早瀬くんは本当にあの後、僕のところに来てくれた。後ろで笑い合っている彼の友達が少しだけ怖かったけど、それ以上に早瀬くんが自分と話してくれる方が嬉しかった。

「それで? さっきは何を言いかけたんだ?」

 早瀬くんはじっと僕のことを見つめながら尋ねる。端正な顔つきに見惚れていると、早瀬くんは不可解そうに僕の顔の前で手を振った。

 ハッと我に返って僕はあわあわと両手を動かす。

「え、えっとね、あの、一緒に……帰らないかなって……それで、どこかに出かけたりとか…………」

 少しずつ勢いがなくなり、自信を失うように小さくなる声に引きずられながら視線も下がっていく。もはや地面を見ていると言ってもおかしくないくらい俯いた僕の後頭部に早瀬くんは、何を思ったのか人差し指でつむじを押した。

「ふぇ?」と間抜けな声が漏れる。思わず顔を上げた先で、早瀬くんは表情を変えることなく僕を見ていた。

「いいよ。一緒に帰ろっか」
「……え? えぇ!? いいの? 僕なんかと!? 本当に?」

 驚きすぎて足を机にぶつけながらその場に立ち上がる。身長の高い早瀬くんと低い僕とでは頭一つ分差があった。
「うん、いいよ。ちょうど暇してたんだよな」と返す早瀬くんの後ろでは、彼の友達が囃し立てるように声を上げていた。いったい何にそんなに盛り上がっているのかわからず、僕は内心首を傾ける。だけど、その視線を早瀬くんが断ち切るように顔を覗き込んできた。

 急に近づいた美しい顔に思わず悲鳴をあげそうになって両手で口を塞ぐ。なんだ、このご尊顔の威力は、と思っていると、「聞いてる?」とその顔の持ち主に聞かれる。僕はブンブンと顔が飛んでいく勢いで上下に思いっきり振ると、彼は少しだけ口角を持ち上げた。

 微笑んだ――滅多に笑わない早瀬くんが、僕にその笑みを見せている。

 脳が状況を理解するよりも先に早瀬くんが動いた。

「じゃあ、めんどくさい始業式が終わったら一緒に行こうな」

 そう言ってさらりと僕の頭を撫でて離れていく早瀬くん。なんだ、イケメンか。

 当たり前のことを再認識していると聡がどこからかひょっこりと顔を出した。

「やったじゃん。初デートゲットだな」
「デッ!? は、はぁ!?」
「なんでそんなにキレてんだよ」
「そ、んな! 不埒な!」
「不埒って、いつの時代の人だよ」

 動揺が隠しきれていなかった僕の様子に聡はゲラゲラと笑っている。こいつ、本当に僕の友達なのか、と疑いたくなるが、彼が笑い転げるのも無理ないくらい僕の態度はおかしかったのだろう。

 今回に限り、笑ったことを不問にしてやる、と心の中でいじけていると聡は「悪い悪い」と全く思ってもなさそうなことを口にする。

「でも、よく頑張ったじゃん。去年のお前だったら、きっと早瀬を目の前にしただけで意識失ってただろ」
「そんなこと…………ない」

 ないはずだ、と頭の中で去年の自分をイメージするが、どうにも無事な姿が思い浮かばなくて考えるのを放棄する。

「でも、なんでそんなに積極的なんだ?」

 聡は不思議そうに僕に聞いてくる。その説明をするには、とある事情を話す必要があるからあまり口にしたくはなかった。いけないことをしたとかそいうことではない。ただ、過去の自分の大胆かつ無鉄砲な行動が恥ずかしくて、穴があったら入りたくなるのだ。

 話さなくて済むのならそれに越したことはないが、目の前の男はきっとそれでは納得しない。

 だから僕は小さくため息を吐きながら、仕方なく話すことにした。

 聡にも話したことのなかった、一年生の時の、僕のことを。


 *


 僕が早瀬くんへの恋心を自覚し、その気持ちを隠さなくなるまでには時間は要さなかった。

 初恋であるその恋をどう扱えばいいのか僕にはわからず、単純だった僕はまず、彼に認知されようと必死だった。

 委員会、交友関係、クラスでのポジション。

 一年の半分も過ぎれば、変えられないものはたくさんあった。

 だけど、彼の生活に水瀬凛月という人間を登場させる方法は無限にある。

 例えば、掃除当番を変わってもらい、一緒に掃除をするとか。先生に頼まれごとをされた彼の手伝いをするとか。早瀬くんに毎日「おはよう」って挨拶をすることとか。

 僕は僕にできることを地道に続けた。そうして、三学期を迎える頃には、名前と顔を一致してくれるようにはなっていたはずだ。ゆっくり、牛歩並みの速度で距離を詰めていた僕だったけど、一年生が終わりに近づくにつれて謎の焦燥感に襲われ、胸がざわついた。

 今は同じクラスで、僕という存在を彼の中の知り合い程度にまで持ってくることができたけど、二年生になってクラスが別れたらどうなるんだろう。

 また振り出しに戻るのか。それとも、もう二度と近づくことすら出来なくなるのか。

 彼への恋心を隠すことをやめた僕だったけど、恋愛初心者にはどうやってその想いを成就させればいいのか見当もついていなかったのだ。

 見切り発車で出発したこの気持ちをどうすれば――あの時の僕はそればかりが頭の中を駆け巡っていて、明らかに挙動がおかしかった。

 いつもと様子の違う僕に気がついた早瀬くんは、ある時、二人きりになった時に尋ねてきた。

「俺、なんかした?」って――。

 その質問に僕は言葉を詰まらせた。何も言えないくらい頭の中が真っ白になって、でも何かを言わなきゃって思って。


 それで、つい口をついて出たのが――。


「あの! 好きです!」
「……え?」


 早瀬くんの戸惑った声に僕はすぐに我に返った。


 やってしまった……やってしまった――!


 呆然とした僕の視界の向こうで、早瀬くんは戸惑うように視線を彷徨わせていた。たいして仲良くもない同級生からの突然の告白に、彼が困っているのがよくわかった。僕はすぐに訂正の言葉を紡がなければ、と思ったがうまくまとまらない頭では何も言えなかった。

 代わりに、僕はその場でボロボロと泣き出してしまったのだ。

 今、思い出しても、あの時泣いたのは卑怯だったと思う。早瀬くんも目を見開いて僕を凝視していた。

「ご、ごめんっ……あ、の……泣くつもりは、なく、て…………あれ、なんで……止まらないっ」

 ゴシゴシと制服の端で乱暴に涙を拭うが、何度擦っても涙は止まらなかった。限界を超えた心では制御できなかった。

 最悪だ、と思っていると、涙を拭う手を彼がそっと止めた。そして、早瀬くんは驚いて硬直した僕の代わりに制服の裾で優しく涙を拭ってくれた。ちょっとずつ、溢れた涙を吸い取るようなその手つきに僕は声を失う。

 どうして――?、と頭の中で考えていると、早瀬くんは「ハンカチ持ってなくて悪い」と謝ってきた。

 謝らなきゃいけないのは僕のほうだ、そう言いたかったのに僕は嗚咽を漏らさまいと唇を噛み締めることに必死で何も言えなかった。

 情けなくて俯きかけた僕の頬に、早瀬くんがそっと手を添えた。そして、親指で僕の唇を形をなぞるようにスリッと撫でた。

「そんなに強く噛み締めると、血が出るぞ」
「……ふぇ?」

 間抜けな声が口の端から漏れたけど、そんなことを気にする余裕もなかった。


 早瀬くんの手が、僕の唇に――!?


 何が起きたのかわからないまま、気持ちよかった彼の体温はするりと離れていった。そのことが残念に思えてしまうが、次に続いた彼の言葉に僕は大きく目を丸くする。


「やってみてよ」


「――え?」


「俺のことが本気で好きなら、俺を本気にさせてみて?」


 早瀬くんは僕を愛しむように笑いかけた。一年弱一緒のクラスで過ごしてきたけど、彼がそんなに穏やかに笑うところを僕は一度だってみたことがなかった。いつも一緒にいる人たちとだって、彼は滅多に笑うことはない。

 なのに、今、早瀬くんは誰も知らない表情を僕にだけ見せてくれていた。

 動けないでいた僕の涙はいつの間にか止まっていた。早瀬くんは仕上げというように僕の頭を撫でてから、「頑張ってね、凛月」と言って去っていった。

 僕はみっともなく口を開いたまま、早瀬くんの背中を呆然と見つめる。そして、目元、頬、唇、頭、と順に彼が触ってくれたところを確認していきその温もりを思い出す。

 ――頑張ってね、凛月。

「…………名前、知ってくれてたんだ――!」




 *



 たったそれだけ、されどそれだけ。




 早瀬くんに名前を覚えてもらっていただけで、僕の心は単純にも舞い上がった。そして、彼の言葉通り、早瀬くんを本気にさせるために目下頑張っているわけだ。

 そう締めくくると、聡は「なるほどなぁ」と小さく頷きながら納得していた。

「それが三学期のことで、春休みに覚悟を決めた凛月はこうして涙ぐむましい努力を続けている、と」

「そうそう……って、そんなに軽く片付けないでくれる!?」

 言葉にすれば大したことないかもしれないが、僕としては結構な覚悟を決めて今日登校してきたのだ。アピールを頑張るにしても、同じクラスじゃなければ意味がない。それに加えて、早瀬くん含む一軍集団に乗り込む勇気も備えなければいけなかった。

 今日はたまたま早瀬くんの方から声をかけてくれたからなんとかなったが、いつもこうなるとは限らない。

「まぁまぁ、あんまり重く考えるなよ。それで空回ってたら意味ないだろ?」

 聡の正論に僕はぐうの音も出なかった。おちゃらけている割に鋭い意見を言うのが聡の魅力の一つでもあったが、今それが欲しかったわけじゃない。むしろ、今は僕のこの覚悟を一緒に育んで欲しかった。

「まぁ、一年の時はほとんど話せてなかったことを考えれば、あんだけ話せるなら今後もなんとかなるだろ」
「聡のその自信の一割でもいいから、僕に分けて欲しいよ……」

 大袈裟に肩を落とすと聡は僕の背中を励ますように力強く叩いた。痛くて悲鳴が飛び出そうになり、思わず彼を睨むが気にした様子は見せなかった。

 話がひと段落したタイミングで体育館に移動するアナウンスが入る。

 これから、新しい日々が幕開けるのだ。

 その一歩として、僕はよく頑張った方だと、少しだけ自分を認めることにした。





 始業式もその後のホームルームも終わると、クラスメイトたちは散らばっていった。部活に向かうものもいれば、帰宅する準備をするものもいる。

 そんな中で、僕はドキドキと心臓を高鳴らせながら震える手つきで帰る準備をしていた。この後のことを考えて、緊張が高まってきているのだ。こんな時に聡とバカみたいな話ができればまだ気が紛らったのだが、あいにく彼はホームルームが終わった途端軽音部の部室に直行した。なんでも、もうすぐ部活を引退する憧れの先輩と昼食を食べるようで、僕のことはあっさりと置いて行かれた。

 薄情なやつめ、と恨めしく思いながらも動かす手は止めない。

「ねぇ」と、朝と同じように話しかけられて、僕は驚いて手を止めた。

 目の前にはあの御尊顔がじっと僕の方を見ていた。

「準備、終わった?」
「あ、えっと、うん! 終わったよ!」

 今までに見せたことのないスピードで荷物をまとめると、早瀬くんの隣に立って笑いかけた。

「えっとー、どこに行こうか? 早瀬くんの行きたいところはある?」
「俺の? うーん、別にないかな。逆にどこか行きたいところはない?」
「……僕は本屋に行きたいかも」
「それなら、駅前のショッピングモールに行こう。あそこなら本屋もあるし、他のお店もある」
「う、うん! そうだね、そこに行こう!」

 あの早瀬くんとこんなにも話せていることに僕は感動して、涙腺が緩みそうだった。

 去年の自分よ、見てるか。今、僕はあの早瀬くんと友達みたいに話してるんだぞ。

 過去に戻るアイテムがあれば、そのことを伝えたいと考えながら、二人はショッピングモールに向かって歩き出す。

 途中、「早瀬ー! また、明日な!」と早瀬くんの友達が手を振っていた。早瀬くんは一瞬そちらを見たが、特に反応は返さず、スタスタと歩いていってしまった。その様子に友達は豪快に笑いながら「無視されたわ! あいつ、ひっでぇ!」と言っていた。

 僕はなぜか友達と早瀬くんの間でオロオロとしてしまったが、早瀬くんが「気にしなくていい。あっちも気にしてないから」と助け舟を出してくれた。

 なるほど、そういう友達との距離間もあるのか、と一人で納得する。

 先に昇降口で靴を履き替えて待っている早瀬くんを見て、僕も慌てて靴を履き替えた。

 ショッピングモールへ向かう間は、一方的に僕がずっと話しかけていた。春休み何してた、から始まり、新学期早々にある校外学習の話や中間考査の話を矢継ぎ早に話していた。

 早瀬くんは時折頷きながら、小さく言葉を返してくれた。それだけで、僕の気持ちは天にも昇るようで、嬉しさで舞い上がってしまった。ニコニコと気持ち悪く笑う僕を見ても、早瀬くんは気にしていないようで、そういうクールなところも大好きだ。

 ショッピングモールはこの辺りで一番でかいということもあってか、平日なのに人で溢れていた。その中には、僕たちと同じように制服姿の人もいて、みんな考えることは同じなんだな、と頭の片隅で思う。

「本屋だっけ、行きたいの」という声がぼうっとしていた僕の耳に届く。

 僕は慌てて首を縦に思いっきり振ると、彼は「首、取れそう」と言ってわずかに口角を上げる。ほんの些細な表情の変化に、僕の心臓は大きく跳ね上がった。どうして今、僕はカメラを構えていなかったのだろうか、と悔し涙を心の中で流す。

「じゃ、行こうか」


 そう言いながら差し出された手を僕は疑問符を頭の上にたくさん浮かべながら見つめる。握手? それとも――。


「繋いだ方が良くない? 人も多いし、迷子になっちゃいそう」

 早瀬くんの提案に僕はブワッと顔を赤く染める。悲鳴が溢れそうになるのをなんとか我慢しつつ、手を繋ぐかどうかで悩んでいると、彼の方から手を掴んできた。

「……えっ、わ!」と間抜けな声が口の端から漏れる。

「早く行こう。時間がなくなる」

 早瀬くんは僕の手をしっかりと握ると、先導するように歩き出す。繋がれた手から伝わる彼のに温もりが、心地よく心が温まるようだった。

 彼の一挙一動にドキドキと胸を高鳴らせていて、この先僕はやっていくことができるのだろうか。いや、きっと無理に違いない。すでに心臓が持ちそうにないのに、これ以上何を望むというのか。

 早瀬くんが、僕の気持ちを否定しなかっただけで、僕は報われるべきなのではないだろうか、と本気で考える。

 そんなことを頭の中で巡らせていると、お目当ての本屋に着いた。

 僕は先ほどまでとは違う意味で目を輝かせる。小学や中学の時は本の虫と言われるほど、僕は本が大好きなのだ。
「あ! この人の新作、もう出てたんだ」から始まり、僕は早瀬くんと手を繋いでいることも忘れて、本屋の奥に進む。

 新刊コーナーに置いてある本を一つ一つ確認し、既刊コーナーから掘り出し物を見つけようとくまなく本棚を眺める。紙とインクの入り混じった独特な匂いが僕は好きだった。

「早瀬くん、この本はね……」と続けようと顔を上げた時、ようやく僕は気がついた。

 読書オタクの血が騒ぎ、肝心の早瀬くんを置き去りにしているということに。

 僕は壊れた人形のようにギギギと音を立てながら早瀬くんの方を向いた。冷や汗が止まらないし、先ほどとは違う動悸がして心臓が痛かった。

「うん、それで?」

 隣にいた早瀬くんと視線が交わった時、彼はじっと僕の目を見てそう尋ねてくれた。嫌がっている様子も、無理やり付き合っている様子も感じられなかった。まるで、小さな子供の精一杯のアピールを微笑ましく思っているかのような眼差しに、僕は恥ずかしくなる。

 ――せっかく、早瀬くんと一緒に来てるのに……僕は、自分のことばっかりでダメだ。

 自分のことを情けなく思っていると、早瀬くんがそっと顔を近づけてきた。すぐ隣に来た美しい顔に僕は驚いて飛び跳ねる。

「何を考えているのか、なんとなくわかるけど……楽しそうにしてる凛月を見てると俺も楽しいよ」

 低くて甘い声が耳をくすぐる。こんな人をダメにしてしまいそうなセリフを聞いて、耐えられる人がいるのなら出てきて欲しいくらいだった。そして、何よりも、また名前を呼んでくれたことが嬉しくて仕方がなかった。

「そ、そ、そっか。それならよかった! 僕、空気読めなくて、好き勝手話しちゃってごめんね」
「別に、気にしないで。それよりも、この本の話の続きを教えて」

 繋いでいた手を早瀬くんがいたずらをするようにスリッと撫でる。僕はもう何度押し殺したかわからない悲鳴を堪える。



 イケメンは何をしても、イケメンにしかならないのだ、と僕は茹で上がりそうな頭の片隅で思った。



 早瀬くんとの買い物は楽しかった。

 辺りを歩いている女性の視線を集めていたことは、ちょっとだけ嫌だと思ったけど。それも含めて早瀬くんの魅力なんだと思って、溜飲を下げる。

「今日は、一緒に付き合ってくれてありがとう」
「いいよ。俺もたまには違うことしてみたかったし。それに――」

 建物の隙間から溢れる夕焼けの光を浴びながら、早瀬くんは意味ありげに言葉を切る。僕は不思議に思って顔を上げると、目元を緩めた柔らかい顔をした彼がいた。僕は、これまで一度も見たことのなかったその表情に目を丸くする。


「――それに、凛月の楽しい姿が見れて、俺も楽しかった」


 早瀬くんの偽らない言葉に、僕は「…………ぴぇ」と情けない声を上げる。そんなことを言うなら、僕の方だって、と心の中でつぶやく。

 今日一日で、僕の知らない早瀬くんのいろんな顔を見ることができた。それに、早瀬くんはすごく優しくて、同時にすごく意地悪だということも知った。そうじゃなきゃ、今こうして顔を隠すために引き抜こうとしている僕の手を強く握ったりしないはずだ。まるで、りんごみたいに真っ赤な僕の顔を目に焼き付けるようにじっと見つめられて、僕はもうどうしたらいいのかわからなかった。



 毎分、毎秒、好きが更新されていく。


 僕のこの気持ちは、きっと際限なく湧き上がり続けるのだろう。

 それが早瀬くんの負担にならないか。早瀬くんにとって重たいと思われないか。

 好きが溢れると同時に、不安も同じくらい溢れてくる。
 だけど、そんな不安を吹き飛ばしてくれるのも、目の前の彼だということに僕は後から気がついた。

「ほら、俺を見て」と、呟かれた言葉に導かれるように顔を上げる。早瀬くんは、楽しそうに目を細める。
「俺を本気にさせてくれるんだろ?」
「!」

 早瀬くんの言葉に視界がクリアになるようだった。いつかの言葉が、僕の心にスッと入り込んでくる。


 ――そうだ、僕は早瀬くんに振り向いてもらえるように頑張るって決めたんだ。


 それなのに、僕は自分の気持ちに振り回されて、彼のことをちゃんと見ることができていなかった。

 「うん……うん!」と泣きそうになりながら首を振る僕を見て早瀬くんも満足そうに頷いた。