家に明かりはついていなかった。
日付は既に変わっていた。
妻が起きているはずはなかった。
静かに玄関ドアを開け、音を立てないように閉めた。
リビングの電気をつけてから台所へ行って、冷蔵庫からビールとチーズを取り出した。歌いまくったせいか、ラーメンは胃の中から完全に姿を消していた。
椅子に座って、缶のままビールをゴクゴクと飲んだ。チーズをかじると驚くほどの大きなゲップが出た。誰もいないのに辺りを見回してしまった。すると、テーブルの隅に置かれている原稿が目に入った。家を出る前に見た時と同じ様に付箋がいっぱい付いていた。しかし、何かが違っていた。よく見ると、一番上に黄色の大きなメモが貼ってあった。手に取ると、メモは妻の丸文字でびっしりと埋まっていた。一番上に『お帰りなさい』と書いてあり、続いて小説に関することが書かれていた。ビールを一口飲んでからそれをもう一度読んだ。残りのチーズを食べてビールを飲み切り、原稿を持って自室に向かった。
地の文がくどすぎるか……、
メモに向かってため息をついた。
『誰かにくどくどと説明しているような感じがするし、言い訳をしているような箇所もある』と書いてあった。それだけではなかった。〈随所に『しかし』や『そして』が出てきて閉口する〉とも書いてあった。付箋が貼ってあるところを何か所か読み返すと、確かに『しかし』や『そして』が頻繁に使われていた。中には、一つの会話文に『しかし』が三度使われているところもあった。その個所を見ながら首を振った。こんなに使ったつもりはなかったが、癖なのだろうか、無意識に使っているようだ。今までまったく気がつかなかった。
黄色いメモに視線を戻すと、『「しかし」を他の言葉に言い換えてください』と書かれていた。『だが』『それでも』『けれど』『ところが』『にもかかわらず』などが例として挙げられていた。
それから、〈『そして』は極力使わないように〉とも書いてあった。さっきとは違うページを読み返してみると、確かに『そして』が多く使われていた。原稿1枚に8つの『そして』が鎮座ましましていた。これも癖なのだろうと思うと、暗い息が漏れた。
*
次の日から推敲を再開した。『地の文』の修正は大変そうなので、先ずは『しかし』と『そして』を削除、もしくは変更することから始めた。
これはすぐにできそうだと安易に取り掛かったが、そうではなかった。削除したり言い換えたりすると、文がぎこちなくなるのだ。ぶっつりと切れたり、意味が通じなくなったり、しっくりこなくなったりするのだ。接続詞の使い方がこんなに難しいとは思わなかった。うんうん唸りながら、亀が進む速度よりも遅いペースで直していった。
結局、『しかし』と『そして』の削除と修正に10日もかかってしまった。そのせいで締め切りまで残り2か月を切ってしまい、ちょっと焦った。それでも付箋の数が大幅に減ったので、追い込みをかければなんとかなると活を入れて『地の文』の修正に取り掛かった。
妻の言う通りだった。くどくど説明しているようなところや言い訳のようなところがあると認めざるを得なかった。登場人物の会話や仕草で表現すべきところを地の文で補っているためにとにかくくどく感じるのだ。
とはいっても、どう直せばいいのかわからなかった。地の文の上手な書き方なんて知るはずもないのだ。原稿を前にして腕組みをするだけの時間が過ぎていった。
ところが、啓示は突如現れた。シャワーを浴びている時になんの前触れもなくある言葉が舞い降りてきたのだ。その言葉は『シンプル・イズ・ベスト』
これだと思った。善は急げで、回りくどいところやカッコつけているところ、難しい表現を使っているところをどんどん削っていった。



