開校式典が終了してから4時間後、羽田空港のVIP専用個室で彼は窓から外を見つめていた。がっしりとした広い背中だった。二の腕の筋肉が盛り上がり、スーツの上腕部分が張り裂けそうだった。わたしより頭一つ以上背の高い建十字が振り向いた。

「アメリカに来てくれないか」

 真剣な表情で見つめられた。

「長い間待たせて悪かったな」 

 わたしは胸が一杯になった。それでもなんとか声を絞り出した。

「うん」

 その瞬間、抱きしめられた。わたしは彼の大きな胸に顔をうずめて幸せに酔った。すると、小学生の頃からの思い出が走馬灯のように過った。

 図書館の前で虐められていた時、真っ先に拳を振り上げてくれたのが建十字だった。パトロール隊の隊長として、日に何度もわたしの教室へ来て、睨みを効かせてくれたのも彼だった。わたしが渡した本を一生懸命読み続けてくれたのも彼だった。彼は難しい本がどんどん読めるようになり、難しい漢字がどんどん書けるようになり、ノートにびっしりと本の要約を書いたあと、必ず「貴真心ありがとう」と書き添えてくれた。ふるさと納税を提案してくれたのも彼だった。忙しいのに、色紙とボールに寸暇(すんか)を惜しんでサインをしてくれた。ひとり親家庭支援の寄付を考えたのも彼だった。彼は、いつもわたしを支えてくれた。率先して支えてくれた。

 中学を卒業後、彼とは別々の高校になったが、甲子園大会の出場が決まるたびに彼は入場券を送ってくれた。わたしは毎回球場に足を運び、声を枯らして応援した。ヒットを打つ度、三振を取る度に両手を突き上げた。

 彼がドラフト1位指名を受けてプロ入りした年、2人の関係は友達から恋人に変った。わたしは幸せだった。幸せ以上だった。でも、それは長く続かなかった。彼の長年の夢だった大リーグへ移籍することが決まったからだ。
 嬉しかった。本当に嬉しかった。彼の喜ぶ顔を見てわたしも全身で喜びを表した。でも、内心は違っていた。これからどうなるのだろうという不安に(さいな)まれていた。彼がアメリカへ出発する日、誰にも見られないように身を隠しながら、成田空港で大きな不安を抱えて彼を見送った。

 彼がアメリカに渡ってからは一日に何度もメールを交換した。ホームランを打った時は必ず電話でおめでとうと伝えた。彼が不振の時は連絡したいのをじっと我慢して復調を願った。会えないもどかしさに身悶えた時は彼の写真に口づけて、今すぐアメリカから飛んできて、と叶うはずもない願いを写真にぶつけた。

 彼と会えるのはオフシーズンだけだった。だから、寸暇を惜しんでデートを重ねた。彼は有名人だから誰にも見つからないようにデートするのは大変だったけれど、それでも身も心も彼と一つになる度に、わたしは幸せを噛みしめた。そして、小学生の頃からの夢、彼と結婚することに期待を膨らませた。

 しかし、心配事も多かった。なんと言っても大リーガーはモテるのだ。カッコいい上に大金持ちなのだから、若い女性が群れをなして襲うように飛びかかってくるのは当然と言えば当然だ。結婚できれば玉の輿(こし)だし、できなくてもニュースバリューは半端なく高い。売名行為で突撃してくる女性も多いし、中にはストーカーまがいに急接近してくる者もいる。それも美人でスタイル抜群の若い女性が攻勢をかけてくるのだ。よほどの精神力がない限り、かわすのは難しい。特に高級な酒が振舞われるパーティーでは警戒心が緩んで、色気攻勢にNOというのは至難の業と言える。かつて、アメリカで超一流ゴルファーの女性スキャンダルが報道された時、超有名大リーガーの名前も取り沙汰されていた。誘惑が多いことが白日の下に晒されたのだ。

 彼は大丈夫かしら? 

 わたしはいつも心配していた。「俺は大丈夫だよ」と安心させる言葉をいつもかけてくれていたが、遠く離れた日本で想像するのは、アメリカ美人に囲まれて鼻の下を伸ばしている彼の顔だった。
 早く彼と一緒に住みたい。彼の左手薬指に指輪をはめさせたい。誘惑がゼロになることはないだろうが、妻帯者になればその数は激減するはずだと真剣に思うようになっていた。

 明日こそ、プロポーズの言葉を聞きたい、

 昨日の夜も真剣に願った。
 それが遂に現実のものとなった。

「君以外の女性にはなんの魅力も感じない」

 彼の言葉に心が震えた。

「生涯、君だけを愛し続ける」

 もう立っていられなくなった。体を預けて彼の胸に顔を埋めると、幸せの涙が溢れてきた。そして、小学4年生からの大切な思い出が蘇ってきた。

「ありがとう」

 それだけ言うのが精一杯だった。

 本当に、本当に、本当に、いくら重ねても足りないくらい本当に、ありがとう。

 胸の内で何度も呟いた。