『変化を生み出し、奇跡を起こす!』~女性准教授・駿河台ひばりの挑戦~


 その後はプチケーキと紅茶をお供に大学のことなどを話したが、夕方になったのでお暇することを伝えると、「散歩しながら三鷹駅まで歩かない?」と誘われた。玉川上水沿いの道が緑あふれて素晴らしいのだという。もちろん断る理由などなく、というより駅までご一緒できることにワクワクしながら玄関を出た。

 教授のあとを付くようにして右に曲がったり左に曲がったりしながらしばらく歩くと、信号が見えた。そこには橋らしきものがあり、見下ろすと、小川が流れていた。ここが玉川上水なのだという。でも、それがなんなのか、よくわからなかった。

「こんなことを訊くのはちょっと恥ずかしいのですけど、玉川上水ってなんなのですか?」

 教授は、あら知らないの、というように目を大きく見開いたが、すぐに笑みを浮かべた。

「上水って聞いたことない?」

 すぐに頷いた。脳の引き出しにその言葉はなかった。

「下水の反対なの」

 そう言われて、わかったような気がした。

「溝とか管を通した飲料用の水のことなの」

 完全に理解できた。

「で、東京でそれができるきっかけを作ったのが徳川家康なの。彼は江戸に入るにあたって、家臣に水道、つまり水の道(・・・)を作るように命じたの。家臣は水源を探して歩き回ったそうなんだけど、小石川にあることを突き止めて、それを神田方面に流す道を造り上げたの。それが小石川上水というのだけど、江戸がどんどん発展していくと水が足りなくなって、新たな水源が必要になったの。それで造られたのが井の頭池や善福寺(ぜんぷくじ)池の湧水(わきみず)を源泉とする神田上水なの。1629年頃のことだったと言われているわ」

 わたしは東京の地図を思い浮かべて、その中に二つの上水を線で記した。それでなんとなく全体像が見えてきたので頷くと、教授が再び話し始めた。

「その頃の人口は15万人くらいになっていたのだけど、参勤交代制度が確立すると地方からどんどん人が来るようになって、水が不足するようになり、新たな水道を開発する必要が出てきたの。今後も発展することを見込んだ幕府は湧水では足りないと思ったのか、多摩川から水を引き入れるという計画を立てたの。それは壮大なものだったのだけど、突貫工事をしてきっちりとやり遂げると、幕府はその成果を高く評価して、工事を請け負った兄弟に色々な褒美と共に『玉川』の姓を与えたの。そのことから玉川上水と呼ばれるようになったのよ」

 なるほど、と納得しかけたが、新たな疑問が湧いてきた。

「でも、今は飲料には使われていないですよね」

「その通りよ。飲み水用の導水路としての役割は終わったんだけど、ここに清流を復活させようとする人たちが現れて、地域の人々を巻き込んだ保全運動が始まったの。すると、それに後押しされたかのように東京都が歴史環境保全地域として指定したの。それは『東京における自然の保護と回復に関する条例』に基づくもので、歴史的価値の高い水路や法面(のりめん)(切土や盛土により作られた人工的な斜面)や多摩地域から都心に伸びる樹林帯として自然環境や水辺環境を後世まで保全することにしたのよ。凄いでしょ」

 そこで何故か自慢げな表情になったが、すぐに和やかな表情になって西の方に顔を向け、「説明はこのくらいにして、歩きましょ」と足を前に出した。

 上水の南側の小径を歩いていると、目の前に学校の門のようなものが現れた。

「法政の中学高等学校よ」

 2007年に開校したのだという。その前は東京女子大のキャンパスで、更にその前は東京神学大学だったという。

「いい環境で勉強できるから恵まれているわね」

 チラッと門の中を覗き込むようにして横を通り過ぎると、こんもりと木々が茂る斜面が左側に見えてきて、そのまま歩みを進めていくと、目の前に舗装された道路が現れた。
 まっすぐ行くのかな、と思ったら、教授は橋を渡って、向かい側の道へ進んだ。私も続いて橋を渡ったが、途中で上水を覗き込むと、僅かしか水が流れていないように見えた。

 渡り終えて、左折して、緑あふれる小径をしばらく歩くと、道路が見えてきた。ところが、その手前で教授は立ち止まり、南側に向かって手を合わせて、頭を下げた。

「どうしたのですか?」

 なんだかさっぱりわからなくて戸惑ったが、顔を上げた教授がこの場所のことを説明してくれた。ここは文豪・太宰治が愛人と入水自殺した場所なのだという。木々に隠れて一部しか見えないが、向かいには明星(みょうじょう)学園高校があるらしい。

「人間失格って読んだことある?」

 わたしは首を振った。太宰の本は1冊も読んだことがなかった。

「彼の自伝であり、遺書であり、凄惨(せいさん)な半生が書かれているわ。そのせいか、完成した1か月後に自殺したの」

 それを聞いて一気に空気がどんよりとしたように感じたが、教授の話はなおも続いた。

「二度目の自殺だったの。一度目はバーの女給と心中を図ったんだけど、でも、皮肉なことに女は死んで、彼は死ねなかった。生き残ってしまったの。そんなことから自己破滅的な私小説を書くようになったのかもしれないわね」

 わたしは覗き込むようにして上水を見たが、水量が多いとはとても思えなかった。

「こんなに少ない水で死ねるんでしょうか?」

 不可解な気持ちのまま疑問をぶつけると、「そう思うわよね。でも、その日は強い雨が降っていてかなりの水量だったらしいの。腰を赤い紐で結んだ2人の水死体は川底の棒杭に引っかかっていたそうよ」とリアルな返事が返ってきた。
 それはあまり想像したい姿ではなかったので上水から目を逸らすと、「ごめんなさいね。ちょっと気持ちが沈んじゃったわね」と教授は僅かに頭を下げた。

 それからしばらくは無言で歩き続けたが、少し開けた場所に出ると、運動場のようなものが左手に見えた。400メートルのトラックだという。

「その先にはジブリ美術館があるのよ」

 裏門から入るとニセの受付があってトトロが出迎えてくれるのだという。マックロクロスケもいるらしい。そこで記念撮影をする人も多いらしいが、本当の入口を通って中に入ると、天井にフレスコ画があって、キキやジジやナウシカが迎えてくれるらしい。
 また、『映画の生まれる場所』という常設展示室があり、その部屋に入ると、一気に物語が動き出すような錯覚に陥るのだという。
 それ以外にも、そこでしか見ることのできないオリジナル短編アニメが上映されている所があるし、2階に上がると、ネコバスが待っているのだという。
 更に、螺旋(らせん)階段で屋上に上がると、庭園があり、『天空の城ラピュタ』に出てくるロボット兵が待ち構えているらしい。5メートルもある大きな物なので圧倒される人も多いのだという。
 また、出口付近には開放的なカフェもあって、飲み物や軽食が楽しめるらしい。もちろんショップもあり、オリジナルグッズが揃っているのでお土産として大人気なのだという。

 もうそれだけ聞いただけですぐにも行きたくなったが、日時指定の予約制なのでふらっと行くことはできないと言われて、トトロの姿が跡形もなく消えた。それでも、新型コロナが落ち着いたら教授を誘ってみようと気を取り直して歩き始めると、まっすぐ歩いたのはほんの少しだけで、教授は柵の切れ目から右の方へ入っていった。すると、すぐにこんもりと盛られた場所に立つ碑のようなものが見えた。

「松本虎雄先生の碑よ」

 教授が手を合わせて頭を下げたので訳もわからないままに追随したが、殉職した小学校教師の碑だと聞いて、他人事ではなくなった。遠足中に上水に落ちた生徒を助けようとして飛び込んだが、濁流にのみ込まれて帰らぬ人になったのだという。まだ33歳の若さだったらしい。それは大正8年のことで、美談として評判になったということだった。

「危険を顧みずに生徒を救おうとしたその勇気を称えて碑が建てられたの」

 教授がもう一度手を合わせて頭を下げたので、わたしも心を込めて手を合わせて頭を下げた。そして、ご冥福を祈りながら、同じ教える身として学生を守る覚悟を胸に刻み込んだ。