⦅推しカプ会議⦆
図書室横の空き教室。
カーテンを閉め切り、コの字に並べた机の周りに十数人の女子が静かに腰を下ろしていた。
薄暗く、互いの表情までははっきり見えない。
「本日の議題は――」
リーダー格の女子が、低く声を落とす。
「庶民と天然を受け入れるか」
ざわ、と空気が揺れた。
「あの時の騎士様のお顔を、ご覧になりましたか?」
一人の女子がそっと切り出す。
「あんな必死な顔、今までに見たことがありません」
その声には、驚きと、ほんの少しのときめきが混じっていた。
「確かに……あれは完全に『落ちている顔』でした」
すかさずホワイトボードに、キュキュッと『落ちている顔』の文字が刻まれる。
「王子の方も、いつもとは様子が違いました」
「そうなんです! 庶民を引き寄せる腕が……なんだか、攻めていました」
「まさか、攻め……?」
「もしかすると王子は――せ、攻めなのでは?」
「そんなはず……!」
ざわめきが広がる。
「で、では騎士様はどうなるのですか? まさか……受け?」
「……受けとも限らないのでは? もし、そもそもの認識が違っていたとしたら」
「それは……両方攻めだった……と?」
空気が凍りつく。
ホワイトボードに、厳かに二つの組み合わせが書き足された。
『王子×庶民(羽瀬信也)』
『騎士×天然(篠田漣)』
「私は認めません! 王子×騎士は、この学園の絶対的カップルです!」
「しかし、現実を無視するわけには――」
その声はざわめきの渦に飲み込まれた。
「王子×庶民、騎士×天然――この組み合わせを受け入れる者は、挙手を」
リーダーの声が鋭く響く。
沈黙。
やがて、おそるおそる二、三人の手が上がる。
「――本件は否決とします」
乾いた声が教室に落ちた。
ほっと息をつく者もいれば、唇を噛んで俯く者もいる。
「……あの」
小さな声が沈黙を裂いた。
全員の視線が吸い寄せられる中、小柄な女子が立ち上がり、震える手でホワイトボードにペンを走らせる。
キュキュッ――
『庶民×天然』
「……この可能性も、否定はできません」
「これは……」
「どちらが……?」
薄暗い教室に、ぽつりぽつりとつぶやきが漏れた。
***
男子トイレ。
信也は手を洗いながら、大きくため息をついた。
鏡には、どこか疲れた顔の自分が映っている。
ここ数日、廊下でも教室でも――変な視線を感じる。
振り返れば、そこには決まって大人しそうな女子生徒がいて。
目が合う直前に、すっと視線を逸らされる。
まるで、自分が自意識過剰な変なやつみたいだ。
(いったい、なんなんだ……)
蛇口をキュッとひねった、そのとき――
「体調でも悪い?」
突然声がして、ビクッと肩が震えた。
裕理が、心配そうにこちらを見ている。
――かっこいい。
癒される。
「保健室……行く?」
「あ……そうじゃなくて」
「うん?」
「ここ数日、なんか変な視線を感じるっていうか」
「……ああ、それ俺のせいかも」
裕理は、なぜか気まずそうに頭を掻いた。
「裕理の? なんで」
「先週、階段で……信也を支えたとき、女子に見られてたから」
裕理は言葉を探すように一度口をつぐんでから、視線をそっと信也に向けた。
「そういう目で見られてるのかも」
「それって、まさか……」
急に、雪乃のセリフが蘇る。
「BがLする……?」
つぶやくと、裕理はすこしだけ面白そうに笑った。
「それ」
「!?」
答えが当たってしまった衝撃と、裕理の余裕の笑顔に、頭が真っ白になる。
顔が一気に熱くなり、カクッと膝の力が抜けた。
「信也!?」
裕理が慌てて手を伸ばし、信也の体を支える。
「大丈夫だから。ほんの一部の女子が、勝手に楽しんでるだけだ」
そして、声を落としてつぶやいた。
「……そんな顔じゃ、教室戻れないな」
「え、顔?」
鏡をのぞき込む。
そこに映っていたのは――真っ赤に染まった自分の顔。濡れたように目が潤んでいる。
信也は思わず両手で顔を覆った。
(オレ、なんて顔してんだ――)
***
昼休み。
信也はプールサイドのベンチに、一人で座っていた。
あの後、裕理に「プールで待ってて」と言われ、理由もわからないままここに来た。
水面は静まり返り、広いプールには自分しかいない。
慣れ親しんだ塩素の匂いが、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。
ぽつんとベンチに座っていると、昔のことがよみがえる。
中学の水泳部。
泳ぐことが好きだったはずなのに、いつの間にか苦痛になって、そのままやめてしまった。
なんでやめたんだっけ……記録が伸びなくなって、逃げた。
――多分それだけ。
そんなことを考えていたら、裕理が信也のリュックを持って入ってきた。
「弁当、ここで食おう」
当たり前のように言って、隣に腰を下ろす。
「ここで……?」
信也は、戸惑いながら裕理の姿を眺めた。
もう弁当を広げている。
プールの水面が、光を受けてゆらゆら揺れている。
なんだか、変な光景――でも、悪くない。
ふいに裕理が言った。
「小学生のとき、いきなり飛び込んだんだよな……プールに」
「ん?」
信也はウインナーを食べながら首を傾げた。
「……泳げなかったんだけど、知られたくなくて。結果溺れた」
「マジか」
「大人に引き上げられて、めちゃくちゃ恥ずかしかった」
そう言って苦笑する横顔は、ほんの少し子どもっぽく見えて、可愛い。
小学生の頃の裕理――きっと「小さい王子」って感じだったのだろう。
やがて裕理は笑顔を引っ込め、ぽつりとつぶやいた。
「その後は嘘ついて、水泳の授業を避けてきたけど……だんだん、誤魔化し続けるのがしんどくなってきて」
「それで、ゆる水部に?」
「うん。そろそろ、逃げるのやめようかなって」
その言葉は、不思議と胸に響いた。
「裕理は、すごいな。オレなんか……」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「水泳だけは自信あったんだけど、部活で後輩にどんどん抜かされてさ。結局、途中で辞めた。……今思うと、恥ずかしかったんだな」
裕理はしばらく黙って水面を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「だけど、戻ってきたじゃん」
「まぁ」
「信也だって、すごいよ」
優しく、笑った。
その声が、胸の奥まで沁みていく。
「こ……この学校に、ゆる水部があってよかったな」
涙が出そうなのをごまかすように、わざと軽く言った。
「だな。本当に、それ」
裕理はそう言ったあと、じっと信也を見つめた。
「……なに」
「顔、落ち着いたな」
小さく囁かれたその一言に、また心臓が跳ねた。
「うん……てか、それ言わないでもらえると、助かる」
「あ、悪い」
裕理は素早く顔を正面に戻すと、立ち上がってすたすたと出口に向かう。
信也は頬を赤くしたまま、その後を追った。
***
⦅昼休み:漣と琉惺⦆
教室。
漣は、トイレから戻ってこない信也をボーっと待っていた。
信也が来ないと食べ始められない。
その時、裕理が教室に入ってきて、琉惺に何かを告げた。
「は?」と大きな声を上げる琉惺。そのままポカンと裕理を見つめている。
――珍しい光景だ。
漣が眺めていると、裕理が自分の方へ歩いてきた。
「悪いな」
漣に向かって短く言うと、信也のリュックを手に取り、そのまま廊下に出て行った。
(なんで信也のリュック……まさか、病気? 怪我?)
勝手にパニックを起こす漣。助けに行かないと――
バッと立ち上がった瞬間、目の前に琉惺が立っていた。
「りゅ……?」
「なんか、あの2人、一緒に昼飯食うらしい……」
なぜか小声。
「あ、昼飯」
ひとまず安心する。
だけど――
「は? オレは? まさか一人?」
ひどくないか?
呆然としていると、琉惺が困ったような顔で漣を見た。
「……俺で良ければ一緒に食う? 愛美花、風邪で休みだし」
「え……」
琉惺と二人で昼飯を……?
想像が追いつかず、漣の頭は真っ白になる。
複数の視線に晒されながら食べるくらいなら、ぼっちでいい。
「……嫌ならいいけど」
ふっと琉惺の表情が曇る。
「嫌、じゃないけど。ほら、人目が……」
漣がぼそっと言うと、琉惺は少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「……いいところがある。人目、気にならない場所」
「……え?」
漣はポカンと琉惺を見上げた。
意味が分からず、胸の奥がざわつく。
(それって、どこだよ……)
***
(……なんでゴミ捨て場?)
言われたとおりにゴミ捨て場で待っていると、琉惺がやってきた。
「いくぞ」
「どこに?」
こんな場所からいったいどこに行こうというのか。
「こっち」
琉惺はゴミ捨て場の裏へ回り込む。
漣は眉をひそめながら後を追った。
「なんか……不気味じゃね?」
じめっとした空気に、今にも虫が出てきそうな雰囲気。
ここを抜けたところで、ゴミ捨て場の反対側に出るだけだ。
(なにしてんだ……冒険? ……まさか告白? いや、あるわけない)
そんなことをごちゃごちゃ考えていたとき、古びたドアが見えてきた。
琉惺が慣れた手つきでノブを回すと――ギィ、と音を立てて開いた。
その先には……静かな住宅街が広がっていた。
「え、外?」
風が吹き抜ける。
「この辺、昔は教員住宅だったらしい」
「へー?」
そのまま、琉惺は慣れた足取りで目の前の家に入っていく。
「おい、人んちに勝手に入るな」
琉惺はポケットから鍵を取り出し、ごく自然にガチャリとドアを開けた。
「どうぞ」
中に入るよう促され、漣はその場に固まる。
(……どうぞ、とは?)
一瞬の沈黙が流れたあと、琉惺はさらりと言った。
「俺んち」
さすがの漣も、言葉を失ってボーっとした。
目の前に広がるのは、あまりにも――
「普通だな」
漣の率直な感想に、琉惺は吹き出した。
「普通だって」
「だって、おまえ「騎士」なんじゃないの!?」
漣が半ば本気で言うと、琉惺は肩をすくめる。
「あー、裕理はガチの王子かもな。家すごいし」
琉惺は小さく笑った。
「でも俺は、庶民出の騎士」
「うっ……!!」
その微笑みの矢は、不意を突くように軽やかに、漣の胸を貫いた。
(ずるいっ、そういう言い方……)
***
放課後。
「信也、昼どうしてた?」
漣が下駄箱で靴を履き変えながら言った。
「なんか、裕理とプールで食べた」
「……なんだそれ」
「うけるよな」
信也は肩をすくめて笑った。
「漣は? まさか一人で……」
「ち、ちげーし!」
漣は即座に否定し、少し言いにくそうに口を開いた。
「オレは……なぜか、琉惺の家のリビングで食べた」
信也は目を丸くし、漣を見つめる。そのあと、じわじわ笑いが込み上げてきた。
「普通、人んちのリビングで弁当食べるか?」
「いや、プールで食べる方がない! ……あ、そういえば琉惺にお茶出してもらったわ」
信也が吹き出して、尋ねる。
「紅茶とか?」
「いや、たぶん緑茶」
「ホット?」
「ホット」
「すげー! お母さんかよ」
「まじでお母さんだった。こぼすと、すぐ拭くし……」
二人は同時に吹き出した。
***
下校のチャイムが鳴るころ。
図書室横の空き教室に、小さな紙切れが貼られていた。
『第2回のお知らせ』
何のお知らせなのかは一切書かれていない。
――分かる者にだけ分かる。
夕陽に染まる廊下の隅で、雪乃はその紙切れをじっと見つめていた。
図書室横の空き教室。
カーテンを閉め切り、コの字に並べた机の周りに十数人の女子が静かに腰を下ろしていた。
薄暗く、互いの表情までははっきり見えない。
「本日の議題は――」
リーダー格の女子が、低く声を落とす。
「庶民と天然を受け入れるか」
ざわ、と空気が揺れた。
「あの時の騎士様のお顔を、ご覧になりましたか?」
一人の女子がそっと切り出す。
「あんな必死な顔、今までに見たことがありません」
その声には、驚きと、ほんの少しのときめきが混じっていた。
「確かに……あれは完全に『落ちている顔』でした」
すかさずホワイトボードに、キュキュッと『落ちている顔』の文字が刻まれる。
「王子の方も、いつもとは様子が違いました」
「そうなんです! 庶民を引き寄せる腕が……なんだか、攻めていました」
「まさか、攻め……?」
「もしかすると王子は――せ、攻めなのでは?」
「そんなはず……!」
ざわめきが広がる。
「で、では騎士様はどうなるのですか? まさか……受け?」
「……受けとも限らないのでは? もし、そもそもの認識が違っていたとしたら」
「それは……両方攻めだった……と?」
空気が凍りつく。
ホワイトボードに、厳かに二つの組み合わせが書き足された。
『王子×庶民(羽瀬信也)』
『騎士×天然(篠田漣)』
「私は認めません! 王子×騎士は、この学園の絶対的カップルです!」
「しかし、現実を無視するわけには――」
その声はざわめきの渦に飲み込まれた。
「王子×庶民、騎士×天然――この組み合わせを受け入れる者は、挙手を」
リーダーの声が鋭く響く。
沈黙。
やがて、おそるおそる二、三人の手が上がる。
「――本件は否決とします」
乾いた声が教室に落ちた。
ほっと息をつく者もいれば、唇を噛んで俯く者もいる。
「……あの」
小さな声が沈黙を裂いた。
全員の視線が吸い寄せられる中、小柄な女子が立ち上がり、震える手でホワイトボードにペンを走らせる。
キュキュッ――
『庶民×天然』
「……この可能性も、否定はできません」
「これは……」
「どちらが……?」
薄暗い教室に、ぽつりぽつりとつぶやきが漏れた。
***
男子トイレ。
信也は手を洗いながら、大きくため息をついた。
鏡には、どこか疲れた顔の自分が映っている。
ここ数日、廊下でも教室でも――変な視線を感じる。
振り返れば、そこには決まって大人しそうな女子生徒がいて。
目が合う直前に、すっと視線を逸らされる。
まるで、自分が自意識過剰な変なやつみたいだ。
(いったい、なんなんだ……)
蛇口をキュッとひねった、そのとき――
「体調でも悪い?」
突然声がして、ビクッと肩が震えた。
裕理が、心配そうにこちらを見ている。
――かっこいい。
癒される。
「保健室……行く?」
「あ……そうじゃなくて」
「うん?」
「ここ数日、なんか変な視線を感じるっていうか」
「……ああ、それ俺のせいかも」
裕理は、なぜか気まずそうに頭を掻いた。
「裕理の? なんで」
「先週、階段で……信也を支えたとき、女子に見られてたから」
裕理は言葉を探すように一度口をつぐんでから、視線をそっと信也に向けた。
「そういう目で見られてるのかも」
「それって、まさか……」
急に、雪乃のセリフが蘇る。
「BがLする……?」
つぶやくと、裕理はすこしだけ面白そうに笑った。
「それ」
「!?」
答えが当たってしまった衝撃と、裕理の余裕の笑顔に、頭が真っ白になる。
顔が一気に熱くなり、カクッと膝の力が抜けた。
「信也!?」
裕理が慌てて手を伸ばし、信也の体を支える。
「大丈夫だから。ほんの一部の女子が、勝手に楽しんでるだけだ」
そして、声を落としてつぶやいた。
「……そんな顔じゃ、教室戻れないな」
「え、顔?」
鏡をのぞき込む。
そこに映っていたのは――真っ赤に染まった自分の顔。濡れたように目が潤んでいる。
信也は思わず両手で顔を覆った。
(オレ、なんて顔してんだ――)
***
昼休み。
信也はプールサイドのベンチに、一人で座っていた。
あの後、裕理に「プールで待ってて」と言われ、理由もわからないままここに来た。
水面は静まり返り、広いプールには自分しかいない。
慣れ親しんだ塩素の匂いが、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。
ぽつんとベンチに座っていると、昔のことがよみがえる。
中学の水泳部。
泳ぐことが好きだったはずなのに、いつの間にか苦痛になって、そのままやめてしまった。
なんでやめたんだっけ……記録が伸びなくなって、逃げた。
――多分それだけ。
そんなことを考えていたら、裕理が信也のリュックを持って入ってきた。
「弁当、ここで食おう」
当たり前のように言って、隣に腰を下ろす。
「ここで……?」
信也は、戸惑いながら裕理の姿を眺めた。
もう弁当を広げている。
プールの水面が、光を受けてゆらゆら揺れている。
なんだか、変な光景――でも、悪くない。
ふいに裕理が言った。
「小学生のとき、いきなり飛び込んだんだよな……プールに」
「ん?」
信也はウインナーを食べながら首を傾げた。
「……泳げなかったんだけど、知られたくなくて。結果溺れた」
「マジか」
「大人に引き上げられて、めちゃくちゃ恥ずかしかった」
そう言って苦笑する横顔は、ほんの少し子どもっぽく見えて、可愛い。
小学生の頃の裕理――きっと「小さい王子」って感じだったのだろう。
やがて裕理は笑顔を引っ込め、ぽつりとつぶやいた。
「その後は嘘ついて、水泳の授業を避けてきたけど……だんだん、誤魔化し続けるのがしんどくなってきて」
「それで、ゆる水部に?」
「うん。そろそろ、逃げるのやめようかなって」
その言葉は、不思議と胸に響いた。
「裕理は、すごいな。オレなんか……」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「水泳だけは自信あったんだけど、部活で後輩にどんどん抜かされてさ。結局、途中で辞めた。……今思うと、恥ずかしかったんだな」
裕理はしばらく黙って水面を見つめていたが、やがて小さく笑った。
「だけど、戻ってきたじゃん」
「まぁ」
「信也だって、すごいよ」
優しく、笑った。
その声が、胸の奥まで沁みていく。
「こ……この学校に、ゆる水部があってよかったな」
涙が出そうなのをごまかすように、わざと軽く言った。
「だな。本当に、それ」
裕理はそう言ったあと、じっと信也を見つめた。
「……なに」
「顔、落ち着いたな」
小さく囁かれたその一言に、また心臓が跳ねた。
「うん……てか、それ言わないでもらえると、助かる」
「あ、悪い」
裕理は素早く顔を正面に戻すと、立ち上がってすたすたと出口に向かう。
信也は頬を赤くしたまま、その後を追った。
***
⦅昼休み:漣と琉惺⦆
教室。
漣は、トイレから戻ってこない信也をボーっと待っていた。
信也が来ないと食べ始められない。
その時、裕理が教室に入ってきて、琉惺に何かを告げた。
「は?」と大きな声を上げる琉惺。そのままポカンと裕理を見つめている。
――珍しい光景だ。
漣が眺めていると、裕理が自分の方へ歩いてきた。
「悪いな」
漣に向かって短く言うと、信也のリュックを手に取り、そのまま廊下に出て行った。
(なんで信也のリュック……まさか、病気? 怪我?)
勝手にパニックを起こす漣。助けに行かないと――
バッと立ち上がった瞬間、目の前に琉惺が立っていた。
「りゅ……?」
「なんか、あの2人、一緒に昼飯食うらしい……」
なぜか小声。
「あ、昼飯」
ひとまず安心する。
だけど――
「は? オレは? まさか一人?」
ひどくないか?
呆然としていると、琉惺が困ったような顔で漣を見た。
「……俺で良ければ一緒に食う? 愛美花、風邪で休みだし」
「え……」
琉惺と二人で昼飯を……?
想像が追いつかず、漣の頭は真っ白になる。
複数の視線に晒されながら食べるくらいなら、ぼっちでいい。
「……嫌ならいいけど」
ふっと琉惺の表情が曇る。
「嫌、じゃないけど。ほら、人目が……」
漣がぼそっと言うと、琉惺は少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「……いいところがある。人目、気にならない場所」
「……え?」
漣はポカンと琉惺を見上げた。
意味が分からず、胸の奥がざわつく。
(それって、どこだよ……)
***
(……なんでゴミ捨て場?)
言われたとおりにゴミ捨て場で待っていると、琉惺がやってきた。
「いくぞ」
「どこに?」
こんな場所からいったいどこに行こうというのか。
「こっち」
琉惺はゴミ捨て場の裏へ回り込む。
漣は眉をひそめながら後を追った。
「なんか……不気味じゃね?」
じめっとした空気に、今にも虫が出てきそうな雰囲気。
ここを抜けたところで、ゴミ捨て場の反対側に出るだけだ。
(なにしてんだ……冒険? ……まさか告白? いや、あるわけない)
そんなことをごちゃごちゃ考えていたとき、古びたドアが見えてきた。
琉惺が慣れた手つきでノブを回すと――ギィ、と音を立てて開いた。
その先には……静かな住宅街が広がっていた。
「え、外?」
風が吹き抜ける。
「この辺、昔は教員住宅だったらしい」
「へー?」
そのまま、琉惺は慣れた足取りで目の前の家に入っていく。
「おい、人んちに勝手に入るな」
琉惺はポケットから鍵を取り出し、ごく自然にガチャリとドアを開けた。
「どうぞ」
中に入るよう促され、漣はその場に固まる。
(……どうぞ、とは?)
一瞬の沈黙が流れたあと、琉惺はさらりと言った。
「俺んち」
さすがの漣も、言葉を失ってボーっとした。
目の前に広がるのは、あまりにも――
「普通だな」
漣の率直な感想に、琉惺は吹き出した。
「普通だって」
「だって、おまえ「騎士」なんじゃないの!?」
漣が半ば本気で言うと、琉惺は肩をすくめる。
「あー、裕理はガチの王子かもな。家すごいし」
琉惺は小さく笑った。
「でも俺は、庶民出の騎士」
「うっ……!!」
その微笑みの矢は、不意を突くように軽やかに、漣の胸を貫いた。
(ずるいっ、そういう言い方……)
***
放課後。
「信也、昼どうしてた?」
漣が下駄箱で靴を履き変えながら言った。
「なんか、裕理とプールで食べた」
「……なんだそれ」
「うけるよな」
信也は肩をすくめて笑った。
「漣は? まさか一人で……」
「ち、ちげーし!」
漣は即座に否定し、少し言いにくそうに口を開いた。
「オレは……なぜか、琉惺の家のリビングで食べた」
信也は目を丸くし、漣を見つめる。そのあと、じわじわ笑いが込み上げてきた。
「普通、人んちのリビングで弁当食べるか?」
「いや、プールで食べる方がない! ……あ、そういえば琉惺にお茶出してもらったわ」
信也が吹き出して、尋ねる。
「紅茶とか?」
「いや、たぶん緑茶」
「ホット?」
「ホット」
「すげー! お母さんかよ」
「まじでお母さんだった。こぼすと、すぐ拭くし……」
二人は同時に吹き出した。
***
下校のチャイムが鳴るころ。
図書室横の空き教室に、小さな紙切れが貼られていた。
『第2回のお知らせ』
何のお知らせなのかは一切書かれていない。
――分かる者にだけ分かる。
夕陽に染まる廊下の隅で、雪乃はその紙切れをじっと見つめていた。


