八頭の騎馬隊が、田園に囲まれたブラスの田舎道を駆け抜ける。
大きな葡萄畑を過ぎると、ようやくアシオスへ続く広大な草原へ出た。
その丘陵の高台には、蜃気楼のようにアルパラナの城が浮かんでいる。

「城へ向かえばいいのか?」

 全力で馬を走らせながら、シアが横に並んだ。

「その前に、アシオスの守護隊へ寄る」
「おい、お前正気か? 本気でアイツらに喧嘩売ってたのか」
「ふっかけてきたのは、向こうからだ」
「あー……。これは……。ついてきた俺も俺だが、相当な覚悟が必要だったな」
「安心しろ。絶対勝つ」

 そうだ。
勝たなければならない。
この戦いに、負けることなんて許されない。
馬の膝まで伸びた草が、風に揺られ静かに波打つ。
不意に、その静寂を切り裂く甲高い笛の音が響いた。

「なんだ?」

 遠く右手の奥に、荷馬車が止まっている。
様子がおかしい。
誰かがこちらに向かって駆けて来る。
上下する草地の合間に、オレンジの髪が見えた。

「フィローネ!」

 馬を急転回させる。
ムチを入れ彼女の元に馬を飛ばすと、そこから飛び降りた。

「セリオ!」

 飛びついてきた彼女を、思いきり抱きしめる。
汗と涙でぐしょぐしょに濡れた頬に、長い髪が張り付いているのを、俺は一つ一つ丁寧に乗りのぞいてゆく。

「よかった。アシオスで絞首刑にされると聞いたんだ」
「絞首刑? どうして!」
「だから助けに来た。今朝アシオスの守護隊へ向かったんだが、もう間に合わないかと思った。だけど、どうしてこんなところに?」
「分からない。突然こんなところに連れて来られて……」

 フィローネの背後から、剣を手に持った男が迫ってくる。

「伏せろ!」

 彼女をかばい、腰の剣を抜き取る。
男の剣を弾くと、俺は一気にそれを振り下ろした。

「きゃあ!」

 フィローネの悲鳴が上がった。
膝をついた男の向こうに、見覚えのある男の姿があった。
そいつは捕らえられ、殴られようとしている。
俺はフィローネを置いて駆け出した。
剣を真横に振り抜き、エンリケに拳を振るう男の髪の先を切り落とす。

「なんだ貴様!」
「そいつを放せ! お前らこそ、何者だ!」

 こいつらは、アシオスの守護隊員ではない。
どれも体は屈強な男たちだが、平服を着る一般市民だ。

「邪魔をするな。お前もここで殺されたいか」
「殺人現場か。未遂ですんでよかったと思え!」

 構えた剣と剣がぶつかりあった。
打ち合う俺の側面に、別の男がジリジリと近づいてきている。
その男が、剣を抜いた。

「危ない!」

 エンリケは両腕を後ろ手に縛られたまま、そいつに体当たりした。
俺は打ち合う相手に一蹴りいれると、エンリケに振り下ろされた剣を弾き返す。

「そこまでだ」

 低く威厳高い声が頭上から響いた。
純白の馬にまたがるシア隊長の後ろには、堂々としたブラス騎馬隊の姿がある。

「セリオ。これは一体、どういう状況だ。説明してもらおうか」
「どうもこうもない。これが俺の目的だ」
「なんだと?」

 シアの顔が険しさを増す。
白馬の足元にいたフィローネが、そんな彼を見上げた。

「ブラスの守護隊長さま。私はあそこに見える荷馬車に乗せられ、アシオスの守護隊本部からここへ連れて来られました」
「アシオスの守護隊から? ……。なぜ」

 俺は縛られていたエンリケの縄を切って落とす。
しっかりと顔を上げシアと話すフィローネの足は、小刻みに震えていた。

「私は今日、リッキー商会の倉庫広場が燃えた事件に関して、判決を受ける予定でした。ですがそれを延長され、連れて来られたのがここです」

 シアの視線がゆっくりと品定めするように俺とエンリケ、フィローネの順に移り変わる。

「お前が倉庫に火をつけたのか?」
「いいえ。ですが、私がつけたと言いました」
「なぜだ」
「事件のことを、もっとちゃんと調べてほしかったからです」

 シアの口元から軽い息が漏れ、その視線は俺に向けられる。

「おい。これはどういう……」
「シア殿!」

 広い草原を、黒馬の一隊が近づいてくる。
ドモーアだ。
奴も武器を携えた複数の騎馬兵を連れている。

「いったいこのようなところで、どうされたのですか! おや、こやつらは?」

 意気揚々と現れた男は、颯爽と俺たちに気がついた。

「おぉ! これはうちの牢獄から抜け出した囚人どもではないですか! こんなところまで逃げおおせるとは、なんという罪深き事態。いますぐこやつらを捕らえよ。今ここで我が刑を執行する」

 ドモーアの手が、剣の柄に伸びた。
ここで斬り捨てるつもりか? 
俺は剣を握る手に意識を集中する。

「待たれよ」

 ドモーアが剣を抜くより早く、シアがそれを留めた。

「以前御前会議で、絞首刑にすると言っていた囚人では?」
「おぉ、シア殿。ご記憶におありでしたか。そうなのです。こやつらがその悪しきは……」
「そなたが今ここで斬ってしまえば、絞首刑とは言えないな」

 ドモーアの顔が、怒りと屈辱に震えた。

「だが自ら罪を認め、自白してきたのも事実。しかもこんなところまで逃亡を図るとは、言語道断!」

 ドモーアが腰の剣をスラリと抜いた。

「たとえシア殿であろうとも、アシオスではこの私が絶対。女、そこを動くな」

 薄曇りの空に掲げられた刃が、鈍い光を放つ。

「アシオス守護隊長、ドモーアの権限によって、今ここで直ちに処刑をくだ……」
「待て!」

 俺は懐から、宝石の入った袋を取りだした。

「王子からの伝言を忘れていた。この袋を持って、直ちに城に参上するよう、ことづかった!」
「あぁ?」

 片手に剣を掲げたドモーアが、馬上から俺を怒鳴りつける。

「それがどうした小僧!」
「フィローネ! この袋は誰のものだ!」
「えぇ?」

 彼女は大きく見開いた丸い目を、俺の持つ袋に向ける。

「この袋に見覚えがあるだろう。この袋は、誰のものだった?」
「……。それは、私がセリオに渡したものよ」
「そうだ。そして俺は、お前から渡されたこれをなくして、ずっと探していたんだ。シア隊長が見つけ、預かってくれていた」
「シア隊長が?」

 フィローネが馬上のシアを見上げる。
俺は赤い刺繍の入ったその袋を、シアに投げた。

「お前にはこれを、届けないといけない先があったんじゃないのか?」

 それを胸の前で受けとめたシアは、まだ何か考えこんでいる。

「急げ。王子が庭園の間で二人をお待ちだ。俺と同じ特命を、お前たち二人も受けていたはずだが?」

 ドモーアの黒く太い眉の間に、シワが強く浮き出る。
剣を持つ手が、次第に下がり始めた。

「あの王子が面会だと?」
「そうだ。城の最上階、王子のためだけの庭園で、二人を待っている」
「ほう。そうかそうか。ところで娘」

 ドモーアはぐるりとフィローネに顔を向けた。

「その袋の中には、何が入っている?」
「ココの実です」
「あははははは!」

 ドモーアは高らかに声を上げて笑った。
手に持っていた大振りの剣を握り直す。

「残念だったな小僧。お前のウソは……」

 シアは持っていた袋を、今度はドモーアに向かって投げた。
受け取った瞬間、ドモーアの握る手に擦れた石と金属が、ガチャリと音をたてる。

「匂いを嗅いでみろ」
「なに?」
「その匂いを嗅いでみろと言ったんだ」

 シアに促され、ドモーアは渋々宝石の詰まった袋に鼻を寄せる。

「な! ま、まさか……」
「行こう、ドモーア殿。王子が城で我々をお待ちだそうだ」

 シアはブラスの騎馬隊を引き連れ、馬を走らせた。
ドモーアは袋を手にしたまま、何度も俺たちと去りゆくシアの背を見比べる。

「クソッ」

 ついにドモーアが手綱を引いた。
先を行くシアを追いかけ、騎馬隊と共に走り去ってゆく。
遠ざかる蹄の音に、俺はようやく腹の底から安堵の息を吐いた。

「はぁ~。死ぬかと思った……」
「セリオ!」

 フィローネがしっかりと俺の手を握る。
潤んだオレンジの目と目が合った。

「ありがとう。助けにきてくれたのね」
「あぁ……。違う。そうじゃないんだ。偶然通りかかっただけ。本当に。だけどよかった」

 彼女の細い肩にそっとしがみつく。
俺の背にも彼女の腕が回った。
よかった。
この子が報われないのなら、俺の望みなんてもっと叶いやしない。
どんなに絶望的であろうとも、そこに一筋の可能性が見えたのなら、俺はその光を頼りに自分の道を切り開いていきたい。

「セリオ!」

 なだらかに続く草原の向こうから、二頭の馬が駆けてくる。
ディオスとパブロだ。