「目前の大ピンチと言えば、新型コロナウイルスの脅威があります。多くの国が、企業が、人が、苦しんでいます。亡くなった人のことを考えると、本当に心が痛みます。かける言葉もありません。しかし、嘆き悲しんでいるだけでは未来は開けません。私たちはどうしてもワクチンや治療薬の開発に目が行きがちですが、それは対症療法であって原因療法ではありません。原因は、この危機を生み出した社会構造なのです。人類の傲慢(ごうまん)なのです。それを変えない限り、この恐怖は何度も再燃するでしょう。今回の新型コロナウイルスを打ち破っても、更に進化した新手(あらて)のウイルスが出現してきます。そしてまた右往左往するのです」

「この新型コロナウイルスは人類への警告だということですね」

「そうです。病気という側面だけを見ていては本質を理解できません。人類の傲慢への警告だと気づかなければいけないのです」

「それは地球の支配者然とした振る舞いへの警告ということでしょうか」

「その通りです。我が物顔で環境や生態系を破壊し続ける人類への警告なのです。終末時計を進めることばかりをしている人類への警告なのです」

 終末時計か……、

 人類滅亡までの時間が残り100秒になったというニュースを見た時のことを思い出した。昨年より20秒も進んでしまったらしい。30年前には17分もあったのに今は2分を切っていると男性アナウンサーが嘆くような口調で伝えていたのが印象的だった。
 そして、その番組の中で〈人類は間違いなく破滅に向かっている〉と断言した学者の声と共に〈取り返しのつかないことになる前に行動を変えなければならない〉と力説した彼の真剣な表情が瞼の裏に蘇ってきた。

「ペストの時は4,000万人が死んだと言われています。原因はネズミに寄生したノミであることがわかっていますが、それは商業活動や交通網の発達という背景から起こったものでした。人間や物の移動と共にネズミとノミが移動してきたのです。これは、その後の天然痘やインフルエンザ、梅毒などの流行も同じでした。経済の拡大によってもたらされたのです。その上、病気による被害以外の悲劇をもたらしました。元凶探しによるユダヤ人の迫害などがその典型です。人心は荒廃し、疑念は拡大し、暴力的な行為が頻発したのです。しかし、そんな中でも次への希望も芽生えました。封建社会が崩壊し、農奴は解放され、社会は近代化へと向かったのです。同時に、ルネサンスの勃興(ぼっこう)もありました。新たな芸術様式が生まれたのです」

「つまり、パンデミックが社会を変える、ということですね」

「そうです。間違いなくパラダイムシフトが起こります。旧来の社会構造は破壊されて新たな秩序が生まれるのです」

 わたしは歴史の大きな波に揺さぶられる日本と世界を思い浮かべたが、その時、「ちょっと一息入れませんか?」と奥さんの柔らかい声が耳に届いた。手に持つトレイにはシャンパンクーラーとシャンパングラスがあった。