あれからまた季節は巡り、再び夏を迎えた。
夜、潮騒が鳴り響く浜辺では、水着姿の青年と女性――蒼汰と美織が波打ち際に佇んでた。
「ああ、だいぶ暗くなってきたな。もう海から出るぞ」
「うん、分かった」
二人は砂浜の上にしゃがみ込んで隣同士で座ると、濡れた肌同士が張り付きあう。
もう少しで満月になりそうな月が空にはかかっていて、満天の星が光り輝いている。
打ち寄せる波の音が響き渡る中、二人は寄り添いあって夜空を眺めた。
「星、綺麗だね」
「ああ、そうだな」
美織は元々美少女だったが、さらに美しく成長しており、神々しくて月の女神のような出で立ちだ。
本土を歩いていたらアイドルにならないかとスカウトされたらしいが、丁重にお断りしたという。
(勿体ないが、まあ俺としても安心だな)
七年の月日を経て奇跡的に復活した蒼汰はといえば、凛々しい美青年へと成長していた。ちゃんと髭も沿っているため精悍な顔つきが露わになっている。
最初は自身の容貌の変化についていくのがやっとだったが、鏡を何度も見ている内にだいぶ慣れてきた。
筋力が衰えていたのも気になっていたが、リハビリの成果もあって徐々に元々の逞しい体つきへと戻ってきている。肩の怪我に関してはやはりどうにもならないようだったが、ある程度は動かせるため、日常生活を送ったり就労したりするには問題ないようだ。
もちろん、前のような速さで泳ぐことは出来ないが、海で泳ぐには支障はないので、蒼汰としても満足していた。
(また海で泳げさえすれば、それで良い)
蒼汰が目を覚ましたことを、蒼汰の父も妹ほのかも親友の恭平も――それどころか島中の皆が喜んでくれていた。
先日、すっかり老け込んでしまっていた山下先生からは、改めて謝罪の言葉があった。
高校生当時はショックだったが、蒼汰の将来のことを思って率直な意見を述べてくれただけだと理解している。
幼少期から蒼汰に憧れていたという昼空学という人物がいた。美織に恋していたようだが、そっと身を引いたようだった。
「また君とこんな風に星を眺めることが出来て幸せだよ」
「俺もだよ」
美織が屈託なく微笑んできたので、蒼汰の胸も温かく満ちてきた。
「ちゃんと顔をつけることができるようになったし、ビート板があればバタ足は出来るようになったし、もう少しで君との約束を果たせるはずだよ」
そんな風に話す美織の姿を見て、蒼汰としては懸念があった。
(美織が俺にとってかけがえのない存在なんだってことは分かるんだが……)
実は、蒼汰としては、どうしてそうなったのか、まだ完全には記憶が戻ってきていないのだ。
(高校時代の俺が助けた時、美織は小学生じゃなかったか?)
その辺りの経緯がよくは分からないままではあったが――毎日献身的に自分のことを支えてくれる彼女に対して、彼が再び好意を抱くようになったのは当然の流れではあった。
(美織と俺は今年、皆に遅れての大学受験なわけだが……)
美織は術後のフォローやリハビリの関係があったので、高校を卒業した後は無職のまま過ごしていたようだが、成績自体は良いので、本土にある宇宙学科に通うのを検討しているらしい。
蒼汰は今年大検に合格したし、全国模試を受けたら医学部もA判定のままだった。自身の怪我や寝たきりだった経緯や美織の病気について調べている内に興味も湧いてきていた。
(医者になって、ほんの少しで良い、俺や美織と同じように困ってる人達の力になれたら……)
新たな目標が出来て、蒼汰の燻ぶっていた情熱の炎は再燃しはじめていた。
だから、二次試験の対策をしっかりした上で医学部受験に挑戦するつもりだ。
(俺と一緒に過ごす約束を果たしたら、美織はいなくなるんだろうか?)
「元気になったら一緒に泳ごう」と約束を交わしたのは覚えているので、願いを叶えるべく一緒にいるわけだが――蒼汰と美織は恋人同士というわけではない。
蒼汰には美織のことを庇って高潮に攫われて七年間眠ってしまったという経緯がある。
(俺の時間を奪ったっていう負い目があるんじゃないだろうか?)
だからこそ、約束を果たした彼女が、もうすっかり元気になりつつある自分の前からいなくなるのではないか?
蒼汰はずっとそのことを懸念していた。
(年齢も五歳上だし、親父みたいに一回で医学部に受かれば良いが、俺もブランクもあるし……)
下手したら二十六歳の浪人生になってしまう恐れがある。
(小学生の頃の美織は俺に憧れていたはずだから……)
だけど、それからもう八年の月日が経っているのだ。
どうしてだか、蒼汰としては眠っていた期間も長かったため、美織を同年代のように考えてしまうことがあるのだが……
本当の同年代の男性の方が良いと言われたらどうしようか。
(俺は……前をまっすぐに見るって決めただろう?)
いつそう思ったのかは忘れたが、漠然とそのことは覚えている。
蒼汰は高鳴る鼓動を抑えながら、美織に声をかけた。
「美織、お前に話がある」
「んん? なあに?」
振り仰いできた美織のことを蒼汰はまっすぐに見据えると力強く告げた。
「良かったら、これから先も俺とずっと一緒にいてほしいんだ」
どうか色好い返事が返ってきてほしい。
そんな風に蒼汰は願ったのだが……
「え……?」
美織がどうしてだか瞳を忙しなく揺らしている。
蒼汰の心にまるで高波が襲ってきたかのような衝撃が襲ってくる。
(やっぱりダメなのか?)
すると、美織から返事があった。
「君は一緒にいるつもりがなかったの?」
「は……?」
その時、美織が勢いよく蒼汰の首にしがみついてきた。
「は、離れろ、胸が当たってる」
だがしかし、聴く耳持たずの美織は蒼汰から離れまいとぎゅうぎゅうくっついてくる。
「私はずっと一緒に過ごすのが前提だと思ってたのに、君は違ったんだって思って」
耳元で聴こえる美織の声は少しだけ寂しそうだった。
「そういうわけじゃなくてだな……」
「だったら、私に手を出すだけ出して、遊びだったの? 既成事実をどうするつもりだったの?」
「はあ……!?」
蒼汰の胸の内に動揺が走る。
(俺は七年間寝てたんだよな? 既成事実を作る時間はなかったはずだし……小学生に手を出したりはしていないはず……)
美織はちょっと変わったことを言う子だし、いつか思い出せると信じて、そのことに関してはひとまず触れないでおこう。
美織のことをそっと引きはがすと、蒼汰は深呼吸をする。そうして、近くに置いてある荷物の中から、とあるものを取り出した。
「君、それは……」
美織がお月様のように真ん丸に目を見開くと歓喜の声を上げる。
「流れ星の欠片!」
そう、彼女が言うように、少し大きめの流れ星の欠片――黄金色のシーグラスとワイヤーで手作りした指輪だった。
「もしかして君の手作りなの? すごく器用! 綺麗!」
「ああ」
蒼汰は目の下を赤く染めながら頷いた。一度咳ばらいをして気を取り直すと、美織のことを改めてまっすぐに見据える。
まるで競泳の際に飛び込み台に立った時のような心境になった。
彼は逸る心臓を抑えながら、真摯に告げる。
「美織、忘れてるところもあるが、俺がちゃんと生きようと思えたのはお前のおかげだった。水泳と同じぐらい、いやそれ以上にお前のことが好きなんだ。どうか結婚を前提に付き合ってほしい」
二十歳そこそこの女性に対して結婚を前提にしての交際は――少々早すぎたかもしれない。
後悔先に立たずだ。
美織の答えを蒼汰は黙って待った。
「すごく嬉しいんだけどね、結婚はダメかも……?」
彼女の返答を聞いて、彼はごくりと唾を呑み込んだ。
内心では「やはりダメだったか」とフラれたショックで焦燥感が激しい。激しい波の上を船で揺らいでいるようだ。
すると、彼女がおずおずと続けた。
「私は……奇跡的に病巣は取ってもらえたけど……あまりにも奇跡的な成功だったから、再発の危険性に関してはまだデータがないからはっきりしたことは言えないって先生から説明されてて……だから、君と結婚しても迷惑をかけちゃうかもしれなくって」
美織の瞳には涙が滲んでいた。
彼女の姿はまるでどこかに消えてしまいそうなぐらい儚いものだった。
「美織」
どうやら彼女は蒼汰のことが嫌だから断るわけではないらしい。
正気に戻った蒼汰は美織のことをまっすぐに見据え直した。
「そんなの迷惑なわけないだろう? それに万が一の時は、俺がちゃんと医者になって、お前の病気を診てやるよ。お前がこの一年間、俺の世話をしてくれたみたいにさ」
美織の瞳が忙しなく揺れる。
「それで? お前は俺のことが好きなのか? どうなんだ?」
すると、美織が瞳に涙を溜めながら答えた。
「もちろん、私も君のことがずっとずっと大好きだよ」
蒼汰は美織の返答を聞いて両手の拳をぎゅっと強く握った。
まるで水泳の試合で優勝した時のような高揚感だ。
そうして、彼は彼女の左手をとると薬指に手作りの指輪を通す。
「今はこんなものしか渡せないけど――ちゃんと働くようになったら、本物を渡すから」
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
美織の瞳が涙で潤む。
蒼汰はそっと彼女の頬を両手に包み込んだ。
「二人一緒なら、どんな願いだって叶えられる。これからもお互い支え合って幸せになろう」
強い願いは奇跡だって起こせるのだから。
「そうだね。ありがとう。奇跡を起こした私たちならきっと幸せになれる。私にとっての一番星の君となら、絶対に」
美織の微笑みは――まるで天使のように清らかで美しかった。
蒼汰は今ある幸せを噛みしめながら告げた。
「俺にとっても、お前が希望の星だよ、美織」
満天の星の下、二人はそっと口づけを交わす。
優しい星々の光が、ありえなかった未来を手にした二人の再出発とこれから歩む道のりを、明るく照らしてくれていたのだった。
満天の星の下、消えゆく君と恋をする(完)



