修士課程を修了して博士課程に進むためにアメリカへ渡った最上は、薬学研究で全米一の研究実績を誇っているボストンの大学院に進学した。新薬のシーズを探る研究には最適な環境が整っており、施設と設備は全米一と言っても過言ではなかった。
更に、アメリカ最古の大学であり世界最高峰の大学でもあるハーバード大学や、世界有数の研究機関と言われるマサチューセッツ工科大学などのハイレベルな大学が集結しているため、医学薬学関係だけでなく各方面の優秀な研究者との交流が盛んに行われていた。
また、生活する環境も申し分ないどころか最高だった。居を構えたダウンタウンはヨーロッパ風の街並みが広がり、石畳やガス灯、レンガ造りの建築物が中世を彷彿とさせる上、中心部にはアメリカ最古と言われる公園『ボストンコモン』があり、豊かな緑の中を存分に散策することができた。
そして、すぐ近くには料理やエンターテイメントが楽しめるウォーターフロント地区があり、倉庫街を改装したレストラン街では目の前に広がる大西洋を眺めながら海の幸を存分に楽しむことができた。
美味いものに目がなく、音楽や芸術に傾倒する最上にとって、もちろん、薬学研究に没頭する最上にとって、これ以上はない環境が整っていた。
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最上が入室した研究室は大学の看板研究室であり、世界各国から優秀な研究者が集まっていた。そのレベルは抜きんでており、最優秀の成績で修士課程を卒業した最上であっても対等に勝負をするのは難しいと弱気になるほどだった。加えて、すべて英語で対応しなければいけないというハンディキャップもあるので、緊張は嫌が上にも高まっていた。
それでも、そんな最上に彼らは優しく接してくれた。彼らは優秀なだけでなく、人間的な温かみを併せ持っていた。仲間として迎え入れるため、そして緊張を解すために入室早々歓迎パーティーを開催してくれたのだ。
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パーティーの冒頭、教授がマイクを握った。
「我が研究室へようこそ。最上さんは研究室が迎える初の日本人学生です。日本人を迎えるにあたって、研究室の皆さんには複雑な感情を持つ人がいるかも知れません。ご承知の通り、アメリカと日本は不幸な出来事を経験しています。太平洋戦争です。両国は敵味方に別れて激しく戦いました。そして、悲しいことに多くの犠牲者が出ました。その傷は大きく、両国民の間に大きな溝を作ったのです。戦争を経験した人たちが存命の間はその溝が埋まることはないかもしれません。しかし、戦争から30年が経った今、この忌まわしい過去と決別し、新たな関係を築いていかなければならないと私は思います。その意味で、最上さんの入室は私たちにとって大きな転換点になると考えます。未来志向で最上さんとの交流を深めていきましょう」
話し終わった教授は最上を呼び、マイクを手渡した。
「日本からやってまいりました最上極と申します。私は1953年に生まれました。終戦の8年後です。当時の日本は貧しく、国民の生活は厳しいものでした。しかし、アメリカを先生とし、アメリカを追いかけ、日本国民は必死になって働きました。その結果、西ドイツを抜いて世界第2位の経済大国になることができました。これもアメリカの寛大な支援があったからこそと感謝しています」
そこで謝意を表すために頭を下げてから話を続けた。
「日本は経済大国になりました。それでも、世界の先進国として歩んで行くためにはまだまだクリアしなければならない課題が数多く存在します。その一つに独創的な研究があります。改良技術や応用技術によって成し遂げられた日本の経済成長は『より良いものをより安く』というコンセプトに的を絞ったことが成功の要因でしたが、その反面、基礎研究において欧米の先進国に大きく後れを取っていることも事実なのです。ですから、画期的な製品を産み出すことができていません。医薬品を例に取れば、日本で使われている薬の多くが欧米からの輸入品なのです」
物音一つしなくなった会場に向けて言葉を継いだ。
「改良技術や応用技術で世界に貢献することは大きな意味があります。しかし、それだけで満足してはいけないと思っています。世界に製品を輸出することによって頂いた利益を世界に還元しなければいけないと思うからです。そのためには未解決の課題をどうやって解決するかという新たなアプローチが必要です。未知の領域に踏み出さなければならないのです」
頷く人が何人も見えた。意を強くした最上は声に力を込めた。
「私の目標は世界初の技術で未解決の課題を克服することです。具体的に言えば、有効な治療薬のない癌や難治性疾患に対する革新的な新薬を開発することです。もしそれが実現できれば、日本の復興に力を貸していただいた世界各国に恩返しをすることができます。これこそが、世界第2位の経済大国になった日本の新しい貢献なのです」
そして会場を見回したあと、声を落ち着かせて話を締めくくった。
「世界最先端の研究に取り組んでいる皆様と切磋琢磨できる機会を与えていただき、心から感謝しています。これから3年間、よろしくお願いいたします」



