとしたが、「ぶっかけたら許さないからな」という早瀬くんの本気の言葉にすぐにやめる。

「なんだよ、早瀬。ちょっとしたお遊びだろ」と遠藤くんが言う。その隣で不満そうに口を尖らせた角田くんが頷いている。角田くんの手にはまだホースが握られており、彼の機嫌次第では水をかけられることだろう。

「これくらいのおふざけにも乗れんとか、ほんまにお前はつまらんやつやなぁ」

 角田くんが少しだけ手を動かすと早瀬くんは鬼のような形相で彼を睨んで止めた。角田くんはつまらなそうに「ちぇー」というと近くを通りかかったクラスメイトにホースを渡す。

「それで、なんや、俺たちを呼び出して……て、水瀬やん。この無愛想男と一緒に掃除しとるん?」
「無愛想は余計だ」
「事実やろ。早瀬は俺たちと一緒におってもぜーんぜん喋らへんし」

 角田くんの指摘に早瀬くんは心当たりがあったのか黙り込んでしまう。早瀬くんは自分から話すタイプではなかったが、話してみると案外付き合ってくれる優しさもある。だから、角田くんの全然喋らない、という話はピンと来なかった。

「早瀬は水瀬限定でよく喋るんだよ」

 遠藤くんが口角をあげながら話すと、早瀬くんは彼の頭を掴んで睨みつけた。それでも遠藤くんは気にしていないようで笑って、その手を払いのける。
「へー、水瀬限定でなぁ。それって、なんでなん? 二人ってそんなに接点あったっけ?」
「それ以上首を突っ込んだら、今後一切課題を写させてやらないからな」
「な! それは堪忍! 神様仏様早瀬様! 早瀬様のお力添えがないと、俺はやっていけへんのや!」

 慌てたように早瀬くんの足元に縋りつこうとした角田くんの手から早瀬くんは逃げる。濡れた手で触って欲しくなかったのだろう。

「ははは。そのくらいにしとけよ、角田。それで、なんの用だったんだ?」

 腹を抱えて笑いながら遠藤くんが尋ねる。僕は大きな声で嘘泣きをする角田くんから遠藤くんに意識を向ける。

「あのね、今度一緒にプール行かないかなって。早瀬くんに話してたら、二人も誘おうって」
「なるほどね……あの早瀬がプールに……いや、なんでもないけどな」

 遠藤くんが何かを言いかけたが、すぐに笑って言葉を濁す。

「いいんじゃないか。俺は行くよ。角田はどうする?」
「もちのロン! 俺も行くに決まっとるやろ! そんな楽しそうなことに、俺が行かんとかないやろ!」
「だってさ。じゃあ、俺たち二人も参加で」
「本当! 嬉しいなぁ。じゃあ、いつ行こうか。やっぱり期末テスト終わってからがいいよね」

 手を叩いて喜んでいると、遠くからまた女子に「サボるな、男子!」と怒声が飛んでくる。女子たちも早く終わらせて涼しい部屋に戻りたいのだろう。

 僕たちは手を動かしながらプールに遊びに行く計画を詰めていく。

「俺は正直期末テストとか関係ないんやけどな。どうせ赤点、補習、そして顧問に叱られる未来しか待っとらんから」
「角田はいい加減赤点取りに行くのやめたら?」

 遠藤くんが苦笑いを浮かべながら言うと、角田くんは「それがなー、本気でやっとんねん! 本気でやって、本気で赤点取ってんねん!」とケラケラ笑い出す。早瀬くんも「こいつのバカさは学校一だから」とぼそっと呟いていて、僕は思わず吹き出して笑ってしまった。

「なんやなんや。人の不幸を笑っとるお前には……こうしたる!」

 角田くんは近くでホースを持っていた男子から奪い取ると僕の方に向けてきた。勢いよく噴射された水が僕の全身を濡らす。遠藤くんが焦ったように「おい、やりすぎだぞ」と苦言を呈するが、角田くんは笑っていて悪びれた様子は見られない。

「おい、角田」

 低くて一瞬体が震え上がるような声が響く。その瞬間、笑っていた角田くんの表情も固まる。

「あはは、ジョーク……冗談やん。それに、早瀬にはかかっとらんやろ……」

 言い訳のように捲し立てるが、角田くんの言い分など聞いていないようで早瀬くんは鬼の形相で彼に近づく。そして、ホースを奪い取ると角田くんが僕にやったように水をぶっかけた。角田くんが嫌がっても執拗に水をかけ続ける。

「なんで! そんなに、怒っとるん!?」と悲鳴をあげながらプールの中を逃げ回る角田くん。それを見ていた遠藤くんは「やっぱり、あいつアホだな」と呆れていた。

 僕はどうしたらいいかわからず、「は、早瀬くん!」と咄嗟に彼の名前を呼んだ。すると、僕の声が聞こえたのか早瀬くんはピタッと動きを止めてこちらに視線を向ける。

「僕は、大丈夫だから。そ、そこまでにしてあげて……?」

 ポタポタと体操服から水を滴らせた状態では格好つかなかったかもしれないが、早瀬くんは手元のホース、角田くん、そして僕の順番で見た後、ホースを近くの男子に手渡してこちらに戻ってきた。

「更衣室行こう。タオルも着替えも貸す。濡れてると、風邪ひくし」

 早瀬くんは僕の手を引いてプールを移動する。そこまでは、と固辞しようとすると、ムッと口を尖らせて不満そうな顔をする。彼の機嫌は急降下しているようだったが、不覚にも僕はその拗ねたような表情が可愛いと思ってしまった。

「俺の服じゃ、不満?」
「え? い、いや! そんなことあるわけないよ! むしろ、いいんですかっていう感じ……」

 最後の方はモゴモゴと喋っていると、早瀬くんは機嫌を直してくれたのかクスッと笑っていた。

「じゃあ、問題ないな。サイズは大きいかもしれないけど、まぁ、そこは許して」

「それなら、体格も近いし聡に……」と僕が言いかけると、早瀬くんは食い気味に「ダメ」と言う。

「他の男のなんてダメ。それに、俺の服を合法的に着れるいい機会じゃない?」

 少しだけ首を傾けながら覗き込むように僕の方を見る。反則的な仕草に僕は言葉を失った。イケメンがやるとどんな仕草でも様になるのだな、と頭の片隅で思いつつ「……き、着させてください」とか細い声で欲を曝け出した。


 僕は、弱い人間だった。