我が駿河台家は駿府の旗本の血筋を引く名家と言われている。といってもわたしが偉いわけではないし、だからどうした、と言われても、どうもしません、と返すしかないが、それでもそのような誇り高き家に生まれたことはありがたいことだと思っている。

 ところで、旗本の多くは軍旗を守る武将がほとんどであったが、中には学問技芸に優れた者もいたようで、駿河台家はその中に入る。そのせいか学者になった者が多く、直近で言えば祖父は物理学の教授だったし、父は工学部の教授だった。

 国立大学の工学部を卒業した父は就職せずに大学院へと進み、そのまま研究者として残って、助手、講師、助教授、教授と昇り詰めていった。その間、自動車大手などから勧誘があったらしいが、会社勤めをする気はまったくなかったので断ったという。
 専門は自動車工学である。構造や設計、製造に渡る幅広い分野の研究に携わっていたが、3年前に65歳で定年を迎えて退官した。そのあとも名誉教授として大学に籍を置いてはいたが、後任教授に対して口出しをすることなく、今は政府系の協議会での仕事に多くの時間を割いている。
 委員を務めているのは『安全運転推進協議会』と『自動車産業未来構想協議会』の二つだ。前者は交通事故をゼロにするための仕組み作りを推進する組織で、アクセルとブレーキの踏み間違い防止機能や出会い頭の衝突防止機能、運転者への警告機能、更にはシステムによるコーチング機能にまで踏み込んだ全方位的な安全機能の普及促進を支援しているらしい。後者はこれから始まるEV革命や水素革命、自動運転革命などに焦点を当て、日本の自動車産業が今後も競争力を発揮できるように支援しているらしい。空飛ぶ自動車の研究開発促進も含まれていると聞いたことがある。
 そんな自動車の研究に半生をかけてきた父であり、日本の自動車業界の発展に寄与しようとしている父であるが、マイカーは日本の自動車メーカーのものではない。わたしの知る限りでは、外国のメーカー、それもBMWばかり乗り継いでいる。物心ついた時にはBMWが我が家にあったので、特にそのことを気にしたことはなかったが、なぜトヨタや日産やホンダではないのか、昨夜、急に気になった。父に会ったらそのことも訊こうと思っている。

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 実家に帰るのは久し振りだった。新型コロナが騒がれ出してからは初めてになる。両親共に前期高齢者なので、慎重に体調管理をして、体温と咳とくしゃみを毎日チェックしてきたが、今朝も異常はまったくなかったので、そのことを伝えてから自宅を出た。両親も異常なしとのことだった。

 JR御茶ノ水駅の御茶ノ水橋出口を出て、楽器店が並ぶ通りを南に下ると、4分ほどで右側に明治大学が見えてきた。3千平米を超える敷地面積にいくつもの校舎が立ち並び、中でもリバティタワーは高さ120メートルを誇る地上23階建ての近代的なビルで、一見しただけでは学び舎とは思えないほどである。

 その手前の大学会館を右に曲がると、『山の上ホテル』がある。1954年開業の老舗ホテルで、アール・デコ調のクラシカルな内外装が当時を偲ばせると人気がある。かつて出版社が密集していた神田に近いことから、川端康成や三島由紀夫など多くの作家が定宿としていたようで、そのことから『文化人のホテル』とも呼ばれていたらしい。

 その裏側には錦華(きんか)公園があり、隣接する旧錦華小学校は夏目漱石が学んだ小学校と聞いているが、今はお茶の水小学校に名前を変えている。

 錦華公園を左に見ながら坂を下りて、少し先の路地を入ると、実家が見えてきた。しかし、いつものことながら変な感じがする。この辺りで一軒家はこの家だけだからだ。周りはすべてビルになっているので、スズランではないが、谷間に咲くユリのような存在に思える。といっても、家はかなり老朽化しているので、建て替える時にはビルになるのかもしれない。両親がどうする予定なのか聞いたことはないが、気になるところではある。

 そんなことを考えながらインターホンを押すと、すぐに母が迎えてくれたが、なんか若々しく見えた。マスクによってほうれい線や口元の皺が見えないせいだろうか。普段は鬱陶しいだけだが、こんな効用もあるのかと思うと、自分も少しは若く見えているだろうかとちょっぴり期待した。