少しして、小さなグラスを3個と細長いボトルを持って戻ってきた。ポートワインだという。世界三大酒精強化ワインの一つで、ポルトガル第2の都市、ポルトで造られた酒だった。

「スペインが良かったので次はポルトガルへ行こうということになり、翌年にリスボンとポルトに行ったのですが、このポートワインにはまっちゃいましてね」

 2人で6本買って帰ったのだという。そのうちの一つを開けてくれたのだ。

「これは30年ものなんですよ」

 長期熟成タイプらしく少し赤みのかかった琥珀色で、一口含むと、上品な果実味と優しい甘さが口の中に広がった。

「食後酒としてこれ以上のものはないと思うんですよね」

 先見さんがうっとりとしたような表情になった。口の中に広がる味わいを楽しんでいるのだろう。わたしまでうっとりしてきたが、奥さんが勧めてくれた小皿を見て、固まった。
 ブルーチーズだった。カビタイプはちょっと苦手なのだ。思わず小皿と睨めっこしてしまったが、「遠慮なくどうぞ」と先見さんにも勧められたので、仕方なく息を止めて、一口食べた。
 正にブルーチーズだった。あの苦手なブルーチーズだった。慌ててポートワインを口に含んだが、すると、

 あれっ? 
 カビ臭さが消えた。
 ん? 
 いけるかも。

 魔法にかかったような気持ちになった。

「マリアージュでしょう。ブルーチーズとポートワインの結婚!」

 悪戯小僧のような目で先見さんに見つめられたが、その通りだった。正にマリアージュ。1+1=3、いや、10。見事という外なかった。

 それからしばらくの間、リスボンとポルトの話で盛り上がったが、先見さんの目の周りが少し赤くなった頃、観光から歴史へと話題が変わった。

「ポルトガルはかつて世界最強の国だったんですよ。それが今では……」

 琥珀色の液体を見つめながら先見さんが残念そうに頭を振った。

「15世紀に始まった大航海時代で七つの海を制したと言われるポルトガルは世界最強の国家となりました。16世紀前半のリスボンは世界最大級の都市にまで発展したのです。その頃、日本にもやって来ています。種子島に漂着したポルトガル人によって火縄銃の技術が、そして、ポルトガル国王の命を受けたフランシスコ・ザビエルによってキリスト教が伝えられました。更に、中国も交えて南蛮(なんばん)貿易をスタートさせています。ヨーロッパ西端の小国が世界に大きな影響を与えていたのです。しかし、それは長続きしませんでした。イギリスやオランダとの植民地競争が激化して国力は衰退し、1580年から1640年の間、スペインに併合されるという屈辱を味わっています。正に栄枯盛衰です」

 そこでポートワインを一口含んだ彼は悠久の歴史を噛みしめるかのように口を動かしてから飲み込み、続きを話し始めた。

「アジア東端の小国である日本も世界に君臨した時代がありました。ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代です。高品質低価格を武器に日本製品が世界を席巻したのです。しかし、それも長続きしませんでした。新たな価値を生みだせなかったからです。それは改良以上のものを提供できなかったことを意味しています。改良やコストダウンで成功した日本でしたが、力を付けてきた新興国のターゲットとなり、人件費の安さを武器にどんどんシェアを奪われることになりました。そして、体力勝負の血みどろの戦いに巻き込まれてしまい、かつての勢いは消え失せてしまいました」

 敗戦国でありながらGDP世界第2 位に躍り出て1980年代に頂点を極め、その後、緩やかに衰退している日本の姿をため息と共に吐き出し、残念そうに首を振った。

「ポルトガルも日本も最盛期に安住せず、新たな価値を生み出す努力をしていればその後の展開は変わっていたかもしれません。しかし、新たな価値を生み出すことができず、ズブズブと沈んでいったのです」

 その通りだった。同質競争の罠から抜け出せなかったのだ。

「そうなってしまったのはリーダーの先見性が欠如していたからに違いありません。未来設計図が描けていなかったのです。無競争を生み出す源泉がわかっていなかったのです」

 彼の口から重要なキーワードが立て続けに飛び出した。
 『先見性』
 『未来設計図』
 『無競争を生み出す源泉』