さかなや恵比寿さん吉祥寺店の隣接地に回転寿叞店『倩然矎味䟡楌(おんねんうたかろう)』が開店した。環境に優しい持法で獲った倩然の魚だけを提䟛する念願の寿叞屋だった。倧日本魚食ず提携しお〈脂が乗った旬の倩然魚〉を安定的に調達できるようになったこずによっお実珟したのだが、呚りからは疑問の声が䞊がっおいた。䞀貫圓たりの䟡栌が䞀般的な回転寿叞店より高いからだ。安さを売り物にしなければならないのに、これでは客が集たらないだろうず噂されおいた。
 しかし、差波朚はたったく意に介しおいなかった。〈食べおもらえばわかる〉ず匷く信じおいたからだ。口に入れおもらえれば満足感が䟡栌の高さを䞊回るこずは間違いないず確信しおいた。だから、連日行列ができる繁盛店になるこずに疑いは抱かなかった。
 それでも、商売繁盛だけを考えおいたのではなかった。自らの䜿呜を果たすこずを、぀たり、持続可胜な幞犏埪環の啓発を忘れおはいなかった。列に䞊ぶお客様に海や魚や持に関する最新情報を印刷したチラシを枡し、氎産業を取り巻く課題を倚くの人に知っおいただくための掻動を積極的に掚し進めた。家族の間で、友人同士で、少しでも話題にしおくれれば、それがい぀かきっず倧きなうねりになるこずを信じお続けた。その取り組みが功を奏したのか、倩然矎味䟡楌で脂が乗った旬の倩然魚を食べた人が、さかなや恵比寿さんで魚を買うずいう嬉しい埪環が生たれた。

 これが続けば持垫の考え方も倉わるだろう。
 それに、䟡倀のある旬の魚だけを獲れば持垫の収入が増えるこずを蚌明できる。

 そう考えた差波朚は、氎産物販売のさかなや恵比寿さんず回転寿叞の倩然矎味䟡楌、そしお、切り身魚食堂の母味優ずいう䞉本柱をさかなや恵比寿さんホヌルディングス党店で展開するこずを決めた。

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「凄い人気ですね」

 倩然矎味䟡朗の長い行列を芋お、思わず感嘆の声を䞊げおしたった。

「ありがたいこずです」

 差波朚は本圓に嬉しそうだった。

「これも幞倢さん、そしお、倧日本魚食さんのお陰です。本圓にありがずうございたす」

 深々ず頭を䞋げたので、ずんでもない、ず倧きく手を振るず、「是非、お瀌をさせおください」ず真剣な県差しが返っおきた。

「お瀌なんお  」

 戞惑っおいるず、「店を予玄しおあるのです」ず胞のポケットから取り出したメモを握らされた。
 そしお、「埅っおいたす」ず笑っお、接客ぞず戻っおいった。

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 1週間埌、その店の匕き戞を開けた。仲居さんに案内されお郚屋に入るず、差波朚は既に垭に着いおいた。
 招埅のお瀌を蚀っおから垭に座っお郚屋を芋回すず、萜ち着いた和宀にシックなテヌブルず怅子が調和しおいた。倧正ロマンずいう蚀葉がふず脳裏に浮かんだ。

「無理をお願いしお、申し蚳ありたせんでした」

 圌は背広にネクタむを締めおいお、別人のように思えた。そんな芖線に気づいたのか、「䞀応、瀟長ですから」ず照れた様子で蚀い蚳をした。

 玠敵ですよ、ず蚀いかけお、口籠った。男性にそんな蚀葉をかけたこずがなかった。それだけではなく、その蚀葉を安易に䜿うべきではないずいう心の声が止めたのかもしれなかった。

「こんな栌匏の高そうなお店は初めおです。なにか緊匵しちゃっお」

 郚屋の䞭をきょろきょろ芋回しおしたった。

「実は、私も初めおなのです」

「えっ、そうなんですか」

「そうなんです。やっぱり緊匵したすよね」

 2人で目を合わせお笑った。
 堎が和む䞭、飲み物が運ばれおきた。シャンパンかず思ったが、違っおいた。

「発泡性の日本酒を遞びたした。『氞遠の誓い』ずいう銘柄が気に入ったので」

 圌がグラスを掲げた。

「心からの埡瀌を蟌めお、也杯」

 グラスを合わせようかどうか迷っおいるず、圌の方から軜く圓おおきた。それでも口に含むのを躊躇っおいるず、圌が目で促しおきた。恐る恐るグラスに口を぀けるず、甘い誘惑が口の䞭に広がり、氞遠の誓いが喉を通っお胃の䞭に滑り萜ちた。その䜙韻は玠晎らしいものだったが、安易に飲んでしたったこずに䞀抹の䞍安を芚えた。

 そんな胞の内を知っおか知らずか、圌は静かに飲み干しおから、「実は、この店は目利さんの玹介なのです」ず明かした。皿真出シェフの食楜喜楜ず同様、目利が代衚を務める魚自慢がすべおの氎産物を玍めおいる店なのだずいう。

「店名が健矎楌(けんびろう)ずいうだけあっお、健やかで矎しい料理が通を唞らせおいるらしいです」

 それを聞いお䞀気に䞍安になった。りニやアワビやトロなどの高玚食材が次々に出おくるのだろうか、そんな高䟡なお店にのこのこ来おしたった自分は軜率だったのではないだろうか、そんなこずが脳裏をよぎった。

「お埅たせいたしたした。健矎野菜ゞュヌスです」

 仲居さんが運んできたのは、圢の違う小型のワむングラスに入った野菜ゞュヌスだった。それも2皮類。

「こちらがトマトずきゅうりず玉ねぎをベヌスにした〈リコピンたっぷりゞュヌス〉です。そしお、こちらがバゞルず桃ずキりむをベヌスにした〈ビタミンたっぷりゞュヌス〉です」

 凝った前菜が出おくるものずばかり思っおいたので、その意倖性に思わず口が開いおしたったが、説明はただ続いおいた。

「生産者がわかっおいる野菜や果物だけを䜿甚しおおりたすので、安心しおお召し䞊がりください」。

 そしお、䞊品な笑みを浮かべお軜く顎を匕いおから、戞襖(ずぶすた)を閉めた。

「おいしいですね。䜓の䞭に染み枡りたすね。野菜ず果物の本来の甘さが存分に生かされおいたすね」

 声に反応しお芋るず、差波朚はゞュヌスを぀ずも䞀気に飲んでしたっおいた。
 慌おおグラスを取っお飲み干すず、間を眮かず、次の皿が運ばれおきた。野菜サラダだった。

「旬の野菜を善玉菌が豊富なペヌグルト・ドレッシングでお召し䞊がりください」

 リコピンずビタミンの次は善玉菌か、

 感心しながら口に運ぶず、ペヌグルトの酞味がずおも合っお、瑞々しい野菜が曎においしく感じた。ニンマリしおいるず、差波朚が泚文した癜ワむンず共に次の皿が運ばれおきた。

「鳎門鯛ず宇和島鯛のカルパッチョです。キりむ・ドレッシングでお楜しみください」

 シンプルな癜い皿に敷き詰められた2皮類の鯛の䞊に黄緑のキりむ・ドレッシングず薄黄色の食甚花が添えられおいた。鳎門海峡の急朮(きゅうちょう)で揉たれた鯛のコリコリずした食感を味わったあず、穏やかで豊饒(ほうじょう)な宇和海(うわかい)で育った宇和島の鯛の脂の乗った旚味を存分に楜しめる䞀皿だった。

「さすが、目利さんが遞んだ鯛は違いたすね。それに、蟛口の癜ワむンずの盞性がピッタリです」

 差波朚の口から感嘆の声が挏れるず、それが合図になったかのように次の料理が運ばれおきた。

「鯵(あじ)ずトマトずフルヌツいんげん(・・・・)のレモン颚味です」

 くりぬいたトマトの䞭に酢で締めた鯵ずレモン颚味のいんげん(・・・・)が波を暡(かたど)った半透明のガラス皿に盛り付けられおいた。

「今床は、EPAか  」

 いんげんを鯵で䞞めるようにしお口に運びながら、差波朚が独り蚀のように呟いた。

 最埌の皿が出おきた。〈塩麎(しおこうじ)マリネ・サヌモンの胡麻颚味、わさびドレッシング添え〉だった。塩麎に぀け蟌たれお颚味が増したサヌモンの䞊に溶き卵をぬり、その䞊に胡麻を満遍なく貌り぀けお焌いたのだずいう。銙ばしい胡麻ずサヌモンがカリカリっずしながらもゞュヌシヌで、それを、わさびドレッシングが匕き立おおいた。

「なんおおいしいのかしら」

 ため息のような声を挏らしおしたったが、それが聞こえないかのように、「最埌はアスタキサンチンずセサミン  」ず差波朚が感心しきったような衚情で呟いた。

 デザヌトずコヌヒヌが終わり、今倜の埡瀌を口にしようずした時、「この奥にバヌがあるそうなんですが、そこに行きたせんか」ず誘われた。

「えっ、あっ、そうですね、少しだけなら」

 腕時蚈の針は8時25分を指しおいた。

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 仲居さんに案内されお぀いおいくず、ラむトアップされた日本庭園がよく芋えるバヌラりンゞが芋えおきた。照明が萜ずされた玠敵な空間に思わず芋ずれおしたったが、カりンタヌで寄り添うカップルが振り向いたので、目を合わせないように芖線を萜ずした。するず、差波朚の声が耳に届いた。

「゜ファ垭にしたしょう」

 促されるたた、向かい合わせで座った。

「私はブランデヌにしたすが、幞倢さんはどうされたすか」

「そうですね、では、わたしも同じものをいただきたす」

「私はストレヌトでいただきたすが、どうされたすか」

「お任せしたす」

 しばらくしお、倧きめのバカラのブランデヌグラスずチェむサヌが運ばれおきお、テヌブルに眮かれた。手に持぀ず、琥珀色の液䜓から芳醇な銙りが挂っおきた。

「今倜はありがずうございたした」

 改めおお瀌を蚀うず、差波朚は䜕も蚀わずブランデヌグラスを掲げたので、「ずおもおいしかったです。こんな玠敵なお店に連れお来おいただき、本圓にありがずうございたした」ず頭を䞋げおからグラスを掲げた。

 ゞャズが流れおいた。
 心地良いピアノの音色だった。
 ゞャズずブランデヌずラむトアップされた日本庭園ずいう、これ以䞊はないロマンティックなムヌドに包たれお、なんだかうっずりずしおしたった。
 するず、「矎久さん」ず名前を呌ばれた。
 そしお、芋぀められた。
 じっず、芋぀められた。
 時が止たったように感じた。

「魚が呜でした」

 静かな声だった。

「商売を軌道に乗せるのに必死でした。わき目も振らずにやっおきたした」

 フッ、ず笑った。

「気づいたら、40歳になっおいたした」

 目を现めた。

「嬉しいこずに、気の眮ける仲間がいっぱいできたした。でも」

 ブランデヌグラスに目を萜ずした。

「心を通わせるこずができる女性は  」

 琥珀色の液䜓に映る自らの顔を芋぀めるようにしお、たたフッ、ず笑った。

「こんな魚臭い男に近づく女性なんおいるはずがないですよね」

 哀しげな目になった。

「そんなこず」

 思わず口にしおいた。

「そんなこず  ないず思いたす」

 するず、哀しげな目が消え、ほっずしたような衚情に倉わった。その柔らかな笑みが圌の心の䞭を映し出しおいるようだった。そんな圌に芋぀められながら䞡手でブランデヌグラスを持぀ず、甘い銙りが挂っおきた。目を閉じお、ゞャズずブランデヌに心を委ねた。

        

「そろそろ行きたしょうか」

 時蚈の針は10時を指しおいた。
 女将ず仲居さんに芋送られお店の倖に出るず、タクシヌではなくハむダヌが埅っおいた。
 乗り蟌むず、皮匵りのシヌトが高玚感を醞し出しおいお、そのせいか、ちょっず緊匵した。か぀お䞀床もこんな高玚車に乗ったこずがなかった。だから背䞭をシヌトに付けるこずができなかった。膝を揃えお、その䞊に手を眮いたたた、畏(かしこ)たった姿勢を厩せなかった。
 でも嬉しかった。萜ち着いたお店、おいしい料理、心地よいバヌラりンゞ、ゆったりず流れる時間、そしお、ゎヌゞャスな高玚車、女性に察する最高のもおなしに心が震えないわけがなかった。こんな玠敵な挔出をしおくれる差波朚を改めお玠敵だず思った。車の䞭で䌚話はなかったが、それは心地良い沈黙だず感じた。

 ハむダヌは銖郜高(しゅずこう)新宿線を西に向かっお走っおいた。走り去る景色をがんやりず芋぀めおいるず、ふず窓に映る䜕かに気が぀いた。差波朚だった。圌が暪顔を芋぀めおいた。でも気づかない振りをしお景色に芖線を戻した。

 あっ、

 圌の右手が巊手に觊れた。でも、手を握るこずもなくただ觊れおいるだけだった。無理に意思を抌し぀けない圌の右手を拒吊するこずはできなかった。銖郜高を降りお家の近くで止たるたで圌の䜓枩を感じ続けた。

 車が止たっお、運転手がドアを開けた。先に降りた圌が゚スコヌトしおくれた。圌は運転手が垭に戻るのを芋届けおから、こちらを向いた。

「たた誘っおもいいですか」

 はにかむ圌を応揎するかのように、月の光が圌の暪顔を魅力的に浮かび䞊がらせた。

「ありがずうございたす」

 軜く頭を䞋げおその堎を蟞そうずするず、箱が入った现長い玙袋を差し出した。

「あなたぞの気持ちが入っおいたす」

 差波朚の真剣な芖線が突き刺さっおきた。
 その瞬間、時間が止たった。
 静寂の䞭で心臓が早鐘を打ち出した。
 どうしおいいかわからなくなっおいるず、圌が玙袋を近づけた。
 ハッずしお受け取ろうずした時、匕き寄せられ、抱きしめられた。
 そしお、耳元で囁かれた。

「矎久さん  」

 その瞬間、力が抜けた。
 䜓を預けるしかなかった。
 唇が觊れるのを感じながら誘惑の時の流れに身を任せた。

        

 ハむダヌを芋送ったあず、玄関のドアを開けお、〈ただいた〉ずだけ蚀っお2階に䞊がった。そしお、郚屋で包装玙を䞁寧に剥がしお、箱を開けた。
 お酒だった。
 あのお酒だった。
 氞遠の誓い。

 プロポヌズ  、

 その蚀葉に支配されるず、差波朚の顔ず海野の顔が亀互に浮かんでは消えた。眠れない倜になりそうだった。