退職して1週間後、思いがけないことが起こった。大きな荷物が届いたのだ。
女性社員からだった。マタハラ被害から復帰したあの女性社員。
箱を開けると、一番上に手紙が置かれていた。手に取ってハサミで封を開けると、そこには衝撃的なことが書かれていた。最終出社日前日にわたしが定時で会社を出たあと、支社長から厳しい通達が出たというのだ。三木田の出社最終日にはなんの反応もするなと。もしすれば、それ相応の厳しい処分をするからと。だから、社員は全員、仕事をする振りをせざるを得なかったというのだ。
信じられなかった。〈そこまでするか〉と怒りが湧いてきた。終わったこととはいえ、腸が煮えくり返った。しかし、ぶつける相手がいなかった。手紙に八つ当たりしても仕方がないのだ。頭の中で支社長に後ろ回し蹴りをかませて終わらせた。
それでも心を落ち着かせるために一度深呼吸をしてから続きを読んだ。『送別会ができなかったので、全員でお金を出して世界一のシャンパンを贈ることにした』と書いてあった。そのあとに『三木田支社長は世界一の支社長ですから』という言葉が添えてあった。泣きそうになった。
手紙を置いて包装された箱を手に取った。リボンが付いた華やかな包装紙を見ただけで特別なシャンパンだとわかった。
こんな高価なものを……、
包装紙の上に涙が落ちた。一つでは終わらなかった。右手で拭ってから手紙を取り、続きを読んだ。色紙とアルバムを同封したと書いてあった。
また手紙を置いて色紙を取り出した。真ん中に『ありがとうございました。三木田支社長の御恩は一生忘れません』と書いてあった。パワハラから復帰した男性社員の字に違いなかった。顔を思い出すとグッときた。
色紙は裏面にもびっしりと書かれていた。一人一人の社員を思い浮かべながら「ありがとう」と呟いて頭を下げた。
全部読み終わってからアルバムを手にした。開くと、懐かしい写真が何十枚と台紙に貼られていた。その中の1枚に目が止まった。目標達成の祝賀懇親会で皆とVサインをしている写真だった。苦楽を共にしたかけがえのない社員たちと写っていた。その中には、ひと際弾けるような笑顔の集団がいた。契約社員から正社員に登用した社員たちだった。自分がしてきたことが無駄ではなかったと思うと、なんとも言えない気持ちになった。
「本当にありがとう」
写真に向かって心を込めて頭を下げた。
*
一転して幸せな気分になったわたしは、その夜、お酒が進んだ。普段は缶ビール1本とグラスワイン1杯で済ますのだが、今夜はグラスをもう1杯お代わりをした。本当は社員から贈られたシャンパンを飲みたかったのだが、とてももったいなくて飲めなかった。宝物なのだ。簡単に開けることなんてできるはずがない。だから、その代わりと口実を付けていつもの安ワインをお代わりしたのだ。
「いいことがあって良かったわね」
その口調は、〈今日はどんどん飲んでもいいわよ〉というように感じられたので、更に気分が良くなってもう1杯飲むことにした。
3杯飲むと、さすがに回ってきた。ふわ~っとした感じになって心が緩んだ。そのせいか、なかなか言い出せなかったことを切り出すことができた。
「そろそろアルバイト辞めたらどう?」
家のローンは払い終わっていた。年金も満額支給が始まっている。これ以上妻に苦労を掛けるのは忍びなかった。
「そうね……」
妻は思案顔だった。
「続けたかったら辞めなくてもいいけど」
「そうね……」
妻は、同じ言葉を繰り返した。



