読後感の良いものか……、

 この1週間、その言葉がわたしの頭から離れることはなかった。

 心地良い余韻、
 どこか幸せな気分に浸れる余韻、

 この二つの言葉も頭の中でぐるぐると回っていた。通勤中も、会社にいる時も、家に帰っても、ベッドに入っても、この言葉たちが消えることはなかった。というよりも、わたしを焦らすように責め立てた。でも、どんなに責め立てられても、一文字も書き始めることはできなかった。だから、ノートパソコンの蓋を開けることは一度もなかった。

 完全に煮詰まったので、公園に散歩に行くことにした。バイトが休みの妻が一緒に行くと言ったが、誰かと一緒に散歩したい気分ではなかったので、他にも用事があるからと言って、一人で出かけた。

 連休の最終日に当たる月曜日の公園は家族連れでいっぱいだった。池には足で漕ぐボートが溢れていたし、カップルや家族連れの賑やかな笑い声があちこちから聞こえてきた。

 しばらく歩くと、可愛い声が聞こえてきた。

「パパは?」

 見ると、小さな女の子が母親らしい女性を見上げていた。

「パパはお仕事で忙しいのよ」

「いっつもお仕事なの?」

「今度お休みの時に一緒に来ようね」

「いつがお休み?」

 すると、しゃがんで視線を合わせていた母親の顔が曇った。口を動かそうとしたようだったが、言葉は出てこなかった。

「アイスクリーム食べる?」

 話題を変えると、女の子が嬉しそうに頷いた。近くの売店でアイスクリームを買って手渡すと、女の子はそれをペロッと舐めた。

「おいしい。パパにも食べさせてあげたい」

 ところが、母親は顔を曇らせて目を逸らした。なんか辛そうだった。

 わたしは売店の傍のベンチに座って、その様子を見ていた。何か事情があるに違いない。そう思った途端、想像と空想と妄想が始まった。

        *

 新俱留(しんぐる)真座美(まざみ)は未婚の母だった。スナックで接客の仕事をしながら、3歳の女の子と二人で暮らしていた。子供の名前は早生子(わせこ)。利発な子供だった。頭の回転が速く、普通の子供よりもかなり早く言葉をしゃべり始めた。
 幼稚園に通い出してからは色々なことに興味を持った。その一つが父親のことだった。友達にはパパがいるのに自分にはいないことをしきりに不思議がった。

「ヨッコちゃんちのパパはね、いっつも肩車してくれるんだって。それにね、」

 羨ましそうな顔になった。

「パパとママがブランブランしてくれるんだって」

 片手を父親が、その反対の手を母親が持って、空中でヨッコちゃんの体を前後に揺らすことを言っているらしい。

「早生子もしたい」

 駄々をこねて半泣きになった。

「ごめんね」

 早生子を抱きしめた真座美の目が真っ赤になった。父親に会わせることができない境遇にしてしまった自らの過ちに唇を噛んだ。

 OLとして働いていた頃、上司が好きになった。しかし、彼は結婚していた。それでも諦め切れず、自分から誘って不倫関係になった。人目をはばかりながらホテルで逢瀬(おうせ)することしかできなかったが、それでも幸せだった。ところが、酔った勢いで抱かれたあと、望まない妊娠をしてしまった。そのことを告げると彼の態度が一変し、「堕ろせ」と睨まれた。真座美は即座に「嫌よ」と言った。すると、「産んでも絶対に認知はしない」ときつい口調で言われた。「お前が誘ってきたのだからお前がなんとかしろ」とも言われた。そして、その次に会った時、手切れ金を渡された。50万円だった。それだけでなく、「会社を辞めてくれ」と冷たく突き放された。その場は拒否したが、大きくなっていくお腹を隠し切れないようになると、真座美は泣く泣く会社を辞めた。

 一人で子供を産んだあとは、生活のためにスナックで働き始めた。そんなふうだったから、父親の話は口が裂けても言えなかった。しかし、早生子は父親のことを知りたがった。それだけでなく、幼稚園から帰る度に友達の父親の話をした。そして、「パパと遊びたい」とべそをかいた。

 父親のことを言えない真座美は一人二役をするしかなかった。早生子を公園に連れて行く度に一人でブランブランさせた。早生子の両手を持って自分の股の間を前後させるのだ。でも、小柄で非力な真座美はそれを何回もすることができなかった。

「もう一回」

 そうねだる早生子に、「ケーキ食べに行こ」と機嫌を取ることしかできなかった。

        *

 そこで、わたしの想像と空想と妄想が終わった。

 う~ん、いかん、いかん。これではまた読後感の悪い結末になってしまう、

 わたしは想像と空想と妄想を消して、二人の姿を探した。しかし、見当たらなかった。まだ遠くには行っていないはずだと思って公園内のあちこちを探してみたが、見つけることはできなかった。残念ながら諦めるしかなかった。

 仕方ない、家に帰るか……、

 後ろ髪を引かれながら家路についた。

 普通ならそこで終わるはずだった。しかし、何故か家に帰ってもあの母子の姿が何度も浮かんできた。優しそうな母親と可愛い女の子の印象が強烈だったのだろう、二人の顔と会話が鮮明に蘇ってきた。

「パパはお仕事で忙しいのよ」
「いっつもお仕事なの?」
「今度お休みの時に一緒に来ようね」
「いつがお休み?」

 という二人の会話だった。

 パパが仕事で長期不在なのは本当のことかもしれない。

 湯船に浸かっている時、ふとそう思った。不倫の末に捨てられたとかの悲惨な理由ではなくて、真っ当な理由がありそうな気がしてきた。とすると、外国航路の船員かもしれないし、海外に単身赴任しているのかもしれない。そんなことをベッドに入ってからも考え続けたが、知らないうちに眠ってしまった。すると、不思議な夢を見た。