蒼汰は家を出ると、自転車に乗って図書館へと向かっていた。
木々が立ち並ぶ道路上でタイヤを走らせていると、蝉の音が一際うるさく耳に届く。
八月も半ばに差し掛かろうとしている。
「あいつ、大丈夫かな」
あの後結局、昨晩は美織の家で一夜を共にしてしまった。
もちろん男女の関係になったわけではなく、勿論健全な間柄のままだけれど。なんだか今までとは違う自分になってしまったような錯覚のようなものがあった。
朝になって、なんとなく一夜を過ごしたことに対して罪悪感のようなものがあった。
眠る彼女が目覚めるのを見届けた後、彼女の家を後にした。
『また今日も待ってるから』
なぜだか頬を朱に染めた美織の顔を見ると、なぜだか蒼汰の顔も赤面してしまった。
抱きしめた時の彼女の柔らかい感触が残っていて、それを思い出してしまって、どうしようもなく落ち着かなくさせた。
実は美織が隣に眠っていたので一睡もできなかったので、早朝に帰宅してしばらく仮眠をとることにした。
頭が興奮しているのか、二時間ほど眠ったら、ぱちりと目を覚ましてしまった。
起きてからも美織の感触を思い出してしまう。
まずい……雑念だらけだな。
彼女の柔らかさに触れて幸せだった半面、昨晩の様子が気になった。
『せっかくだから調べてみるか』
美織にはどういう疾患名なのか教えてもらっていた。
(脳神経系の病気……)
調べ方が悪いのかもしれないが、インターネットで調べても、患者の闘病ブログのようなものばかりが出てきて、知りたい内容にはたどり着けなかった。
疾患に関しては、医者をしている父に聞いた方が早い気もしたが、どうして調べているのかと根掘り葉掘り聞かれるのが嫌で止めることにした。
父の書斎に入って医学書を見るのも、勝手に書物の配置が変わっていると指摘されても面倒だし、結局図書館に自分で足を運ぶことにした。
図書館に到着して自転車を停めると、冷房の効いている建物の中へと入る。
走ってきていて暑かったが、汗が一気に引いて、ひんやりとしてきた。
医療のコーナーは図書館の中央当たりにあったはず。
辿り着いてタイトルに目を通す。一般的な『家庭の医学』といったものから、解剖学の本、看護関係の教科書類、怪しげな民間療法の類まで様々な作品が並んでいた。中でも腰痛に関しての本が多い。
パラパラと一般的な医学の本に目を通すが、どうも違う。
脳・神経疾患という本に行き当たり、該当ページをめくった。
「脳・神経の疾患の……これか?」
彼女の病気がどういう経過を辿るのかということまでは分からなかった。
だが、簡単にどういう病気かについては分かった。
「予後に関しては、ちゃんとした医学書か文献じゃないと分からないか」
今度は図書館のPCでの図書閲覧サービスを利用することにする。
自宅で調べても良かったのだが、島の図書館のインターネットは色々な図書館とリンクしており、様々な文献を取り寄せやすいのだ。
医学系の文献検索データベースに移動して、検索ワードを入力した。
ふと、該当疾患のテーマに対して、緩和ケアや終末期医療という単語が目に付く。
詳しいことは知らないが、またもや父との会話が頭に浮かんできた。
「緩和ケアと聞くと、終末期医療を想像する患者さん達が多いんだけどな、最近は緩和ケアは痛みがある人には全て適応になるんだ」……と。
文献に記載されている引用・参考文献に目を通す。どうやら海外から日本まで、様々な文献が記載されているようだ。
「こういうのなら信頼できそうだな」
といっても詳しい読み方は分かってはいない。父が一般書の類には嘘が書かれているものも混ざっていると話していた。
「たまに話す内容が、仕事の話とか……父子の会話じゃねえな、ったく……俺の事情なんざ、全然聴いてこないのなんのって……」
けれども、こうやって父親との話が参考になる日が来るとは思わなかった。
そうして、美織の疾患の研究報告や症例報告に目を通すことにする。
(美織の病気の予後、これか……)
抄録でめぼしいものを探し当てると、文書データをダウンロードした。
(これは……)
マウスで文書をスクロールしていた指先が震える。
美織の病気は、ほとんど罹患しづらい疾患のようだが、若年者がかかれば予後が長くないことが記載されている。
「そんな……あいつは……」
ふと、彼女の言葉が脳裏をよぎる。
『私はさ、夏の間に儚くなるんだよ』
つまるところ、それそのものの意味だったということで……
あまりの衝撃に胸にずっしりと重しが乗ったような気持ちになった。
彼女は紛れもなく若年者の部類になるだろう。
「美織は……」
PCの画面が次第に滲んで見えてくる。
いつも蒼汰に向かって微笑みかけてくる美織。
全く病人には見えないほどに、明るく振舞っていた。
だけど、影ではどれだけの苦痛を抱いていることだろう。
『月って裏側は見えないでしょう、綺麗なところだけ見せてるの』
死の恐怖と戦いながら、蒼汰を気遣うような行動をとってきてくれた。
「そうか……」
彼女の優しさと自分のふがいなさとで、なんだか目頭が熱くなってきたのだった。



