🌊 海の未来 🌊 ~水産会社に勤める女性社員の仕事と恋の物語~


 それから1週間は出張前と同じ通常の業務が続いた。部長から呼ばれることもなく、出張そのものがなかったかのように淡々と日が過ぎていった。

 しかし、それで終わるはずがなかった。翌週の午後、机の電話が鳴ったのだ。それだけならなんということもないが、その鳴り方が通常とは違っているように聞こえた。まるで〈宣戦布告の号砲〉のようだった。すぐに取ることができなかった。

 5回鳴って受話器を取ると、相手が肩書を名乗った。
 それを聞いて、ひっくり返りそうになった。
 社長秘書からだった。

「社長がお呼びですので、今すぐお越しください」

 聞いた途端、すべてが固まった。それでもなんとか返事をして電話を切ったが、〈えっ? なんで? なんで社長に呼ばれるの? もしかして叱責? アラスカ出張の? 平社員のわたしに? 社長が直接?〉という心の声がぐるぐる回って、気を失いそうになった。

 でも、うろたえているわけにはいかなかった。社長を待たせるわけにはいかない。取る物も取り敢えずエレベーターの前まで行ってボタンを押した。

 その瞬間、ハッと気づいた。手には何も持っていなかった。急いで机に戻って、手帳とボールペンを引っつかんだ。

 エレベーター前に引き返してボタンを押そうとした時、非常にも通過した。

 なんでこのビルにはエレベーターが1基しかないのよ! 

 爆発しそうになったが、怒ってもどうにもならない。非常階段を2段飛ばしで上って行った。しかし、日ごろの運動不足がたたって、最後の方は息が上がってよれよれになった。今度は自分の不甲斐なさに落ち込んだ。

 それでもなんとか辿り着いたので、息を整えて、着衣に乱れがないことを確認してから社長専用の応接室のドアをノックした。すると、「どうぞ」という聞きなれた声が聞こえた。

 その声に導かれて中に入ると、嘉門部長がソファに座っていた。目が合うと、横に座るように促された。頷いて座ったが、会話もなく時間が過ぎた。

 何か言ってよ!

 心の中で訴えたが、通じなかった。部長に期待するのは止めた。それより社長に何を言われるのか、それが心配だった。きつく握った両手の中はじわ~っと汗が湧き出していた。

 少しして、海利(かいり)社長が部屋に入ってきた。すかさず立ち上がって頭を下げると、緊張がピークに達した。しかし、着席を促す穏やかな声が聞こえたので顔を上げると、意外にもにこやかな表情が目に飛び込んできた。

「ご苦労さん」

 それは予想外の言葉だった。叱られると思って構えていたので拍子抜けしたが、それでも、「なんの成果も持ち帰ることができず、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。ところが、「君のせいじゃないよ」と何故か嘉門部長が(かば)ってくれた。

 えっ? 
 どういうこと?

 面食らって部長の顔をまじまじと見てしまったが、ふと社長の視線に気づいて、慌てて顔を戻した。

「本当に申し訳ありませんでした」

 今度は体を二つ折りにして謝った。すると、テーブルに何かを置く様子が感じられた。顔を上げると、社長の手の先には見覚えのある書類があった。

「君の報告書だけど」

 部長に提出したアラスカ出張の報告書だった。

「ここのところだけど」

 下線が引かれた部分を社長が指差した。そこに記した文言はよく覚えていた。

『ビジネスモデルの転換。薄利多売から付加価値への転換』

「偉そうなことを書いてしまって、申し訳ありません」

 社長から叱責を受ける前にもう一度謝った。しかし、「そうじゃないんだ」という声と共に社長は軽く首を振った。そして、にこやかな表情になった。

「興味深く読ませてもらったよ」

 社長が身を乗り出した。

「詳しく聞かせてくれないか」