蒼汰は神社に辿りついていた。
「もう少し美織から詳しい状況を聞いておけば良かったな」
夏祭りの際に美織が話していた通り、彼女が隠したという「流れ星の欠片」とやらは見つからなかった。
「さすがにないか……」
台風が近づいてきているからか雨が少しだけ降り始めている。
(確かこの辺りだったよな……)
美織に何か渡した時の記憶を完全に思い出したわけではない。
断片的な思い出の中、蒼汰はキョロキョロとクスノキの下を探し回った。
(ほのかだって探したのになかったんだし、俺が探したところで見つかるわけはないか)
だが……
『蒼汰、強い想いや願いは、必ず貴方の力になって、奇跡だって起こせるわ』
脳裏に幼い頃の母との記憶が思い返される。
(俺が諦めたらそこで終わりだ)
蒼汰はぎゅっと拳を握りしめる。
やみくもに探しても埒が明かないかもしれない。
どうにかして記憶を辿ろうとしていた、その時。
「あれは?」
視界の中で何かが光った。
蒼汰は目を凝らすが、しかしながら特に光るようなものは何もない。
(俺の希望でしかないかもしれない。だけど、少しでも望みがあるんなら……!)
そうして、彼は少しだけ離れたクスノキの下にしゃがみ込むと、土を掘り起こし始めた。
(俺の記憶が正しければ、流れ星の欠片ってやつは確か……)
指先の爪の間に土が入るのも気にせずに、その場を掘り起こしていく。
その時――
カツン。
何かに指先が触れた。
土をさらに掘り返す。
「これだ……!」
蒼汰は掘り当てたものを目の前に掲げた。
彼の手には親指ぐらいの大きさのコルク瓶があった。
中には色とりどりの石粒が入っている。
「ええっと、確か石じゃなくて……」
コルク瓶に詰め込まれているのは――シーグラス。
本当の流れ星の欠片ではない。
そして石とも違う。
シーグラスとは浜辺に漂流したガラス片のことだ。
波に揉まれて丸みを帯びた曇りガラスのようになっている。
まるで研磨された宝石の粒のようで……まるで星々のようにキラキラと輝いていた。
「小瓶の中の小宇宙か」
そこで蒼汰は閃いた。
母親と一緒に砂浜で拾った大事なシーグラス。
「そうか、俺はこれを美織に……」
ふと、彼女から受け取っていた根付を預かっていたことを思いだした。
預かって以来、スマホケースにストラップ代わりにつけておいたのだが……
突如、根付の紐がプチンと切れる。
「な……」
特に雑に扱ったわけでもなんでもないというのに……
「なんで急に切れるんだよ」
お互いのお守り替わりとして渡し合ったものが千切れてしまうだなんて、なんだか不吉な予感がした。
「まさか美織に何かあったんじゃないだろうな?」
さすがに根付の紐が切れたぐらいで思い込みが激しいだろうか?
だが、風でがたがたと震える窓の外を眺めていると、生前の蒼汰が幼い美織を庇った際の記憶が閃く。
(あの日もこんな嵐だった)
心臓が大きな鼓動を立て始める。
もし違ったのなら、女々しいしかっこ悪いかもしれないが……
そうならば、安心だ。この根付を返して、無事に手術が成功することを祈るのみである。
「直感を信じろ」
そうして、蒼汰は美織が入院している病院へと向かうことにしたのだった。
台風の前兆だろう、外では雨がざあざあと降り始めていた。
(俺が死んだ日も、こんな日だったな)
まだ朧げなところもあるが、次第に記憶が輪郭を帯びつつあった。
灰色の分厚い雲が空を覆って、少しだけ生ぬるい風が吹いていて、時々強い風へと変わる。
しかも、ちょうど台風の号数も同じだったし、なんだか数奇な運命のようなものを感じた。
「待っていろ、美織!」
そうして、駆け出した蒼汰だったが、ぐにゃり、外の風景が歪んで見える。
「……っ……」
前後不覚になって立っていられないような、そんな感覚に陥ってしまう。
「なんだよ、めちゃめちゃ透けてんじゃんかよ」
自身の指先を見ると、透けているというよりも、もはや指先が消えてしまっていた。
蒼汰は漠然とだが……
……もう自分は今日この世から消える。
そんな思いが芽生えはじめる。
「なんだろうな、なんとなくだがな」
身体がなんとなく自分の自由には動かないような錯覚に陥る。
消えるのも近い。
その考えが、徐々に確信のようなものへと変わりつつあった。
神社から降りた付近の駐輪場に停めていた自転車に乗り込むと、海岸線を駆け抜ける。
病院は山の頂上にある。
そんなに雨は降っていないが風がとにかく強い。
坂道を一気に駆け上るが、以前通った時のように息が上がったりはしていなかった。
そうして、病院の駐輪場に自転車を置くと、正門へ向かって駆ける。
駐車ロータリーを抜け、久しぶりに来た正面玄関の自動ドアをくぐり抜けて中へと入る。
「さて、問題は、どうやって美織の部屋を探すかだな」
残念ながら、受付事務の女性にも当然蒼汰の姿は見ていなかった。
「カルテの不正閲覧でもするしかないか」
周囲に見えていないのだから、それが手っ取り早いかもしれない。
覚悟を決めてカウンターの中へと乗り込もうとしたところ、ちょうど、自動扉から昼空学が姿を現わした。
見るだけでも嫉妬で頭がおかしくなってしまいそうだが、美織の病室を知るうえでは、この上なく良い機会だ。
蒼汰は昼空学から少し離れた位置に立つ。
「夜海美織は、そこにいるんですね、分かりました。教えてくださって、ありがとうございます」
学は受付事務に話しかけた後、外来棟を抜けて病棟エレベーターへと向かう。
そんな彼の後ろを蒼汰は着いて歩いているが、もちろん相手が気づくことはない。一緒のエレベーターに乗って、目的の七階へと登る。
エレベーターの中で、学の横顔を眺めた。凛とした顔立ち、特に粗もない、いわゆる美少年だ。
……蒼汰以上に美織のことを知っている男。
しかも、蒼汰とは違ってちゃんと生きていて、水泳でも自分が居る場所だったところに居座っている。
どうしようもなく嫉妬心が黒い靄となって噴出してくるようだった。
蒼汰はぎゅっと歯噛みして、拳を握る。
だけど、そもそも生きる年代だって違う。
(七つも年の離れた相手に対してみっともないな)
実際には、そう簡単にそんな風には思えないが、そう思って溜飲を下げるしかないのだ。
(それよりも今は美織のことだ)
蒼汰はひとまず深呼吸をして気持ちを宥めた。
七階に到着して、学と一緒にエレベーターを降りる。
西病棟のスタッフステーションへと顔を出して、受付の女性に病室を訪ねる。
「ああ、夜海さんの彼氏さん。角にある個室にいらっしゃるはずです」
「分かりました、ありがとうございます」
学は美織の彼氏でもなんでもないはずなのに、彼氏であることを否定しなかった。
(腹立つな、こいつ。そこは否定しろよ。マジでむかつく。それとも……)
蒼汰と離れた後、この一週間のあいだに、もしかしたら昼空学が告白して、美織から了承をもらったのかもしれない。
(今はそういうことを考えるな)
蒼汰は首を横に振ると、改めて学の後を追い掛ける。
美織はどうやら多床室ではなく個室を借りているようだった。
どうやら個室は二つあるようで、美織の部屋の一つ手前の個室には、『家族以外の面会・立ち入り禁止』との札がわざわざ掛けられていた。
その部屋を抜けた先、美織の部屋だろうと思しき場所へと辿り着くと、学が部屋をノックした。
「美織、僕だよ、来たよ」
だが、シンと静まり返っていて、中から返事はなかった。
しばらく待ってから再度ノックしたが、やはり返事はない。
「おかしいな」
蒼汰は学の隣に立つと、部屋の扉に向かって聞き耳を立てた。
水の音が聴こえれば、洗面所にいるなり、シャワーを浴びているなりの可能性がある。
けれども、人の気配のようなものさえ感じない。
「返事がないが、入るぞ」
学が重い片開きの扉をスライドさせた。
そうして、部屋の中へと一歩足を踏み入れる。
台風が接近しているが、そろそろ目に入る頃なのだろうか、ちょうど空が垣間見えていて、病室の中に西日が差していた。
「美織、どこにいる?」
学がキョロキョロしている横をすり抜けると、蒼汰も室内の中を見渡した。
だが、やはり美織の姿はなかった。
なぜだか妙に嫌な予感がする。
その時。
「失礼します! 夜海さん、こんにちは!」
病室に女性看護師が姿を現わした。
名札には新人看護師のマークがついている。自分たちとそこまで年が離れていない女性で、茶髪の髪を頭の上で纏めている。髪色は変わっているが、彼女の姿になんとなく見覚えがあった。
(ああ、同じクラスの溝口か、看護師になったんだな)
働きはじめているかつての同級生の姿を見て、否応なく時の流れを感じてしまう。
自分だけが時の流れに取り残されてしまっているのだと。
「検査前の前投薬に来ました! って、あれ? あれれ? 夜海さん、どこにいるの……!?」
溝口看護師は相変わらずそそっかしいようだ。
大慌てしている彼女に対して、学が冷静沈着に返事をする。
「僕が来た時にはもう姿はいなかったんです」
「ええっ、ちゃんと十六時半には部屋に戻りますって約束してくれてたのに!」
時計に視線を移せば、きっかり十六時半だ。
溝口看護師が部屋の中をしばらくうろうろして美織の姿を探していた。
「はっ、まさか! ベッドから落ちてないよね!?」
ベッドの下まで覗き始めた。
(美織は細いが、さすがにそんなに小さくねえよ。変わったやつだと思ってたが、全然変わってないのな)
蒼汰は、内心ツッコミを入れてしまった。
「今から術前準備しないと間に合わないよう。早く戻って来てえっ!」
溝口看護師の言葉を聞いて、蒼汰はハッとなる。
「手術、もうすぐなのか」
美織は再入院すると話していたが、ちゃんと手術を受けることにはなっているようだ。
「看護師さん、僕、外を探してきます」
学が病室を飛び出していく。
「ええんっ、もう十分ぐらい経つのにいないよう、ああ、先輩に連絡しなきゃ!」
溝口看護師がナース服のポケットに仕舞っていたPHSを取り出すと、慌てて電話連絡をはじめた。
フロアがにわかに騒ぎになりはじめる。
「無断離院とかそんなことする子には見えないんだけどな。あ、師長さん!」
ちょうど病室に恰幅の良い女性が現れた。名札に「看護師長」と記載されている。どうやらこの病棟の管理責任者のようだ。
「溝口さん、状況を説明してくれる?」
「ええっとですね」
そうして、話を聞き終えた看護師長が顎に手を当てると唸りはじめる。
「まだ私が副看護師長時代にね、小学生だった夜海さんが実は無断離院したことがあるのよ」
溝口看護師が驚きの表情を浮かべた。
「ええっ、そうなんですか!?」
看護師長が眉根を寄せる。
「隣の……いいえ、なんでもないわ」
「え? もしかして、彼の?」
看護師同士でしか分からない話をはじめた。
誰にも認識されていない蒼汰は病室の窓へと向かう。
ざわざわと嫌な予感が襲ってくる。
(美織……!)
ちょうど看護師長も窓の外を眺めながらぼやく。
「しかも、彼女が抜け出したのは、ちょうど今日みたいな日だったのよ。台風が来ていたの。なんだか嫌な予感がするわね」
「師長さんの勘、経験に基づいているからか、当たりますしね」
「主治医に連絡を。あなたは先輩たちにもこのことを伝えておいて。単に散歩をしているかもしれない。私は館内放送を依頼したら、正面玄関の守衛さんに夜海さんが外に出ていないかを尋ねてみるわね」
看護師長がテキパキと指示を出し始めると、溝口看護師はパタパタと駆け足で病室から去って行った。
(美織……!)
蒼汰は窓の外を見下ろした。
ちょうど自分たちが溺れた海岸――毎日顔を合わせていた砂浜と荒れ狂う海が見える。
もうしばらくすれば満潮を迎える。
台風が接近している時の満潮の海は危険だ。
しかも、これから先暗くなる一方だ。
蒼汰が歯を食いしばりばがら外の風景を見下ろしていると、自身が死んだはずの日のことが脳裏に閃く。
「そうか、あいつは俺に……!」
そうして、蒼汰は踵を返すと、勢いよく病室を飛び出したのだった。



