「またこの趣味の悪い服か」
「王太子の正装にございます」
「ふん。この服を着ていないと第一王子と分からないのなら、お前が代わりに着て王の前に立ってみればよい」
いつも表情の乏しいディオスが、感情のない目で俺を見下ろす。
パブロも黙ったまま、ただ横に立っているだけだった。
「お時間です。参りましょう」
ディオスが扉が開く。
俺は軽くため息をついてから、用意された輿に乗り込んだ。
正方形の木の板に布を張り、クッションを敷き詰めた簡素な輿を、屈強な男四人が担ぎ俺を運ぶ。
城内を移動する時は、いつもこの輿に乗って移動するよう、俺は祖父王によって命令されていた。
白の大理石で囲まれた王子のための庭園を抜け、恐ろしく天井の高い黄土色の回廊を進む。
この城は建物の色によって中に入れる人間の種類を振り分けていた。
白の部屋は王族と許された者のみ。
それ以外の部分は明るい土色をしている。
先頭を歩くディオスの後ろで、輿に担がれた俺は二十人はいる護衛兵に守られながら、月に数度の謁見に臨む。
俺の乗る輿の真後ろには、パブロがピタリと張りついていた。
振り返ると、いつでも俺と同じ碧い目がある。
視線を合わすと、パブロはそこから俺の意志を読み取ろうと、大きく見開いた。
その仕草に、思わず苦い笑みをこぼす。
「フッ。大丈夫だよ。逃げたりしない。ちょっと退屈しのぎに、振り返ってみただけだ」
声に気づいて振り返ったディオスにも、皮肉な笑顔で答える。
仰々しい集団は白の大扉の前で立ち止まると、俺とディオスを確認した門番が扉を開けた。
「ニロ王子、マルク陛下にご挨拶に参られました」
輿から降りると、ディオスをはじめ俺を取り囲んでいた兵士たちが左右に分かれる。
大勢の兵に見守られながらその間を通り抜け、俺は祖父王のいる王の間へ入った。
祖父王の部屋は、俺が幽閉されている白すぎる部屋と似ている。
違うのは、窓もないのに部屋が広すぎて、隅が暗くなっていることくらいだ。
階級ごとに昇れる段数が厳しく制限されている段差を、一つ一つ歩いて昇る。
その頂上には、ぽつりとベッドが一つ置かれていた。
ベッドサイドのカーテン奥に控えている医師や看護師、侍従たちが一斉に立ち上がり、頭を下げる。
今日は天蓋からの垂れ布は引き上げられていた。
俺がここに来た時のためだけに使われる専用の椅子が、枕元に用意される。
そこに腰を下ろすと、俺は大きすぎるベッドに横たわる灰色の老人を見下ろした。
「陛下。ニロが参りました」
「おぉ。元気にしておったか」
しわがれた枯れ枝のような腕を伸ばされ、仕方なくそれを掴む。
やたらつるつるとした柔らかな肌が、弱々しく俺の手を握り返してきた。
「陛下こそ、お元気そうでなによりです」
「お前の顔が見れないと、不安で仕方がない。ニロ。そなたは無事であったか。お前だけは儂を残して、先に逝ってくれるなよ」
「はい。陛下の命に従い、常に多くの者に守られ、警戒し、静かに過ごしております」
この爺さんの一人息子だった父王は、何者かに暗殺されて死んだ。
表向きは病死となっているが、そんなことを信じてる奴は、この城内に一人もいないだろう。
おかげですっかりモウロクしてボケかけているこのジジイが国王の座に留まり、俺は名ばかりの第一王子として退屈な日々を過ごしている。
「そなたの父ベルナトのことを、どれだけ悔やんでも悔やみきれない。なぜ気をつけてやれなかったのか。そなたにこの儂の気持ちが分かるか?」
「……。心中お察しいたします」
「ベルナトは出来のいい子じゃった。黒い髪が波打つように美しく、男らしい男でなぁ。ニロも覚えておるだろう」
「もちろんです。私も父のことを、片時も忘れたことなどございません」
「そうじゃ。儂とお前だけだ、ニロ。儂らがあの子のことを忘れてしまったら、誰が覚えているものか。絶対にベルナトの無念だけは忘れてはならん」
そう言って激しく咳き込んだこのジジイも、あとどれくらいもつのだろう。
城中の誰もがこの男の死を、静かに待っていた。
「お前の髪は、ベルナトには似ておらんのぉ」
しわがれた白い手が頭に伸び、母親に似た白金の巻き毛に触れる。
「ですが、マルク陛下には瓜二つにございます」
「はは。そうであったな。お前は儂に似ておる」
それが最悪なんだよな。
自分もいつか目の前で横たわる老人のようになってしまうのかと思うと、腹の底からムカムカする。
ジイさんは満足したように笑うと、胸の上で手を組み直し目を閉じた。
「待っておれ。今にワシが体力を取り戻し、国政に復帰すれば、そなたの父も浮かばれよう。それまではどうか、父のように不用心に過ごすのではなく、身を守り慎重に賢く待っておれ」
「はい。楽しみにしてお……」
祖父王の全身が、ビクリと大きく震える。
一瞬、王の息が止まったような気がした。
目を閉じて動かない体が、再び息を取り戻した時、俺は祖父王に捧げる退出のための口上がまだ途中だったことを思い出す。
「……ります。それまでは用心に努めます。本日はここで失礼いたします」
立ち上がったとたん、俺専用の椅子はすぐに片付けられた。
俺はこの部屋では、用意される椅子以外に、自分の居場所を確保することは許されていないらしい。
白一色で囲まれた、暗く重い部屋を出る。
大扉から外に出ると、まだ午前の太陽がやたら眩しく感じた。
俺がこの部屋に入る前に見たのと、寸分違わぬまま待っているディオスに声をかける。
「まだしばらく生きてそうだ」
「息災でなによりにございます」
「毎回毎回、同じ話を何度も繰り返される身にもなってみろ」
ディオスは目を閉じると、深々と頭を下げた。
部屋を出たのはいいが、今度はどこへ行こう。
俺のやるべき仕事は終わってしまった。
これから先は、ディオスは俺の前を歩かない。
これからの行動を、自分で決めなくてはならなかった。
深紅の布を張られた輿は、俺が乗るのを待っている。
「おや、ニロ王子。お久しゅうございます」
ぼんやりと立ちつくす俺に声をかけてきたのは、そうでなくても太りたおした体をより大きく見せようとするかのように、趣味の悪い服を着たガルシア家のヘスス公爵だった。
隣にいる普通サイズの男が、ずいぶん痩せて小さく見える。
「陛下へのご挨拶はお済みになりましたか」
ボケ倒したクソジジイに代わり国政を担っているのが、この男とアレギ家のフレン公爵の二人だ。
二人とも裏では最悪にいがみ合っているのに、外面の良さだけは国宝級だ。
「すまなかったな。王と大切な政務の話をする時間をとらせた」
「そんな! 陛下にとってはたった一人となってしまった、最後の肉親であるニロ王子のご訪問を、誰が邪魔することなどできましょう」
「そなたたちのおかげで、この国はどうにか保たれている。これからもよろしく頼む」
「ありがたきお言葉。王子はどうか陛下の思し召しに従い、心穏やかにお健やかにお過ごしください」
深々と頭を下げた公爵閣下はにっこりと微笑むと、大きな体をもさもさと揺らしながら背を向ける。
何が心穏やかに過ごせだ。
お前が一番の不快だ。
ふやけたパンのようにむくれた顔を見て、すっかり気分を害した。
「執務室へ行こう。もう今日はお終いだ」
俺は輿に乗り込むと、明るい日が頭上に輝く中、真っ白な廊下をゆっくりと移動する。
「王子の間」と呼ばれる、大理石で作られた白い庭園の前で輿を降りると、閉じられた扉が開き中へ入った。
ディオスとパブロにだけ、自由に中に入ることを許している。
庭園の中央は四角く切り取られた池が掘られ、周囲にはそこへ水を引くための用水路が流れていた。
池の周りには芝が植えられ、ヤシシの木が揺れている。
庭園のいたる所に、鉢植えにされた色とりどりの植物が、季節ごとに入れ替えられ置かれていた。
「王太子の正装にございます」
「ふん。この服を着ていないと第一王子と分からないのなら、お前が代わりに着て王の前に立ってみればよい」
いつも表情の乏しいディオスが、感情のない目で俺を見下ろす。
パブロも黙ったまま、ただ横に立っているだけだった。
「お時間です。参りましょう」
ディオスが扉が開く。
俺は軽くため息をついてから、用意された輿に乗り込んだ。
正方形の木の板に布を張り、クッションを敷き詰めた簡素な輿を、屈強な男四人が担ぎ俺を運ぶ。
城内を移動する時は、いつもこの輿に乗って移動するよう、俺は祖父王によって命令されていた。
白の大理石で囲まれた王子のための庭園を抜け、恐ろしく天井の高い黄土色の回廊を進む。
この城は建物の色によって中に入れる人間の種類を振り分けていた。
白の部屋は王族と許された者のみ。
それ以外の部分は明るい土色をしている。
先頭を歩くディオスの後ろで、輿に担がれた俺は二十人はいる護衛兵に守られながら、月に数度の謁見に臨む。
俺の乗る輿の真後ろには、パブロがピタリと張りついていた。
振り返ると、いつでも俺と同じ碧い目がある。
視線を合わすと、パブロはそこから俺の意志を読み取ろうと、大きく見開いた。
その仕草に、思わず苦い笑みをこぼす。
「フッ。大丈夫だよ。逃げたりしない。ちょっと退屈しのぎに、振り返ってみただけだ」
声に気づいて振り返ったディオスにも、皮肉な笑顔で答える。
仰々しい集団は白の大扉の前で立ち止まると、俺とディオスを確認した門番が扉を開けた。
「ニロ王子、マルク陛下にご挨拶に参られました」
輿から降りると、ディオスをはじめ俺を取り囲んでいた兵士たちが左右に分かれる。
大勢の兵に見守られながらその間を通り抜け、俺は祖父王のいる王の間へ入った。
祖父王の部屋は、俺が幽閉されている白すぎる部屋と似ている。
違うのは、窓もないのに部屋が広すぎて、隅が暗くなっていることくらいだ。
階級ごとに昇れる段数が厳しく制限されている段差を、一つ一つ歩いて昇る。
その頂上には、ぽつりとベッドが一つ置かれていた。
ベッドサイドのカーテン奥に控えている医師や看護師、侍従たちが一斉に立ち上がり、頭を下げる。
今日は天蓋からの垂れ布は引き上げられていた。
俺がここに来た時のためだけに使われる専用の椅子が、枕元に用意される。
そこに腰を下ろすと、俺は大きすぎるベッドに横たわる灰色の老人を見下ろした。
「陛下。ニロが参りました」
「おぉ。元気にしておったか」
しわがれた枯れ枝のような腕を伸ばされ、仕方なくそれを掴む。
やたらつるつるとした柔らかな肌が、弱々しく俺の手を握り返してきた。
「陛下こそ、お元気そうでなによりです」
「お前の顔が見れないと、不安で仕方がない。ニロ。そなたは無事であったか。お前だけは儂を残して、先に逝ってくれるなよ」
「はい。陛下の命に従い、常に多くの者に守られ、警戒し、静かに過ごしております」
この爺さんの一人息子だった父王は、何者かに暗殺されて死んだ。
表向きは病死となっているが、そんなことを信じてる奴は、この城内に一人もいないだろう。
おかげですっかりモウロクしてボケかけているこのジジイが国王の座に留まり、俺は名ばかりの第一王子として退屈な日々を過ごしている。
「そなたの父ベルナトのことを、どれだけ悔やんでも悔やみきれない。なぜ気をつけてやれなかったのか。そなたにこの儂の気持ちが分かるか?」
「……。心中お察しいたします」
「ベルナトは出来のいい子じゃった。黒い髪が波打つように美しく、男らしい男でなぁ。ニロも覚えておるだろう」
「もちろんです。私も父のことを、片時も忘れたことなどございません」
「そうじゃ。儂とお前だけだ、ニロ。儂らがあの子のことを忘れてしまったら、誰が覚えているものか。絶対にベルナトの無念だけは忘れてはならん」
そう言って激しく咳き込んだこのジジイも、あとどれくらいもつのだろう。
城中の誰もがこの男の死を、静かに待っていた。
「お前の髪は、ベルナトには似ておらんのぉ」
しわがれた白い手が頭に伸び、母親に似た白金の巻き毛に触れる。
「ですが、マルク陛下には瓜二つにございます」
「はは。そうであったな。お前は儂に似ておる」
それが最悪なんだよな。
自分もいつか目の前で横たわる老人のようになってしまうのかと思うと、腹の底からムカムカする。
ジイさんは満足したように笑うと、胸の上で手を組み直し目を閉じた。
「待っておれ。今にワシが体力を取り戻し、国政に復帰すれば、そなたの父も浮かばれよう。それまではどうか、父のように不用心に過ごすのではなく、身を守り慎重に賢く待っておれ」
「はい。楽しみにしてお……」
祖父王の全身が、ビクリと大きく震える。
一瞬、王の息が止まったような気がした。
目を閉じて動かない体が、再び息を取り戻した時、俺は祖父王に捧げる退出のための口上がまだ途中だったことを思い出す。
「……ります。それまでは用心に努めます。本日はここで失礼いたします」
立ち上がったとたん、俺専用の椅子はすぐに片付けられた。
俺はこの部屋では、用意される椅子以外に、自分の居場所を確保することは許されていないらしい。
白一色で囲まれた、暗く重い部屋を出る。
大扉から外に出ると、まだ午前の太陽がやたら眩しく感じた。
俺がこの部屋に入る前に見たのと、寸分違わぬまま待っているディオスに声をかける。
「まだしばらく生きてそうだ」
「息災でなによりにございます」
「毎回毎回、同じ話を何度も繰り返される身にもなってみろ」
ディオスは目を閉じると、深々と頭を下げた。
部屋を出たのはいいが、今度はどこへ行こう。
俺のやるべき仕事は終わってしまった。
これから先は、ディオスは俺の前を歩かない。
これからの行動を、自分で決めなくてはならなかった。
深紅の布を張られた輿は、俺が乗るのを待っている。
「おや、ニロ王子。お久しゅうございます」
ぼんやりと立ちつくす俺に声をかけてきたのは、そうでなくても太りたおした体をより大きく見せようとするかのように、趣味の悪い服を着たガルシア家のヘスス公爵だった。
隣にいる普通サイズの男が、ずいぶん痩せて小さく見える。
「陛下へのご挨拶はお済みになりましたか」
ボケ倒したクソジジイに代わり国政を担っているのが、この男とアレギ家のフレン公爵の二人だ。
二人とも裏では最悪にいがみ合っているのに、外面の良さだけは国宝級だ。
「すまなかったな。王と大切な政務の話をする時間をとらせた」
「そんな! 陛下にとってはたった一人となってしまった、最後の肉親であるニロ王子のご訪問を、誰が邪魔することなどできましょう」
「そなたたちのおかげで、この国はどうにか保たれている。これからもよろしく頼む」
「ありがたきお言葉。王子はどうか陛下の思し召しに従い、心穏やかにお健やかにお過ごしください」
深々と頭を下げた公爵閣下はにっこりと微笑むと、大きな体をもさもさと揺らしながら背を向ける。
何が心穏やかに過ごせだ。
お前が一番の不快だ。
ふやけたパンのようにむくれた顔を見て、すっかり気分を害した。
「執務室へ行こう。もう今日はお終いだ」
俺は輿に乗り込むと、明るい日が頭上に輝く中、真っ白な廊下をゆっくりと移動する。
「王子の間」と呼ばれる、大理石で作られた白い庭園の前で輿を降りると、閉じられた扉が開き中へ入った。
ディオスとパブロにだけ、自由に中に入ることを許している。
庭園の中央は四角く切り取られた池が掘られ、周囲にはそこへ水を引くための用水路が流れていた。
池の周りには芝が植えられ、ヤシシの木が揺れている。
庭園のいたる所に、鉢植えにされた色とりどりの植物が、季節ごとに入れ替えられ置かれていた。



