第五話 台風の夜

 朝の十時、役場からの放送が空の色を変えた。
「大型台風接近。フェリー、全便欠航。外出は控えてください。避難所は小学校体育館——」
 スピーカーの軋む音が風の粒に混じり、島全体の温度を一段、下げるのではなく引き伸ばした。張り詰めた輪ゴムのような空気。雲はまだ整っているのに、水平線の向こう側で誰かが大きな器を傾け始めている気配がする。
 祖父は朝の回診から戻るやいなや、診療所の裏の倉庫を開け、古い赤いポリタンクを三つ引き出した。
「非常用発電機の燃料は、これだけ。足らん」
 蓮は腕まくりをし、静は吸入器の残量を確かめながら祖父の背中を追う。裏庭の片隅に据えられた発電機は、塗装が潮に焼かれて鈍く、ところどころのボルトは赤茶色に膨らんでいる。
「濃縮器(コンセントレーター)は何台?」
「二台。マツさの家に一台、ここに一台。ほかに簡易吸引器、ネブライザー。冷蔵庫は切る」
 祖父は指折り数え、ためらわずに切るもの、残すものを仕分けしていく。
「冷蔵庫は?」静が念のために重ねて問う。
「切る。氷は避難所に回す。保存の優先度は人。装置や食い物やなか」
「はい」
 祖父は二人に目だけで合図を送る。
「今から、配分と順番の話をする。命の重さに差はない。だが、今ここにある命を守る順番はある」
 蓮は唾を飲み込む。言葉が胸骨の裏に引っかかる感覚。祖父の声は低いが、低さが床を通って足裏からも入ってくる。
 白板を引き出し、祖父はマジックで丸と矢印を描いた。
「電源が要る機器は四種。酸素濃縮器、吸引器、ネブライザー、照明。優先順位は——」
 丸の大きさが違う。濃縮器の丸は大きく、照明は小さい。
「マツさの家は、濃縮器が止まると呼吸が落ちる。ここでは、今のところ静の吸入、こまごました処置。冬馬は今日、船を出さんはずだが、怪我人は出る。停電時、吸引は手動で代替できるが、濃縮器は手動では代替しづらい。つける時間と、間欠的に切る時間を刻んで回す」
「刻む?」蓮が訊く。
「十五分、二十分。指標は数字と顔。数字は酸素飽和度。顔は、目の焦点、唇の色、胸郭の動き。おい一人では足らん。蓮、数字を読み、記録しろ。静、顔を見る。顔が一番正確や。吸うより吐け。お前が吐けば、相手も吐ける」
 静はこくりと頷いた。
「港の避難所にも連絡は回ってる?」
「回っとる。体育館に発電機一台、燃料は心許ない。役場の職員が分配に来るが、フェリー欠航で本土からの補給はなか。今夜ば持たせる」
 今夜。具体の長さが、急に現実味を帯びて胸に落ちる。夜は長い。台風の夜は、音と時間が膨張する。
「蓮、タンクを持て」
「はい」
 祖父は雨具を着込む。静は胸に手を当て、息の幅を確かめるように一度深く吐いた。吐けば、入る。島に来てから、合言葉のように何度も繰り返したその一句が、今日ほど骨の奥まで降りた日はない。
 昼過ぎから、空が低くなった。灰色の布を風が裏返すみたいに、空の模様が裏から表へと交換される。雨粒は最初から太い。小さく始まって大きくなるのではなく、最初から最後のサイズで落ちてきて、さらに大きくなる。
 停電は午後三時。
 診療所の蛍光灯が一瞬だけ明るくなり、次の瞬間には音ごと消えた。発電機が唸りを上げてつながるまでの数秒が長い。長い数秒のあいだに、人はたくさんのことを考える。
 カチ、と祖父がスイッチを落とし、紐を引く。古いエンジンがぐずり、次に腹から声を出して回り始める。
「濃縮器オン。吸引器は待て」
 蓮はコンセントを差し、パルスオキシメーターをマツの家用のバッグに入れ直す。
「行くぞ。雨のうちに」
 三人はレインコートのフードを深く被り、診療所を出た。風はもう横から来ている。雨が水平に走る。傘は役に立たない。
 道は川になりかけている。排水溝が追いつかない音が、足下で泡立っている。
「静、大丈夫か」
「大丈夫」
 短い返事。返事の短さは嘘ではない。呼吸が短くなると、言葉も短くなる。
 マツの家に着くと、孫娘が玄関で待っていた。顔は泣いていない。泣く余白がない顔。
「先生……」
「大丈夫。順番にやる」
 祖父は濃縮器をつなぎ、酸素マスクの位置をわずかに調整する。
「蓮、SpO2(サチュレーション)」
「八十九。——九十。九十一」
「よし。静、水分の口腔ケアは短く。全体の湿り気が上がっている。溺れさせない」
 静は頷き、綿棒を湿らせ、唇の縁をなぞる。マツは目を薄く開き、白い天井を見ていた。外では風が壁を叩く。風は叩くと同時に、どこかを撫でている。
「灯は、流したかね」
 マツの声がかすかに震え、静は微笑んだ。「流しました。昨日の灯も、今日の分も、たぶん一緒に」
「そうかね」
 祖父はタンクを一つ置いて、孫娘に向き直る。
「発電機の燃料が少ない。ここは二十分回す。十分快速二十分停止。そのあいだ、こちらでバッグを手押しして、息の調子を保つ」
 孫娘は頷いた。「わたしにも、できますか」
「できる。蓮が教える」
「はい」
 アンブバッグ——透明のマスクと蛇腹の袋。蓮は袋の弾力を手の平で試す。押し過ぎない。戻し過ぎない。
「このくらいで、ちょうどいい。押すときに、マツさんの胸の動きを見る。肩でなく、胸の真ん中が少しだけ上がるくらい」
「はい」
 孫娘の指は細い。細さは弱さではない。細い指のほうが、余計な力が入らないこともある。
 雨脚がさらに太くなった。窓が唸り、木枠が音を立てる。屋根の板金のどこかが浮き、金属が鳴く高い音が混じった。
 診療所の方から、短いベルの音。非常用のドアベルが一度だけ鳴り、すぐに止まる。
「静、ここは十分快速、あと三分。蓮、次の家だ。転んだ老人がいると電話が入った」
 祖父は腕時計を見ながら、雨に濡れた視線で時間を切っていく。
 蓮は頷き、祖父と駆け出した。道の角を曲がるとき、風が真正面から押してくる。足の裏が風に浮く感覚。体重を低く保ち、踏み込みを短く——剣道で覚えた足さばきが、こんな形で役に立つとは思わなかった。
 転倒したのは、外れの坂に住む老人だった。玄関の敷居で足を滑らせ、膝を打っている。頭部は打っていない。
「救急車は?」
「来ない。道路が落ちとる」近所の男性が短く答える。
「止血して、膝を固定。避難所へ搬送」祖父は迷わない。包帯を巻きながら、家族に「濡れるから毛布を」と言い、蓮に簡易担架の準備を示す。
「診療所まで引く。そこで一旦、状態を見る。避難所へは、役場の軽トラが回る。だがこの雨や。時間が読めん。——よし、持ち上げるぞ。いち、にの、さん」
 老人の重みが肩に乗る。濡れた布団は重い。重みは、痛みを軽くはしないが、孤独を軽くする。
 診療所に戻ると、玄関を叩く波の音が聞こえた。波が玄関を叩く——そんなことが起きる日は、年に何度もあるわけではない。
 発電機の唸りが一定のリズムを保っている。祖父はメーターを一瞬確認し、「残り三割」と短く言った。
「マツさは?」
「いま一巡。孫娘がバッグできてる。静が間合いを見てる」
「よし」
 祖父は受診簿の空欄にペン先を落とし、すぐにまた顔を上げた。
 その時、引き戸が勢いよく開いた。
「先生!」
 濡れ鼠になった冬馬が立っていた。顔の半分で雨が流れ続け、口の中に潮が入っているのか、言葉が太く濁る。
「船小屋で板の飛んだ! おっちゃんの腕ばやられた。血の——」
「担架出せ。止血帯、圧迫。——蓮、救急バッグ。静はマツさへ戻れ。二十分の刻みを切るな」
 祖父の指示は跳ねずに落ちる。冬馬は踵を返し、蓮はバッグを背負って追う。
 風はさっきよりも力を獲得していた。空気の中に、別の筋肉が混じったみたいな強さ。船小屋の屋根の一部が剥がれ、トタン板が風に揉まれて背を鳴らす。
 男が座り込み、右の二の腕から血が溢れている。切創。深いが、動脈は切れていない。
「圧迫。上から包帯。——冬馬、ここば押さえろ。力は込めすぎるな。面で押す。点で押すな」
 冬馬は頷き、顔を歪めながらも手の平の面で圧をかける。蓮は縫合の準備をしながら、雨に濡れた手袋を替えた。
「麻酔いくよ。——大丈夫、深呼吸」
 男は歯茎を見せ、笑おうとして笑い損ねる。「先生、ヘリは飛ぶか」
「飛ばん」祖父は言い切った。「今日はおいどんの手の届く範囲で終える。終えられん分は、明日のおいどんに渡す」
 針が皮膚をすくい、糸が雨の匂いの中でかすかに軋む。止血が効いてきた。男の表情に痛み以外の感情が戻る。
「冬馬」
「なん」
「お前は手が利く。明日も、包帯ば替えに来い」
「分かった」
 冬馬は短く答え、雨の向こうの空を一度だけ睨んだ。睨む相手は、空ではない。自分の内側のどこかにいる。
 診療所に戻ると、発電機の音がわずかに不安定だった。
「燃料、二割」
「刻みを短くする?」静が問う。
「短くすれば、切る時間が増える。——マツさの家へ行く。ここは一旦、手動に切り替える」
 祖父は吸引の手回しのハンドルを確認し、静の顔を見る。「動けるか」
「動ける」
 本当は少し、胸が狭い。だが動ける。呼吸を合わせ直す術を知っている。
 三人は再び雨の中へ出た。風はもう対話を許さない速さで走っている。会話は肩の触れ方と、目の合図と、歩幅の一致に置き換わる。
 マツの家。孫娘がバッグを握っていた。指が白くなるほど力が入っている。
「上手い」祖父は短く褒め、濃縮器を切る。「ここから十五分、手で持たせる。静、口腔を整える。蓮、数字」
「八十八——八十七」
「よし、ペース上げすぎるな。入れすぎると吐きにくくなる。吐けなくなると、次が入らん」
 外の風が一際大きく鳴き、窓ガラスがかたかたと震えた。屋根のどこかで何かが動く音。
 静はマツの口元を少し開け、舌の乾きを湿らせ、頬の内側に綿棒の先で冷たい道を作る。吐くための道。
「先生……」孫娘が言う。「怖い」
「怖いね」祖父は正面から肯う。「怖いば、分ける。分けた分、息の増える」
 孫娘は涙を一滴だけ落とし、それからしっかりとバッグを握り直した。
 時間は刻まれる。十五分。十八分。二十分。
「切る。——次は診療所」
 祖父は時計を見て、決定を短く口にする。切る、の二文字が、こんなにも重いとは。蓮はその言葉を胸に受け、受け止める筋肉の震えを隠さないことにした。震えは、弱さではなく、支えるための準備運動だ。
 診療所の玄関を開けた瞬間、波の音が中まで入ってきた。
「上がってきてる」蓮が言う。
「床上までは来ん。——来たら、上さん逃げる」祖父の声に迷いはない。
 発電機の燃料は、針が赤いところに触れている。
「最後の一巡だ。刻みは一五分に短縮。——静」
 祖父が呼んだとき、階段の三段目で足が止まった。
「先生?」
 祖父は手すりを握り、膝をつく。
 時間が、音を置いていった。
「めまい……」祖父は笑おうとして、笑えない。「情けなか」
「情けなくない」静が駆け寄り、肩を差し入れる。蓮は血圧計を掴み、膝をついてカフを巻く。
「測るよ。——一三八の八四。脈は九十」
 数字は突き放す。だが、大丈夫だ、と言っている。
「先生、座って」
「座る時間のなか」祖父は目を閉じて言い、次の瞬間には開けた。「大丈夫だ」
 その声は掠れていた。だが、掠れているという事実は、撤回されなかった。
 静は祖父の腕を掴み、強くは引かず、しかし離さずに支える。「横になって、三十数えたら、行こう」
 祖父は苦笑し、「十でよか」と答え、それでも二十まで目を閉じた。
「行くぞ」
 立ち上がる。足取りは確かではないが、確かに前へ出る足だった。
 台風の目は、夜半に来た。
 風が、途切れた。
 音が消えたのではない。音の種類が入れ替わった。雨はまだ降っているのに、音が遠くなる。遠くなった音の隙間に、人の声が入る余裕ができる。
 マツの家に戻る。
 マツの目が、すこし深く沈んでいた。痛みの波は、静かになっている。
「先生」
 孫娘が囁く。「さっきから、穏やかです」
「よか」
 祖父はベッドの側に膝をつき、耳元で、海の音を聞くみたいに小さく話しかける。
「ここが、帰り道です。——ここです」
 その言葉は、部屋の空気を丸くした。角の取れた静けさ。
 静は綿棒を湿らせ、唇の縁を最後にもう一度、なぞる。蓮は孫娘の手に軽く触れ、手の震えに合わせて自分の呼吸を整える。
 マツの呼吸は、浅く、長く、浅く、長く——そして、ふっと、吐いた息が帰ってこない短い間ができた。
 祖父はその間を待った。待つことが、医療の技術のひとつであることを、二人はここで知った。
 次の小さな吸気が来て、また吐かれて、また来なくなった。
 孫娘の指が、マツの手を少し強く握る。
「ありがとう」
 祖父は耳元で囁いた。「よく来られました」
 呼吸が、終わりに向かって整っていく。整えることが、誰かの役目ではなく、部屋全体の仕事になる瞬間がある。
 静の胸の奥で、何かがほどけていく。ほどけていくのに、痛くない。痛みは別の形で残るが、いまはここに置かれない。
 蓮は時計を見て、祖父の目を見る。
 祖父はゆっくり頷き、時計とマツの顔を交互に見て、静かな声で言った。
「死亡確認。——時刻」
 孫娘は泣かなかった。泣き声はあとで来る。いまは、手を握る時間。
 祖父は手を胸に当て、目を閉じ、短い祈りを置いた。
 終わりを完成させる。
 その意味が、身体の方へ先に落ちていく。頭は遅れて、理解の形を探し始める。
 戻る道、風が戻り始めた。音がひとつ、またひとつと重なり、やがてさっきの合奏に戻る。
 診療所の灯は、まだかろうじて生きていた。発電機の燃料針は、もうゼロの線をかすめている。
「切る」
 祖父はスイッチを倒した。
 暗闇が濃くなり、次の瞬間、意外なほど身体が軽くなる。音が消えると、筋肉から一枚、重りが取れる。
「ローソク」
 静が引き出しから短いローソクを出し、蓮が火を移す。炎が最初に大きくなり、すぐに小さく安定する。その小ささこそが頼りになる。
 祖父は椅子に腰を下ろし、肩で呼吸を一度だけした。
「先生」
「大丈夫だ」
 声は相変わらず掠れている。だが、その掠れに、蓮は安心する。人は、無理に平坦に戻るとき、どこかを隠す。掠れた声は、隠していない。
 冬馬が濡れたまま入ってきた。「終わった?」
 蓮は頷いた。冬馬は帽子を胸に当て、深く頭を下げた。
「お前も座れ」祖父が言う。
「座る時間なか」
「ある。十だけ」
 冬馬は笑い、椅子に腰を下ろした。膝の上で、濡れた手が小さく震えている。
「明日、屋根を見に行く。——いや、明日、風が収まったら、の話か」
「収まる」祖父は断言した。「目の通り過ぎたあと、風は切れる。切れたら、戻る。その繰り返しで、朝になる」
 切れて、戻って、続く。
 合言葉が、今夜ほど、島の言葉に重なったことはない。
 夜明けは、音が先に来た。
 風が、抜けた。
 雨が、細くなった。
 海の匂いが、塩の粒を大きくしながら軽くなる。
 窓の外の雲はまだ厚いが、光は灰色に混ざる。色を奪う光ではなく、輪郭を戻す光。
 診療所の前の道に、小さな木の葉が集まって渦を作る。渦はすぐに壊れ、またできる。
 静は外に出て、堤防に座った。潮は高いが、怒っていない。
 蓮が隣に腰を下ろすと、静は額を蓮の肩に預けた。
「怖かった」
 言葉は短く、しかし、短さがすべてを運んでいる。
 蓮は肩の位置を微調整し、静の額の重さに合わせて息を吐いた。
「怖いを分け合えることが、俺らの強さだ」
 静は笑って、泣いた。笑いと涙が同時に出るとき、人は呼吸の仕方を一瞬忘れる。その一瞬のために、そばに人がいる。
「俺、たぶん、書くよ」
「何を」
「昨日のこと。今日のこと。灯のこと。呼吸のこと。じいちゃんの声の高さ。——マツさんの『ここが帰り道です』のあとの静けさ」
「おう、書け」
「うん、書く」
 堤防に座る二人の前で、海の表面の色が、灰から薄い青にゆっくりと移る。
 遠くで、防波堤に打ち上げられた流木が、互いに体を預けるように引っかかり合っていた。人も、木も、預け合うことで、朝を迎える。
 診療所の屋根で、小さなトタンが一枚、風に鳴った。金属が最後の揺れを見せて、静かになった。
 祖父の足音が、背後から近づいてくる。
「生きとるか」
「生きてる」
「じゃあ、飯を食え」
 祖父はそれだけ言って、海を一度、じっと見た。
「綺麗かね」
 静は頷いた。
「綺麗だね」
 言葉は、灯の代わりになる。夜に流した灯の残り火が、胸の奥でまだ揺れている。
 台風の夜は終わった。
 終わったことを、終わったと言えることが、救いになる日がある。
 そして、終わったことが、別の始まりになる日がある。
 今朝は、その両方だった。
 診療所に戻ると、往診ノートが机の上に開かれていた。昨夜のページの余白に、インクの痕跡が柔らかく乾いている。
——二〇二五年八月、台風。刻みで電を回す。マツ、帰路に至る。孫娘の手、冷たくならず。先生、階段にて十数え。
 静はペンを取り、続けた。
——怖いを分ける。分けた分だけ、息が増える。灯は、流す前から胸にある。
 蓮はその文字を読み、頷いた。
「よし。——残りは、昼寝のあとに書け」
「昼寝?」
「寝ないと、次のページが書けない」
 静は笑い、蓮も笑い、祖父は台所で湯を沸かし始めた。
 湯の沸く音は、発電機の唸りよりも静かで、しかしたしかに熱を持っていた。
 受け継ぐ火は、いつも大きな炎ではない。
 息の長さに合わせて、小さく、見えないところで燃える。
 それを見分ける目を、今夜、二人は少しだけ、手に入れた。
 風が抜け、島の空が洗われる。
 診療所の朝もまた、いつもの朝に似て、しかし、昨日よりたしかに明るかった。