「変わっていると言えば、ソニーの創業者も同じですよね」

「ソニー?」

 なんで急にそんな話になるの? という戸惑いのようなものが浮かんだので、「実は異業種交流会で知り合った経営者の中にソニーに魅せられている方がいらっしゃって、その方のソニー愛が凄いんです」と先見さんのことを詳しく話して、ブランド論についてもしっかり伝えた。

「なるほどね。結構な入れ込みようね」

 感心するように何度も頷くと、「井深(いぶか)(まさる)さんと盛田昭夫(もりたあきお)さんか~」と呟いて遠くを見つめるような目になった。そして、「1946年だったかしら……」と目を細めるようにした。

 その年に創業したのだという。その時は東京通信工業という社名で、戦災を辛うじて免れた日本橋の白木屋デパートの3階を借りて20名の社員で始めたらしい。

「ウォークマンって知っているわよね」

 頷いたが、使ったことはないと伝えた。

「そうか~、もしかして、ipod?」

「そうです。大学時代に親にせびって買ってもらいました」

「そう。ということは、あなたにとってソニーは身近な存在ではなかったわけね」

「はい。ゲームの好きな友達はプレイステーションで遊んでいましたけど、わたしは興味がなかったので、ソニーの製品を買ったり使ったりしたことはありません」

「ふ~ん」

 なにか異星人を見るような目で見つめられた。

「私の若い頃はソニー一色だったけどね」

 当時の頃を思い出すかのように視線を少し上に向けた。テレビ、ビデオ、ステレオ、ラジカセ、ウォークマンに取り囲まれて生活していたという。

「でも、このお部屋にはソニーの製品はないようですけど」

「そうなのよ。その、先見さんだったかしら、その方と同じでこの部屋にはソニー製のものはないの。でも、この中には入っているけどね」

 iphoneを掲げて見せた。イメージセンサーがソニーなのだという。

「インテルじゃないけど、『SONY入ってる』って感じね」

 ちょっと皮肉そうな笑みが零れたが、すぐに真顔になって、「イメージセンサーのシェアは断トツの一位で他を圧倒しているのよ」とiphoneに視線を戻した。

「そうか~、中に入っているんだ、あっ、そういえば、Suicaの中にもソニーが入っていましたよね」

「そう。Felicaっていう非接触のICカード技術なんだけど、交通系だけではなくて、その他の電子マネーにも採用されているのよ」

「えっ? ということは、これにもですか?」

 財布からコンビニが発行する電子マネーカードを取り出すと、「そう。それにも入っているのよ」と頷きを返された。

「へ~、知らなかった」

 民生用のソニー製品は何も持っていなかったが、スマホや電子マネーの中に入っているソニーの技術は常にわたしの傍にあったことを初めて知った。

「もう家電のソニーではないのよ。工業用製品の比重が高くなっているし、映像やゲームなどのコンテンツ事業も大きな柱になっているわ。それに、金融部門の売上だって1兆円を遥かに超えているのよ。だから、コングロマリットと言ってもいいかもしれないわね」

 そうなんだ……、

 なんかソニーという会社のイメージがぼやけてきたような気がした。

「もう昔のソニーには戻らないのでしょうか?」

 すると教授は首を傾げて、「そうね、難しいかもしれないわね。というより、もう戻れないのよ。事業構造が大きく変わってしまったからね」と語尾を弱めた。

「そうですか~」

 先見さんが熱弁を振るったソニー復活のシナリオが実現不可能だと思うと残念な気持ちになった。

「でも、エレクトロニクスとエンターテイメントとファイナンスが融合したかつて誰も目にしたことのない企業体へ進化していると考えたら、昔のソニーにこだわる必要はないんじゃない」

 目を将来に向けるように促された。それでも、技術へのこだわりに関しては創業者の想いに立ち返ってほしいと口調を強めた。

「井深さんによって書かれた設立趣意書というのがあって、その冒頭に『技術者たちが技術することに深い喜びを感じ、その社会的使命を自覚して、思いきり働ける安定した職場をこしらえるのが第一の目的であった』と記されているの。そして、『会社創立の目的』の一番初めには『真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由豁達(かったつ)にして愉快なる理想工場の建設』という文言があるの。これは技術者にとっての理想郷を作り上げようという意気込みを表したものだし、更に言えば、日本が敗戦から立ち直って前を向いていくためには独創的な技術が必要であるという確信に基づいたものでもあると思うの」

 そこで教授の目に力が入ったように感じた。

「そういう土壌があったからこそ、次々に革新的な製品を開発することができたのよ。日本初のテープレコーダーやトランジスタラジオ、トランジスタテレビ、それから、世界初の家庭用VTRやトリニトロンカラーテレビ、そして、あのウォークマン。更に、CDプレーヤーも世界初だし、カメラ一体型八ミリビデオもそうよ。1980年代まではソニーの独壇場だったの。でもね、創業者が掲げた『技術者のための理想郷作り』は技術に疎い社長が続く中で置き去りにされるようになっていったんだと思うわ。設立趣意書からどんどん離れて行ってしまったのよ。その結果、アップルの後塵を拝すようになったの。ipodもiphoneも本来ならソニーが開発できてたはずなのに、スティーヴ・ジョブズに先を越されてしまったのよ」

 そのジョブズが尊敬する人は盛田さんと井深さんだったと聞いて、なんという皮肉だと思った。ソニー・スピリットはソニー社内よりもアメリカで高く評価されていたのだ。

「もちろん、その時と今では事業構造が変わっているし、コングロマリットとなった現在のグループをマネジメントするためには理系とか文系とか関係なく広い視野と洞察力を備えた人がトップになればいいんだけど、でも、技術を統括するリーダーには設立趣意書に書かれた創業者の意志を真に理解し、その実現に向けて執念を燃やす人になってもらいたいわね」

「そうですよね。でも、そうなる可能性ってあるのでしょうか」

「わからないわ。今の経営陣がソニーをどういう方向に持って行こうとしているのかにかかっているとしか言えないわね。でもね、これだけは断言できるわ。『製品を通して新しいライフスタイルを生み出す』という視点を持つ人が率いていかなければいけないの」

 教授は、それは間違いないことだとでもいうように大きく頷いてから、盛田さんがよく口にしていたポリシーとも呼べるものについて説明を始めた。

「彼は『消費者がどんな製品を望んでいるかを調査して、それに合わせて製品を作るのではなく、新しい製品を作ることによって消費者をリードしていかなければならない。消費者に利便性や使い方などを教えながら市場を作っていかなければならないのだ。もし市場調査を重視していれば、ウォークマンは生まれなかった』と言ったの。けだし名言だと思うわ」

 音楽好きな井深さんが出張の時に持って行けるような小型の再生専用機が欲しいと言ったことから開発が始まり、完成したものを視聴した盛田さんが「いける!」と閃いて商品化に動き出したのだという。それは、技術力に裏打ちされた直感と、『こんなものが欲しい』『こんなものがあれば嬉しい』という欲求を実現させる強固な意志によってもたらされたのだ。

「その時、井深さんは70歳だったのよ。盛田さんだって58歳だったわ。その歳で消費者はもとより、社員も考えつかなかったことを実現させるのだから創業者の2人は凄いわよね。正に異質の才能の為せる業だと思うわ」

 最後は専門の異質学に収束させてご満悦の顔になった。