駅の階段下で待ち合わせる。
真嶋は何を着ても様になる。それは、ピンと伸びた背中のせいだ。思わず見とれる⋯⋯。
「河瀬!」
見つめていたことがバレたかと思って、ヒヤヒヤする。心臓に悪い。
「待たせたか?」
「いや、俺がいつも早いだけだ」
こういうちょっとした優しさが、俺をつけ上がらせる。もしかしたらって、誰だって思うんじゃないか?
毎朝してる待ち合わせも、今日は違う色に見える。
「早く行こうぜ」
真嶋は俺の手を引いた。休日の人混みの中を、躊躇いもなく。
映画は爆発的ヒットしたホラーで、正直、背筋がゾッとするシーンが多かった。
ドンッと大きな音が劇場いっぱいに鳴り響いて、身体がビクッとなる。目を閉じる。
怖いものがきっと映ってる⋯⋯。
キツく目を閉じていると、隣からすっと手が伸びてきてギュッと手を握る。うっすら目を開くと、それはもちろん真嶋のものだった。化け物の冷たい手ではない。
真嶋の手が、俺の手に触れている。
ハッとしてそっちを見ても、スクリーンに集中する真嶋の横顔しか見えない。ブレない視線。
そっと握り返す。その手は空調の効いた映画館でも、いつも通り、温かかった。
映画の内容なんてもう殆ど頭に入ってこなくて、真嶋のことしか考えられない。
さっきまで冷えてた指先が、火照る。
この時間がずっと続くといいな、と気持ちにゆとりが出てきた時、画面にはエンドロールが流れ始めた。
真嶋はじっとエンドロールを観ていた顔を、突然、こっちに向けて「怖かっただろう?」と訊いた。
意地悪だ。
俺は、いつ握った手が離れるんだろうとドキドキして、真嶋が俺の手を離すより前に、ヒュッと、自分の手を引っ込めて、荷物をまとめる。
さっさと手を離されるより、自分から離してしまったほうがいい。
帰りに今日の記念になる何かを、と思って物販コーナーを見ていても、思い出になりそうなものは見当たらない。
そりゃそうだ。ホラー映画のグッズなんか欲しがるヤツはいない。
諦めて、せめてパンフレットだけでも、と思うと、真嶋が「あんなに怖がってたのに、パンフ買うのかよ」と堪えきれないといった様子で身体を震わせて笑った。
そう言ったくせに真嶋の手には、パンフを買った袋がぶら下がっていて、「真嶋だって買ってるじゃん」と言うと「俺は観た映画のパンフは必ず買う主義」と言われてガッカリする。
俺とは理由が違うんだ。
俺は初めてのデートで、浮かれすぎてたのかもしれない。
真嶋は3ヶ月だけ付き合ったという、中学の時の彼女と、映画館デートをしたのかもしれない。
楽しかったデートのはずが、急に気持ちが萎んでさみしくなる。
お揃いで買ったパンフレットが手に馴染まない。持て余していると、真嶋の手がすっと伸びて、パンフの袋を持ってくれる。
「お揃いだな。て、おかしいか?」と真嶋は笑った。
こんなんで女子にモテないなんて嘘だろう、と俺は思った。
もしも真嶋のこんなところを女子たちが知ったら、付き合ってる俺みたいなヤツには、ベランダから生卵がたくさん投げつけられるに違いない。
真嶋に比べたら、俺はヘタレだ。
真嶋は素敵な”彼氏”に違いない。
「行こう」とパンフレットを2冊持った真嶋の逆の手が、伸びた。
「行こう」
「え? まだどこか行くの?」
「お茶くらい、付き合えよ」
真嶋は強引とも取れる強さで俺の手を引いた。行き先は決まってるらしく、足取りに戸惑いがない。
俺は、休日の街中で手を繋いでいることに、まだ慣れずにいた。
その店に入るとチリンと涼し気なドアチャイムの音がして「いらっしゃいませ」と店員の気持ちのいい声で、出迎えられる。
そこは、俺の憧れていた地元の有名菓子店だった。
「真嶋、帰ろう」
「え? なんで? 来てみたいって言ってたじゃん。――すみません、イートインでシュークリームふたつと、コーヒー、でいい?」
「⋯⋯うん」
「コーヒーをふたつ」
かしこまりました、と笑顔の店員がレジを打つと、真嶋はサッとお金を払ってしまった。
「奢りとか、言うなよ?」
「え? 奢るよ。デートだろう?」
「デ⋯⋯、まぁ、そうかもな」
先に座ってろよ、と言われて、イートインスペースに行く。いつも前を通る度、憧れてたガラス張りの華奢なイスに自分が座っている。
女の子とだって、こんなところに恥ずかしくて入れない男が多いだろうに、事もあろうに俺たちは男同士だ。
カタン、とテーブルに硬質な音を立ててトレイが置かれ、真嶋が一拍遅れて座る。
目が合う。
「もしかして、もっと高いお菓子が良かった?」
「全然、そんなこと思ってないよ」
俺は顔の前で手を振って、真嶋の言葉を否定した。
「まぁ、とりあえず食べてみよう。コンビニのシュークリームとどこが違うのか、さ」
粉砂糖のかけられたその小さなシュークリームは、コンビニの、透明な袋に入れられたそれとは違って、皮がサクッとフォークを通す。
中には絞り袋でしぼられた生クリームと、バニラビーンズの黒い粒が見えるカスタードクリーム。
ごくり、と唾を飲む。
「ほら、早く食べて感想言えよ」
恐るおそるフォークを口に運んで、パクッと思い切って食べた。
真嶋が興味深そうに、俺を見てる。
「真嶋、ありがとう! すげぇ美味い!」
「好みの味だった?」
「うん。思ってた通りの」
「良かった、姉貴に評判聞いてきたんだよね」
そう言うと、カップに入った漆黒の液体をごくりと飲んだ。今日もブラックだ。
俺も、勇気を出してカップに手を付ける。ガムシロもミルクも入れずに、コーヒーの香りとともにそれを飲み込む。
「マジで飲めるようになったんだ?」
「あー、まだ苦いけど、苦さが甘みと合うなって思えるようになった」
「なんかひとつ大人になったな」
真嶋が笑った。
ガラス張りの向こうに見える街並みが、少しだけ俺に優しくなった気がした。
ゲイの俺でも、こんなところで楽しむことができるなんて。そう思うと、付き合わせてしまった真嶋に対して、胸がチクリと痛んだ。
「なに変な顔してるんだよ? やっぱりコーヒー、ダメなんじゃないの?」
「ダメじゃない!」
「なんだよ今度はムキになって」
思い切って大きく息を吸い込み、頭を深く下げた。
「ありがとう、本当に! 俺の夢を叶えてくれて! 感謝してる」
真嶋は呆気にとられた顔をして、イスの背もたれに寄りかかって身体を反らせた。
「そんなに大したことじゃないって」
「いーや、俺ひとりじゃ叶えられなかったから。真嶋には感謝だよ」
そんなに気にするなよ、と真嶋は笑った。
悔しいけど、笑顔が眩しかった。
◇
「ホラー苦手なら、他のにすれば良かったのに」
カフェオレのパックを畳みながら、真嶋がもっともなことを言う。
俺は口ごもって「話題作って紹介されてたからさ」と答えた。
「だからって初めてのデートで、何もホラー観なくていいだろう。河瀬って、そういうところ、抜けてる」
「うるせぇな、真嶋とは頭の造りが違うんだよ」と八つ当たり的なことを言う。
真嶋は、今度、図書室で当番じゃない日に、勉強見てやるよ、と言った。
それはさすがにプライドに関わる問題だったので、「ひとりでできるよ」と言い返す。
「意地っ張りだな、お前も」
「真嶋だって、そんなに拘らなくても」
「もし同じ大学に進めたらって思うだろう?」
目を大きく見開いた。
まさか真嶋が、そんなことを思っているとは予想してなかった。
大体、現実的じゃなかったし、俺たちは模擬恋愛の相手だった。
真嶋は俺の顔を見て、「しくじった」という顔をした。
「いや、深い意味はなくて、模擬恋愛がいつまで続くかにもよるじゃん」
単なる話の盛り上がりの末、だったのかもしれない。真嶋の瞳に俺が映る。そんなに長く続く恋のリハビリはないって、俺は思った。
気が付いたら、踊り場のすすけた壁にもたれかかっていた。追い込まれるみたいに。
ふざけすぎた。
距離が近すぎる。怯む。
真嶋の顔が目の前にあって、俺は、こともあろうに目を、閉じてしまった。だって、こんな近くに――。
「そんなに心配するなよ。本気のヤツとしか、俺はキスしないし」
「⋯⋯ああ、そうだよな」と答えた頭は真っ白で、その後、何を話したかはまったく覚えてない。
身体の力が抜けて、汚れた壁にもたれていた背中が、ズズッと滑った。
真嶋は何を着ても様になる。それは、ピンと伸びた背中のせいだ。思わず見とれる⋯⋯。
「河瀬!」
見つめていたことがバレたかと思って、ヒヤヒヤする。心臓に悪い。
「待たせたか?」
「いや、俺がいつも早いだけだ」
こういうちょっとした優しさが、俺をつけ上がらせる。もしかしたらって、誰だって思うんじゃないか?
毎朝してる待ち合わせも、今日は違う色に見える。
「早く行こうぜ」
真嶋は俺の手を引いた。休日の人混みの中を、躊躇いもなく。
映画は爆発的ヒットしたホラーで、正直、背筋がゾッとするシーンが多かった。
ドンッと大きな音が劇場いっぱいに鳴り響いて、身体がビクッとなる。目を閉じる。
怖いものがきっと映ってる⋯⋯。
キツく目を閉じていると、隣からすっと手が伸びてきてギュッと手を握る。うっすら目を開くと、それはもちろん真嶋のものだった。化け物の冷たい手ではない。
真嶋の手が、俺の手に触れている。
ハッとしてそっちを見ても、スクリーンに集中する真嶋の横顔しか見えない。ブレない視線。
そっと握り返す。その手は空調の効いた映画館でも、いつも通り、温かかった。
映画の内容なんてもう殆ど頭に入ってこなくて、真嶋のことしか考えられない。
さっきまで冷えてた指先が、火照る。
この時間がずっと続くといいな、と気持ちにゆとりが出てきた時、画面にはエンドロールが流れ始めた。
真嶋はじっとエンドロールを観ていた顔を、突然、こっちに向けて「怖かっただろう?」と訊いた。
意地悪だ。
俺は、いつ握った手が離れるんだろうとドキドキして、真嶋が俺の手を離すより前に、ヒュッと、自分の手を引っ込めて、荷物をまとめる。
さっさと手を離されるより、自分から離してしまったほうがいい。
帰りに今日の記念になる何かを、と思って物販コーナーを見ていても、思い出になりそうなものは見当たらない。
そりゃそうだ。ホラー映画のグッズなんか欲しがるヤツはいない。
諦めて、せめてパンフレットだけでも、と思うと、真嶋が「あんなに怖がってたのに、パンフ買うのかよ」と堪えきれないといった様子で身体を震わせて笑った。
そう言ったくせに真嶋の手には、パンフを買った袋がぶら下がっていて、「真嶋だって買ってるじゃん」と言うと「俺は観た映画のパンフは必ず買う主義」と言われてガッカリする。
俺とは理由が違うんだ。
俺は初めてのデートで、浮かれすぎてたのかもしれない。
真嶋は3ヶ月だけ付き合ったという、中学の時の彼女と、映画館デートをしたのかもしれない。
楽しかったデートのはずが、急に気持ちが萎んでさみしくなる。
お揃いで買ったパンフレットが手に馴染まない。持て余していると、真嶋の手がすっと伸びて、パンフの袋を持ってくれる。
「お揃いだな。て、おかしいか?」と真嶋は笑った。
こんなんで女子にモテないなんて嘘だろう、と俺は思った。
もしも真嶋のこんなところを女子たちが知ったら、付き合ってる俺みたいなヤツには、ベランダから生卵がたくさん投げつけられるに違いない。
真嶋に比べたら、俺はヘタレだ。
真嶋は素敵な”彼氏”に違いない。
「行こう」とパンフレットを2冊持った真嶋の逆の手が、伸びた。
「行こう」
「え? まだどこか行くの?」
「お茶くらい、付き合えよ」
真嶋は強引とも取れる強さで俺の手を引いた。行き先は決まってるらしく、足取りに戸惑いがない。
俺は、休日の街中で手を繋いでいることに、まだ慣れずにいた。
その店に入るとチリンと涼し気なドアチャイムの音がして「いらっしゃいませ」と店員の気持ちのいい声で、出迎えられる。
そこは、俺の憧れていた地元の有名菓子店だった。
「真嶋、帰ろう」
「え? なんで? 来てみたいって言ってたじゃん。――すみません、イートインでシュークリームふたつと、コーヒー、でいい?」
「⋯⋯うん」
「コーヒーをふたつ」
かしこまりました、と笑顔の店員がレジを打つと、真嶋はサッとお金を払ってしまった。
「奢りとか、言うなよ?」
「え? 奢るよ。デートだろう?」
「デ⋯⋯、まぁ、そうかもな」
先に座ってろよ、と言われて、イートインスペースに行く。いつも前を通る度、憧れてたガラス張りの華奢なイスに自分が座っている。
女の子とだって、こんなところに恥ずかしくて入れない男が多いだろうに、事もあろうに俺たちは男同士だ。
カタン、とテーブルに硬質な音を立ててトレイが置かれ、真嶋が一拍遅れて座る。
目が合う。
「もしかして、もっと高いお菓子が良かった?」
「全然、そんなこと思ってないよ」
俺は顔の前で手を振って、真嶋の言葉を否定した。
「まぁ、とりあえず食べてみよう。コンビニのシュークリームとどこが違うのか、さ」
粉砂糖のかけられたその小さなシュークリームは、コンビニの、透明な袋に入れられたそれとは違って、皮がサクッとフォークを通す。
中には絞り袋でしぼられた生クリームと、バニラビーンズの黒い粒が見えるカスタードクリーム。
ごくり、と唾を飲む。
「ほら、早く食べて感想言えよ」
恐るおそるフォークを口に運んで、パクッと思い切って食べた。
真嶋が興味深そうに、俺を見てる。
「真嶋、ありがとう! すげぇ美味い!」
「好みの味だった?」
「うん。思ってた通りの」
「良かった、姉貴に評判聞いてきたんだよね」
そう言うと、カップに入った漆黒の液体をごくりと飲んだ。今日もブラックだ。
俺も、勇気を出してカップに手を付ける。ガムシロもミルクも入れずに、コーヒーの香りとともにそれを飲み込む。
「マジで飲めるようになったんだ?」
「あー、まだ苦いけど、苦さが甘みと合うなって思えるようになった」
「なんかひとつ大人になったな」
真嶋が笑った。
ガラス張りの向こうに見える街並みが、少しだけ俺に優しくなった気がした。
ゲイの俺でも、こんなところで楽しむことができるなんて。そう思うと、付き合わせてしまった真嶋に対して、胸がチクリと痛んだ。
「なに変な顔してるんだよ? やっぱりコーヒー、ダメなんじゃないの?」
「ダメじゃない!」
「なんだよ今度はムキになって」
思い切って大きく息を吸い込み、頭を深く下げた。
「ありがとう、本当に! 俺の夢を叶えてくれて! 感謝してる」
真嶋は呆気にとられた顔をして、イスの背もたれに寄りかかって身体を反らせた。
「そんなに大したことじゃないって」
「いーや、俺ひとりじゃ叶えられなかったから。真嶋には感謝だよ」
そんなに気にするなよ、と真嶋は笑った。
悔しいけど、笑顔が眩しかった。
◇
「ホラー苦手なら、他のにすれば良かったのに」
カフェオレのパックを畳みながら、真嶋がもっともなことを言う。
俺は口ごもって「話題作って紹介されてたからさ」と答えた。
「だからって初めてのデートで、何もホラー観なくていいだろう。河瀬って、そういうところ、抜けてる」
「うるせぇな、真嶋とは頭の造りが違うんだよ」と八つ当たり的なことを言う。
真嶋は、今度、図書室で当番じゃない日に、勉強見てやるよ、と言った。
それはさすがにプライドに関わる問題だったので、「ひとりでできるよ」と言い返す。
「意地っ張りだな、お前も」
「真嶋だって、そんなに拘らなくても」
「もし同じ大学に進めたらって思うだろう?」
目を大きく見開いた。
まさか真嶋が、そんなことを思っているとは予想してなかった。
大体、現実的じゃなかったし、俺たちは模擬恋愛の相手だった。
真嶋は俺の顔を見て、「しくじった」という顔をした。
「いや、深い意味はなくて、模擬恋愛がいつまで続くかにもよるじゃん」
単なる話の盛り上がりの末、だったのかもしれない。真嶋の瞳に俺が映る。そんなに長く続く恋のリハビリはないって、俺は思った。
気が付いたら、踊り場のすすけた壁にもたれかかっていた。追い込まれるみたいに。
ふざけすぎた。
距離が近すぎる。怯む。
真嶋の顔が目の前にあって、俺は、こともあろうに目を、閉じてしまった。だって、こんな近くに――。
「そんなに心配するなよ。本気のヤツとしか、俺はキスしないし」
「⋯⋯ああ、そうだよな」と答えた頭は真っ白で、その後、何を話したかはまったく覚えてない。
身体の力が抜けて、汚れた壁にもたれていた背中が、ズズッと滑った。



