俺は至って普通に、それなりに真面目に生きてきたつもりだ。
平凡な一般家庭に育ったから、まあ、なるべくしてそうなったと言うか。

高2の夏、美術部の部長に指名されたのだって、争いごとを起こさず、成績もそれなりの俺だから。

普通が1番。ほどほどに、地味すぎず目立ちすぎず。

例えばそう―――ピアスが左耳に2個開いていて、派手めにかきあげられた赤髪に周りの人間を見下すような鋭い眼光……みたいなのとは無縁なのだ。

無縁………だったよな……?

「――おい、聞いてんのか」
「…っはい、!」

たった今、俺はその猛獣みたいな男に至近距離でガンを飛ばされている。

なんということか。俺とは一生関わること無いと思っていた人種。
いわゆる、不良ってやつ。

こんなナリのやつに凄まれたら、年下と分かっていてもタメ口なんかきけない。

「俺が言った意味は分かったか」
「そ、れは…えっと……」

赤間千紘(あかま ちひろ)は入学当初から目立っていた。なんと言ってもこの赤髪はそりゃあ……って、そんなこと考えてる場合じゃない。

赤間は言い淀む俺を睨みつけるように見下ろす。

「お前のことが好きだつってんだ」

俺はまた自分の耳を疑った。

さっきから何を言ってるんだこいつ。
今にも人を取って食いそうな顔で、誰が誰を好きだって…?

「お前は?」
「…と、言いますと……」
「あぁ? お前は俺のことどう思ってんだって話だろーが!」

ドスの効いた低い声が冗談抜きで地を伝って全身に轟いた。

ひぃっという情けない声を何とか喉の奥に押さえ込み、俺はごくりと生唾を飲む。

「俺のことが好きか?」
「…っは、ハイ……」

……って、俺今なんて言った!?

完全に気圧され、己の失言に気がついた時には万事休す。

「……そうか」
「あ、あの…」
「これから、その、よろしくな」
「へっ、?」
「彼氏としてって意味だ! いちいち言わせんじゃねぇ…!!」

かれ、し…? って、誰が誰の……?

ああ、たぶん、これは夢だ。ずいぶん怖い夢だな。そろそろ飛び起きろよ、俺――

なんて考え始めた俺は次の瞬間、いとも簡単に現実に引き戻された。

「――んっ!?」

雑に片手で顎を掴まれたと思ったら、そのまま軽く触れる唇。

俺と、赤間の、だ。

状況を飲み込めず目を見開いたままの俺は彼の顔を間近で見つめることになる。

ついでに言えば、この不良はこんな見た目でも顔が整っているのがよく分かるイケメンである。俺はその辺もしっかり普通を極めているが。

キメ細かく荒れたところの無い綺麗な肌に、筋の通った高い鼻、切れ長の瞳、それから凛々しく…いや、キツく釣り上げられた眉。

その全てが整っているものの、常に真顔なのと髪色のせいか見た目からして“コワイ”印象が強すぎる。

さらに、他校のヤンキーと喧嘩しても負け知らずだとか、入学の際に学校長を締めて脅しただとか、彼の素行について流れる噂はキリがない。

ああ、俺はなんてバカなんだろうか。
寄りにもよって学校一の不良に絡まれ、あろうことかイエスなんて返事をして……まさか、キス、まで…!
ファーストキスだったんだぞ、俺!

でももし断っていたら……?

恋人って、好きな人同士がなるもんだろ、とか。だから付き合うとか不誠実だって。
正しいとか正しくないとか、いつでも正義感を振りかざしていれば上手くいくわけじゃない。

…それにしても、この選択はちょっと、いや、非常に間違ったかもしれないが。

「おら、入部届。受け取れ。部長なんだろ」
「び、美術部に入るんですか!?」
「そう言ってるだろ。 その敬語やめろ。年はあんたのが上だ」
「す、すみませ、! あ、いや、ごめ、ん…」

じゃあ君は俺に敬語を使うべきでは!?
眉間に皺を寄せ目力を100倍強めた赤間に詰め寄られ、そんなことを言えるはずもなく。

コワイ。その顔やめて。俺のこと好きとか言ってなかった? 好きな人に対する態度じゃないからそれ!

てかそもそも、俺のこと好きなのも意味わかんないけど!?

「相良京(さがら きょう)」

赤間は低い声で俺の名を呼んだ。

「京、って呼んでもいいか」
「い…いい、よ」

夏休みが明け、数日。平凡な日常がまた始まると信じて疑わなかった、放課後の美術室での大事件である。