「このままじゃダメだ!」

 夢開市の将来を案じた桜田(さくらだ)春樹(はるき)は市長選挙に立候補することを決意した。夢開中学校の現役教師である彼は学校の荒廃をなんとかしようと生徒指導に力を入れていたが、どんなに努力してもどうにもならないことに苛立ちを感じていた。そのうち、問題は学校にあるのではなく、町全体を覆う閉塞感にあることに気がついた。行政の無策をなんとかしない限り何をやってもダメだと思うようになったのだ。

 東京と埼玉の県境にある夢開市には鉄道が通っていないため、何処へ行くのも不便で、陸の孤島と呼ばれていた。忘れられた街とも呼ばれていた。加えて、20年間無投票で当選してきた現市長、枯田(かれた)冬彦(ふゆひこ)は新しい取り組みを何もしようとしないばかりか、市政を私物化していた。夢開市を発展させるという意識はまったくなく、自分と取り巻きの利益だけを考えていた。だから、それに嫌気がさした人や、愛想をつかした人たちは街から出ていった。そのため、枯田が初当選した20年前の人口は10万人を超えていたが、無為な行政により街の魅力は年々低下し、今年末の人口は5万人を切ることが確実と見られている。それは、市として存続することが危うくなるということでもあった。

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「今度も無投票で当選でしょう」

 取り巻きの言葉に、82歳になった枯田が満足そうに頷いた。

「ワシに向かってくる勇気のある奴はおらんじゃろ」

「100歳までやりますか」

 取り巻きのお上手(じょうず)を真に受けた枯田は、当然というように何度も大きく頷いた。

「最年長市長記録をギネスに申請するか」

 枯田はびっくりするくらい大きな声で笑った。
 しかし、その笑いは長続きしなかった。桜田の立候補により、無投票での当選が無くなったからだ。枯田陣営は急遽(きゅうきょ)、選挙対策事務所を立ち上げた。

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「桜田春樹?」

 立候補の届け出を見た枯田は、苦虫を潰したような顔になった。

「39歳? 元中学校の教員? 誰だ、こいつは?」

 眉間に大きな皺を寄せた。それでも取り巻きが「赤子の手を捻るより簡単ですよ」と言って届け出のコピーをくしゃくしゃにしてごみ箱に捨てると、事務所に楽勝ムードが広がった。すると枯田の顔に笑顔が戻り、余裕のある表情になった。しかし、その楽勝ムードを一人の男が打ち消した。選挙参謀だった。

「素人だとしても舐めてはいけない。選挙は何が起こるかわからない。気を緩めてはダメだ」

 そして、取り巻きをグッと睨んで、凄みのある声を出した。

「そいつの過去を調べろ。足を引っ張れる情報を徹底的に集めるんだ。いざという時にはその情報が必ず役に立つ。だから、どんな些細なことでもいいから集めろ。徹底して集めるんだ。いいな。わかったな」

 檄を飛ばしたが、そこで顔が緩んで、ニヤッと笑った。そして、「もし何もなくても」と意味ありげな言葉を発して、枯田に視線を送った。頷いた枯田は鬼のような形相になって、大きな声を出した。

「徹底的に叩き潰せ。1パーセントも票を取らせるな!」

 その瞬間、事務所の空気がビリビリと震えた。夢開市の浮沈を決める選挙が始まろうとしていた。