楽しい時間が過ぎるのはあっという間というが、本当にその通りで、明日が帰国日となってしまった。妻が言っていた通り、1週間や10日だったらまったく足りなかった。2週間でも短すぎた。もう1週間あればと、二人でため息をついた。
それでも、妻が喜んでくれたのは嬉しかった。中学生の頃からの夢を叶えてあげることができて、肩の荷が一つ降りたような気がした。ところが、妻は、憧れの地へ来たことよりも嬉しいことがあったと微笑んだ。
「あなたが旅行中に一度も大きな声や怒ったような声を出さなかったことが嬉しかったの。一度も不機嫌な表情にならなかったことが本当に嬉しかったの」
それを聞いてハッとした。会社で居場所がなかったわたしは表面上は平静を装っていたが、内心ではイライラしていた。それが知らず知らずのうちに表に出ていたのかもしれない。多分、妻に不機嫌な顔を見せていたのだろう。時には大きな声で当たり散らしたのかもしれない。なんの罪もない妻に酷いことをしていたのかと思うと、心が痛んだ。
これからは、もっと穏やかになるよ、
心の中で誓った。
*
帰国したわたしたちを待っていたのは、雪景色だった。数十年ぶりの大雪に、首都圏の交通はマヒしていた。懸命な除雪作業のお陰で成田空港へ着陸することはできたが、その後の移動手段が無かった。それですぐに空港近くのホテルを探したが、すべて満室だった。ラウンジもいっぱいで入れなかった。
「どこか空いている所を探そう」
当てもなく空港内を歩き続けたが、なんとか二人が座れるスペースを見つけたのは、空港到着後1時間近く経った頃だった。狭いスペースに身を寄せて座った。
「疲れたね」
足をさすりながら妻が頷いた。それでも、この2週間を振り返るように、「でも、楽しかったわ」と笑みを浮かべた。
「楽しかったね、本当に」
目を閉じると、アンスバタのビーチが浮かんできた。
青い海と青い空、
心地よい風、
止まったような時間、
フランボワイヤンの燃えるような赤い花、
そして、妻のしぐさ、
妻の笑顔、
人生最高のひと時だった。
目を開けると、妻があくびを堪えていた。疲れているのだろうと思って自分の太腿を指差すと、妻は頷いて、わたしの太腿に頭を乗せた。体を二つ折りにして小さくなって。
しばらくすると、微かに寝息が聞こえてきた。わたしは妻の肩から腕をそーっとさすった。予想外に細かった。今まで気づかなかったが、こんなに細いとは思わなかった。ふと、結婚した時のふくよかな妻が思い浮かんだ。
苦労かけたね……、
呟くと、いきなり切なくなり、目頭が熱くなった。後悔が涙となり、目から零れ落ちた。妻の髪に吸い込まれていくと、ほぼ同時に太腿が何かを感じた。妻の肩がかすかに震えていた。



