「くだらん」

 セリオの冷たい顔が私を振り返った。

「なるほど。それでキミがあの晩、あそこにいた理由が分かった。こんな情けない男どもに囲まれていたら、自分で動くしかない」
「は? なんだそれ。おい、フィローネ。コイツとはどこで知り合ったんだよ。ちゃんと言え!」
「それはいいから! エンリケは黙ってて!」

 セリオのツンとすました横顔は、自信に満ちあふれていた。

「私たちにそんな話を持ってくるってことは、勝算があるってことなんでしょ?」
「さすがだフィローネ。キミは賢い」
「どうするつもりなの?」
「これを見てくれ」

 彼が取りだしたのは、きっちりとまとめられた報告書だった。

「ここ最近の、アシオスとアルパラナ城近辺の三地区、エストメラとアダハラでの感染症発症者の人数をまとめたものだ。君たちの商会が出したという、ネズミ害による被害者らしきものの報告なんて存在していないんだ。もちろん、関節痛や嘔吐、頭痛なんて報告はいくらでもあるが、この三地区において医師が感染症と判断し、城に報告した例は、一つもない」

 セリオが見せてくれたのは、アルパラナの保健省の記録だった。
こんな公文書、どこでどうやったら見る手続きが出来るんだろう。

「なんだそれ。アシオスの守護隊は、感染拡大防止のためって……。そうだんだろ、ホセ」

 エンリケの言葉に、ホセがうなずく。

「だから俺も参考人として呼ばれたし、リッキーさんも……」
「そこがよく分からないところなんだ」

 セリオは目を閉じると、腕を組みなおす。

「医師たちにしてみれば、自分たちの担当地区で感染症が発症したなんて報告は、出したくないもんだ。それはアシオスの守護隊隊長であるドモーアにしてもそうだろう。だからあくまでも『感染拡大防止』なんだ。つまり、リッキー商会は実害を出しているわけじゃない」
「なんだそれ? 言葉のトリックみたいなもんじゃねぇか」
「役人どもがよくやる手法だ。目的はリッキー商会を潰すことであって、アシオスの衛生問題ではない。ドモーアの狙いは、アシオスの経済を一手に握ることにある。そのためにサパタとかいう男に邸宅を提供させ、そこで商売を始めたんだ。彼はアシオスを治める王にでもなるつもりだろう。守護隊隊長になりたがる奴なんてのは、大概そんなもんだ」
「フン。そんなこと、わざわざ言われなくても誰だって知ってるさ」

 エンリケはプイと顔を背けた。

「実際そうじゃないか。守護隊長になった時点で、もうその地区はそいつのものだ。それなのにわざわざ無理を通してまで、そんなことをする必要があるのかって話だよ」

 エンリケの言葉に、セリオはなぜかうつむき加減に答えた。

「さぁ。それは直接、ドモーアに聞いてくれ……」
「リスクが大きすぎる。守護隊に楯突きたいようなヤツが、この世のどこにいる? 勝てる方法を探すってんなら、守護隊と直接やり合わずに、それでもしぶとく生き残る道を探すのだって、一つの選択だ」
「お前の話しは聞いてない」
「……。は? なんだと?」
「お前みたいな奴に、俺は意見を聞いてないと言ったんだ」

 ガタリと立ち上がったエンリケを、慌てて押さえ込む。
セリオはホセをのぞき込んだ。

「ホセ。俺を含め、君以外は全員部外者だ。頼りになるのは自分自身だけ。これは君自身の問題だ。だけどもし、本当に守護隊と戦うというのなら、俺はこの資料を渡すだけでなく、全てをかけて支援しよう」

 ホセの緑がかった青い目が泳ぐ。
私たちは彼の出す答えをじっと待っていた。

「それは……。セリオに、勝算の見込みがあるってことでいいのかな?」
「そうだな。そうなってもらわないと困る」
「はは。そうなってもらわないと困るだって? アホか。そんな覚悟でホセに命かけろって……」

 反論するエンリケの前に、ホセが手を伸ばした。
その手に言葉を飲み込む。

「セリオの言う通り、もう俺に居場所はない。このままここにいたって、トリノ夫妻やこの二人に迷惑がかかるだけだ。他に心配してくれるような家族もない。どうせ後がないなら、やってみるのも悪くないかもしれない」

 ホセはいつも穏やかで物静かな表情に、フッと寂しそうな笑みを浮かべた。

「きっとこれも何かの縁だ。もし今夜フィローネたちがここに誘ってくれなかったら、自分の手で人生を終わらせようと思ってた。いいよ。セリオ。君の話にのろう。勝負ってのは、どんな負け方しても、平気な人間から仕掛けるものだ」
「おい、ホセ! お前本当にそれでいいのか?」
「それをたったいま教えてくれたのは、エンリケだよ」
「いいね。期待しているよ」

 そう言って差し出したセリオの手を、ホセは握り返した。

「マジか。ホセ、よく考えろ!」
「考えたって無駄だよ。俺にはこうするより、他に道なんてないんだ。どっちに転んだって構わない。だからやってみるんだ」
「いいな。覚悟が決まったところで、もう一つ助言をやろう。ホセ。守護隊が調べた事件の報告書と、実際に君が見ていたものを、しっかりと見比べるんだ。そこから何か突破口が見えてくるかもしれない」
「分かったよ。ありがとう」

 ホセにようやく、明るい表情が戻る。
セリオは自分の首にかけていた、細長い棒のような飾りのついたネックレスを外した。

「参ったな。これは危険を知らせる時に吹く笛だ。この警笛を聞けば、近くにいる人間なら誰でも気がつく。フィローネに渡そうと思っていたんだけど、ホセに渡した方がいい?」
「俺には必要ない。だからそれは、フィローネに」

 ホセにそう言われ、セリオは私にその笛を差し出した。

「いや、これはやっぱりホセが持っていた方がいいんじゃない? だって、これから危険な調査に挑むんでしょ?」
「俺には必要ないよ。それに、危険なことなんてないさ。せっかくなんだから、フィローネが受け取ったら?」
「それは名案だ。俺もフィローネにと思って、選んで持って来たんだからね」

 結局みんなから押し切られてしまった。
セリオは私の手を広げると、そこに小さな笛を握らせる。
細い革紐に繋がった、白くつるつるとした何かの動物の骨で出来た笛は、鈍い光沢を帯び輝いている。

「ねぇ、私のために選んだって、それ本当? 絶対いま思いついたセリフでしょ」
「まさか。君が父のことを調べてくれたお礼にと。それに……」

 セリオはフッと、悪戯な笑みを浮かべた。

「一人で夜の危険な酒場に出入りしても、大丈夫なようにね」
「はぁ! どういうことだフィローネ!」

 エンリケが大声をあげる。

「はは。もう俺は行かなくちゃ。君たちの健闘を祈る」

 セリオが外へ出ると、ジュルの店で見かけた黒髪の男の子二人がすぐに立ち上がった。

「あ、ちょっと待って」

 私は急いで店のカウンターに戻ると、赤い糸で刺繍を施した小さな袋に、ココの実を詰めたものを取りだした。

「これ、お土産に持って行って」
「これは?」

 セリオは甘く香ばしい香りのする小袋に鼻を寄せる。

「いい香りだね。ココの実を炒ったものだ」
「笛のお礼よ」

 本当は、お父さんの情報を新しく仕入れることの出来なかったお詫びのつもりだったんだけど。

「ありがとう。ゆっくりいただくよ」
「うん」
「じゃあ、また会おう」

 セリオを中心に、三人は何かを話ながら夜の闇の中へ消えていく。
私たちは翌日から、セリオに言われた通り調査を開始した。
アシオス守護隊の報告書にあった複数の下痢、嘔吐、発熱を訴えたという患者は、守護隊によって事件をまとめられた報告書の中には記載があるものの、実際に診察をしている医師たちが国へ報告する報告書の中には、なにひとつ記載がない。

「しっかしセリオの奴、こんな資料どこで手に入れたんだ?」

 エンリケはサラサラとした金髪の首をかしげる。