膝の状態が回復するまでの間、推敲に集中することにした。『何』と『後』のルール化によって文章に違和感がなくなってきたので、人物描写や情景描写の推敲に集中できるようになった。ものの本には『より具体的に描くことが重要』と書かれていたので、それに取り組むことにした。表面的な描写になっているところを具体的なものに変えていくのだ。
ところが、これは簡単ではなかった。例えば人物描写では、顔の造形や身長、体重などを詳細に描けばいいかというと、そうとは限らない。どうでもいいことに拘り過ぎると、読む人の想像力を削ぐ可能性がないとは言えない。そうなると、却ってつまらなくなる。そのあたりの塩梅はわたしにはかなり難しいが、特徴のあるところだけに絞って具体的に描写することにした。
情景描写も同じだ。ある程度具体的に描くのはいいが、度を超えると読むのが嫌になってくる。今まで読んだ小説にもそう感じることが多々あった。〈そんな細々としたところに拘らないでもっと話を前に進めてよ〉と言いたくなることを何度も経験していた。いわゆる小説オタクのような人は細かな描写が長々と書かれていても嬉々として付き合ってくれるだろうし、それ以上に感嘆したり唸ったりするのかもしれないが、一般の読者はそうではない。延々と描写が続くと眠たくなってくるし、読む気がしなくなる。そして最後にはその小説自体に興味がなくなっていく。何故なら、一般の読者は芸術作品を読みたいわけではなく、スピーディーに展開する物語を読みたいからだ。そのためには人物描写も情景描写も簡潔にした方がわかりやすい。筆力を誇示するよりも、読者の立場に立った、読みやすい、そして、飽きのこないストーリー展開が必要なんだろうと思う。もちろんそれが簡単ではないことは十分理解しているが、それを心がけることが大事だと考えて推敲を進めていった。
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4月末にやっと推敲が終わった。我ながらかなり完成度が高いものができたと思った。だから、応募用に買っておいた少し高級な紙に印刷をした。そしてそれをクリップで止めて、茶封筒に入れた。妻に原稿を渡して、感想を言ってもらうためだ。以前よりはかなり良くなっていると自負していたが、それはあくまでも自己評価であり、もしかしたら自己満足のレベルかもしれないからだ。だから、客観性を担保するには小説のことをよく知っている第三者に見てもらう必要がある。
その点で妻は最適だと思った。今までわたしの何百倍も小説を読んでいるし、書店でアルバイトを始めてからは優れた小説を見抜く力に磨きがかかっているようだった。そのため、作品を評価する舌鋒も鋭くなっていた。文芸誌の新人賞受賞作を一読してバッサリと切り捨てることも多かったし、実際、妻に批判された小説は売れ行きが良くないようだった。
そもそも、新人賞を取ってデビューした作家の多くが数年以内に姿を消しているのが現実らしく、妻の話を聞く度に作家として生活する厳しさを感じた。だからこそ、妻の率直な意見を聞かなければならないと思った。妻からOKが出ない小説を新人賞に応募するわけにはいかない。
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「結構きついことを言うかもしれないわよ」
原稿を受け取った妻の第一声だった。
「覚悟してます」
神妙に答えた。
「では、預からせていただきます」
両手で原稿の束を持ち上げて、恭しく拝むような仕草をした。
「お頼み申します」
わたしは両膝に手を置いて、慇懃に頭を下げた。



