翌日の午後、気分転換を兼ねて散髪に出かけた。駅前にある千円カットの店だ。不要族になってからはこの店を利用するようにしている。髪を染めることもパーマをかけることも止めたから、この店で十分なのだ。
2階に上がって店に入り、自動販売機にお金を入れ、チケットを受け取った。それを手に持って待合の椅子に座り、待っている人の数を数えた。6人もいた。どこかで時間を潰して出直してこようかなとも考えたが、理容師が3人いるので、うまくいけば30分ほどで順番が回ってくるかもしれないと思い直した。そのまま待つことにした。
することがないので、散髪中の人をさり気なく観察することにした。わたしと同年代くらいの七三分けが1人と、70歳は優に超えていると思われる見事な白髪が1人と、短髪の中年女性が1人で、皆、無言でカットの施術を受けていた。
この人たちはどんな人なのだろうか?
職業や家庭環境や趣味などを勝手に想像してみた。
七三分けは万年係長で恐妻家かな?
見事な白髪は団地に住んでいて小遣いが5千円位かな?
中年女性はバツイチでシングルマザーかな?
千円カットを利用している背景を考えながらそれぞれの日常を思い浮かべた。
そうしているうちに、ふっとあることが思い浮かんだ。『キャラクターの設定』が重要なのではないかと思ったのだ。多分そうだと思った。登場人物の内面を描くためには、その人たちの人となりを知らなければならない。
では、どうすればいい?
亜久台と離弁の顔を思い浮かべた。亜久台はわたしより背が高くてがっしりした体格だった。昔はスポーツをしていたのかもしれない。いや、ソフトモヒカンのような髪型だったから格闘技かもしれない。多分そうだ。それから……スーツのズボンは線が消えていたから、クリーニングはもとよりアイロンもかけていないかもしれない。とすると、もしかして男やもめか。それともバツイチか。
では、離弁はどうだ。わたしより背が低くてやせ型だったから、165㎝、55㎏くらいだろう。髪は耳が隠れるくらいの長さだったから、芸術肌で、音楽や絵画の趣味があるかもしれない。それから……しきりにスマホをいじっていたからゲームオタクかもしれない。彼女はいるかな? いや、いそうな雰囲気ではなかった。女が苦手なタイプかもしれない。そこまで考えた時にわたしの順番が来た。
メガネをかけた陰気そうな感じの瘦身の男性理容師だった。チケットを渡して椅子に座ると、「どうしますか?」と問われたので、「1か月分くらい切ってください。バランスの悪いところがあったら整えてください」と告げて目を瞑った。理容師は「1センチくらい切りますね」と言ったきり、無言でハサミを動かし続けた。
ハサミの音が止むと同時に「確認をお願いします」と声をかけられた。目を開けると、「いかがですか?」と、仕上がりのチェックを促された。正面も背面も鏡で確認して問題なかったので、「大丈夫です」と答えた。すると、「ちょっと大きい音がします」と言って、エアウォッシャーでカットした髪を吸い込み始めた。シャンプーの設備がないのでこれで綺麗にするのだが、結構吸い取れるようだ。最後に髪型を整えて、カットが完了した。櫛と袋入りのペーパータオルを受け取って、「ありがとう」と言って店を出た。
カットされている間、『キャラクターの設定』について考え続けていた。そのせいか、『人物像』を明確にすることの重要性がなんとなくわかったような気がした。善は急げと速足で家に帰り、自室に籠ってパソコンに向き合った。
亜久台と離弁、それぞれの身長、体重、体つき、顔、髪型、年齢、服装、性格、雰囲気、職業、家族構成、生い立ち、趣味、大事にしているもの、嫌いなもの、悩みなどをインプットしていった。すると、人となり(・・・・)がくっきりと浮かんできたように思えた。それを『だからお前はダメなんだよ!』に入れ込んだ。
印刷して読み返すと、亜久台と離弁それぞれが抱えている葛藤とか悩みとかの心情が表現できているように感じた。もう一度読み返して、誤字脱字やおかしなところを直して再度印刷した。そして、夕食後、妻に見せた。妻が読んでいる間にシャワーを浴びた。
リビングに戻ると、妻が笑みを浮かべて迎えてくれた。
「だいぶ良くなったわね。誤字脱字もほとんどないし、なにより人物描写が具体的でわかりやすかったわ。背景にある葛藤とか悩みとかも理解できたし」
おっ、今度は評価高そう、
ちょっと浮かれた気分になったが、それは次の言葉でちょん切られた。
「でもね、読み終わった時の感じが、なんて言うか、ちょっと嫌なの」
嫌って……、
「結局、仕返しでしょう。離弁が亜久台に〈ざまあみろ〉というだけの話よね。他人に唾を吐くようなエンディングでは楽しく読み終われないの」
う~ん……、
「そうじゃなくて、心地良い余韻とか、どこか幸せな気分に浸れる余韻とか、そんなシーンや言葉で締めくくって欲しいの」
そう言われても……、
「これもそうだし、最初のもそうだったけど、どっちも暗い話よね。コンプライアンス違反とパワハラ。それはそれで悪いわけではないのだけど、それで終わってしまっては物足りないのよ。だから、そこから先に意外なことが待ち構えているような展開が必要だと思うの。そしてそれが心地良い余韻で終わったら言うことがないと思うわ。次はそういうことに気をつけながら書いてみて」
ねっ、というような表情を浮かべたあと、妻は微笑んだ。



