『人生ラン♪ラン♪ラン♪』~妻に捧げるラヴソング~


 指定された部屋に入って、ウイスキーの水割りを頼んだ。そこまではよかったが、選曲をしようと歌本を探しても、そんなものはどこにもなかった。昔とはまったく違っていた。仕方がないので店の人を呼んで、やり方を教えてもらった。
 タッチパネルでの操作だった。歌手名や曲名、ジャンルなどから探せるようだった。その中に、『あの頃』というアイコンがあった。それを見た瞬間、彼と目が合った。歌う曲が決まったと思った。

「ビートルズ?」

 彼が首を振った。

「ローリングストーンズ?」

 またも首を振った。

「ビージーズ?」

 彼が笑い出した。

「グループサウンズに決まっているだろ」

「だよね」

 わたしは右手の親指を立てた。

「何からいく?」

「もちろん、タイガース」

 彼は速攻で答えた。

『シーサイド・バウンド』と『君だけに愛を』を彼が、『花の首飾り』と『銀河のロマンス』をわたしが歌った。彼は完全にジュリー(沢田研二)になり切っていた。

「次はテンプターズだな」

 彼が『神様お願い』を歌い始めた。ショーケン(萩原健一)の真似が最高に上手かった。わたしは『エメラルドの伝説』を歌った。

 それが終わると、ザ・スパイダースをメドレーで歌った。
『バン・バン・バン』
『あの時君は若かった』
『夕陽が泣いている』
 彼がマチャアキ(堺正章)で、わたしがジュン(井上順)の真似をした。

 そこで一息入れた。久し振りに続けて歌ったので喉がきつくなっていた。

「これって、中学の時だっけ?」

 彼が美味そうにウイスキーの水割りを飲み干して、視線を向けた。

「そう、確か2年生の頃だったように思う」

 わたしも水割りを飲み干し、お代わりを2杯注文した。

「坊主頭だったよな」

「ああ、男はみんな坊主だった。それに、ニキビ満開だった」

「そうだったな。潰した跡がまだ残っているよ」

 彼が右の頬を向けたので自分の右頬を触ってみたが、ザラザラとした感触はなかった。それでも当時のことが蘇ってきて、懐かしい気持ちでいっぱいになった。すると、彼も同じような気持ちになったのか、当時のことをスラスラと口にした。

「小笠原がアメリカから返還されたし、建国記念日が制定されたよな。確か、EC(欧州共同体)が発足したのもその頃だったと思うよ。それに、ツイッギーが来日したのも同じ頃のはずだよ」

「ツイッギーか……。あのミニスカートは正に衝撃的だったよな」

 ミニスカートの女王とも称された彼女の姿は日本男児全員を虜にしたと言っても過言ではなかった。

「ところで、ビートルズが来日したのもその頃だったよな」

 わたしは大きく頷いた。そのことは今でもはっきりと覚えていた。

「中学1年の時だよ。6月29日の午前3時39分、羽田空港に到着したんだ。残念ながらその映像を生では見られなかったけど、夜のニュースに映った彼らの姿を今でもよく覚えているよ。それに、詰めかけた女性ファンの数が半端じゃなかった。つんざくような歓声と嬌声でアナウンサーの声が聞こえないほどだった。女の人ってあんなに熱狂するんだと思ってびっくりしたのを覚えている」

「そうだったな。本当に凄かったな」

「ああ、言葉にできないくらいだ。それになんといっても武道館の演奏が最高だった。あんなに痺れたことはなかったし、あれから青春が始まったと言っても過言ではないような気がする」

「そうだな。俺の青春もあの時から始まったのかもしれないな」

 彼は遠くを見るような目になっていた。

「多分そうだと思うよ。でもね、」

 皺の目立つ自分の手を見つめた。

「あれから半世紀も経ったんだよな」

 彼も自分の手を見つめていた。

「ああ、早いもんだよ。坊主頭のニキビ面が今ではシワシワおじいちゃんだからな」

「本当だな。あっという間だったな」

 お互いの頭に視線をやってしんみりとなった時、水割りのお代わりが運ばれてきた。
 口につけるとほろ苦く感じたが、それを払しょくするかのように彼が大きな声を出した。

辛気臭(しんきくさ)い話は終わりだ。青春第2部スタート!」

 わたしが持つグラスに彼がグラスを当てると、カチーンと音がした。それを合図にするように「俺はアイ高野で行くぞ」と宣言するように言って、彼はドラムのスティックを持つ格好をした。そしてすぐに選曲をして、ザ・カーナビーツの『好きさ!好きさ!好きさ!』を歌い始めた。

 キメの歌詞に差し掛かる直前、わたしは自分が持っていたマイクを彼の口元に近づけた。すると、その意を受け取った彼は左手で耳を押さえて、右手でスティック代わりのマイクを突き出し、『お前のすべてぇ』と叫ぶように歌った。完全にアイ高野になり切っていた。

 わたしは対抗するように、ザ・モップスの『朝まで待てない』と『たどりついたらいつも雨ふり』を続けて歌った。アフロヘアの鈴木ヒロミツの真似はできなかったが、それでも雰囲気は出せたと思った。

「これは外せないだろ」

 彼が歌い出したのは、ザ・ジャガーズの『君に会いたい』だった。続けて『キサナドゥーの伝説』が始まった。ミリタリー・ルックのヴォーカリスト、岡本(しん)の鼻にかかったような声を完璧に真似ていた。

 わたしは思わず唸ってしまったが、負けるわけにはいかなかった。持ち歌はまだ残してあるのだ。ザ・ゴールデン・カップスの『長い髪の少女』とヴィレッジ・シンガーズの『亜麻色の髪の乙女』。マモル・マヌーと清水道夫になり切って歌い切った。

 すると、彼が意外な選曲をした。PYG(ピッグ)の曲を歌い始めたのだ。
 これには驚いた。伝説のバンドがここで出てくるとは思わなかった。

 PYG、それは日本初のスーパーグループ。
 ザ・タイガースとザ・テンプターズとザ・スパイダースが合体したモンスターバンド。
 人気を二分したジュリーとショーケンがダブル・リード・ヴォーカルを務めた奇跡のバンド。
 しかし、数枚のシングルとアルバムを出して自然消滅した短命バンド。
 それでも、記憶に残る名曲を残した忘れがたいバンド。
 それが今夜彼の歌声で蘇ったのだ。ビートの効いた『自由に歩いて愛して』、そして、壮大なスケールを誇る『花・太陽・雨』。わたしは感涙に(むせ)ぶ思いで聴いた。

 歌い終わった彼が目配せをした。

「そろそろ〆るか」

 わたしは思い切り頷いた。〆の曲は言わずもがなで決まっていた。あの名曲だ。ジャッキー吉川とブルーコメッツの『ブルー・シャトー』。1番は正式な歌詞で歌い、2番は、あの有名な替え歌を肩を組んで歌った。

 気づいたら終電の時間が迫っていた。慌ててカラオケ店を飛び出した。駅の改札口で彼を見送ると、階段を上る手前で振り向いた。その顔は何か吹っ切れたような感じがした。
 それでなんかほっとした。すると、彼の口が動いた。でも、聞こえなかった。〈なに?〉というふうに両耳に手を当てると、また口が動いた。しかし、今度も聞こえなかった。それでも口の動きで言っていることがわかったような気がした。

「もう一度」

 耳から手を離して頷くと、彼は手を上げて階段を上って行った。その背中は萎れていなかった。

 彼の背中が視界から消えた時、妻の顔が浮かんできた。その顔に向かって、彼と同じ言葉を呟いた。そして、踵を返して家路を急いだ。

 歩きながら、グループサウンズ卒業生が生んだもう一つの名曲を口ずさんだ。

『わが良き友よ』

 かまやつひろしとのデュエットが人気(ひとけ)のない深夜の町にこだました。