遠目で見ても大きな屋敷だったが、辿り着いた家は豪邸といっても差し支えないぐらいに大きなものだった。
島の建物にしては珍しく、庭の周囲に柵がしっかりと施されていて、防犯カメラが備え付けられており、セキュリティもしっかりしている。車庫はオートシャッターのようで、贅沢な造りだと分かった。
外壁はまだ建築されてそこまで年月が経っていないのだろう、とても真新しい。
(この家……)
なんとなく見覚えがある場所だった。
「これ」
蒼汰は美織の差し出した鍵を使って玄関を開けた後に中に入る。すると、ふわりと薔薇の香りが鼻腔をついてきた。
「すみません! 美織さんの調子が悪いみたいで!」
室内に向かって大声で叫んだが、シンとしたまま、誰も出てこない。
すると、美織がか細い声で呼んできた。
「お母さん、海外出張中なの。勝手に上がって大丈夫だから」
「分かった」
「私の部屋は二階だよ」
綺麗に整理された玄関口でサンダルを脱いで上がると、足の裏をふわふわのマットが刺激してきた。
ひんやりした板の上を進んで、階段を昇る。美織の身体を揺らして負担がかからないよう、ゆっくりと階上へと進んだ。
二階にある奥の部屋が美織の部屋のようだ。
「入るぞ」
室内は綺麗に整理整頓されており、清潔な石鹸の香りが室内を支配していた。
子ども一人の部屋にしては随分大きくて、十畳ぐらいはありそうだった。
窓際にロマンティックカラーで彩られた愛らしいベッドが備え付けられており、そこにそっと彼女の身体を横たえた。白いワンピースのスカートがひらりと翻る。
「ごめんね、連れて帰ってきてもらって。良かったら、脱がせてほしい」
「は……?」
突然、「脱がせる」という単語を耳にして、こんな緊急事態だというのに蒼汰に動揺が走った。
(雨で濡れたから、まさか衣服を……?)
困惑していると、美織が不思議そうな視線を送ってくる。
「ええっと、ごめんね、期待させて、ミュールをお願いします」
「え? ああ、ミュール?」
「紐付きのサンダルのこと。このままだと寝具が汚れちゃうから」
「サンダルかよ? ……って、そうかなって思ってたぜ」
おかしな言い訳をしながら、彼女のほっそりとした足首へと手を伸ばす。
ストラップのついた白いサンダルの留め具を外す時に、彼女の生足に触れないといけない。自分のようにごつごつはしておらず、滑らかな触り心地に、鼓動が高鳴ってしまう。
おかしな気を起こすなと自分に言い聞かせながら、両方の履物を脱がせることに成功した。そっとベッドの下に靴裏を上にして横たえる。
「ありがとう」
儚げに微笑む美織が普段の彼女とは違う存在に見える。
けれども、先ほどの比べたら血色も良く、離れても問題はなさそうに見えた。
何も話しかけないでいると、外の雨の勢いが強くなり、窓にバタバタと打ち付けはじめた。
「そろそろ大丈夫そうだな」
「うん」
彼女の顔色が戻ってきたのを確認して、蒼汰はほっと胸を撫でおろした。
慌てすぎて、浜辺に傘を置いてきてしまったことを思いだす。
「なあ、傘、借りられるか?」
「傘? もしかして、この雨の中、外に行くつもりなの?」
「ああ、そりゃあな、帰るよ、お前もだいぶ調子良いだろう?」
さすがに女子高校生が一人っきりの部屋の中にずっと長居するわけにはいかない。
「それじゃあ、また明日、雨が止んだら、天体観測を一緒にしてくれよ」
それだけ言い残して立ち去ろうとした瞬間、外で光が閃く。
「待って!」
美織の手が蒼汰のTシャツに届いた、その時、突き刺すような轟音が響いた。
「きゃあっ!」
かと思うと、家が揺れ動き、しばらく地鳴りのような残響が鼓膜を震わせる。
蒼汰の衣服を掴む美織の指先はブルブルと子犬のように震えていた。
「雷、怖いの……きゃあっ……!」
すると、続けざまに雷が光っては降り注いだ。
蒼汰はベッドに腰かける。
そうして、震える彼女の身体を思いがけず抱きしめてしまっていた。
「大丈夫だ、ほら、落ち着け」
がたがたと小刻みに震える背を、大きな手が優しく何度も撫で擦る。
次第に、彼女も落ち着きを取り戻していった。
「よし、もう大丈夫だな」
蒼汰が美織の傍を離れようとしたところ、彼の大きな背中にそっと彼女の両手が回される。
「お前……」
「まだ、雷が近くにいるから。お願い、行かないで」
お互いに抱きしめ合う格好になってしまい、蒼汰の心臓は壊れてしまうんじゃないかというぐらい、どんどん高鳴っていく。
こんなに密着してしまって、美織に音が聞かれやしないか心配だ。
どうにか気を紛わせたい。
なだめるように彼女の背を撫でながら、蒼汰は疑問を口にした。
「お前の家、母親が海外出張って言ってたな。父親は?」
「……いないよ」
「お前の家も片親なんだな」
「もしかして、君も?」
「ああ、俺のところは母親がいない」
「……そっか、そうなんだね」
すると、美織が顔を埋めてくる。ふわりと石鹸の香りがして、蒼汰の動揺が激しくなる。嬉しそうに口元を綻ばせながら、彼女が続けた。
「ねえ、私たちって似てないけど似た者同士だよね?」
「はあ? そうか?」
「うん、私、君と一緒にいると落ち着くんだ」
蒼汰の胸板に、美織が猫のように頬を擦り寄せてくる。
彼女の背に回した手に力がこもった。
年頃の異性から落ち着くと言われて喜んで良いものかは分からなかったが、悪い気はしなかった。
「ねえ、この夏で、私は儚くなるんだよ」
「ああ、前も、言ってたっけな」
彼女の言い分を耳にして、この間は何を言ってるんだと思ったけれど、今日の彼女の苦し気な様子を前にして、軽口を言うことは出来なかった。
「だからね、そうなる前に、君に出会えてよかった」
……俺もだ。
蒼汰もそう答えたかったけれど、どうしてだか口にすることが出来なかった。
……俺もお前に出会えてよかった。
そんな風に答えたら、このまま腕の中から彼女がすり抜けていなくなってしまいそうで……
まるで零れ落ちる砂のようにサラサラと消えていきそうで……
せっかく出会えたのに、このまま彼女がいなくなるのかと思うと、胸が苦しくて仕方がなくなっていく。
「美織」
彼女の黒髪に彼が頬を埋めると、彼女の身体がピクリと動いた。
そうして、彼女が彼の背に回した腕の力が強くなる。
雷鳴が外で奏でられる中、蒼汰は美織の背を優しく宥めながら過ごした。
その日、夜中、雨が降り続けていて、雷が止むことはなかったのだった。



