ジュルの店で大男に突然押さえ込まれた時はどうなることかと思ったけど、何とか無事帰宅することが出来た。
私一人ならどうなっていたのだろうかと思うと、今さらながら身がすくむ。
自分がどれだけ危ないことをしていたのか、気づいた瞬間から震えが止まらない。
よく無事に帰ってこれたと、助けてもらえた幸運に心から感謝している。
だからそのお礼も含めて、セリオとかいう彼のお父さんの死の真相くらいは、調べてあげたっていいと思った。
難しいことじゃない。
いつも雑談を交わす間柄だし、きっと話してくれるだろう。
セリオが本当に私を訪ねて来るかどうかは怪しいところだけど、今回ばかりは気にしないことにした。
私を送ってくれた黒髪で碧い目の男の子は、終始無言のまま二十歩くらい後ろについて送ってくれた。
何か話しかけた方がいいのかとか、名前を聞いてもいいのかとか、あれこれ話題を考えてはみたものの、正解が分からない。
一度だけ振り返ったら、彼はピタリと歩くのをやめてしまった。
すぐに視線を反らしてしまった彼に、私はそれを、余計な口を利くなということだと判断した。
立ち止まった私たちに、夜の闇が重くのしかかる。
きっと微妙に離れたこの距離も、そういう意味なんだろう。
結局終始無言のまま、寝静まった夜道を店の勝手口前まで送ってもらうと、彼は膝丈の低い柵で囲まれた敷地内に入ることなく足を止めた。
「あ、ありがとう」
碧い目の彼はその言葉にうなずくこともなく、首に巻いた布で顔を半分隠したまま、ただ立っていた。
私が裏口の扉を閉めるまで、彼はそこから動こうとしなかった。
しまったな。
送ってくれた人の名前くらい、聞いておけばよかった。
リーダーっぽい人は、セリオとか言ったっけ。
不思議な人たち。
だけどリッキーの倉庫広場にいた連中のように、嫌な気分にはならなかった。
立ち居振る舞いというか、話し方とか物腰というか、彼らの醸し出す雰囲気は、街のガサツな男の子たちとは全然違う。
足音を忍ばせこっそり二階の自室に戻ると、ベッドに潜り込む。
今夜はぐっすり眠って、明日に備えよう。
肉親を知らない私だからこそ、身内の不幸な死の話には敏感になる。
きっと彼も悔しい思いをしているのだろう。
誰かに陥れられ殺されたのなら、その無念を晴らしたいと思うのは当然のこと。
本当に病死だったとしても、彼が納得できないことには、終わらないんだ。
もしかしたら彼はもう、先生に会って病死だと告げられたのかもしれない。
それでもまだ自分の中で消化できないから、私に頼んでいるのかも。
「それくらいきっと、お父さんのことが好きだったんだよね」
一人ベッドでため息をつく。
リッキーのお店のことも、私に関係がないといえば関係のない話だ。
私みたいな何も出来ない孤児が、守護隊にたてつくなんてどうかしている。
すぐさまその場で斬り捨てられても、文句の言えない相手だ。
守護隊にはそれが許されている。
それでも、黙っていることなんて出来ない。
きっとセリオも、私と同じだ。
お父さんは病死だったってことを、ただ確かめたいだけなんだ。
「あぁ、だめよ。色々考えたって、結局いまは無駄なんだから。助けてもらったお礼もしなくちゃいけないし、もう寝ないと」
いつまでも止まらない雑念を振り払う。
私はもう一度深呼吸をしてから、目を閉じた。
全ての出来事を頭の中から追い払うと、ゆっくりと眠りの底に下りていった。
朝一番に目を覚ますと、台所へ下りお湯を沸かした。
今日の天気も悪くない。
まずは倉庫の中身をもう一度チェックして、発注の確認をしないと。
頼まれた商品を集め終わったら、出来るだけ早く届けに行きたい。
新しく取引をすることになったサパタ商会は、これからリッキーの店とのような信頼関係を築いていけるのなら、エンリケの言う通り悪くないのかもしれない。
頼んだ商品がどこから届けられようと、売る物がなければこちらの商売が成り立たないのも事実だ。
悔しいけど、キレイゴトだけじゃ生きてゆけない。
急いで毎朝の習慣をなっている店の掃除を済ませると、開店準備を始める。
「フィローネ。もう朝食をすませたの?」
カウンターの奥にある扉から、カミラが驚いた顔をのぞかせた。
「うん。朝一番に品物を届けに行かなくちゃいけないところを、思い出したの!」
「そんな急な注文、あったかしら?」
「いいの! 私が持って行きたくなったから、持っていくの!」
カミラを奥に押し込むと、私はカウンター下の棚から店と客との取り引きを記録した帳簿を取りだした。
リッキーの店がなくなっても世界は続いていくし、売買は行われていく。
それはうちに限らず、どこだって同じことなんだ。
たとえこの店が潰れても、変わらず世界は続いてゆく。
直近の注文書をパラパラとめくる。
見つけた。
サムエル診療所からの注文品。
ミタノロスの油にハロロを砕いた粉を混ぜ、固さを調節した軟膏基剤だ。
多くの医術者はこれに自分たちで調合した粉薬やオイルを加えた独自の処方内容で、診察に来た患者たちに塗っている。
私は軟膏基剤の入った壺をバスケットにしまうと、倉庫の奥へ向かった。
小さな倉庫の奥に隠された大切な箱の蓋を開ける。
形を崩してしまうことのないよう、慎重にしまい込まれた乾燥カバリナの束から、一本だけを抜き出した。
カバリナは熱と痛みに効く特効薬だ。
栽培が難しくなかなか手に入りにくい薬草で、一定量を在庫しておくことは難しい。
この一束は時折山から薬草を摘んで下りてくる、ハンターギルドの一員から直接買い付けた、とても品質のいいものだった。
ハンターたちは本来、リッキーの店やサパタ商会などの大口の客から依頼を受け、手数料とともに発注に見合った条件の品を揃えることで、報酬を受け取り生活している。
うちのような店がそんな彼らから貴重な品を時折偶然にでも買い付けることが出来るのは、ハンターたちの気まぐれがあってこそ。
いまうちに在庫している量の乾燥カバリナを手に入れようと思えば、リッキー商会でも難しいだろう。
どれだけの値がつくか分からないようなものだ。
私はそんな貴重な薬草をバスケットの底に沈めると、家を出た。
私一人ならどうなっていたのだろうかと思うと、今さらながら身がすくむ。
自分がどれだけ危ないことをしていたのか、気づいた瞬間から震えが止まらない。
よく無事に帰ってこれたと、助けてもらえた幸運に心から感謝している。
だからそのお礼も含めて、セリオとかいう彼のお父さんの死の真相くらいは、調べてあげたっていいと思った。
難しいことじゃない。
いつも雑談を交わす間柄だし、きっと話してくれるだろう。
セリオが本当に私を訪ねて来るかどうかは怪しいところだけど、今回ばかりは気にしないことにした。
私を送ってくれた黒髪で碧い目の男の子は、終始無言のまま二十歩くらい後ろについて送ってくれた。
何か話しかけた方がいいのかとか、名前を聞いてもいいのかとか、あれこれ話題を考えてはみたものの、正解が分からない。
一度だけ振り返ったら、彼はピタリと歩くのをやめてしまった。
すぐに視線を反らしてしまった彼に、私はそれを、余計な口を利くなということだと判断した。
立ち止まった私たちに、夜の闇が重くのしかかる。
きっと微妙に離れたこの距離も、そういう意味なんだろう。
結局終始無言のまま、寝静まった夜道を店の勝手口前まで送ってもらうと、彼は膝丈の低い柵で囲まれた敷地内に入ることなく足を止めた。
「あ、ありがとう」
碧い目の彼はその言葉にうなずくこともなく、首に巻いた布で顔を半分隠したまま、ただ立っていた。
私が裏口の扉を閉めるまで、彼はそこから動こうとしなかった。
しまったな。
送ってくれた人の名前くらい、聞いておけばよかった。
リーダーっぽい人は、セリオとか言ったっけ。
不思議な人たち。
だけどリッキーの倉庫広場にいた連中のように、嫌な気分にはならなかった。
立ち居振る舞いというか、話し方とか物腰というか、彼らの醸し出す雰囲気は、街のガサツな男の子たちとは全然違う。
足音を忍ばせこっそり二階の自室に戻ると、ベッドに潜り込む。
今夜はぐっすり眠って、明日に備えよう。
肉親を知らない私だからこそ、身内の不幸な死の話には敏感になる。
きっと彼も悔しい思いをしているのだろう。
誰かに陥れられ殺されたのなら、その無念を晴らしたいと思うのは当然のこと。
本当に病死だったとしても、彼が納得できないことには、終わらないんだ。
もしかしたら彼はもう、先生に会って病死だと告げられたのかもしれない。
それでもまだ自分の中で消化できないから、私に頼んでいるのかも。
「それくらいきっと、お父さんのことが好きだったんだよね」
一人ベッドでため息をつく。
リッキーのお店のことも、私に関係がないといえば関係のない話だ。
私みたいな何も出来ない孤児が、守護隊にたてつくなんてどうかしている。
すぐさまその場で斬り捨てられても、文句の言えない相手だ。
守護隊にはそれが許されている。
それでも、黙っていることなんて出来ない。
きっとセリオも、私と同じだ。
お父さんは病死だったってことを、ただ確かめたいだけなんだ。
「あぁ、だめよ。色々考えたって、結局いまは無駄なんだから。助けてもらったお礼もしなくちゃいけないし、もう寝ないと」
いつまでも止まらない雑念を振り払う。
私はもう一度深呼吸をしてから、目を閉じた。
全ての出来事を頭の中から追い払うと、ゆっくりと眠りの底に下りていった。
朝一番に目を覚ますと、台所へ下りお湯を沸かした。
今日の天気も悪くない。
まずは倉庫の中身をもう一度チェックして、発注の確認をしないと。
頼まれた商品を集め終わったら、出来るだけ早く届けに行きたい。
新しく取引をすることになったサパタ商会は、これからリッキーの店とのような信頼関係を築いていけるのなら、エンリケの言う通り悪くないのかもしれない。
頼んだ商品がどこから届けられようと、売る物がなければこちらの商売が成り立たないのも事実だ。
悔しいけど、キレイゴトだけじゃ生きてゆけない。
急いで毎朝の習慣をなっている店の掃除を済ませると、開店準備を始める。
「フィローネ。もう朝食をすませたの?」
カウンターの奥にある扉から、カミラが驚いた顔をのぞかせた。
「うん。朝一番に品物を届けに行かなくちゃいけないところを、思い出したの!」
「そんな急な注文、あったかしら?」
「いいの! 私が持って行きたくなったから、持っていくの!」
カミラを奥に押し込むと、私はカウンター下の棚から店と客との取り引きを記録した帳簿を取りだした。
リッキーの店がなくなっても世界は続いていくし、売買は行われていく。
それはうちに限らず、どこだって同じことなんだ。
たとえこの店が潰れても、変わらず世界は続いてゆく。
直近の注文書をパラパラとめくる。
見つけた。
サムエル診療所からの注文品。
ミタノロスの油にハロロを砕いた粉を混ぜ、固さを調節した軟膏基剤だ。
多くの医術者はこれに自分たちで調合した粉薬やオイルを加えた独自の処方内容で、診察に来た患者たちに塗っている。
私は軟膏基剤の入った壺をバスケットにしまうと、倉庫の奥へ向かった。
小さな倉庫の奥に隠された大切な箱の蓋を開ける。
形を崩してしまうことのないよう、慎重にしまい込まれた乾燥カバリナの束から、一本だけを抜き出した。
カバリナは熱と痛みに効く特効薬だ。
栽培が難しくなかなか手に入りにくい薬草で、一定量を在庫しておくことは難しい。
この一束は時折山から薬草を摘んで下りてくる、ハンターギルドの一員から直接買い付けた、とても品質のいいものだった。
ハンターたちは本来、リッキーの店やサパタ商会などの大口の客から依頼を受け、手数料とともに発注に見合った条件の品を揃えることで、報酬を受け取り生活している。
うちのような店がそんな彼らから貴重な品を時折偶然にでも買い付けることが出来るのは、ハンターたちの気まぐれがあってこそ。
いまうちに在庫している量の乾燥カバリナを手に入れようと思えば、リッキー商会でも難しいだろう。
どれだけの値がつくか分からないようなものだ。
私はそんな貴重な薬草をバスケットの底に沈めると、家を出た。



