場内が静まり返る。
この場には国内ほぼ全ての守護隊長が集められているというのに、この男以外余計な口を挟もうとする者は今まで存在しなかった。

「ヘスス公爵。どうなさいますか?」

 フレンから問われたヘススは、わずかに眉間にしわを寄せる。

「仕方ありませんな。ではブラス地区守護隊隊長シア殿提示の案件は、次回の御前会議で話し合うといたしましょう。本日はもう時間がござ……」
「続けさせろ」

 俺はソファから立ち上がると、垂れ幕の内側からフレンの耳元にささやく。

「面白いじゃないか。あの男に、もう少ししゃべらせてやれ」

 身にまとう宝石が、鎖かたびらのようにジャラリと音を立てる。
ここにぶら下がるダイヤの一つくらい、今日の褒美として与えてやりたい気分だ。
この二人にしてみれば、どんな発言が飛び出してくるのか予想出来ず、怖くてたまらないのだろう。
フレンが苦し紛れにコホンと一つ、咳払いをする。

「で、では、特別な許可を得られた。シア隊長、続けられよ」

 彼の切れ長の黒い目が、見えていないはずの俺を、まっすぐに捕らえた。

「おそれながら、かつてよりブラスでは、組織的な窃盗集団が暗躍している状態です。私は守護隊長に就任以来、これらの組織を壊滅すべく調査に努めて参りましたが、現状全てを壊滅するに至っておりません。ですが、それらの犯罪者のうち多くの者が、ブラスで盗みを働いたのち、それをアシオスへ運び、特定の商会と取り引きしているという情報を得ております」
「なんと!」

 突然名前を出されたアシオスの守護隊長が立ち上がった。
長く波打つ黒髪に、真横にピンと口髭を伸ばしたこの男には、見覚えがある。
ヘススのごく最近のお気に入りだ。
守護隊長クラスでは特別な許可でもない限り、城内で俺のいる庭園に入ることは出来ないが、ヘススと共に池の周囲を歩いているのを見かけた。
大声で世辞を並べ、王子の庭園を案内されたことを大いに喜び、公爵の機嫌をとっているのを見た。
こいつらはそんなことですら、自分たちの権力を誇示する道具にしている。

「もちろんシア殿からの報告は、私の耳にも入っております。協力は惜しまぬようにと部下たちに伝えていたつもりでしたが、それが不十分だったということですかな?」
「ほう。ではドモーア殿は、私からの申し入れをご存じだったと」
「当然です! どうしてそれを拒否する理由がございましょう。何もございませんよ。……ですが……、これは、どの守護隊長殿にも当てはまることではございますが、私自身、自分の担当地区を守ることで精一杯にございます。自身の果たすべき担当地区の仕事を優先しておりましたゆえ、なかなか他の地区の応援に回ることは難しく、また他の地区の守護隊に口出しするのも、同じ守護隊長同士でありながら、いかがなものかと……」

 ドモーアの視線が、チラリとヘススに向かう。
ヘススは関心したように何度もうなずいた。

「なるほど。ではドモーア殿は、シア殿からの申し入れを知ってはいたが、自分の担当地区のことでいっぱいいっぱいだったと」
「申し訳ございませんが、ご自身で処理すべき管轄内の仕事を、他の守護隊に押しつけるのもいかがなものかと」

 シアの太く長い眉がピクリとつり上がった。
ドモーアは彼独特の軽妙な抑揚をつけた言い回しで続ける。

「あぁ! いやいや! 何もシア殿の力不足や能力不足を指摘しているのではございません。そこは勘違いしないでいただきたい。ただ、我々アシオスの守護隊にブラスでの案件を手伝ってほしいと申されましても、自分のことで精一杯で、なかなか他の地区のことまでは私も、その……ねぇ? できればやはり、ご自身で解決していただきたいのですが……。もちろん、我が隊もお手伝いはさせていただきますとも!」

 ヘススとフレンをはじめ、居並ぶ守護隊長たちは苦笑を浮かべている。
シアは白く伸びた鼻筋に静かに怒りをたたえた。

「では、ドモーア殿は今後アシオスの守護隊長として、我がブラス地区守護隊の捜査にご協力していただけると、この場でお約束できるか?」
「当然です! ですが、私も忙しく……。あぁ! そういえば、一つご報告すべき案件が残ってございました!」

 ドモーアはシアのにらみつける鋭い眼光をかわし、ヘススを華麗に振り返った。

「現在アシオスで起こっている重大な感染症を、ご報告するのを失念しておりました。何とかアシオス内での感染防止を努めておりますので、他の地区の方々にご迷惑をおかけすることはないと思うのですが……」

 ヘススはそんなドモーアに、完全に同調した。

「なんと、ドモーア殿! そのような大事な案件を抱えておられたとは。何よりもまず一番に、この御前会議で報告すべきだったのではございませんか?」
「はは。大変申し訳ございません」
「早くそちらのご報告をなさい」
「はい。保健省の報告によりますと、現在アシオスでは……」

 結局シアが負けたか。
確かに、自分のところで片付けるべき案件を、他からの協力が得られないことを理由に処理できないと上訴しても、聞き入れてもらうのは難しいだろうな。
ドモーアは自分の担当地区であるアシオスで発生したネズミの害を、どのように苦労しながら迅速に食い止めたかを、得意気に披露している。

「なるほど。それはドモーア殿もよくご尽力なされた。ここで国を代表して、お礼を申し上げておきますぞ」

 ヘススが仰々しく頭を下げるのに、ドモーアはワザとらしく慌てた。

「いいえ、ヘスス公爵さま。私は守護隊長として、当然のことをしたまでです。お褒めには及びません」

 いつの間にか着席していたシアは、表情を殺したままじっとドモーアの演説を聴いている。

「では、これで今回の御前会議は終了といたしましょう。今後とも、それぞれの仕事をよく努めるように」

 フレンによって、今度こそ本当に御前会議の終了が伝えられた。

「待て」

 このままでは、王子の名を出してまで訴えにきた男の覚悟が報われない。
こんな俺にまで頼ろうとしたその思いを、せめて無駄にはしたくない。

「ブラスの守護隊長に、俺からねぎらいの言葉を伝えたい」

 いま目の前で険しい表情を浮かべたまま、この先の絶望に立ち向かおうとする男を救うとするなら、これしか思いつかない。
せめて俺からの声かけがあれば、この後も公爵二人から、目の敵のように虐められることもないだろう。

「パブロ。頼んだ」

 ヘススとフレンに緊張が走る。
パブロは控えていた後方からカツンと足音を立て一歩前に踏み出すと、俺からの言葉として、高く透き通った声を朗々と響かせた。

「シア。そなたの尽力、感謝する。これからもよく努めよ」

 大きなどよめきが会議室に走った。
御前会議の場で、俺の声役として公認されているパブロをしゃべらせるのは、初めてだったか? 
王子は決して失言をしてはならない。
だから王子は、直接誰かと話すことはない。
王子からの言葉であっても、実際話したのは声役の男であって、王子自身ではない。
だから失言もない、ということらしい。
シアは立ち上がると、こちらに向かって深々と頭を下げた。
それに倣い、全ての守護隊長が立ち上がると、公爵二人と共にカーテンの奥にいる俺に向かって頭を下げた。

「はは。気分いいな」

 こういう時だけは、王子をやっていてよかったと思う。
ソファから下り会議室を出ると、待っていた輿に乗り込んだ。
去り際、垂れ幕越しにシアという男と目が合ったような気がする。

「今夜は、ジュルの店に行こう」

 部屋に戻るなりすぐに着替えると、ディオスとパブロを連れ城の外へ抜け出した。